隣を歩く人。 | Q05 quest

隣を歩く人。

「今日、最後のアポイントがそっちの駅なんだけど、一緒に帰る?」

と、出社してすぐ、彼からメールが来た。

私は何だか少しはしゃいだ気分になった。



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仕事が終わってから、会社で少し待った。

それから電話が鳴ったので、ビルを降りた。

電話でお互いの場所を探りあいながら、大きな交差点まで出た。


「今、珈琲館の前まで来たよ。」と彼が言った。

私がいる場所のちょうど斜め向かいの角に、珈琲館はあった。

私は彼を見つけた。

「ここだよ。ここ。向かいっかわにいるよ。」と、携帯電話で言っても、

彼はてんで違う方を見ている。

…何だっけ、こういうの。何て言うんだっけ。

「トイメン!トイメンにいるよー。」と、

私はほとんど音だけで覚えた言葉を、使ってみた。

多分こういう位置取りのことだったはず…。

といめん、と、たどたどしく発音した私を、彼は笑っていた。


彼がこっちを向いたので、大きく手を振った。


彼が私を見つけたことを確認してから、横断歩道をひとつ渡った。

外で待ち合わせるなんて久しぶり。

私はやっぱり浮かれていて、顔が笑ってしまう。



携帯電話が鳴った。

彼からだった。



「おい、またトイメンにいるぞ。トイメンに。」



彼は笑っていた。

見ると、また、一番遠い角に彼が居た。

馬鹿みたいに、2人して同じ方向に横断歩道を渡ったらしく。

いっこうに距離は縮まっていない私たち。

「お前は動くな。」とぴしゃりと言われ、しゅんとする私。

でも本当は、コントみたいで面白くて、

彼を待ちながらひとりで笑っていた。




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串焼きとおでんを食べて、

少しお酒も飲んで、

それから2人で歩いて帰った。



地下鉄2駅ぶんのその道は、

広い歩道をただただ真っ直ぐに進むだけで家に着く。

他愛のないおしゃべりをしながら歩いた。

仕事帰りのスーツの彼と、

堂々と歩けることがすごく嬉しい。



仕事のテンションが抜け切らない、

少しぱりっとした彼は、大人びた笑い方をする。

ひどく賢そうな、落ち着いた笑い方。

それが私はすごく好きなのだけど、

ちょっと呆れてしまう。

いつもは、「男爵芋のうた」とか、歌ってるくせに。







あっという間に、家に着いた。

もっと歩いていても良さそうな夜だった。

私の隣を歩む人。

同じ場所を目指す人。










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家の前の角を曲がる時、金木犀の匂いがした。