こんにちは。

宗教が支配の道具であることに気付きながら宗教由来の慣習である「墓参りしている方」へ差し上げた文章を以下に加筆・修正して転載します。皆さんが主イエスと直弟子十二弟子が命を懸けて説いて回った、自分の生き方を「悔い改め」て、慈愛と義のご性質で人間にもそれらを求める方、あなた同様に唯一の存在、いのちの源である本物の生ける神へ立ち返る選択肢を速やかに選ばれることを切に願います。

 

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<宗教を信仰されてるんですね。それは否定も肯定もしませんが//自分は最後まで事実を伝えることを決めています。>


仰る通り、私は信仰心は持ってます。宗教とは、教祖(人間)が大衆を支配すべく、自分に都合よく創作した教義に基づき作り上げた組織であり、聖書と言う書物は宗教に悪用されているに過ぎないと考えてます。だから聖書は宗教ではないですよ。そのことはあなたや皆さんがご自分で一度も通読確認なさらないから、これまでの「聖書は宗教」と言う概念に「惑わされている」のです。その惑わしを私や他人が払拭することは不可能です。これだけは、あなたや皆さんがご自分で真剣に旧約聖書から通読確認して頂く以外に手段はありません。

 

真理は永遠不変と言うことはご理解頂けると思います。真理は筋が通ってます。真理以外は全て誤謬。真理には嘘偽りは混ざりようがありません。少しでも嘘、偽りが混ざればそれは真理ではないです。筋も通らなくなります。真理が即ち神ですよ。唯一本物の生ける神のご性質は慈愛と公平・公正の義であり、この唯一の神は慈愛と義の行いを私たち人間に求める存在です。そのことは旧約聖書のレビ記、申命記などの神の定められた人間が守るべき律法を確認すれば明白です。神の律法とは人間本来のあるべき生き方です。皆さんが認識されている宗教で、慈愛と公平・公正の義を信者に求めている宗教ありますか。私が知る限りではそんな教祖も宗教団体も存在しません。

 

支配層の手の内にあった聖書は確かに改竄誤訳などが含まれます。しかしながら、わかる人にはどこがおかしい部分かなど違和感を感じることが出来、聖書に書かれた文章の中から筋が通った部分と嘘や偽りを選り分けることが出来ます。逆に言えばそれを出来ない人間が大多数と言うことで、偽り者の教祖とその教義と宗教団体に騙されて信者になるんですよ。世の中の正しいことと欺瞞を選り分けることと同じです。偽旗が真実に嘘を織り交ぜる、筋が通っていないのに、そのことに気付ける人間と気付けない人間の両方がいること、気付けない人間が大多数であることと同じことです。

 

<自分は最後まで事実を伝えることを決めています>

 

このご意志と聖書を通読確認なさって理解することは相反しません。むしろ聖書の真理は公平・公正の義をどんな逆境の中にあっても、最後まで貫くように教えてます。何ら矛盾がありません。だからこそ、一度皆さんご自身でご確認頂きたいです。憲法改悪も目前に迫ってます。改悪されてしまえば、聖書を手にして単純に確認することすらも不可能になる可能性が高いです。今この最後の時を逃せば永遠に真理を見出すことは不可能です。既に十分過ぎるくらいに狂っている異常な世界ですよ。憲法改悪後のこの世界で、皆さんは何に希望を持って生きてゆくのでしょうか。希望なくして信念貫けるのでしょうか。確固たる真の希望無くして耐え抜くことが、可能な世界なんですか。

 

聖書は教えることを厳しく戒めてもいます。私は教える立場にないです。だから私が皆さんに出来ることは、速やかに「確認すべきですよ」とお伝えするところまでです。

 

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皆さん、人は肉体が死んだら「終わり」ですか。かつて私はそう「思い込んで」ピンピンコロリで死ねればいいと健康情報に熱心な時がありました。でも、気付いたんですよ。「死んだら終わり」が生きてきた中で勝手に耳に入ってきただけの概念であり、そこには何ら根拠がなかったことに。

 

皆さんが当たり前に思っていることって、こう言う類いのものが意外に多いのではありませんか。

 

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<権力握れば人間全て鬼畜になります>

 

あなたもそうなるんですか。

そうなるのか、ならないのか、その一人ひとりの志によるのではありませんか。志があっても、自分の欲(自己愛)に負ければそうなってしまう。志があってかつ、自分の欲に打ち勝てる人ならばそうならないでしょう。主イエスは「自己愛」を捨てるように悔い改めを説かれました。全ての人間が自己愛を捨てれば(即ち慈愛と義なる神を第一に愛する偶像崇拝しないこと、二番目が隣人愛)悪と欺瞞に満ちようがないです。以下の通りです。

 

マタイ 十六章二十四節

それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 

 

マタイ 二十二章三十七〜三十九節

イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』

 

聖書が人に教えてはならないと書いてある箇所をお示ししておこうと思いました。以下です。

お忙しいところお返事ありがとうございます。

 

ヤコブ 三章一節

わたしの兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています。 

 

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あなたや皆さんが大衆支配の道具である宗教を忌み嫌うように私も忌み嫌います。ご返信は不要ですがご自分に問うて下さい。私のこの投稿に気付いた皆さんも考えて下さい。

 

あなたが墓参りする理由はなんですか。墓参りすべきと考える根拠はどこにあるんですか。

 

ものは偶然に出来るか、そうでなければ作られるか、そのどちらかしかないと私は思います。偶然にこの世界が出来たとするビッグバンは仮説止まりにも関わらず、義務教育では創造論を公平に教えることなく、この仮説をあたかも事実であるかの如く、これを全ての前提に教育していると思います。欧米ではビッグバン仮説と創造論を公平に教えるとのこと。何故日本は両方を公平に教えないのでしょうか。ご承知の通り日本の間接支配の始まりは明治からですが、教育に関しても支配者の意向が反映されないことなどないと私は考えます。日本人に自発的に聖書を手にして確認しようとさせないためですよ。そして、自分で確認することの重要性に気付いていない人は教会や牧師などに頼り、そのままイエズス会仕込みの偽りの神学にまんまと騙されます。

 

旧約聖書からご自分で真剣に通読確認なされば、この書物が筋が通っていること、日本の文化、伝統、精神性の接点が偶然の一言では片付けられない程にこの書物に多くあること、この世俗が悪と欺瞞に満ちていることに気付いた皆さんならば、きちんと確認なされば、わかる筈と私は思います。

 

聖書預言、二千三十一年頃に主イエスが再臨なさるという解釈を私は支持します。アジェンダ2030はそれを踏まえての悪魔崇拝者支配層の目標と考えます。ご自分の意志で主イエスの側に属することを選択しない者は、最終的には悪魔崇拝者と同じ運命に巻き込まれますよ。恐ろしくて向き合えないのは、旧約聖書を自分で読み込んで、万物の創造主の深い慈愛と憐れみをきちんと理解しないからです。

 

この世界が悪と欺瞞に満ちるのは、生殺与奪の権をお持ちの畏れ敬うべき対象である生ける神を現代人が認識できず、無視しているからです。皆さんがこの世界の腐った事実を仕切りに伝えても、他人事で真剣に受け止めようともせず、だから考えることもなく、変わらないんですよ。皆さんが嫌と言うほどに経験してきたことでしょう。この先も殆どの人は変わることはないです。

 

形あるものは必ず滅びゆくものです。いつまでもそんなものにしがみついていては駄目です。事実を伝えながら、ご自分のために真理を求めることに今、どうぞ必死になって下さい。物事には後回しにしてよいことと、後回しにすると取り返しがつかないことがあります。宜しくお願い申し上げます。

 

ヨハネ第一 二章十五、十六節

世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。

 

ヨハネ 八章三十二節

あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。