久し振りに文章を書きます。少し昔話を。


Kosmosがうちに来たのは2006年の確か5月。いつもの様にうちのだんなさんが家に入れてしまい、もう何人目かも覚えていないくらいの猫たちの仲間になりました。その後、この子はどこかに隠れてしまい、まる半日にも及ぶかくれんぼのあげく、本棚と本棚の隙間からじっとこっちを見ている大きな瞳を発見。

見事捕獲となりました。


それから9年。いろいろな事がありました。この子は肺が悪く、それもかなり悪く大部分が癒着して機能していなかった。

それでも案外元気。何と言ってもあのPierreとの間に子供を宿し!!

でも5人の子猫は全員死産という悔やんでも悔やみきれない経験をさせてしまいました。


あの体で9年。うちに来た時にはすでに大人だったから13才位になっていてもおかしくない。長生きした方かな、と思います。


去年の10月頃、そう、私は日本にいたあの頃、食べなくなった、と連絡があり、

のどにチューブを付けてご飯を流し込む、という治療を受けました。

日本でずっとお世話になっていた先生に、ずっと前一度だけ使った鎮静剤の名前とその時の投与量を教えてもらって。その病院では今でもうちの子達のカルテを取っておいてくれたのが幸いしました。先生もKosmosの事を覚えていました。そして無事にチューブ取り付け手術が終わり、

栄養も薬もそのチューブから流し込んで、そしてまた元気になりました。

チューブを付けてひょこひょこ歩いている姿は愛嬌があってちょっとおかしくて。


今年2月のある晩、どういう訳かあの子の体がびっしょり濡れているのを見つけ、元気もないので病院へ。お腹の中に大量の水がたまっていてそれが破裂してしまったような、そんな感じ。あの子の体の中で何やら大変な事が起こっているらしく、

手術の必要性を言われました。


Kosmosはもう若くない。麻酔も打てないほど肺の具合が悪いから避妊手術すらできなかった子。それでも可能性はあるから、と言われ納得してお願いする事に。でも結局手術は出来ませんでした。極度の貧血だという事でした。

貧血を直すのが先。そのための薬などいろいろもらって来て、家で様子見です。輸血の必要があるかも、とも言われました。


それから数日たったある日の夜。Kosmosが横向きになってぐったりしているのを見つけ、

体温を測ると33.6℃

あり得ないほどの低温でした。

病院に電話をするも先生は“もう逝かせてあげなさい”と…


2015年2月21日。Kosmos永眠しました。


十分生きた、と思っています。コスちゃんは奇跡の猫。

ミラクルキャットだったよ。

いつかまた会おうね。





向かって右の子がコスモスです。

直角、90度の完璧なカギしっぽの子でした^^




ずいぶん暖かくなりました。もうこれで冬は戻って来ないだろう…と、とりあえず

安心しているこの頃です。


唐突ですが、日本には(もちろん他の国でもですが)数多くの文学賞があります。芥川賞や直木賞は有名ですが、そういうのではなく公募の賞もいろいろ

です。


その中で筑摩書房と三鷹市共催の太宰治賞。

今年の応募総数1149。その中から最終候補が4作品に絞られます。

そして今月7日にその中から1点、大賞が決定しました。


実はその最終候補4作の中に私の弟の小説が選ばれてました。

大賞には届きませんでしたが、6月に出版される【太宰治賞2014】

という単行本に全文掲載されます。


日本の皆様、ぜひぜひ読んでやって下さいませ…


というわけで、本日は姉バカのぱんぱねこでした。



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mackerelが死んでしまってからもう2カ月以上がたったなんて、信じられない気がします。

月日が流れるのはとても速い。

たとえ誰がいなくなろうがどんな事件が起きようが、私達の日常は流れていくのだなぁ、と今さらながらに思います。


 

 

私はこの2カ月やはり余り元気ではなかった。
もちろんご飯はちゃんと食べていたし、猫達の世話もしてました。
そしてこれがちょっと問題でした。普通だったら子供達の誰かが旅立ったとしても他の子達の為に頑張らなきゃ、と思うのです。それが今までの私でした。

でも、今回はダメだった。キャットハウスに行くとまずmackerelがいない事に気付く。

あの子がいない、その気配に気付くのです。そしてそのまま泣きだす自分がいました。

どうにもならない、全く役立たずの自分でした。

猫達と過ごす時間はもうmackerelがこの世にいない、という事実の再確認の作業でしかなかった。

これ、とてもきつくて痛かった。


 

 

結局mackerelは単なる感染症で死んだらしい事が、解剖の結果分かってきました。
そしておそらくあの病院(診療拒否の手紙をよこしたところ)での巨大結腸症の治療の過程で何らかの細菌感染があったのだろう、という事でした。

感染症には抗生剤です。素人でも知ってる。

病院ではただの一度も抗生剤の投与は行われませんでした。

これは誤診なのだろうか?もしそうだとしても私はそれであの病院を責める気はありません。

完璧な医者はいない。

 

ただひとつ、どうしても許せないのは、安楽死は絶対に嫌だという私達の気持を理解せず、あの子の治療を諦めた事です。医者に諦められたら患者はどうすればいいの?
頑張りたいと思っても頑張りようがないじゃない。


 

この病院とはこれからもしかしたら少し葛藤があるかもしれません。

それがどんなものになるか、果たして訴訟になるのかどうなのか分からないけれど。

 

ただ私は気持に区切りをつけない事にはどうしようもない、と最近になってやっとそんな風に考える様になりました。

mackerelと名前をつぶやくだけで情けないほどぼろぼろ泣いていた私。

二度と記事なんて書けないかも、と思っていたけれど、こうして短い文章を書き始めました。


 

 

読んでくれてありがとう。これからもよろしくお願いします。


 

 

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翌日、即ち火曜日の朝9時前。Almonteの獣医さんから電話があった。

スピーカーフォンを通して聞こえる先生の声のトーンがいつもより少し低い。

mackerelは死んでしまった、と、聞いた瞬間涙があふれた。



お昼前に病院へ向かいました。

mackerelの死因は何だったのか。

お腹にうんぴが溜まっただけで、動物は死んでしまうのか。

いくら考えても分からず、どうしても納得できず、mackerelの解剖をしてもらう事にしました。


本当は嫌だった。mackerelは十分苦しんだのに、死んでからも身体を傷つける

なんて。


何年も前、原因不明で死んだ子がいた。 野良だったmuffin


その時、獣医さんのたっての頼みで解剖に同意した。

同じような症状の他の子達を助ける手掛かりになるかも、と言われて。

結果、死因は十二指腸潰瘍だと分かった。でも、それが何だったんだろう。

その子は帰って来ない。二度と子供達の解剖には応じない、と誓った。



今回のmackerelの死。最初に連れていった地元の病院。
この辺りでは1番大きな病院です。いつもとても忙しそう。
そこのオーナーの1人でもある先生がバクの治療もしてくれました。今までいろいろ助けてくれました。何人もの子供たちがお世話になりました。


が、今回、mackerelの治療に関しては、少しづつ不信感が募って来ました。

何度目かの通院の時、お腹の中に以前よりずっと大きなうんぴがある、と言ったのにmackerelを入院させずに帰された事。いわく、ここにいるととてもストレスになるから家に帰った方が良い、と。


確かにそうです。動物にとって入院はものすごくストレスになる。特にmackerelはとても神経質な子。でも、治療の効果が少しも現れていないのに、素人が見ても明らかに24時間の補液が必要なのに、家に帰すって言うのはその時点で諦めたんじゃないの?

それとも、入院中にmackerelにもしもの事があったら、責任を問われるとでも思ったのか...



確かにうちのporkchopはあの人達にはめんどくさい存在です。
子供達の事となると、相手が医者であれ誰であれ喧嘩腰。おまけにうちは正真正銘の動物貧乏で、いつも、診療費が高い、とか文句言ってるし。多頭割引はないのか!!とか、ほんの1分触診しただけで、なんで金取るんだ!!とか、時々わけわかめな事も言いだすし。先生たちにしてみれば、一番いらないお客だよね。

その後は安楽死のお勧めばかりだった。



そして、突然、その地元の病院から手紙が来ました、書留で。
今年の3月1日をもって、お宅の動物達の診察はいかなる場合もお断りします、と書いてありました。
通常の診察はもとより、緊急の場合も。

とことん嫌われたものだ…もう、この病院とのお付き合いはありえないだろう。

でも、これだけの数の動物達を抱えて獣医さんなしでは生きていけない。

そんな事情もあって、porkchopは怒り心頭。

何としてもmackerelの死因を突き止める!!と聞きません。


何だかちょっとめんどくさい展開になって来ました。


ただ、私はそんな事はもうどうでも良い。

mackerelは帰って来ない。ミャオ~と鳴いてもくれないし、私の胸に飛びついてくれる事もない。

最後に会ったあの子はとても小さくて冷たくて、目はまっすぐ前を向いていて、そしてとても悲しそうだった。


もう一度この子を抱きしめる、と約束したのに、助けられなかった。

何がいけなかったのか。どうすれば良かったのか。

最初の病院に不審を抱いた時点ですぐにAlmonteの先生の所へ行けば良かったのか…

そうすれば治療は間に合ったのか…



何を見てもどこにいてもあの子の姿が見える。


2014年、2月25日、大事な宝物のmackerel永眠しました。

今年の4月で7才になるはずでした。


今は、ただ、ひたすらに寂しいです…しばらくは立ち直れない。

立ち直りたくもない、今は。






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土曜日にmackerelを家へ連れて帰って来た。

mackerelはグッタリしたまま呼吸も速い。

本当にもうダメなのはてな


ここに引っ越してくる前、Almonteという町に住んでいました。そこでいつも行ってた動物病院の先生に聞いてみた。mega colon=巨大結腸症、浣腸以外に治療法はないのはてな



あった…

鼻に麻酔作用のある薬をさして感覚を失くし、細いチューブを差し込んで薬を直接体内へ注入し、うんぴを身体の外へ押し出す。

そんな方法があるんだ…



mackerelを迎えに行った時、その方法を試してもらえないかはてなと聞いてみた。
でも、その病院では誰も経験がないので無理だ、という話。
6人も獣医がいるのにね…


月曜日にmackerelAlmonteの病院へ連れていく事になりました。

ただし、それまでこの子の命があれば…



mackerelはこのまま死んでしまってもおかしくないほど弱っている。
余りにも急に体重が激減したのは単に巨大結腸症という訳ではなく、もしかした腫瘍が出来ているのかもしれない。もうひとつの治療法を試すのにもそれなりの体力がいる。


週末の2日間、mackerelは私の部屋で過ごしました。

退院の時にもらった薬、浣腸用の注射器の使い方を教わって、とにかく出来る事は全てやってみようと思いました。月曜の朝まで何としてもこの子の命を繋ぐ。

これは私にしか出来ない。だから私がやる。



mackerelはふらつきながらも歩こうとする。こんなに弱った体でも私の方へ向かって歩いて来ようとする。その姿を見て、絶対にこの子を生かす、と心に決めた。


そして月曜の朝が来ました。


その日、朝6時に起きて、動物達の世話をすべて終え、mackerelを連れてAlmonteの病院へ。


寒いけど、とても良いお天気だった。車の中でmackerelは何度かキャリーケースの中から顔を出そうとした。どこにそんな力があったのか、ほんの少し残った体力を全部使っておひさまの光を浴びようとしているみたいだ。その様子を見たらまた泣けてきた。泣きながら運転して病院へ着いた。


先生はmackerelのひどい脱水状態を見てすぐに点滴開始。少なくても24時間はかかるよ、と言われた。治療はその後。またも入院です。


この病院の先生とはカナダに引っ越してきて以来のお付き合い。私達、特にporkchopの性格をよくわかっているので絶対に安楽死させろ、とは言わない。


その日の夜、mackerelは例の鼻からチューブを通す治療を受けた、と電話

ありました。

とりあえず、治療を受けさせる事が出来ました。


望みは捨てない。奇跡が起きるかもしれない。


続きます。


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昨日、病院から帰って来てからmackerelはまったく動かない。

ケージの中でただじっとしている。


今日も病院へ連れて行きました。
そして担当の先生と病院のオーナーと話をしました。


mackerelの病状はとても悪く、通常、飼主は安楽死を考える、と。

この病気で命を落とす事もあるし、治療をしてもすぐに再発する。

私達はこの子を助けるためにここにいるのであって、安楽死を勧める

ためではない。

でも、動物達の幸せ、つまりquality of lifeを考える事も私達の仕事。

動物が食べる事も水を飲む事も、走る事も歩く事も出来ないのであれば、安らかに眠らせてあげた方が良い、と言うのが先生達の考え。


まただ…いつもこのquality of lifeという言葉を投げつけられる。

うちの子達の暮らしにqualityは無いという事か…

ついにporkchopは、“二度と自分の前で安楽死という言葉を使ってくれるなビックリ”と、

どなってしまいました。


お医者さんが動物のquality of lifeを言うのは分かる。

でも、mackerelにとっては私達と一緒に生きていくのもこの子のquality of lifeと言えるのではないか、と思います。動物達が苦しんでいる時は私も苦しい。

痛みに必死で耐えている姿を見ると、胸がつぶれそうになります。


それでもやはりmackerelは死にたくなんかない、と思います。
生きたい、って訴えていると思います。
筋肉もすっかり落ちてしまって、力なくぐったりとしている。でも、それでも生きたい、って言っているような気がします。


どうしてmackerelなんだろう。どうして突然この子がこんな病気を背負って

しまったんだろう。

いつも私の胸にジャンプしてきたmackerel

病気してからはそのジャンプもせいぜい膝の少し上くらいまでになってしまった。


今回は入院させました。土曜日に迎えに行きます。

そして週末は私が自分の部屋で看病します。

この子がもう一度私の胸に飛びついてくれるように。
もう一度みゃお~と甘えて鳴いてくれるように。

もう一度この手の中に抱きしめるんだ、この子をshokopon





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mackerelの状態は一進一退とゆうか、一進二退くらいの感じで今日も病院へ。

やっぱりかなり大きな(Θ_Θ)が溜まっているらしい。

でも、ご飯もろくに食べてないのに?前回の浣腸から5日。

もっと早く連れて来てあげるべきだったのか。体重2割減。もう鳴く元気もない。



前回同様、浣腸をしてもらったけど、まだお腹に(Θ_Θ)が残ってる。また明日も病院へ行く事になりました。この子はこの先死ぬまでこんな治療を続けていく事になるのだろうか…

Drに他に方法はないの?と聞いたら、“手術をするか、あとは安楽死だね”と、言われた。

悪いけど、手術はともかく私達に安楽死の選択肢はないのよ、先生!!



まったく、この国の獣医はどうしてこうも簡単にあっさりと安楽死を

口にするんだろう。

こっちは他の治療法を聞いてるのよ!!

自分で対処できないと何でも安楽死にするわけ?


それって、もしかしてただあんたが未熟なヤブ医者って事じゃないの?怒怒



mackerelの治療が終わるまで2時間。その間にもう1か所の動物病院へ

行ってみた。

偶然そこの獣医師が受付に出て来たので、“お宅ではただ浣腸する以外にmegacolonの治療法はあるの?”と、聞いてみた。答えはNO

そこでも同じ治療法らしい。


手術をして成功すればmackerelは見違えるほど元気になる、らしい…

もちろん100%成功するとは誰も言ってくれない。

キングストンかオタワか大きな都市の大きな病院へ連れていく事になる。


mackerelは他の誰よりも神経質で繊細な子。この子をうまくいくかどうかも分からない治療の為に、そんな大変な目に合わせていいのだろうか?



実はmackerelの他にもひとり原因不明の病気の子がいます。最初はアレルギー疾患という話でしたが、ステロイドも効き目はなく近い内にバイオプシーの検査をする事になりました。


こんな事が重なると多頭飼育の辛さを思い知らされます。

うちの子達はもう若くはない。一番若い子達が3才。

他の子達は10才前後が多いです。

年齢不詳もかなりいます。



ただ、今はmackerelに寄り添って居てあげようと思います。

生後数日から私が育てたこの子。まだ失う訳にはいかない…



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先日、ひどい便秘で入院したグレーのトラ猫のmackerel

薬を飲ませ、ご飯も食べる様になり、元気になったなぁ、と思ったのもつかの間。

全く同じ症状が戻って来ました。何回も何回も(Θ_Θ)をしようとするんだけど、

全くダメ。出ない。


今度は前よりもっと大きな(Θ_Θ)がお腹に溜まってしまった、という事。

あんなに気を付けてたのに…

今度は指長の先生でも届かない位お腹の奥の方。




これ、ただの便秘じゃないよね?

どうやらmegacolon=巨大結腸症という病気みたい。

結腸の中に固い(Θ_Θ)が溜まってしまい、どうしても出ない時には手術で出すほかないらしい。


どんな手術にもリスクはつきもの。この病気、命に関わる事はない

と言う事だけど、

こんなに痩せてしまったmackerelのお腹を開けるなんて…




取り敢えず浣腸と点滴とお薬いろいろで、4泊5日の入院。

時間はかかったけど、お腹の中を空っぽにしてもらって帰って来ました。


それからうちのキャットハウスの1部屋で薬を飲ませて、ご飯を食べさせ、様子を見つつ看病しています。でも、やっぱり思い通りには(Θ_Θ)は出ない。

その度に病院へ連れていって浣腸してもらう、という日々です。




mackerelは一回り小さくなったように見える。毛づやも良くない。最初の入院の後は暴れ回ってご飯をまき散らしたりもしたけど、今度はそんな元気もない。

ただ心細そうに小さくミャ~と鳴く。

抱っこして、お腹をマッサージ。結腸の中の固い(Θ_Θ)が素人にも分かる。

切なくて涙が出る。




でも、今日になって3cm位の固い(Θ_Θ)をしました。ああ、良かった…と、少しほっとしてその小さなかたまりを見つめていたらまた涙が出て来た。


どうかどうか、この子の腸がちゃんと働いて、元気なmackerel

戻ってくれます様に。


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2本足の鹿、バクの事を書いた前記事。

だらだらとまとまりのない長文にもかかわらず読んでくれたみんな、

本当にありがとう。

コメントを残してくれたり、FBにメッセージを寄せてくれたり、とても嬉しいsei


自分の身の回りで何かが起き、例えそれが些細な、取るに足りない事で

あったとしても、

こうして文章にして、それを読んでくれるみんながいて、一緒に考えてくれる。

そういうのがとても嬉しい。

この国で、こういう環境の中で生きていく以上、第2第3のバクはきっと

現れるだろう。

その時、またどうしていいか分からなくなり、頭を抱えて悩みに悩み抜くんだろう。

それも仕方ないな、と思っています。


どこでどう間違ったのか、こんなド田舎で動物達にかまけて暮らしている。

1日に3回位逃げ出したくなりもするけれど、でも、やっぱり病気の猫達の

世話が先。

バンビを抱っこしてちょっとお昼寝するのが先。

という訳で、これからもこんな風に生きていくんだろうな…

ま、いっか。人生に正解はないから(o^-')b


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これまでと違ったものであってもそれが人生なら良い。

今までより不便でもしかしたら不幸せであってもそれが人生と呼べるものなら

まだ良い。

今までとは全く違った人生なのだ、と受け入れられるのなら良い。

人間には多分それが出来る。



でも、今のバクの毎日。餌を与えられ、それを食べ、ただ静かに座っている。
それって鹿の人生=lifeと言えるのはてな

今のバクにはlifeはないと思う。後ろ足を1本失くした時にバクのlife

消えてしまったのだ。

もう取り戻す事は出来ないのだ。



動物には種類がある。
私の中での種類分け、それは人間とどの位近くにいるか。

どれほど遠く離れているか。

その1点においてうちの犬や猫達とバクを一緒に扱う事は出来ないと思う。

鹿としての普通の日々を送れないのであれば、やはり眠らせてあげるべきなのだ…



と、こんな話を毎日の様に繰り返してきた。
そしてふいに気がついた。
“私、なんでこんなに一生懸命安楽死を勧めているのはてな
これでは何かと言うとすぐに安楽死させたがる獣医と同じだ。


本当に何が何だか分からなくなってきた。

でも、どちらにしろもうじき決断の時が来る。



Nova Scotiaの施設に断られ、それでも諦めきれずにいたところ、偶然知り合いからある保護施設の事を聞いた。
そこには傷付いた鹿もいるらしい。決して近くはないけれど、車で行けないほど遠くでもない。

藁にもすがる思いで相談しました。


そこもたくさんの動物達で手いっぱい。収容する場所がない、と言われましたが、

それならせめてバクの様子を見に来てくれないか、とお願いしました。

ひと目だけでも見てもらってそれで安楽死しかない、というのであればその判断に従うから、と言って。

でも、“そんな遠くまでは行けない”と、あっさり断られ、もうどうする事も出来ず、

ついにporkchopは決断しました。



今まで“苦渋の決断”という言葉をどれほど軽々しく使っていた事か…

考えられる限りの事を全てやってみた。なのに結局何も出来なかった。

バクを苦しみの中に置き、どうする事も出来ずに殺してしまった。



2014年、1月31日、クリスマスの翌日に現れた牡鹿のバク、推定生後6カ月。
永眠させました。

せめて天国では痛みも絶望もなく思い切り走りまわれます様に…



バクが来てからうちの庭に現れる鹿の数が増えた様な気がします。
バクの為に鹿の餌をたくさん買い込んであったので、今、それをその子達に

あげてます。

どうやらここに来ればご飯がある、と知れ渡った様で、朝夕みんなで

食べに来ます。

たくさん食べて、大きく、強く育って、ハンター達から逃げおおせる様に。



私達が関わった1頭の鹿、バクの物語、終わります。

読んでくれたみんな、どうもありがとう。





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