ISO9001を極めよう!~審査員の本音 -12ページ目

顧客満足経営からの卒業

ISOが目指しているのは
顧客満足経営である。
それは経営技術的には
メイクマネーに通じることは
以前のブログに書いた。

では顧客満足経営が究極の経営
であるかというとそうではないと
思う。顧客満足経営も通過点に
すぎない。ではその先にあるのは
何か。それは自己実現である。

あなたは顧客満足のために仕事を
していますか?
あなたを仕事に駆り立てている
のは何ですか?

それは顧客満足と答える人は
優等生である。

でも何か違うと感じたら
こう答えるとよい。

仕事は自分のためにやって
います と。


このテーマ 深いでござる。
いずれ別の機会に
取りあげてみたい。


総務のISO

総務から私たちはISOって何をやればよいのですか?
ISOは必要なのでしょうか?と質問された。
仕事は事務なので直接、製品の品質に係わるわけではない。
なんか面倒くさいことをやっているなという感じを
漂わせている。
そこで
「総務の顧客はだれですか?」
総務「えっ?? 今まで考えたこともなかった。
社長かな? 社員かな」

「顧客がわからないと 顧客満足が進みません。
顧客のニーズや要望をどのようにきいています?」
総務「えっ??特にはないですが。決められたことを決められた
とおりやっているだけですが」

「どのような改善テーマをおもちですか?」
総務「整理整頓や経費削減です。このあいだは
空いていた駐車場を賃貸駐車場にして
土地が活用できました」

「現場とのコミュニケーションはどのようにされていますか?」
総務「そういえば社員からの改善提案で昼休みに
つけるTV のリモコンを買いました。社員が
見たいニュースをすぐ見れるようにするためです。」

「改善提案はどのくらいでてくるのですか?」
総務「たいした数はないです」
「現場は総務に何を期待しているのでしょか?」
総務「うーむ。特に不満はきかなですけれど」
「今までの話の中でISOをやる意味がお気づきに
なったのではないかと思いますが」
総務「そうですね。もっと顧客満足を
意識することですね」

「その仕組みをISOは教えてくれています。」
総務「なんとなく わかったような気がしました」

このようにISOの考え方は単純なことである。ISOを難しいと
考えすぎているから活動が進まないだけのことである。

ISOの認証企業であっても今だにISOって何?という
疑問をもっている人たちが多い。やらされている
という受身の気持ちでは何もよいアイデアは生まれない。
日ごろ疑問に思っていることがあれば
審査はせっかくの機会なのでこのような、
ISOとは何ぞや?という問答も試みて下さい。












審査員へのスペシャルリクエスト

企業から審査員に要望がだされることがある。
「今回は社内にカツをいれたいので最後に
忌憚のない意見をしゃべって下さい。」といわれた。
以下はそのしゃべった要旨である。

以上で今回の審査結果の報告は終わりです。
最後に私は今回で2回目の訪問になりますが、皆様の
QMSについてどのような感じを受けたか話します。
厳しい言い方をするとISOの基本的な考え方が浅いと感じまし
た。前回は2000年版に変更したばかりでしたので規格の考え方
が浸透していないのは止むを得なかったですが、もうそろそろ規格
の本質を皆さんが理解して取り組んでいくことが必要です。
規格を活用すればもっともっと会社のパフォーマンスを
上げられます。

特に私が印象として残ったのは、”ベクトルがあっていない”という
ことです。改善活動を各部門で行っていますが本来、部門
連携で行わなければならない事が独善になっています。
各部門によるチームワークでしなければいけないことが
できていないので効果がでていません。これは当たり前ですね。
昨年と比較しても成果が上がっておらず同じこと何年も
繰り返しています。それは何故か?という疑問や問題意識が
感じられません。独善になる理由は会社の目標達成への
貢献意識がないから自分の事ばかりに目がいっています。
社長と部門責任者の縦のラインと部門責任者同士の
横のラインがかみ合っていないのです。
自分たちが進まなければならない方向性が見えて
いません。今の活動はストップして改善の基本形をつくって
からやり直して下さい。

文章にすると当たり前のことを言っているのだが、"間”の
取り方や口調で文章とは違ってインパクトを与えられる
ように工夫して話した。


組織をヘコましてはいけない。あくまでも動機づける
ことが目的である。


このようなリクエストは大歓迎である。



対話で会社を再建する

コミュニケーションが大事であるとは
誰もがいう。しかし、コミュニケーション
とは何だろう。色々なコミュニケーション
の種類があるし、範囲も広い。
ここでは対話を考えてみたい。対話の
目的は意思の疎通である。議論でも
なければ上意下達でもない。お互いが
理解しあうことである。意見の違いを
確認しつつ、コンセンサスを創る事である。
これができる組織は優れものである。
組織の一体感、全員参画、ベクトルの一致
はこの対話のプロセスから生まれる。
リーダーシップとフォローワーシップ
の役割意識をベースにした、まるで大きな石と
小さな石から成る石垣のような堅固な
組織を想像させる。
ある地方の電気ユニットを組み立てている
中小企業の話。そこは山深い村の中に会社が
あり、会社自体が「村」のコミュニティに
なっている。
皆な地元に住み、先祖代々顔見知りで、付き合
いが長い。こんな田舎でも資本主義の競争原理
から逃れることはできず、経営状態は苦しく
なる一方である。
そんなところに能力主義をもちだし
てもうまくいかないし、中間採用で指導者を
採用しても文字通り村八分である。
ビジネスは競争原理が働くということは頭
で理解されていても社員に緊張感が生まれない。
社長も限界にきている。

なにかカンフル剤はないものか。リストラも
考えたが、それをやる前にやるべきことがある。
それは対話である。一人ひとり問題意識を
もっているのだからそれを集約して
コンセンサスを創る。
対話こそ社内の文化を変えるエンジンでは
ないか。


強権発動で人は動かない。報奨でも
動かない。人はあくまでも自分の意思で動く
のである。その共通の意思を創るプロセスが
対話である。
社長は今まで口すっぱく、コスト削減、品質
改善をことあるごとに訴えてきたが社員の
馬耳東風に業を煮やし、リストラや人事評価
の改革を考えていたがハタと気づいたようで
ある。
「もう一度、皆と話し合ってみよう。
社員の声が聞こえていなかったのかもしれない」
そこには今まで社員を信頼してきたはずの自分を
久しぶりに思い出したような顔であった。

業績が悪くなると、そしてそれが長く続くと
人間関係までギスギスしてしまう。
お互いの気持ちは離れていく一方である。
業績さえよくなればのあせりが余計に
悪循環をよんでいる。
暗中模索の最中、対話に"気づき”があった。




ISO14001への意見

ISO14001というISO9001と同じマネジメントの環境の規格
がある。筆者は14001の審査はしないし、詳しいことも
わからない。ただ、9001と14001の両方をもっている
企業が多いので、環境への関心もあって14001について
尋ねることがある。しかし、これがどうも何をやって
いるのかわからない。もともと、ISO14001とISO9001
では社会的責任と顧客満足という根本思想が異なる
ので同列には扱えないが、本当に企業は
14001のメリットを得ているのだろうか。

筆者はISO9001のシステムの中でISO14001の考えを
取り入れて仕組みを創れば14001は不要だと
考えている。それで十分、14001の要求事項は満足
できるはずである。しかし、それでは環境取り組みの
アピールが社外にできないので登録書が必要なのかも
しれない。それでは本来の目的とは違うのではないか。
環境マネジメントをアピールするなら自主宣言
という手もある。

14001の思想は高尚なものである。それを実現するには
企業側も審査側もそうとう覚悟しなければならない。
しかし、それらは不十分であるし、審査側が
思想を企業に伝授する力量が足りないのではないかという
懸念ある。消灯の励行、裏紙用紙の再利用、ゴミの分別
これらは何も第三者評価を受けるような話ではない。
では、エコ商品の開発をやっている企業がある。これは
りっぱな環境を配慮した活動である。しかし、これは
その採算性はどうなっているのか、マーケティングは
どうか というビジネスの観点でみれば9001の世界
の話である。むしろ、そのようなことを考慮せず
ブームに流されて環境配慮製品を開発したばっかりに
赤字になってしまっては経営責任を問われる。

14001はすばらしい規格と思うが、その真髄が見られない
のが残念である。誰かすばらしい企業や審査員を知って
いれば教えてもらいたい。

起業家社長の悩み

ある印刷会社の話。
印刷という成熟した産業であるが
つぶさに見ていくと次々に新しい
機械が開発され、新商品の可能性を
いだかせる。社長はアイデアマン
で新しい機械を探してくるのが
趣味みたいな人である。
人には得て不得手があるが、このような
企業型のタイプは得てして管理が不得手である。
ISOの審査からもマネジメントがキチンと
されているとはいえないことがわかる。
ISOが管理の弱点を補うツールとしてその威力を
発揮させなければISOを行う意味がない。
社長は"番頭さん”の必要性は自覚しているのだが
まだふさわしい人が見つかっていない。

会社はお金がなくなればそれで ジ エンドである。
お金は製品に対して払われるので、製品に価値が
あるうちはお金は入ってくる。しかし、価値が
なくなれば会社は倒産する。
製品には寿命があるので、マーケティング・
製品開発というビジネスサイクルを回すマネジメント
が機能しなければ会社は存続しない。
逆に言えば、マネジメントという基礎能力が
あってこそ企業は存続可能になる。
この印刷会社はマネジメントが弱いので
社長の感性が頼りだが、それが崩れれば
あっけないく姿を消すだろう。
社長がISOを始めた理由もそこに
あるのだが、人を得なければシステムも
唯の絵に描いた餅である。

社長の人柄はワンマンというタイプではなく
むしろ、放任するタイプである。
人が育ってこない、部下から意見がでてこない
ことに不満がある。それはリーダシップの不足が
原因だがそれとあいまって、部下も安きに流され
ているきらいがある。お互いがお見合い状態で
意見を交わさない。
傍から見ていると ウーッ 何かしゃべれよ 
イライラする。
腹を割った対話をしていますか?
と審査で本音がもれた。

夢 実現へのプロセス

自動車部品メーカーの話し。
自動車部品は人の安全に直結するものであり、
不良の発生は許されない。
目標はもちろん、クレームゼロである。
しかし、そうはいってもクレームはでてしまう。
筆者が訪問したとき4ヶ月クレームゼロが
続いていた。このようなことは初めてだという。
夢と思っていたことが実現しつつあった。
そこでさぞ喜んでいるのではと工場長に尋ねると
「いつクレームが起きるのかハラハラして落ち着かない」
とのこと。よい意味での緊張がもたれていた。
なぜ クレームゼロが続いているのでしょうか?
社内の不良は減ったのですか?
の質問に
「実際のところクレームゼロの確かな理由はわからない。
今までの改善成果の表れであろうが、まだ実力不足
と思っている。社内の不良が減っているわけではないし。」
これからもこの"記録”は続きますか?
「ウーム わからない。期待はしているが。」
今は、なんとなくクレームがでていないようですが、
実力でクレームゼロを勝ち取るにはどうすればよいとお考えですか?
「検査を厳しくしても検査モレはでるものだし。やはり
工程で品質をつくりこむしかないだろうな。」
どうすればそれができます?
「皆の意識が高まることかな」
いくらルールを厳しくしても、検査や内部監査を厳密にやっても
だめで、一人ひとりの"意識”が大事とのこと。同感です。

そこで、その話をきいてISOの審査は作業の状況や作業者への
インタビューの時間をいつもより増やして、現場の末端まで
工場長の意図が浸透しているか確認した。
その結果というと、よいとはいえなかった。そのことを工場長
に報告すると「やはり まだまだだなあ」と納得された。

読者はこの話をどう感じられますか?
夢が実現していく過程で必ず経験するプロセスでは
ないでしょうか?
今までボンヤリと思い描いたものをより本質的に
思考するようになってきています。マネジメントが
一皮むけつつあります。

今の実力からするとクレームゼロの記録は止まるでしょうが
次のチャレンジの励みになることでしょう。
このようなことを繰り返して真の実力が
ついてくるような気がします。




無意識のマネジメント

人間に無意識と意識があるように
組織にも無意識と意識がある。
マネジメントとは物事をやりとげる
活動であるから意識された活動である。
しかし、意識レベルにも種類があって
旧態依然としたマネジメントは
無意識に近いといってよい。
例えば次のようである
「クレームだ。皆な集れ。対策だ。」
「売上が落ちてきた。もっと顧客訪問を増やせ。
 これが今年の営業目標だ」
「今年一年不良率低減を目標に頑張ってきました。
その結果、目標こそ達成しませんでしたが前年より
5%低減しました。」

これらは決して間違っているわけではない。
しかし、KKD(勘 経験 度胸
または、根性 根性 ど根性)
の精神論張りの号令であり、
計画がずさんであり、
事実(データ)の分析がおざなりであり、
責任が曖昧 である
つまりマネジメントの基本的なことが欠けている。
そして次のような症状が起きる。
毎年、目標が同じで マンネリ
未達の言い訳も同じ
クレームは再発ばかり
顧客より社内の評価が第一 まず部長にお伺い
結論がはっきりしない会議   
業績は結果主義 結果さえよければOK 
皆の考えていることがバラバラ


そして、なによりも無意識のマネジメントは
当事者意識がない。

「ISOの解釈から、これはどうすればよいのでしょうか?」
(それはご自分でお決めになってはどうでしょうか)
「顧客からいろんな事をいわれて困っています」
(おたくは何を売りにしていますか?
もっと自信をもってフラフラしないで下さい)

無意識のマネジメントから脱するのは、
まず自己反省を徹底してやることである

市場での競争力の傾向はどうか 落ちていないか
今までとってきた戦略は問題なかったのか
社員の意識はどうか 士気は下がっていないか
経営資源は適切に補充されてきているか
などなど
そして自己を客観視し、誤りは素直に認め
方向転換することである。
そしてトップ自らの懺悔する。
ある種のけじめをつけよう。
そうすると、きっとISOが経営ツールとして
いかにふさわしいものか
今までと違ったものに見えることに違いない。
ISOは意識されたマネジメントとして重宝なように
設計されているのである。



















「死の谷」の旅人へ送る言葉

IT企業(ソフト会社)にはシリコンバレーならぬデスバレー(死の谷)が
ある。それはこういう話である。
システムを担っていた部門が親企業から独立して関連会社となり、
IT企業となる。その会社は親会社をはじめとするグループ会社から
の受注で食い扶持を稼ぐ。
ところがグループ会社からの受注が減り、グループ会社から
飯の種は自分で探せといわれる。そこでIT企業は食い扶ちが
減っていくのを横目に新規顧客開拓をしていくことになる。
これが死の谷への旅の始まりである。
なぜなら今まで営業をしなくてもよかったのに営業部門をつくり、
顧客が限定されていたので業務効率もよかったが、これからは
様々な顧客要求に応えていかねばならず、いきおい効率が落ちる。
リストラか。とにかく下請けでもいいから他から注文をとるか。
逆転ホームランを狙って、自社ブランドを作るか。
企業は迷走しはじめる。
最近、死の谷を旅している企業に
出会うことが案外、多い。
経営者の自信のなさ 幹部の自己保身
社員の著しい力量不足
クレームの山
目先の注文にしがみつく営業
品質方針が”徹底したコストダウン”
(これって品質方針と聞きたくなる??)
ぐちっぽい担当者
死の谷を旅する者達は似たような
雰囲気をもっている。


しかし、ここでは何が正しいかを問題にするはよそう。

問題なのは旅人の身の丈に合った
ふさわしい行いができているかである。

即ち、企業には必ず栄枯盛衰がある。我慢の時代が
ある。その時代に応じてマネジメントシステムも
変えなければならない。 

そこでのISOの審査は唯ひとつ。
今、企業がどこにむかっているのか
その一歩は将来につながる歩みか を
自己検証してもらい
気づきをもってもらうことに
全力を注ぐのである

自社の方針、目標は今のおかれている環境、立場に
ふさわしいものか?
部門間の連携はとれているか
社員への必要な情報開示はされているか
顧客から目が離れていないか
現場の声は経営者の耳に入っているか?
などなど

業績の低迷はホント わびしい。
社内の雰囲気は暗いし
将来の不安から浮き足立つ者もいる
しかし、そんの時こそ
全員で知恵を出せ。全員で事に当たれ。
死の谷の先にある夢をつかめることを祈る
(追記)
経営者の知見や器で企業の先行きが読めるものである。
儲かっていない時こそ経営者の真価が問われる。
姿勢を崩さない、背筋の伸びたマネジメント
になっているかどうか‥
個人的に相談に乗ってほしいと依頼を受けた
こともあった








クレーム産業の守りに強いシステム

ソフト会社の話。「バグはクレームではないんです。
お客さんもその辺りはわかっています。でも、連絡をもらったら
最優先で処置します。しかし、それも対策ではないんです。
手直しです。」ソフト開発でのバグはクレームではないと
いうのが多くの企業の意見である。欠陥には違いないが軽微
である。また、どうしても潰しきれない残ってしまうもの
という現実的な見方である。
ソフト開発の仕事はクレーム産業ともいえるほど多種多様な
”顧客要求”がある。
同じように介護の仕事もクレーム産業である。
ソフトと介護の仕事は何が共通なのか。それは顧客要求が
仕様化しにくいことである。時に顧客の主観や好みで苦情が
でてくることがある。そこには口約束や暗黙の了解という
目に見えない契約がある。契約書に書かれていないので
クレームではないと突っぱねるわけにはいかないのが
実際である。

しかし、本当の大きなクレームが起きると担当者がその処理に
とられ、あっという間に利益が吹っ飛んでしまう。
利益を維持するには品質は不可欠な要素である。

では、肝心の品質はどのだろうか。
これが労働集約型の仕事の悲しさか、個人まかせが多い。
どう品質保証しているのか それは担当者の力量
で決まります ではちっとも科学的でない。
ではヒュ-マンエラーはなくなるのか というとそれは
無理かもしれない しかし、無理だからといって今の
現状を見過ごすことはできないはずである

様々なミスを予防する管理手法がある(例:FMEA
チェックリスト 他者によるレビュー) 
それらを地道にやっていくことではないか。
それが業務に根付き、習慣となってエラーの少ない
守りの強いシステムが出来上がってくる
ローマは一日にしてならず 改善の継続である
守りに強いシステムとは、管理ツールが整えられ
てプロセスが可視化でき、予防処置がプロセス
に込みこまれたシステムといえる
最後に一言
バグに対し是正処置ではなく、予防処置すること!!