さてさて。北山五山記事、再開ログインしていきたいと思います。
東北乱舞、始めよう。
これまでの記事
今回は久々の記事ということもあり、地図の確認からしていきたいと思います。(ア"ッ!!!)
今回紹介する⑤満勝寺は、背景赤に白卍のまじ卍満勝です。
おやおや、前回まで紹介した①光明寺、②東昌寺、③覚範寺、④資福寺が横並びになり、近くにあるのに対して、満勝寺は一つぽつんと離れていますね。
彼は間違いなく北山五山なのですが、他の四つの寺と離れていること、④資福寺のすぐ隣に輪王寺という同じく伊達家ゆかりの別のお寺があるので、輪王寺の方が北山五山と間違えられがちのようです。しかし、輪王寺は曹洞宗のお寺で、北山五山に数えるのは臨済宗のお寺なので厳密には間違いです。
輪王寺は輪王寺で見どころたくさんの東北男寺・・・お寺だそうなので、ぜひ行ってみたいですね。
TERA.5すべての伊達のはじまり・満勝寺
まじ卍満勝・・・満勝寺は、伊達宗家初代当主・朝宗(ともむね)を祀るべく、4代目当主・政依(まさより)が建てたお寺。朝宗は平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて活躍した御家人で、すべての伊達のはじまり。朝宗自身は栃木県真岡(もおか)市の人であり、2代目・宗村(むねむら)の時に地頭職を与って福島県伊達市に移り住んだのだという。「伊達」は福島県の地名であり、姓はそこから名乗ったので、その前は朝宗が住んでいた城に因んで「中村」と名乗っていた。ほうぅ~~、伊達男も初めは平凡な名から始まったってか。これはなかなか夢のある話だな(爆)
右側にあるのが庭園。左側にある朱色の鳥居は山王大権現社。
・・・にしても満勝寺、写真少なっ。
有名な鬼瓦撮れてないし(見はしたんだけどね)
実は満勝寺は北山五山めぐりでも実は最初に来ていたようで、そのときは北山五山という名前もよくわからず迷い込んだ寺的な感じでした(おい)。確か、青葉神社と光明寺に行った日と同じかな。お掃除の人もいたし、招かれざる客でないかとても緊張したことを憶えています。
\お前・・・意外と気が小さいんだな/
だまらっしゃい(幻聴)
今年は宮城は例年より夏が長かったらしく、青々とした緑(どっちやねん)を見られたときの撮影でした。なんだか尻すぼみになってしまったな。
北山五山の長男といえば東昌寺にいさんですが、満勝寺のホームページによると、4代目当主・政依以前に満勝寺が建立されていたことが近年明らかになったそうです。
ま~じ~で~~~?
お姉さん、そういう後出し好きじゃないなあ~~~(爆)
東昌寺にいさんの情緒を考えてみてごらん、ぐちゃぐちゃだよね。
福島県に改宗した浮気者のお兄ちゃんはいたし!弟たちは複雑な経歴だし!うおおおおおおん!!!(プシュッ
これから兄弟とどう接すればいいのかわからなくなるよねえええええ!!!!!!!
(どういう感情移入の仕方じゃ)
だからだ!!だからだ!!満勝寺だけこんなに距離が離れているのは!!!!(休日の昼間に飲むビールはうめえ!!)
満勝寺だけが何故他の四寺と離れているのか、また、4代目当主・政依以前に建立されていたのなら一体誰が建立したのか、それは満勝寺の公式サイトでも見ることができないページがあるためわかりません。
北山五山の中でも更に神秘的なお寺ですね。
なんだかキャラクターでいえばパワーインフレを起こしているのですが、
でうくは初期から頑張っている東昌にいさんを推しますよ
(酔っていますよ)
OMAKE仙台東照宮の別当寺・仙岳院
写真が4枚だけなのは何とも味気ないので、おまけとして、臨済宗とは関係がないですが、気になったお寺の写真を掲載しようと思います。
別当寺とは、神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺のこと。神宮寺と同じ意味らしい。
もともと私は静岡県から来たこともあり、東照宮そのものに結構想い入れがあります。そのため、仙台東照宮には割と足を運んでいる。ただ、東照宮ほど気軽に入りやすいかというとそうでもないかもしれない。
創建したのは、仙台東照宮の創建者と同じ、伊達家第18代(仙台伊達家第2代)・忠宗。こちらはなんと、平泉の中尊寺の別当寺も兼ねているのだそう。また、東京都の寛永寺の末寺でもあるのだとのこと。びっくり!
宝物館もあるのですが、\お前・・・意外と気が小さいんだな/の通りなのでもじもじして宝物館は見れませんでした。次回は絶対行く。
輪王寺とどうも関係がある!?(石碑の字は読めますか??)
敷地に入ってすぐ。奥にあるのは庭園のようで・・・
反対側から見るとこう。
左手にあったのは、「釈迦殿」。
釈迦殿の六地蔵菩薩。
小萩観音。この観音様は、仙台三十三観音札所の第十一番とのことで、もともと東照宮近くにあったものをいったん現在の榴岡天満宮の地に遷し、その後仙岳院が引き取って現在の地落ち着いたのだとか。
「小萩」とは、藤原泰衡の三男・忠衡の家来である石塚守時の妻の名。小萩が建てたので小萩観音というらしいです。
小萩は源頼朝による平泉征討の際、藤原秀衡の子である姫を護った女性なのだそう。小萩に守られて成長した姫は「安養院」と名乗り、奥州藤原氏に縁のある安養寺へと移り住む―――・・・た、滾る!!!安養寺!ええ、ええ!よく聞く名前です!!
私の歴史書のバイブルは川原正敏先生作の『陸奥圓明流外伝 修羅の刻』ですが、藤原秀衡と聞くと陸奥鬼一編を思い出して滾る・・・!(まだ酒は抜けきっていないらしい)
お稲荷さん。
お地蔵さん。
中に入っていないので敢えて外観は撮りませんでしたが、絶対中行く。
仙岳院は近くにJR仙山線の「東照宮」駅があることもあり、周辺は住宅地に包まれています。
えっ、もしかして、満勝寺より仙岳院の方が写真多い―――?(多い)
満勝寺はシークレットキャラなので、特に鬼瓦とか探してみるといいと思うよ!!(適当)
そういえば、言われて衝撃的で嬉しかった連絡が、母からの「あなたは幼すぎて憶えているかわからないけど、母ははっきり覚えてる。仙台のあの街並み、通ったことがあるんだよ。すごく都会だったね」(実は幼少期は転勤族だったのです)。たぶん母が、一番幸せだった時代。
その時代を辿っているようで、とても嬉しくなりました。