ミヤギケンミン「今年はなかなか冬にならないですね」(5℃)

 

私「えっまじで????」

 

の挨拶から入るでうくです~~~びっくりマークびっくりマーク

 

熊本も以前いた岐阜も盆地なのでそれなりの寒さは経験したといえばしたのですけれど、静岡ですっかり温室育ちになってしまったので、必要以上に南国出身キャラを前面に押し出しています。まぁ、熊本も岐阜も南国というより夏は灼熱メラメラメラメラでしたけど。

 

春、仙台の街なかを歩いて最初に抱いた印象が、「女性も含め、みんな歩き方ががに股だな」でした。実は、以前一緒に働いていた仙台出身の同僚も同じ歩き方をしていたので不思議に感じていたのですが、最近になって「あの歩き方は凍った地面を歩くときに滑りにくい歩き方なのかも」と思いました。どうも、仙台は雪が積もりにくい代わりに地面が凍結した状態でとどまることが多い地域らしく、特に仙台駅のペデストリアンデッキのようなタイル状の地面になると、靴をどれだけ工夫してもあまり効果がないようです。青森県や秋田県、山形県の出身者とお話ししたときは、「雪靴は使えないし歩き方も雪国とは違うので、けっこう大変・・・」と言っていました。凍りの質も違うのだとかキョロキョロ

仙台市民はあまり足を上げず足音も(ヒールは別として)あまり立てないので、ニンジャ!と心の中で思っていたことは今言いました(爆)

 

 

 

さてびっくりマーク前置きがかなり長くなりましたが、今回のテーマは北山五山(きたやまござん)。北山五山は伊達政宗だけでなく政宗の属する伊達家全体にまつわるお寺群で、いわば伊達オールスターズ揃い踏みなので、守られている感が半端ないです。それが仙台に集中している強さも半端ないですが、それがかつて福島県にあったものをごっそりもってきているのですから、東北地方の一体感と伊達家の影響力の凄まじさを感じますね。いいなーいいなー。こういう家まるごと守ってくれている感は熊本や九州全体にはないですね。まぁ、九州の地方豪族は島津以外ほぼほぼ滅びちゃったし・・・(爆)

 

 

現在、仙台に残っている北山五山はこちらびっくりマーク

 

字が小さすぎて読めなぁい!!(突然のハズキルーペ)

 

ちょいお待ち。まじ卍マークはおわかりになりますでしょうか。

拡大します。

 

 

北山五山とは、この地図に示したまじ卍マークの

(右側から)
①光明寺
②東昌寺
③覚範寺
④資福寺
⑤満勝寺

 

になります。

 

この地域は、北山五山以外にも多くの寺社があり、いずれも全て伊達家ゆかりのものとなっています。左下には大崎八幡宮と龍宝寺の表示があると思いますが、これらの寺社は概ね青葉神社周辺から大崎八幡宮周辺にかけて続いています。この地図に青葉神社の表記はありませんが、青葉神社は東昌寺と覚範寺のちょうど真ん中の位置にあります。

 

青葉神社はもと東昌寺の敷地でしたが、明治時代に青葉神社を創建するにあたり、東昌寺が土地を提供したのだそう。

 

ちなみに、字が小さすぎて読めない地図には右下に「宮町」とあり、これは「東照宮に続くお宮町(参道に続く道)」のことでして、宮町の北側、この地図では光明寺を直線でずっと右横に引っ張ると、仙台東照宮に行き当たります(実際は道がくねっておりますので、直線距離で行くことはできないのですが)。

 

数ある寺社の中でなにゆえこの五寺が「北山五山」となんだか刀剣乱舞に出てきそうな名前で呼ばれるのか。それはいずれも、臨済宗のお寺であることが条件のようです。北山五山の前身となる「伊達五山」を創建したのが、鎌倉時代中期に福島県伊達市の梁川城主だった伊達家4代目当主・政依(まさより)で、以降は伊達家が本拠地を移すたびについていったお寺なのだとか。そのため、福島県伊達市で起源を発した後、山形県米沢市→宮城県大崎市(岩出山)→そして仙台へと移動の歴史がそれぞれあるようです。

時代を下るにつれ、のちの当主が創建した寺社(11代・持宗が創建した輪王寺や4代・政依がお寺以外に創建した鹿島香取神社など)も加わり、伊達家についていく寺社は現在ではこれだけ増えました!みたいな。そういえば、愛宕神社(米沢期より)も大崎八幡宮(大崎期より)も途中から伊達にくっついていった神社だったわね。そう考えると、東照宮(仙台期)なんて全然ひよっこだし、むしろずっと仙台ですくすくのびのびやっていた天満宮の方が貴重に思えてきました。

 

 

さてさて。説明が長くなりましたが、1個くらいあげないと・・・

光明寺は実はもう既にアップしていたので下矢印の該当記事を参照していただけたらと思うのですが、この記事では東昌寺を。

 

 

 

とはいっても、ただ淡々とあげていくのもなー・・・

天下五剣がごとく擬人化してみるか。

 

TERA.2伊達家最初の菩提寺・東昌寺

(TERA.1は光明寺になります)

 

 

この門にある扁額は、山岡鉄舟さんが書いたものらしいよ!

 

 

 

最初にでけた菩提寺であることから、北山五山の筆頭格。

祀られているのは伊達家4代・政依(まさより)。つまり、自分が建てたお寺にそのままおっ暮らすことになりました。自給自足。でも実は福島県に、改宗したお兄ちゃんがいる。

政依に一番似てとても信心深いので、伊達家の引っ越しを断った挙句、浄土宗に改宗したお兄ちゃんが許せない!でもね東昌くん、お兄さんもその時もう大人だったからいろんな事情があったんだよ。

 

あにうえが福島に留まって改宗したり、弟たちも吸収されて別の寺名に姿を変えたりしたので、めっさ強運(何せ創建した本人が住んでいるから!)の寺だけどちょっと寂しがりやだったりして。自分(敷地)もちっちゃくなっちゃったし。

でも、自分のとこ(敷地)に逃げ込んできた青葉ちゃん(青葉神社)のことはすんごい可愛がってそう。

 

 

はいはい、妄想はここまでに、東昌寺といえば、門前に大きく書かれていたのは(北山五山のいずれも門前に何かしら宣伝文句としているのであろう何かが書かれている。光明寺は「支倉常長の墓」)、「国指定天然記念物・マルミガヤ」(丸実榧)で、これは伊達政宗が仙台築城後、種子を食用とするためにここ東昌寺に植えたのだそう。

それを大事にしているなんて、青葉ちゃんは政宗を祀った神社だし東昌くんは政宗擁護派ですね?(これが後に紹介する寺擬人化妄想にも伝播してゆく・・・)

 

ポートレートで撮影しましたがかなりイキイキしてる・・・

 

 

その他には、東照宮を創建した伊達18代(仙台伊達家としては2代目)・忠宗の子である虎千代丸(夭折)や19代目・綱宗の子である村和の墓もあったのですが、写真は撮らず。青葉神社の紅葉と同じ日に訪問したので、お墓周辺の紅葉ばかりバシャバシャ撮っていました。

 

そして、忠宗や綱宗の子の墓よりもかなり目立つ場所にあったのが、この人の像。

 

「戸田久四郎翁之像」。

 

だっ、誰??

 

東昌寺の山門のすぐ近くに建てられていたので、よほどの重要な人物なのかと思いましたが、調べてもヒットしない。六曜紋があったので、絶対に偉い人なのだと思うのですが。。。教えてえらいひとー。

 

 

 

今回はかなり長くなってしまいました。

次回の記事はもっと妄想大爆発だと思います(爆)