9月末から11月の慌ただしい時期を過ぎ、12月に入ればもう年の瀬。
でうくです~~~
12月はおうちにこもる気満々です。
初めての宮城の冬、気温はとっくに静岡で4年過ごしたときの最低気温を下回っているのですが、まだまだ下がるそうです。
年末年始の帰省も控えめに、冬ごもりを決め込んだ今月は、10-11月でさんざんに溜め込んだ旅行記たちを消化していきたいと思います。
さて、どこからピックアップするかな・・・あ
そういえば、以前の記事で上げたコレ
巡ってきました
以前の記事で取り上げた青葉神社、仙台東照宮、宮城縣護国神社も巡り直しました(爆)
くっ・・・色々と用事あるのに・・・!とは思いましたが、巡り直しの時期がちょうど紅葉のシーズンで、息を呑むほど綺麗だったので、そちらは紅葉写真館としてまた別の記事にしたためたいと思います。
はてさて・・・まずは榴岡天満宮(つつじがおかてんまんぐう)。
榴岡という地域は仙台駅東口を出て程なくの立地と、仙台の中心部にあるのですが、引っ越して早々「榴」の字が読めないという洗礼を受け、知ったかで「『とめおか』の~」とか言っていたら「どこそれ?」と言われたことを思い出します。知ったかぶりはダメですね(爆)
榴岡はその地名の通りツツジがとても綺麗な地域で、「榴岡公園(つつじがおかこうえん)」という名所もあります。なので、この地域には春に来るのが一番いいのかな。
天満宮の扁額には「躑躅岡」との記述もあり、神社的には意味が通じればどちらでも良いスタンスそう。
お邪魔しま〜す(太宰府の方が身近な故にもはや我が物顔)
拝殿。
榴岡天満宮は、仙台東照宮の記事でも記述したように、もともと現在の東照宮の位置にあった天神社をここ榴岡に移したのが起こりです。更にいうと、元々は京都に天満宮が創建された際(年代的に、北野天満宮のこと?)に福島県に勧請したのがこちらの天満宮の成り立ちだといわれているそうです。平将門の孫にあたる平将春が勧請し、恐らくですが福島の一地域が江戸時代に伊達領となったタイミングで伊達氏が管理する神社となったと思われます(亘理伊達家伊達本家へ)。
東北の天満宮で面白いところは、東北といえば「おくのほそ道」松尾芭蕉で、芭蕉の歌碑はまちなかを歩くだけでも至るところで見つけます。それが、「学問の神様」菅原道真とコラボしたらどうなるか。
こうなるのじゃ
あまりにたくさん歌碑があったので疲れて一部しか撮りませんでしたが、もっとある。HPを改めて確認してみると歌碑の数は20あり、天満宮の敷地を囲むように建てられていました。
“天満宮といえば?”のうそ鳥や牛さんもご健在でした。
そして、天神様といえば筆塚ね
そういえば、私が天満宮に玉集めをしに行ったときは、ちょうどこのようなイベントがあっている最中でした。
毛筆会・・・もう硯と筆を使った字書きをしなくなって久しいので、参加してみたかったのですが、このイベントがあることを知らぬまま訪れたわたくしは新品のもこもこコートを着ていて、腕が引っかかること必至、墨汁をこぼしたら枕を涙で濡らすことになることが目に見えていたため、泣く泣くその場を後にしました・・・ 一時的な涙だから・・・これは・・・
今回も御朱印的な感覚でお守りを買ってしまったのですが、見て
かわいいでしょ
実はこれが何のお守りなのかは説明書きがなかったため不明なのですが、デザイン的には恋愛なのかな。私ほどのお守りコレクターにもなれば、内容はあんまり気にしないです(本来のお守りの目的と違うやんけ)
あまり気に留めなくて写真には納めていないんですけど、ここ、妙見宮があるんですね。妙見様と聞いて真っ先に九州人の頭にビビッとくるのは、「八代の妙見様」(妙見宮こと八代神社のことを記事にしたことはありませんが、熊本県八代市のことを取り上げた記事はありますので、良かったら)。妙見様、九州外であんまり聞くことがないなと思っていたのですが、これまた福島県に立派な妙見宮があるのですね。驚き
天満宮ということもあり、妙見様もあり、東北だけどすごく九州を感じる空間でした。
八幡神社と庚申社もあり。
さて、残りは愛宕神社(このときは実は青葉神社と宮城縣護国神社の玉集めもまだ)
次回は、「愛宕神社を巡ってきた」を記事にしようかと思います。