やっちろへ行かんばならん! | 植民所在地3丁目

植民所在地3丁目

Alfooでのブログ『誰も知らない植民所在地』の発展系。所在地わかりました。

でも書いてることは変わらない。

各地で桜が満開になっていますね!
私はまだ満開の桜は拝めていなくて


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玉名市の桜(2016/03/ 27撮影)と
 

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八代市の桜(2016/03/25撮影)を見て以来、私の中での桜情報は更新されていません( ´⚰︎` )



私自身は熊本市出身で、熊本市そのものが県北に位置するのですが、県南で中心的な機能を担う八代市(やつしろし)出身の友人が何人かいます。その友人が

友人「松井さんがね。松井さんちがね」

と、とても慕った様子で松井さんのことを言うので、にわかに松井さんのことが気になり始めました。

松井さんとは肥後細川家筆頭家老・松井佐渡守のことで、肥後勤皇党が入口で松井さんを知った私の感覚では
・ 第10代当主の章之(てるゆき)さんは彦斎のご主人さま(彦斎は茶坊主時代、松井家に仕えていた)
・ 淳次郎さんが苦戦を強いられた相手(章之さんの元を訪ねた記録があるも、意見はことごとくスルーされている)

という、肥後の尊皇攘夷運動を阻むラスボス的立ち位置の人でした。近寄りがたし!(県南離れてるし!
爆)

しかし、彦斎が第二次長州征討を離脱して真っ先に会おうとしたのが松井さんでしたし(面会を許してもらえず投獄されちゃったけど)、庭園あるよとおすすめされたし、5年間の神奈川生活で待つこととJRを駆使することに慣れたことにより「え~八代まで意外にかかんないじゃん!これで遠いとか言ってたらどこにも行けないよ!」という風に心境が変わっていたので、3月25日はふらっと八代に行ってきました。あ、3月23日からようやく熊本のバス・市電でもSuica、PASMOが使えるようになりましたよ。あと八代のことを八代市民はやっちろと言うらしい。

 
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堅牢強固な八代城石垣が、市街を歩いていると突然どんと現れるのでびっくりだ。城がなくても圧巻、むしろ城がない以外は堀も石垣も完璧である。
 
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橋を渡って石垣の内側に入ることができる。
 
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それどころか石垣の上に上ることもできる。写真にある石の並びは櫓の跡を示している。
並ぶ木々は全て桜。八代城跡は桜の名所としても有名で、石垣を上ると桜の枝先が肩あたりにくる。城の石垣の上で高木と戯れるなんて、すごく贅沢な気分だ。

 

八代城

 

築城時のやっちろ城図。肥後熊本は一国一城令の例外となった藩の一つでして、熊本城八代城の二城を有し、細川 忠利が熊本城に、隠居した細川 忠興が八代城に入りました。忠興が没して以降は細川家の歴代当主が熊本城に、忠興の父・藤孝の頃から仕えていた松井家の歴代当主が八代城に入り、肥後の南北を二人三脚で守ってきました。一家老という立場ではあるものの、軽く小藩一国分の石高を持っていて将軍御目見えも許されたそうです。
ただ、やっちろ城は天守や櫓が焼失しても最低限の再建しかしなかったため、幕末時には図のちょうど真ん中(赤い丸
赤丸2は関係なかですよ)にある大書院程度しか残っていなかったそうです。大書院跡は現在・・・

 

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じんじゃ!(八代宮)


はてさて、次はやっちろ城の前に建つ松井神社の前を通り・・・

 
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松井家旧家臣らが松井家初代・康之を祭神に明治14(1881)年に創建した神社。細川 忠興の住居跡でもある。


松井家庭園・松浜軒(しょうひんけん)!!

 
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正確には庭園というよりお茶屋であり、4代・直之が生母のために建てたのだそう。
この建物の中には入れませんでしたが、展示館で松井家に代々受け継がれる雛人形を見てきましたー。昔のすぎて逆に新鮮で、よく現存してるなと。章之さん関連のは特にガッツリ目に焼きつけてきました←

庭園!
 
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茶屋の前にあるこの池は、赤女ヶ池というのだそう。
 
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松浜軒

 

にょき!

松井家には狐にまつわるお話があり、松浜軒のあるこの地はもともと赤女ヶ森という森で、狐の住む地だったのとのこと。松浜軒ができてからも、夜はこーんこんと鳴く声が響き、昼でも狐がじゃれ合って遊んでいる姿を見守り、松井さんと狐は長く共生していたのだそう。参勤交代に従う時も護衛の侍に化けてついてきたといい、伏見から勧請して稲荷神社を建て、油揚げを供えるといつの間にかその油揚げが消えていることがつい最近まであったのだと。その神社は今も健在で、私たちもお参りすることができます。



というわけで、でうくはまた新たなステージへ進んだのでした。。。きつねとなかよしなんてなんとうらやましい!そしてもうこれはネタにしてくれって言ってるようなものじゃない!←
第3弾にまだ出場枠はある!でうくは松井さんについてこれからも調査を続けていきます(爆)