クリスマスかぁ・・・あっという間に終わったぁ・・・
いよいよマイナス気温が通常となってきた宮城しゃん、もう本気の本気で外に出たくなさすぎて柄にもなくOisixのミールキットを注文してお料理を試みました。クリスマス気分も味わいたかったし
今回作ったのは、コレ。
日頃絶対作らないやつ(餅は餅屋の発想でいつも外食派(・・・だったけど、最近は外食するのも寒いし何より社畜具合MAXでコンビニくらいしかお店が開いていない時間帯に帰宅しているので、コンビニのお弁当やホットスナック、冷凍食品に生かされているような感じです。コンビニがないと私は死んでしまう))。
Oisixの回し者ではないけれど、お料理お久しぶりすぎて(というか、ここまで本格的なものは初めてなのでは??)段取りめちゃめちゃな私でもかなり美味しく作ることができました。肉、玉ねぎ、さつまいも、しめじ、火の通りちょうどよすぎでは???(そこ!?)
ガーリックの味つけということでビールにも合い、昼からプシュッといったよね・・・・・・(あぁ・・・・・・)
ですが、もともと家事をしない人間ということもあり、作って片づけたらそれだけで疲れきってしまい、ぐったりしてしまいました。手際が悪かったとはいえ、片づけを入れても1時間もかかっていなかったと思うんだけど・・・?そこから3時間くらい死んでいましたかね・・・?
まぁそもそも起きたら午後だったくらいはじめから死んでいましたがね・・・
料理は究極のマルチタスクと言うくらいなので、私にOisixはまだ早すぎたのかもしれません。てか料理できる人本当にすごいよ!!
もう少し余裕ができたら料理も始めてみるかなと思っていましたが、余力ができたらできたで他の予定をぶち込み始めたので、私が料理をする余裕は一生ないかもしれません。まぁ餅は餅屋でいいんじゃないでしょうか(開き直り)
マルチタスクといえば、私が今携わっているおしごともなかなかのマルチタスクです。
マルチタスクはマルチタスクなんですけど、料理は仕事と使う頭が違ったようで、結構すぐにパンクしたのでした。
本ブログだけでも2008年から記事があって、その分私も年を取っているということになり、おb・・・仕事においても人生においても中堅の自覚を持たねばならぬと感じているところです。母親経験などがあれば、他人をサポートする、他者視点で物事を考える、全体を俯瞰する、先のことを予測する視点が自然と身につく機会があると感じますが、ただ自分の人生を歩んでいるだけではこれらは身につかない。
ただ、それらを「身につけよう」という意識を持つのはそう簡単ではないと感じました。他でもない、自分のことだけでも精一杯なのに、自分はその恩恵にあずかれたことがないのに、他人に対してそんなことをする義理はないのに、必要なくない?
そう、余裕がないときに一番削られる部分がそういった視点で、そういう意味では今の世の中、相当余裕がない状態だと思います。
すごく偉そうに語っておりますが、数年前の私のブログやしょくみろいどを読んでくださったことのあるかたは「どの口が」と思われるかもしれません(笑)
最近にわかに私の中にヒットした言葉に「心理的安全性」があります。グーグルが大きく取り上げたワードだそうですが、それこそ、昔の私はそういったものに関心もなかったし聞いた憶えもありませんでした。
「心理的安全性」の意味をざっくりいうとこの図のことだそうですが、詳しくはこの画像をお借りしているForbes JAPANさんのこの記事へ。
これは「職場でこのような風土を形成できるといいよね」というものなのですが、なんで重要な要素なの?日本社会は、こんなにビジネスライク化しているのに。
これは、「安全基地」の概念と重なるかなぁと感じています。
(この資料を一部加工させていただいています。著作フリーだそうです)
「安全基地」とは、一言でいうと「心の拠り所」のことであり、(親子関係において)「いつでも帰ってくることができる、安心できる場所があるから、失敗を恐れずいろいろなことに挑戦できる」というものです。「心理的安全性」の1,3,4と重なる部分があると思いませんか?
「安全基地」では、いつでも帰ることができる先は家庭、
「心理的安全性」は、いつでも帰ることができる先は職場を指しています。
社員は家族である、という認識は一昔前ではあるものの、本質を突いた現象であるとつくづく感じます。
われわれの業界で割と囁かれているのが、「仕事ができない」(正確には、「仕事に対する打たれ弱さがある」)人には、心の中に安全基地がない(すなわち、たった一度の衝撃でも命取りになってしまう)人が一定数紛れているということ。安全基地がない背景には様々あると思うので追及は避けますが(家庭内トラブルだけでなく災害によるトラウマなども影響していると思いますし)、挫折を乗り越えた経験のない人が大人になったときがけっこう要注意だなと思いました。
最近、会話をする中で、ぼんやりと、人間の精神年齢というか「この人は○歳で時が止まっているんだな」と感じることが時々あります。仕事にあたっては「せめて20歳は超えた精神年齢でいてほしいんだけどな・・・」と思うのが本音ではあるのでしょうが、この多様化された社会では、人間の成長過程も様々だったりするものです。安全基地のある人は精神的にも成熟しやすく、心理的安全性が担保されていない会社でもそれなりに世渡りができている印象ですが、安全基地がない人は、それだけでいわば剥き出しの心で、心理的安全性までなくなってしまうと病んでしまいやすいのが最近の印象です。
近年は非正規雇用の増加で心理的安全性どころか身分の保障もされておらず更に精神的にも不安定になりやすいこと、ビジネスライク化で働きやすくなった面もあるものの、他者に対する無関心さからくる優しさと心理的安全性はまた違うということには留意した方が良さそうです。
自分自身が一定の年齢を超えたからか、若い人と接する機会も多くなったのですが、彼らの本音はまさに相互理解と安全を求めていると読み取れる部分も多々あります。もちろん、一定の人格が形成されたものとして接しますけれど、ビジネスライクなばかりがこの日本社会に合うものなのか、私たち日本人にとって良いものとは何なのかを考えさせられる声です。
最後に、ここまで自分が「大人になれた」のも、最終的には自分が心理的安全性を得られる環境に身を置くことができたからだと思います。ありがとよジョーシ・・・・・・あれですけど。けっこうキツかったですけど(爆)
当然ですけど、大人になるのもキャリアを積むのも一歩一歩段階的に進められることに越したことはない(笑)
ただ、そんなに都合よく事が運ぶわけでもないのが人生でもあるので、だからこそ余裕や余力、遊びの部分を残しておきたいですよね。つまりは、子育てを家族だけでなく地域全体で行うことが叫ばれているように、社会人としての醸成も社会全体で担うことが求められるのではあるまいか。
安全基地と心理的安全性の繋がりについては、とてもわかりやすい記事を見つけたのでリンクを貼っておきますね!
では(寝るんかい)