桜も葉桜になり、春本番・・・青葉繁れるってところでしょうか・・・

このところ周期的に雨が降り、雨上がりの車には、花粉や黄砂の痕が・・・

マメに洗車・拭き取りが必要な感じで、困ったもんです(;^ω^)

 

さて・・

 

こんな

マニアックな仕事が成立するのか。


・・・というくらい、マニアックな仕事。


それが

私にとってのベストな仕事。

1万人に

ひとりでも日本全国で1万人。


世界で70万人。


これだけの顧客がいれば十分なのです。


いや、

むしろ多すぎるぐらい。


もっと

マニアックになって、

もっと顧客が減れば、
相手は、

こちらを見つけやすくなる。

こんな

マニアックな仕事では、

月旅行には行けません。


でも

温泉くらいなら行けます。


ビルゲイツほどは、稼げません。


でも

会社員よりは、稼げます。

好きなことをやって、

お客さんに喜ばれて、
生活に困らないくらい稼げて、
たま~に温泉に行ける。


これほど

素敵な人生がありましょうか。

さてさて・・

「営業」などという
乱暴な職種は、いつかなくなるでしょう。


「企画営業」などという
小手先の職種もなくなるでしょう。

得意を切り分けること。


不得意を許容すること。


個人に合わせて、

仕事をつくること。


それが

スマホ時代の求人。

そもそも、

営業って何ですか?


モノを売る仕事?


自分を売る仕事?


相手の立場で、考える仕事?


価値を作り出す仕事?

職種としてのカテゴリーが
ちょっと大きすぎるんですよね。


だから、縮めてあげる。


相手に合わせて。


得意と不得意に合わせて。

物怖じしない。


説明がうまい。


人に好かれる。


第一印象がいい。


レスポンスが早い。


メールの文章が分かりやすい。


行動力がある。


場の空気が読める。


・・・など、など、など、など、など。

営業マンに求めるスキルは
いろいろあります。


あたりまえなんですけど、
ぜんぶ求めちゃいけません。


そんな人いないから。


いたとしても来ないから。

人間いろいろ。


営業だって、いろいろ。


だから、いいんです。


ぜんぶじゃなくて、
いろいろがいいんです。

人の目を見れない。


第一印象が悪い。


すぐ物怖じする。


場の空気も読めない。


でも

メールの文章だけは上手い。


だったら、

それでいいじゃない。

ひたすら、メールを送るとか、
ひたすら、知らない人に会うとか、
ひたすら、企画を考えるとか。

何でも、いいんですよ。


その人が、得意なことなら。


あるいは、苦にならないなら。


それで、成果を出せるなら。

ひとりひとりに合わせて、
ひとつひとつ仕事をつくる。


それが、

求人の本質なのです。

 

たぶん・・・(^^)/

 

 

今年に入ってから、ブログを頑張って更新しています。(^^)/

組織や業務の棚卸、改革改善をやっていると・・・箸休めのように書きたくなります。

仕組みや既存業務の見直しなど、論理的な考察の後は妄想タイムがイイみたい。

新年度に入って1週間、呑んだりゴルフしたりが出来ず不自由ですが、頑張れ俺!

 

さて・・・

 

レバレッジという言葉は、

好きじゃないんですよね。


まず

横文字が好きじゃない。


アジェンダとか、

コンサルとか、

レバレッジとか。

でも

テレビとか

パソコンとか

スマホは使う。


勝手なものです。


それに

効率ばかり重視しているところも好きじゃない。


小さな力で、最大の効果を?ふん。

 

ふざけんな、と言いたい。


でも

楽して成果をあげる方法は、

いつも考えている。

同じじゃん、とも言える。


誰かが、

うまいこと言った言葉だから気に入らない、

というのもある。


でも

自分が、

うまいこと言った言葉は気に入って欲しい。


つまり、

わがままなんですよ、私は。(;^ω^)

さてさて・・

企業規模の拡大。


それは

社員数の増加を
意味しています。

どんどん社員が増えていき、
どんどん会社が大きくなる。


どんどん効率が良くなって、
どんどん利益が増えていく。

いわゆる

スケールメリット
というヤツですね。


でも、

だんだんその法則が
変わりつつあります。

まず、

採用コスト。


規模が大きくなれば
採用力も上がる。


定着力も上がる。


・・・という法則が変化しました。

次に

ひとり当たりの収益。


人数が増えれば
ひとり当たりの育成コストは下がる。


ひとり当たりの収益が拡大する。


・・・という法則も変化しました。

人数が増え、

会社が大きくなり、
組織としての収益が拡大する。


すると、

現場が疲弊し始めます。


モチベーションが下がり、
辞める人が増えていきます。

効率化することによって、
仕事の魅力がなくなっていくから。


拡大することで、
現場のコミュニケーションも
希薄化していくから。

結果、

採用コストは増え続け、
育った頃には辞めてしまう。


組織を

拡大すればするほど
ひとり当たりの収益が下落する。


大方、

これが、現状なのです。

では、

どうすればいいのか。


雇わないことによる拡大。


矛盾するようですが、
私は、

これしかないと思います。

優秀な社員を

どんどんフリー化し、
どしどし仕事を発注していく。


オフィスを自由に使わせ、
スキルアップをサポートし、
快適と増収を両立させる。

雇わず、

囲い込まず、

管理せず、
快適で、

稼げる、自由な職場。

そういう場所には
優秀な人が、集まってきます。


固定給を払う必要もありません。


だから

稼げない人は、

自然に去っていく。


一人当たりの収益が、

どんどんアップする。


これぞ

雇わないことによるレバレッジ。

 

なんてね・・・昼下がりの妄想タイムでした~(^^)/

 

昨日から寒気の戻りで寒くなりましたね。GWまでは一進一退でしょうね。

冬物はいつ片づけましょうか???悩ましいところです。

コロナ禍の中、体調にはついナーバスになります。皆さんもご自愛ください。

さて・・・

 

自分のことが、

いちばんかわいい。


・・・などと言いますが、
多くの人は、

あまり自分を可愛がらないものです。

たとえば、

暴飲暴食したり、

睡眠不足が続いたり、
ストレスを抱えながら仕事をしたり。


それは、

自分への虐待。

もっと

自分を可愛がってあげないと、
いずれ私という自分は、

言うことを聞いてくれなくなります。

体にいいものを適量食べる。

 

しっかりと睡眠をとる。


ストレスが貯まらないように生きる。


自分を可愛がることを

けっして後回しにしてはいけません。


いちばん大事にすべきは自分なのです。

 

自戒(;^ω^)

 

さてさて・・・

私は

努力という概念が嫌いです。


努力する、

という発想が好きではない。


努力した、

と考えることも好きではない。


でも、

たぶん、

努力家だと思います。


他の人から見れば、ということですが。

自分が得意なことで、
人の役に立っていきたい。


人に

喜んでもらいたい。


それを仕事にしたい。


・・・というのが、私の基本姿勢です。

そこで、

自分を他人にする、
・・・という方法を思いついたわけです。


過去の自分を、

他人だと考える。


未来の自分も、

他人だと考える。


すると

色んなことが変わります。

まず

努力という言葉が消える。


だって・・・

他人のために頑張ることを
努力とは言いませんから。


努力ではなく、ボランティア。


人を喜ばすための活動。

未来の私を、

愛すべき他人だと考える。


すべては、

そこから始まります。


愛すべき、アカの他人。


その人を

喜ばせるために、
サポートしてあげるために、
ボランティア活動をする。

人は

自分のためには、
なかなか頑張れないものです。


でも

喜んでくれる人がいたら、
愛する誰かのためなら、
結構、

頑張れたりするのです。

未来の私、という他人。


過去の私、という他人。


この人たちと、上手く付き合う。


すると

私の人生は変わる。


・・・というややこしい戦略なのです。

(戦略って・・・(;^ω^)オーバーですが)

明日の私という、

他人をイメージし、
その人を

喜ばすことを想像し、
うっしっしと、

ほくそ笑み、
ボランティア活動に励む。


すると、どうなるか。

翌日、

えらいことが起こります。


誰かが、

ボランティア活動して、
色んなことをやってくれている。


ありがとう!と感謝する。


ありがとう、昨日の私。

努力は、つまらない。


辛いし、面倒くさい。

毎日、

誰かが、

私のために
ボランティアしてくれる日々。


毎日、

誰かに、

感謝される日々。


それを

「努力」などという
つまらない言葉に、
置き換えてはいけないのです。

 

なんて・・・

屁理屈をこねている還暦間近のおっさんの独り言でした。

(^^)/

 

今日の予報は曇り・・・だったはずなのに、よく降りますね。

驟雨っていうんですかね・・・しっとりと濡れてしまいます。

暫くぶりに少年団の練習が出来ました。子供の笑顔はイイですね。

 

さて・・・

 

裕福な家庭に生まれた人には、

既得権がある。


貧困な家庭に生まれた人には、

既得権がない。


だから

不公平だと言うがいます。


でも

考えてみたら
日本人として生まれただけで大きな既得権です。

現代社会に生まれた既得権もあるし、
五体満足で生まれた既得権もあるし、
何と言っても

人間として生まれた既得権が大きい。

きっと

すべての人は既得権を持って生まれてくるのです。


でも

それを生かしきれていない。


ないものを見ようとして、
すでにあるものを見ようとしないから。

あるものを生かして、

楽しく生きていく。


それが

人生のただひとつのコツ。

さてさて・・

勉強できない。


スポーツできない。


友達いない。


そういう私は、

強い人。


失うものがない人は、

強いのです。

社長である。


社員がいる。


お客さんがいる。


そういう私は、

弱い人。


失うものがある人は、

弱いのです。

失うものがない時代。


失うものがある時代。


その両方を経験して思うこと。


それはやはり、
持たないものの強さです。

失うものがない強さは、

格別です。


でも

私には、

もうムリなのです。


なぜなら・・・

私は持ってしまったから。


一度手にしてしまったから。

一度でも手にすると、
人はその記憶に支配されてしまう。


それが

私の実感でしょうか。


もともと何も無かったのに、
あることが基準になってしまうのです。

あることが普通。


ないと不満。


あるいは不安。


多くの人は、

この状態に、
囚われているのだと思います。

今の私も同じです。


ない時は、まったく平気でした。


でも、

一度手に入れてしまった。

 

まあ、大したモノではないけれど・・・


そして、失った。


失ったことによる不安と喪失感。

でも

私が失ったものって、
一体何だったのでしょう。


事業でしょうか。


社員でしょうか。


顧客でしょうか。

正直、

私も悩んでいました。


なぜ、不安なのか・・・


何が、喪失感をもたらすのか・・・


それが、分からない。

でも

ようやく、
その正体が分かってきました。


私が失ったもの。


喪失感をもたらしているもの。


その正体は、既得権でした。

既得権なんて、大嫌い。


ずっと

そう思っていました。


でも

失くして初めて、

気がついたわけです。


自分が、

既得権に守られていたという事実に。

 

さてさて、

今一度、ハートに火を灯して

頑張ってみましょうかね( ^ω^)・・・

 



 

株式会社プラウド 22期のスタートです(*^^*)早いですね・・・

21期は創業以来、何回目かの危機でした。22期は、シッカリしゃがんで・・・

大きくジャンプしようと企んでいます。乞う御期待!!!

 

さて・・・

 

常に考えている人というのは、
考えていない人でもあるのです。


ややこしいんですけど。

本当に考えている人は、

常に疑っている人だから。


自分を疑う。

 

それはつまり、
自分が出した答えを疑うということ。


そしてそれは・・・

 

元を辿れば、

自分が投げかけた質問を疑うということ。

質問が変われば、

答えは、

まったく違ったものになります。


でも質問を変えるには、

一旦その質問から降りなくてはならない。


つまり、

今のこの走りをやめるということ。

走り続ける人は、

ゴールを疑えない人。


疑えない人は、

思考を放棄した人。


考えるとは、

疑うことなのです。

さてさて・・

実はわたし、
30歳ぐらいになるまで、
ほとんど、

何も考えずに生きてました。

とは言っても、
修行僧ではありませんので。


まあ、

あんなこととか、
こんなことか、
いらないことばかり考える。

じゃあ、

いらないことって
一体どんなことか?


考える価値のあることって
一体どんなことか?

つまり、

それが分かった。


・・・というか、

その基準みたいなものが出来てきた。


それが、30歳頃ということ。

10代のわたしも・・・


20代のわたしも・・・


30代前半のわたしも・・・


まあ、

それなりには
考えてたんですよ、一応。

10代の頃は、
どうやったらモテるのか。


20代の頃は、
どうやったら売れるのか。


30代前半は、
どうやったら普通の社会人になれるのか。


そんなことばかり考えてました。

テーマが悪かった、
とは思っていません。


モテる、売れる、ちゃんとする。


テーマは、決して悪くない。


悪かったのは、
そのアプローチです。

つまり、浅かったんです。


思考が浅かった。


モテるためにオシャレする、とか。


話題を盛り上げる、とか。


売れるために、聴きまくる観まくる、とか。


普通の家ってこうだろう、とか。

 

親がいれば、こうするんじゃないか、とか。

考えなくちゃいけないのは、
そのもう一段下なんですよね。


つまり、

お洒落とは、何か?


盛り上がるとは、どういう状態か?


売れるとは、何なのか?

そんなこと、考えるまでもない。


考えている暇があれば、
まず行動したほうがいい。


・・・というようなこと。


そこに、思考の価値があると思うのです。

何を、考えるのか。


どうやって、考えるのか。


考えるとは、何なのか。


それこそが、考えるべきこと。

 

新しい期の始めに・・・チョット考えちゃいました。

 

 

オフィスの横を流れる神田川、煙草を吸いながら早くも現れた花筏を見ながら

今週、そして来期に想いをはせます・・・頑張れ!俺!!頑張れ!俺!!って

身の丈を超えるような課題への対応を考え続けます。生きる事は考え続ける事だ。

 

さて・・・

 

頭で、

考えることは出来ますが、
頭で、

食事することは出来ません。


頭で、

呼吸することもできません。

だから・・・

 

頭は、

体に命令を出します。


食事をしなさい。

 

呼吸をしなさい。

 

・・・という具合に。


こう考えると、

私の主体は、

頭である気がします。

頭だけを残して、

体を入れ替えた私と、
体だけ残して、

頭を入れ替えた私。


どちらが私かと言われたら、
やっぱり

頭を残した方じゃないでしょうか。

でも、

そこが人間の頭でっかちなところ。


やっぱり、

主体は体なんですよ。


頭は、

体の一部に過ぎない。


体で考えることをやめたとき、
人は、

ダメになっていくのだと思います。


自分の脳みそに問いかける。


これは、

とても大事なこと。


でも、

その答えを、
あまり信じ過ぎてはいけません。


脳みそは、たまに嘘をつくから。

好奇心とか、

恐怖心とか。


不安とか、

欲望とか。


優越感とか、

劣等感とか。


そういうものが、
脳みそに嘘をつかせるのです。

危険かもしれないけど、
もっと先まで進んでみたい。


やってみるべきなんだけど、
失敗が怖くて出来ない。


認めるべきなんだけど、
ついつい目を逸らしてしまう。

そういうことが、
往往にして起こるのです。


そういう時にすべきこと。


それは、

冷静に考えること。

でも、

残念ながら、
人は、

そんなに冷静には
考えられないのです。


なぜなら、

考えるべき脳みそが
すでに混乱しているから。

では、

そういう時には
どのような対処をするべきなのか。

私のオススメは、

深呼吸。


ヘソのあたりに手を当て、
ゆっくり深く吐き出して、
ゆっくり深く息を吸う。

脳みそにある意識を、
ヘソのあたりに持っていく。


次に左手に、

そして右手に。


左足に、

そして右足に。


そして、

体全体に意識を広げる。

そして、

身体に問いかけます。


私は、

何が食べたいのか?

何が食べたくないのか?


どんなことがしたいのか?
どんなことがしたくないのか?

心の声ってヤツですね。


でも

心の声って、
心の声じゃないんです。


心の声は、

私の身体の声。

脳みそを

極力停止して、
思考することもやめて、
身体全体で考える。


いや、感じ取る。


私自身の本当の声を。

身体で、

答えを感じること。


それは、

誰にでも備わったセンサー。


自分の答えは、

自分が一番知っている。

 

 

先走った季節の昼下がりでした・・・

 

 

今年は早くも花筏が見られそうです。会社の横を流れる神田川。

ピンクのマーブル模様がプカリプカリ・・・イイ季節ですね・・・花粉が無ければ(;^ω^)

そろそろ来期の活動計画を固めていかなければ・・・頑張れ!俺!!

 

さて・・・

 

人を

騙すのはよくないと思います。


でも

嘘も方便ってこともあります。


君は

とても可愛いよと娘に言ってあげたり。


あなたは

とても素敵よと旦那に言ってあげたり。

私って、可愛いんだ。

 

俺って、素敵なんだ。


そう思えることって、
なかなか大事なことだと思うんですよね。

で、

誰を騙すのかって話なんですけど。


いちばん騙すべきは、自分なんですよね。


俺はすごい、

俺は運がいい、

俺は賢い、

俺は優しい、
と自分を騙す。


自分とは・・・

 

自分が信じている自分に他ならないのです。

さてさて・・

中学での三年間、
私は、ほとんどサッカーしか、

していませんでした。


勉強を

サボっていたわけではありません。

 

授業以外、
ほとんど勉強をしなかった、ということです。

高校の三年間も、
似たようなものでした。


にもかかわらず、
私は自分の頭が悪いと
思ったことがなかったのです。


これは本当なのです。


今でもすごく不思議です。

徒競走では、いつもそこそこで、
球技は、まあまあ、それ以外はダメダメ君。


・・・にもかかわらず、
私は自分の運動神経が悪いと
思ったことがないのです。

小学校では

サッカー以外で友達ができず、
人見知りで、とっても暗い性格。


・・・にもかかわらず、
自分は何者かになれると信じていました。

18歳でバンドマンになったのも、
22歳でS急便に入ったのも、
まあ何とかなるだろうと
確信していたからです。


根拠は、

まったくありません。

数学が赤点だったのに数字の大切さを力説し、

LIVEに客が少なくても、次は大丈夫と思ったり、
会社のピンチに大きな倉庫を借りたり、、
とんでもないことばかり
やってきました。


でも、

なぜか信じていたのです。


絶対にうまく行くと。

今から考えれば、単なる過信です。


だから失敗もし、挫折もしました。


会社が右肩下がりになり、
残りの人生も少なくなってきました。

それでも

何とかなるだろうと、
どこかで楽観視していました。


どうやったら、

そんなに
ポジティブになれるのか。


いろんな人からよく聞かれます。


でも

分からないんです。

親に

褒められたからかもしれない。


頭が

悪過ぎたからかもしれない。


本当のところは、よく分かりません。

ひとつだけ言えること。


それは

私が自分の運命を、
強く信じているということ。


なぜとか、

どうやってとかは、
きっと関係ないんですよね。

 

ああ、今日もイイ天気だ!!

 

BESTを尽くそう!!!!!

 

頑張れ!俺!!



 

桜咲きましたね・・・当たり前ですが、また新しい春がやってきます。

期が変わり、学校が変わり、学年が変わり・・・変化の季節です。

変わりゆく者が生き残り、変われない者が陳腐化し、消えてゆく・・・

生き残りを賭けて、もう一息頑張りましょうかね・・・

 

さて・・・

 

努力する子と、努力しない子。


大人は

そういう分け方が好きです。


あの子は、

努力する偉い子。


あの子は、

努力しないダメな子。・・・という具合に。

毎日ちゃんと学校に行って、
宿題もやって、それでも点数の悪い子。


大人は

それを努力の子とは言いません。


野球ばっかりやってるのに、

テストの点数もいい。


そういう子が

努力の子と呼ばれるのです。

つまり

大人がいう努力とは、
努力ではなく結果なのです。


でも

結果が出ないのは、

努力していないからじゃありません。


ただ単に

自分に合った努力のやり方を

まだ知らないだけ。

さてさて・・・

私は

努力という言葉が嫌いでした。


努力とは、

みんながやるべきこと。


その努力をやらないのは、
単にあなたがサボっているだけ。

すごく嫌なロジックですよね。


子供には反論の余地もない。


あなたは、サボっているだけ。


サボってばかりのダメな私。

ずいぶん長い間、
このロジックに悩まされました。


私は、

努力できない人。


ダメダメな人間。


社会的落ちこぼれ。

努力しろとか、
行動がすべてだとか、
考える前に動けとか。


もう気が狂いそうになります。

でも

そんな私は正しかった。


今は

そう確信しております。

つまりは、

こういうことです。


頑張らないこと。


苦にならないこと。


それでも、

続けられること。


それを、

努力と言うのです。

辛いから、成果が出るとか。


我慢するから、稼げるとか。


嫌なことだから、仕事になるとか。


まったくの間違い。


大きな勘違い。


それこそ、

努力が足りない。

宿題をやらせ続けたら
勉強ができなくなったって?
そりゃあそうでしょう。

仕事で我慢させ続けたら
鬱になってしまったって?
そりゃあそうでしょう。

先生や上司がやるべきこと。


それは、

苦にならない努力を
見つけてあげること。


それが

先生の正しい努力。


それが

上司の正しい努力。

でも、やらない。


彼らは努力しない。


そして、

人のせいにする。


努力しない、

あなたが悪いのだと。


論理のすり替えも甚だしい。

人は、

呼吸するのに努力しますか?


美味いものを食べるのに、

努力しますか?


楽しい時に笑うのに努力しますか?

真に努力するべきは、
努力せずに、

呼吸し、よく食べ、笑い、深く眠れる自分になること。

 

そんなことを考えてみる、

春の日なのです。

 

 



 

三寒四温・・・毎年この時期には「なるほどな・・・」と納得してしまいます。

上野公園入口の寒桜は、ほぼ満開でしょう(^^)/

まだ、夜は冷えますが、緊急事態宣言明けには染井吉野も満開でしょう。

 

さて・・・

 

生まれたばかりのアインシュタインを無人島に放置する。


ひどい話ですが、

もし死なずに成長したとしましょう。


この子は

相対性理論にたどり着けるでしょうか。

いや

絶対に無理です。


なぜなら

人は言葉で考えるから。


思考するには

言語の取得が不可欠なのです。


さらに

相対性理論に行き着くためには、
そのベースとなる知識と考え方が必要です。

言語を学び、

数学と物理を学び、
その上で思考すること。


これが

相対性理論を生み出す必要条件。


言語と思考の枠組みを使って、

枠の外側を考える行為。


それを

イノベーションと呼ぶのです。

さてさて・・・

十年前の私と、今の私。


正直言って、

もう別人だと思います。


別の人間を生きている。


違う人生を生きている。


そんな感じでしょうか・・・

人間の細胞は、
どんどん入れ替わっていきます。


思考や価値観もまた、
どんどん入れ替わっていくのです。



歳を取った。


雇われ社長ではなくなった。


借金が増えた。


社員が減った。


などなど、

理由は考えられます。

でも

それは直接的な理由ではありません。


それは

あくまでも間接的な理由なのです。

たとえば

嫌なことがあって酒を飲む。


気がついたらアル中になっている。


原因は、嫌なことでしょうか。


いや

直接の原因ではありません。


直接の原因は細胞にあるのです。

日本人は勤勉である。


こう定義できるのは、
かなり多くの日本人が
勤勉になった時です。

日本人が

個々の日本人の
集まりであるように、
人間は個々の細胞の集まりです。

嫌なことがあって酒を飲む。


これでは

アル中にはなりません。


ポイントは・・・続けることです。


毎日、酒を飲み続けること。

すると、細胞が
アル中細胞に入れ替わります。


飲まないと、やってられない細胞。


その数が

だんだん増えていくのです。

体の多くが、

アル中細胞になると、
私の体はアル中になります。


すると

私の精神にも変化が起こります。


アルコールが大好きな私。


飲まずには居られない私。

会社の実権を持ち、、
借金が増え、
社員が減りました。


その結果、

私の行動が変わったのです。

何でも、自分でやり過ぎない。

 

無駄な買い物をしない。


規則正しい生活をする。


それを

続けているうちに、
私の細胞は入れ替わりました。

今の私も、

石山光博であるわけですが・・・


あの頃の

石山光博とは、もう別人なのです。

 

そんな昼下がりの妄想タイムでした。

 

 

3月に入って「冬来りなば春遠からじ」を実感する今日この頃です。

つらい時期を耐え抜けば、幸せな時期は必ず来るというたとえ・・・

長い冬を耐えて春を待つ気持ちの表現ですが、

宅配事業から撤退する決断は簡単ではありませんでした。

義理と人情と思いやり・・・そして欲。ちっちゃいな・・・俺(;^ω^)

 

さて・・・

 

毎日が

まったく同じだったらツマラナイ。


その退屈さに

多くの人は耐えられないでしょう。

では

毎日がまったく違うものだったらどうでしょう。


着る服も、

食べるものも、

寝る場所も、
会う人も、

仕事内容も、何もかも違う。


同じものがあってはならない。

そんなことになったら

大変すぎて生きていけません。


まったく同じ日常も、

すべてが変わる日常も、

どちらも無理。

毎日が

同じように見えるけど、ほんの少し違う。


つまり

多くの人にとっての日常。


それが

一番快適な人生なのかもしれません。

さてさて・・・


私は

かなり変なヤツです。


偏ってるし、

歪んでるし、
捻れまくってます。


そして

その特技(?)を
仕事にも生かしています。

たとえば、

商品開発や
サービスのネーミング。


ブログやコンテンツのタイトル。


潜在マーケットの掘り起こし。


新規事業の立ち上げ。

常識や王道から外れた
奇抜なアイデア。


突拍子もない発想。


それを

支えているのが、
偏りや歪みや捻れなのです。

人とは違った視点で考える。


常識を超えた発想をする。


そこだけを見れば、
変人が有利に見えます。


しかし

変人も大変なのです。

なぜならば、

変であればいい
というものではないから。


重要なのは・・・

 

儲かる変であること。


儲かる変とは、

売れる変なのです。


では

売れる変とは
どういうものなのでしょうか。

売れる変とは、解る変です。


いくらすごい商品でも、
解らない商品は売れません。


いくら面白いオチでも、
解らなければ笑えません。

変も、まったく同じです。


解らない変は、売れないのです。


落語のオチのように
解るように、ひねること。


これが

とても重要なのです。

常識的な考え。


スタンダードな価値観。


それが

基本になっていること。

基本に

ちょっとヒネリを加える。


どこまで捻れば、面白いのか。


どこまでだったら、理解できるのか。


このバランスが難しい。


言うなれば、変のバランス。

変人は

アンバランスだと
思っている人が多いです。


でも、違うのです。


売れる変人、

面白い変人、

儲かる変人。


そこに

共通しているのは
バランス感覚なのです。

理解できない変人ではなく、
違和感のない常識人でもなく、
ちょっと手を伸ばせば届く「変人」。


それが

「絶妙なる変人」なのです。