オフィスの横を流れる神田川、煙草を吸いながら早くも現れた花筏を見ながら

今週、そして来期に想いをはせます・・・頑張れ!俺!!頑張れ!俺!!って

身の丈を超えるような課題への対応を考え続けます。生きる事は考え続ける事だ。

 

さて・・・

 

頭で、

考えることは出来ますが、
頭で、

食事することは出来ません。


頭で、

呼吸することもできません。

だから・・・

 

頭は、

体に命令を出します。


食事をしなさい。

 

呼吸をしなさい。

 

・・・という具合に。


こう考えると、

私の主体は、

頭である気がします。

頭だけを残して、

体を入れ替えた私と、
体だけ残して、

頭を入れ替えた私。


どちらが私かと言われたら、
やっぱり

頭を残した方じゃないでしょうか。

でも、

そこが人間の頭でっかちなところ。


やっぱり、

主体は体なんですよ。


頭は、

体の一部に過ぎない。


体で考えることをやめたとき、
人は、

ダメになっていくのだと思います。


自分の脳みそに問いかける。


これは、

とても大事なこと。


でも、

その答えを、
あまり信じ過ぎてはいけません。


脳みそは、たまに嘘をつくから。

好奇心とか、

恐怖心とか。


不安とか、

欲望とか。


優越感とか、

劣等感とか。


そういうものが、
脳みそに嘘をつかせるのです。

危険かもしれないけど、
もっと先まで進んでみたい。


やってみるべきなんだけど、
失敗が怖くて出来ない。


認めるべきなんだけど、
ついつい目を逸らしてしまう。

そういうことが、
往往にして起こるのです。


そういう時にすべきこと。


それは、

冷静に考えること。

でも、

残念ながら、
人は、

そんなに冷静には
考えられないのです。


なぜなら、

考えるべき脳みそが
すでに混乱しているから。

では、

そういう時には
どのような対処をするべきなのか。

私のオススメは、

深呼吸。


ヘソのあたりに手を当て、
ゆっくり深く吐き出して、
ゆっくり深く息を吸う。

脳みそにある意識を、
ヘソのあたりに持っていく。


次に左手に、

そして右手に。


左足に、

そして右足に。


そして、

体全体に意識を広げる。

そして、

身体に問いかけます。


私は、

何が食べたいのか?

何が食べたくないのか?


どんなことがしたいのか?
どんなことがしたくないのか?

心の声ってヤツですね。


でも

心の声って、
心の声じゃないんです。


心の声は、

私の身体の声。

脳みそを

極力停止して、
思考することもやめて、
身体全体で考える。


いや、感じ取る。


私自身の本当の声を。

身体で、

答えを感じること。


それは、

誰にでも備わったセンサー。


自分の答えは、

自分が一番知っている。

 

 

先走った季節の昼下がりでした・・・

 

 

今年は早くも花筏が見られそうです。会社の横を流れる神田川。

ピンクのマーブル模様がプカリプカリ・・・イイ季節ですね・・・花粉が無ければ(;^ω^)

そろそろ来期の活動計画を固めていかなければ・・・頑張れ!俺!!

 

さて・・・

 

人を

騙すのはよくないと思います。


でも

嘘も方便ってこともあります。


君は

とても可愛いよと娘に言ってあげたり。


あなたは

とても素敵よと旦那に言ってあげたり。

私って、可愛いんだ。

 

俺って、素敵なんだ。


そう思えることって、
なかなか大事なことだと思うんですよね。

で、

誰を騙すのかって話なんですけど。


いちばん騙すべきは、自分なんですよね。


俺はすごい、

俺は運がいい、

俺は賢い、

俺は優しい、
と自分を騙す。


自分とは・・・

 

自分が信じている自分に他ならないのです。

さてさて・・

中学での三年間、
私は、ほとんどサッカーしか、

していませんでした。


勉強を

サボっていたわけではありません。

 

授業以外、
ほとんど勉強をしなかった、ということです。

高校の三年間も、
似たようなものでした。


にもかかわらず、
私は自分の頭が悪いと
思ったことがなかったのです。


これは本当なのです。


今でもすごく不思議です。

徒競走では、いつもそこそこで、
球技は、まあまあ、それ以外はダメダメ君。


・・・にもかかわらず、
私は自分の運動神経が悪いと
思ったことがないのです。

小学校では

サッカー以外で友達ができず、
人見知りで、とっても暗い性格。


・・・にもかかわらず、
自分は何者かになれると信じていました。

18歳でバンドマンになったのも、
22歳でS急便に入ったのも、
まあ何とかなるだろうと
確信していたからです。


根拠は、

まったくありません。

数学が赤点だったのに数字の大切さを力説し、

LIVEに客が少なくても、次は大丈夫と思ったり、
会社のピンチに大きな倉庫を借りたり、、
とんでもないことばかり
やってきました。


でも、

なぜか信じていたのです。


絶対にうまく行くと。

今から考えれば、単なる過信です。


だから失敗もし、挫折もしました。


会社が右肩下がりになり、
残りの人生も少なくなってきました。

それでも

何とかなるだろうと、
どこかで楽観視していました。


どうやったら、

そんなに
ポジティブになれるのか。


いろんな人からよく聞かれます。


でも

分からないんです。

親に

褒められたからかもしれない。


頭が

悪過ぎたからかもしれない。


本当のところは、よく分かりません。

ひとつだけ言えること。


それは

私が自分の運命を、
強く信じているということ。


なぜとか、

どうやってとかは、
きっと関係ないんですよね。

 

ああ、今日もイイ天気だ!!

 

BESTを尽くそう!!!!!

 

頑張れ!俺!!



 

桜咲きましたね・・・当たり前ですが、また新しい春がやってきます。

期が変わり、学校が変わり、学年が変わり・・・変化の季節です。

変わりゆく者が生き残り、変われない者が陳腐化し、消えてゆく・・・

生き残りを賭けて、もう一息頑張りましょうかね・・・

 

さて・・・

 

努力する子と、努力しない子。


大人は

そういう分け方が好きです。


あの子は、

努力する偉い子。


あの子は、

努力しないダメな子。・・・という具合に。

毎日ちゃんと学校に行って、
宿題もやって、それでも点数の悪い子。


大人は

それを努力の子とは言いません。


野球ばっかりやってるのに、

テストの点数もいい。


そういう子が

努力の子と呼ばれるのです。

つまり

大人がいう努力とは、
努力ではなく結果なのです。


でも

結果が出ないのは、

努力していないからじゃありません。


ただ単に

自分に合った努力のやり方を

まだ知らないだけ。

さてさて・・・

私は

努力という言葉が嫌いでした。


努力とは、

みんながやるべきこと。


その努力をやらないのは、
単にあなたがサボっているだけ。

すごく嫌なロジックですよね。


子供には反論の余地もない。


あなたは、サボっているだけ。


サボってばかりのダメな私。

ずいぶん長い間、
このロジックに悩まされました。


私は、

努力できない人。


ダメダメな人間。


社会的落ちこぼれ。

努力しろとか、
行動がすべてだとか、
考える前に動けとか。


もう気が狂いそうになります。

でも

そんな私は正しかった。


今は

そう確信しております。

つまりは、

こういうことです。


頑張らないこと。


苦にならないこと。


それでも、

続けられること。


それを、

努力と言うのです。

辛いから、成果が出るとか。


我慢するから、稼げるとか。


嫌なことだから、仕事になるとか。


まったくの間違い。


大きな勘違い。


それこそ、

努力が足りない。

宿題をやらせ続けたら
勉強ができなくなったって?
そりゃあそうでしょう。

仕事で我慢させ続けたら
鬱になってしまったって?
そりゃあそうでしょう。

先生や上司がやるべきこと。


それは、

苦にならない努力を
見つけてあげること。


それが

先生の正しい努力。


それが

上司の正しい努力。

でも、やらない。


彼らは努力しない。


そして、

人のせいにする。


努力しない、

あなたが悪いのだと。


論理のすり替えも甚だしい。

人は、

呼吸するのに努力しますか?


美味いものを食べるのに、

努力しますか?


楽しい時に笑うのに努力しますか?

真に努力するべきは、
努力せずに、

呼吸し、よく食べ、笑い、深く眠れる自分になること。

 

そんなことを考えてみる、

春の日なのです。

 

 



 

三寒四温・・・毎年この時期には「なるほどな・・・」と納得してしまいます。

上野公園入口の寒桜は、ほぼ満開でしょう(^^)/

まだ、夜は冷えますが、緊急事態宣言明けには染井吉野も満開でしょう。

 

さて・・・

 

生まれたばかりのアインシュタインを無人島に放置する。


ひどい話ですが、

もし死なずに成長したとしましょう。


この子は

相対性理論にたどり着けるでしょうか。

いや

絶対に無理です。


なぜなら

人は言葉で考えるから。


思考するには

言語の取得が不可欠なのです。


さらに

相対性理論に行き着くためには、
そのベースとなる知識と考え方が必要です。

言語を学び、

数学と物理を学び、
その上で思考すること。


これが

相対性理論を生み出す必要条件。


言語と思考の枠組みを使って、

枠の外側を考える行為。


それを

イノベーションと呼ぶのです。

さてさて・・・

十年前の私と、今の私。


正直言って、

もう別人だと思います。


別の人間を生きている。


違う人生を生きている。


そんな感じでしょうか・・・

人間の細胞は、
どんどん入れ替わっていきます。


思考や価値観もまた、
どんどん入れ替わっていくのです。



歳を取った。


雇われ社長ではなくなった。


借金が増えた。


社員が減った。


などなど、

理由は考えられます。

でも

それは直接的な理由ではありません。


それは

あくまでも間接的な理由なのです。

たとえば

嫌なことがあって酒を飲む。


気がついたらアル中になっている。


原因は、嫌なことでしょうか。


いや

直接の原因ではありません。


直接の原因は細胞にあるのです。

日本人は勤勉である。


こう定義できるのは、
かなり多くの日本人が
勤勉になった時です。

日本人が

個々の日本人の
集まりであるように、
人間は個々の細胞の集まりです。

嫌なことがあって酒を飲む。


これでは

アル中にはなりません。


ポイントは・・・続けることです。


毎日、酒を飲み続けること。

すると、細胞が
アル中細胞に入れ替わります。


飲まないと、やってられない細胞。


その数が

だんだん増えていくのです。

体の多くが、

アル中細胞になると、
私の体はアル中になります。


すると

私の精神にも変化が起こります。


アルコールが大好きな私。


飲まずには居られない私。

会社の実権を持ち、、
借金が増え、
社員が減りました。


その結果、

私の行動が変わったのです。

何でも、自分でやり過ぎない。

 

無駄な買い物をしない。


規則正しい生活をする。


それを

続けているうちに、
私の細胞は入れ替わりました。

今の私も、

石山光博であるわけですが・・・


あの頃の

石山光博とは、もう別人なのです。

 

そんな昼下がりの妄想タイムでした。

 

 

3月に入って「冬来りなば春遠からじ」を実感する今日この頃です。

つらい時期を耐え抜けば、幸せな時期は必ず来るというたとえ・・・

長い冬を耐えて春を待つ気持ちの表現ですが、

宅配事業から撤退する決断は簡単ではありませんでした。

義理と人情と思いやり・・・そして欲。ちっちゃいな・・・俺(;^ω^)

 

さて・・・

 

毎日が

まったく同じだったらツマラナイ。


その退屈さに

多くの人は耐えられないでしょう。

では

毎日がまったく違うものだったらどうでしょう。


着る服も、

食べるものも、

寝る場所も、
会う人も、

仕事内容も、何もかも違う。


同じものがあってはならない。

そんなことになったら

大変すぎて生きていけません。


まったく同じ日常も、

すべてが変わる日常も、

どちらも無理。

毎日が

同じように見えるけど、ほんの少し違う。


つまり

多くの人にとっての日常。


それが

一番快適な人生なのかもしれません。

さてさて・・・


私は

かなり変なヤツです。


偏ってるし、

歪んでるし、
捻れまくってます。


そして

その特技(?)を
仕事にも生かしています。

たとえば、

商品開発や
サービスのネーミング。


ブログやコンテンツのタイトル。


潜在マーケットの掘り起こし。


新規事業の立ち上げ。

常識や王道から外れた
奇抜なアイデア。


突拍子もない発想。


それを

支えているのが、
偏りや歪みや捻れなのです。

人とは違った視点で考える。


常識を超えた発想をする。


そこだけを見れば、
変人が有利に見えます。


しかし

変人も大変なのです。

なぜならば、

変であればいい
というものではないから。


重要なのは・・・

 

儲かる変であること。


儲かる変とは、

売れる変なのです。


では

売れる変とは
どういうものなのでしょうか。

売れる変とは、解る変です。


いくらすごい商品でも、
解らない商品は売れません。


いくら面白いオチでも、
解らなければ笑えません。

変も、まったく同じです。


解らない変は、売れないのです。


落語のオチのように
解るように、ひねること。


これが

とても重要なのです。

常識的な考え。


スタンダードな価値観。


それが

基本になっていること。

基本に

ちょっとヒネリを加える。


どこまで捻れば、面白いのか。


どこまでだったら、理解できるのか。


このバランスが難しい。


言うなれば、変のバランス。

変人は

アンバランスだと
思っている人が多いです。


でも、違うのです。


売れる変人、

面白い変人、

儲かる変人。


そこに

共通しているのは
バランス感覚なのです。

理解できない変人ではなく、
違和感のない常識人でもなく、
ちょっと手を伸ばせば届く「変人」。


それが

「絶妙なる変人」なのです。

 

 

 

花粉がキテます。私は重症ではありませんが・・・時々ワッと、発作的にキます。

GWあたりまで、つらい日々が続きます。この時期は、決算だったり・・・

経営計画やら、なんやら、忙しないのにスッキリしない毎日が続きます(;^ω^)

たまらんわ~

 

さて・・・

 

学生時代の友人とか、

昔の同僚とか、

仕事仲間とか。


当時は

仲が良かったけど

今はそれほどでもない。


会う理由もないし、メリットもない。

そういう人との付き合いは、

どうしたらいいのでしょうか。


しょっちゅう会うのは面倒だし
・・・かと言って、

関係を切るのは冷たすぎる。


そういう時には、

緩めればいいのです。

断ち切るのではなく、

深めるのでもなく、

ちょうどいい具合に緩める。


ストレスがない程度に、

完全に切れてしまわないように、
少しずつ、少しずつ、緩めていく。

仕事も、

趣味も、

家族も、

人生も、
時には、

緩めることが必要なのです。


さてさて・・・


たとえば・・・

正社員を
業務委託契約に変える。


その時に

一番大事なのは
手厚いサポートです。

正社員は

法律で守られています。


これを

企業の側から見ると
「守らなくてはならない」という義務。


雇用も、

労働時間も、

休みも、
きっちり守らなくてはなりません。

業務委託には、

原則、義務が生じません。


何時間働こうと、

休みがなかろうと、
それは

本人が決めること。


つまり

会社は義務から解放されるのです。


仕事を

保証する必要だってありません。

では・・・

会社は、
業務委託になった元社員を、
どう扱えばいいのか。


都合よく使えばいいのか?


それとも、

しっかりサポートするのか。

私のオススメは、
しっかり、

サポートしてあげること。


社員じゃなくなった人が
社員の時よりも快適になり、
さらに稼げるようになるためのサポート。

そんなことをしたら、
社員から不満が出るかもしれません。


でも、

それでいいのです。

社員の自分よりも
業務委託の人の方が稼いでる。


仕事も楽しそうだし
時間も自由にできて羨ましい。

そうなったら、
やりたい人が増えていきます。


社員が

どんどん業務委託になり
業務委託集団が出来上がります。

今度は

この集団を優遇します。


他社の仕事も紹介したり、
快適な職場を用意してあげたり、
至れり尽くせりしてあげる。

すると・・・

 

彼らを見て、
ここで働きたい人が増えます。


採用にお金をかけなくても
どんどん人が集まるのです。


しかも

辞める心配がありません。

業務委託の人は、辞めません。


たくさん仕事を振っても、嫌がりません。


机を用意すると、感謝されます。


勝手に

スキルアップしてくれるし、
社会保険料を払う必要もない。

仕事を回すには、

人が必要です。


それも、

できるだけ優秀な人。


雇用ではない、

新たな求心力が、
彼らを連れてくるのです。

 

なんて、昼下がりの妄想タイムでしたとさ・・・(^^)/

 

 

ここのところ忙しないですね・・・地震・・・雨・・・虹・・・強風・・・快晴

そろそろ、来期に向かって、体制や方針を纏めないと・・・

とはいえ・・・首と肩が痛い・・・歳ですかね(;^ω^)

 

さて・・・

 

すごい金持ちになったら、大きな家に住む。


かっこいい車に乗る。


毎日美味しいものを食べる。

部屋の掃除も、

洗濯も、

洗車も、

料理も、

肩もみも、
ぜんぶ誰かにやってもらう。


それでも、

まだまだ金は余っている。

だから

着替えも手伝ってもらい、
歯も磨いてもらい、

風呂で体も洗ってもらい、
お酒もひと口ずつ飲ませてもらい、
小説やマンガは読み聞かせてもらう。

すごい金持ちのすごい贅沢。


でもよく考えたら、

これって介護されてるおじいちゃんと
同じなんですよね。

さてさて・・・

昔たくさんの社員を雇っていました。


任せられることは、どんどん任せる。


自分が得意なことだけに集中する。


そういう

方針だったからです。

間違っていたとは思いません。


今は

正社員20人ほどしか

雇っていませんが、
基本的には同じ考えです。


でも

違うことがひとつだけあります。

それは、

やりたくないことや
不得意なことをやるようになったこと。


矛盾するようなんですけど、
これがとても大事なのです。

やりたくないこと。


不得意なこと。


たとえば、

メルマガの配信設定。


お客さんとのやりとり。


企画書や契約書の作成。

メルマガを書くのは、

苦になりませんが、
配信作業は面倒くさい。


企画を立てるのは好きですが、
企画書を作るのは面倒くさい。

そう私は

面倒くさいことが嫌いなのです。


やって出来なくはないけど、
面倒だからやりたくない。


そういうことが実に多いのです。

社員がたくさんいた時は、
面倒なことは全部やってもらってました。


企画書の作成、

メルマガの配信、
お客さんとのやりとり、などなど。

得意なことに時間を集中するため。


それが私の言い訳でした。


でも本当は面倒だったから。


やりたくない仕事だったから。

やりたくないこと。

 

不得意なこと。


それは

やらないほうがいい。


人にやってもらったほうがいい。


それは事実です。

でも

全部ではない。


やりたくないけど、

面倒だけど、
自分でやらなくてはならない。


そういうものも、あるのです。

本来は

自分がやるべき仕事。


自分が引き受けるべき、面倒くささ。


それから逃げると
もっと面倒なことになります。

会社の成長が鈍ったのは、
きっと、

私が仕事を振りすぎたからです。


自分が

引き受けるべき面倒まで、
人に振ってしまったから。

私の仕事をすること。


私の面倒から逃げないこと。


そのバランスが、

とても大事なのだと思う、

今日この頃・・・

 

 

今日は節分・・・明日は立春、春ですね。とは言え、まだまだ寒いのですが(;^ω^)

このコロナ禍で、随分と調達しましたが・・・しっかりと均衡~成長しないとですね。

しっかり、しゃがんで・・・天高くジャンプといきたい今日この頃です。

 

さて・・・

 

経営者という生き方に

リスクが伴うことは確かです。


でもそれは

借金を抱えることと、

イコールではありません。

会社を立ち上げるから

借金ができるのではなく・・・


社長になるから、

借金を背負うのでもない。


借り入れをするから、

借金は生まれるのです。

会社を立ち上げようとも、

社長になろうとも、
借り入れをしなければ、

一円の借金も背負いません。


会社員であろうとも、

公務員であろうとも、
ローンで家や車を買えば、

借金を抱えます。

リスクと借金は、

なんの関係もないのです。


そもそも

リスクのない生き方など
この世には存在しないのです。

さてさて・・・

オーナーという生き方に
憧れる人は多い。


資産家で、

投資を生業とし、
不労所得だけで生きている。


夢のような人生。

経営者という生き方が、
好きな人もいる。


自ら先頭に立ち、

人を動かし、
たくさんの報酬を得る。


波乱万丈の人生。

従業員という生き方が、
一番いいという人も多い。


リスクは負わず、
報酬も休暇も約束される。


とても安定した人生。

それぞれの生き方には、
それぞれの良さがあり、
それぞれのリスク、
それぞれの苦悩もある。


生き方は、

千差万別なのです。

お金があること。


お金がないこと。


時間があること。


時間がないこと。

自分で決められること。


自分では決められないこと。


リスクがあること。


リスクがないこと。

何が自由で、
何が不自由なのでしょうか。


完全なる自由も、
完全なる不自由も、
幻想なのかもしれません。

人生には、

リスクがつきものです。


決断から

逃れることはできないし、
労働せずに

生きていくことも出来ない。


それが人生というもの。


あるべき自然な姿なのです。

オーナーしかできないという人生も・・・


経営者しかできないという人生も・・・


従業員しかできないという人生も・・・


きっと

全部不自由な人生なのです。

なぜなら

依存する生き方だから。


ただ

その対象が違うだけ。


お金に依存するのか・・・


会社に依存するのか・・・


社員に依存するのか。

適度なリスクも負えて、
必要な決断ができて、
しっかりと現場仕事もできる。


それが

真の自由なのかもしれません。

バランスの良い生き方。


きっと・・・それが一番清々しい。

 

雪・・・この時期になると、いつも降ってくれるなとドキドキしながら眠りにつきます。

今年はもう2回ドキドキしました。(笑) そろそろ次は降るかなとビビっています。

 

さて・・・

 

昔々のお金は綺麗な貝殻や宝石でした。


それが

塩やお米になり、金貨や銀貨になりました。


物々交換に使うには、
みんなが欲しがる必要があります。

だから

当時の人はお金の材料に、
みんなが欲しがる貴重な素材を使ったのです。


でも

人々はだんだんお金そのものを
欲するようになります。

その結果、

金貨や銀貨は銅やアルミになり、
紙切れになり、

ついには

デジタル数字になりました。


もはや

素材には何の価値もありません。

その価値を担保しているのは、
ただそれを欲しがり続ける人間の欲望だけ。

現金にこだわる人。


現金しか使えない人。


そういう人は、
ちょっと冷静に考えてみましょう。


現金とは何かってことを。

さてさて・・・


たとえば

ガラケーとスマホ。


ガラケーは使えるけど、
スマホは使えない。


それは、どうしてでしょうか。

スマホは難しいから?


いやいや、私から見たら
ガラケーの方がずっと難しい。


つまりは、単なる慣れなのです。

スイカやパスモのような、
電子マネーしか使ったことのない子供。


彼らは

きっと切符を買うのに
苦労するでしょう。


だって、

やったことがないから。

切符を買ったことがない人。


お米を炊いたことがない人。


ネットに接続したことがない人。


そこに優劣などありましょうか?

ネットに接続できるけど、
お米を炊くことはできない。


切符を買うことはできない。


そんな人は、

きっとたくさんいます。

反対もしかり。


お米くらい炊ける。


切符くらい買える。


でも、ネット接続はできない。


そんな人もたくさんいます。

単なる慣れなんですよ。


マニュアル車を運転できることが、
別段すごいわけではない。


オートマ車に乗ったことがなければ、
どうやっていいか分からないでしょう。

どっちが複雑か。


どっちが難しいか。


そう考えると単純。


当たり前ですが、

世の中は
どんどん簡単になっている。

切符を買うよりも、
ピッとかざす方が簡単。


マニュアル車よりも、
オートマ車の方が簡単。

現金って、結構難しいんですよ。


面倒くさいし、かさばるし、重たい。


単なる紙切れ、

単なる金属のカケラ、
それを持ち歩いて、

種類を見極めて、
人に渡したり、

自動販売機に入れたり。

ガラケーや、

マニュアル車は、
いずれマニアしか使わなくなる。


現金も同じ運命を辿ることでしょう。

 

二回目の緊急事態宣言・・・言いたいことは色々ありますが、

一般大衆の行動が全てなのかなと思います。最適解なんてないのに・・・

意思や目的に対して、こう判断したから、こうする。

みたいな・・・政治は、あまり語りたくありませんが・・・

 

さて・・・

 

マスとは大衆。


マスメディアとは、

大衆のメディアという意味です。


でも現実は、

決して大衆のメディアではありませんでした。

大衆のメディアではなく、

大衆に向けられたメディア。


それが、

マスメディアなのです。


大衆は、

ずっと忠実なる視聴者でした。


マスメディアで流された情報を信じ、
マスメディアで流された商品を買う。

今その忠実なる視聴者が、

傍観者となりつつあります。


スポンサーや局の意向、

権力の意向に沿って
一方的に配信される情報。


大衆は、

それをスルーし始めているのです。

CMを見なくなっただけではなく、
恣意的な情報も受け取らなくなった。


もはや、

マスメディアの先には、

従順な大衆などいないのです。

さてさて・・・

イチローはテレビ嫌い。


情報を捻じ曲げられるから。


それを、

聞いた時こう思いました。


結構、神経質なんだなあと。


でも、

それは事実だったのです。

取材や収録は、

たくさん集めて、構成して、編集して・・・


正確に伝えるには、
情報量が必要だから。


たくさんの情報を引き出し、
そこから真実の姿をあぶり出す。


その頃の私は、

まだ信じていました。

ところが、です。


1日がかりで撮影した中の、ほんの数秒。


しかも、

全体から見たら本心とは言えない、
無理やり言わされただろうことば。


そこだけが、

放送されていたりするのです。

まあ、凄いと思いました。


ここまで、やるのかと。


少しくらいの脚色は、想定内だと思います。


しかし、あまりにも酷い。


そういうものは、

もはや報道ではない。


単なる、

作られたドラマだったりします。

どう、切り取るかで、
事実は、

正反対に見えてしまいます。


まさか、

そこまでしないだろうと、
多くの人は思っているでしょう。


でもこれ、事実なんですよ。

面白くする、視聴率を稼ぐ。


そこにしか、目的はないのです。


事実であるかどうかより、
ウケるか、どうか、
視聴率を稼げるか、

どうかが大事。

言い訳しているみたいだし、
負け惜しみみたいなので、
みんな、ずっと黙ってますよね。


でも、毎日のコロナ報道を見ていると、
もう、いいだろうと思います。

あれは、本当に酷い。


きっと、

テレビ報道に壊された人は、
たくさんいるはずです。


だから

自業自得なんですよね。


みんなが、

テレビを信じなくなったのも。

何を信じるのかは、自分自身が決める。


自分の信頼は、自分自身で作っていく。


そういう、

素晴らしい時代が始まるのです。

 

・・・と前向きに生きましょうか(^^)/