花粉がキテます。私は重症ではありませんが・・・時々ワッと、発作的にキます。

GWあたりまで、つらい日々が続きます。この時期は、決算だったり・・・

経営計画やら、なんやら、忙しないのにスッキリしない毎日が続きます(;^ω^)

たまらんわ~

 

さて・・・

 

学生時代の友人とか、

昔の同僚とか、

仕事仲間とか。


当時は

仲が良かったけど

今はそれほどでもない。


会う理由もないし、メリットもない。

そういう人との付き合いは、

どうしたらいいのでしょうか。


しょっちゅう会うのは面倒だし
・・・かと言って、

関係を切るのは冷たすぎる。


そういう時には、

緩めればいいのです。

断ち切るのではなく、

深めるのでもなく、

ちょうどいい具合に緩める。


ストレスがない程度に、

完全に切れてしまわないように、
少しずつ、少しずつ、緩めていく。

仕事も、

趣味も、

家族も、

人生も、
時には、

緩めることが必要なのです。


さてさて・・・


たとえば・・・

正社員を
業務委託契約に変える。


その時に

一番大事なのは
手厚いサポートです。

正社員は

法律で守られています。


これを

企業の側から見ると
「守らなくてはならない」という義務。


雇用も、

労働時間も、

休みも、
きっちり守らなくてはなりません。

業務委託には、

原則、義務が生じません。


何時間働こうと、

休みがなかろうと、
それは

本人が決めること。


つまり

会社は義務から解放されるのです。


仕事を

保証する必要だってありません。

では・・・

会社は、
業務委託になった元社員を、
どう扱えばいいのか。


都合よく使えばいいのか?


それとも、

しっかりサポートするのか。

私のオススメは、
しっかり、

サポートしてあげること。


社員じゃなくなった人が
社員の時よりも快適になり、
さらに稼げるようになるためのサポート。

そんなことをしたら、
社員から不満が出るかもしれません。


でも、

それでいいのです。

社員の自分よりも
業務委託の人の方が稼いでる。


仕事も楽しそうだし
時間も自由にできて羨ましい。

そうなったら、
やりたい人が増えていきます。


社員が

どんどん業務委託になり
業務委託集団が出来上がります。

今度は

この集団を優遇します。


他社の仕事も紹介したり、
快適な職場を用意してあげたり、
至れり尽くせりしてあげる。

すると・・・

 

彼らを見て、
ここで働きたい人が増えます。


採用にお金をかけなくても
どんどん人が集まるのです。


しかも

辞める心配がありません。

業務委託の人は、辞めません。


たくさん仕事を振っても、嫌がりません。


机を用意すると、感謝されます。


勝手に

スキルアップしてくれるし、
社会保険料を払う必要もない。

仕事を回すには、

人が必要です。


それも、

できるだけ優秀な人。


雇用ではない、

新たな求心力が、
彼らを連れてくるのです。

 

なんて、昼下がりの妄想タイムでしたとさ・・・(^^)/

 

 

ここのところ忙しないですね・・・地震・・・雨・・・虹・・・強風・・・快晴

そろそろ、来期に向かって、体制や方針を纏めないと・・・

とはいえ・・・首と肩が痛い・・・歳ですかね(;^ω^)

 

さて・・・

 

すごい金持ちになったら、大きな家に住む。


かっこいい車に乗る。


毎日美味しいものを食べる。

部屋の掃除も、

洗濯も、

洗車も、

料理も、

肩もみも、
ぜんぶ誰かにやってもらう。


それでも、

まだまだ金は余っている。

だから

着替えも手伝ってもらい、
歯も磨いてもらい、

風呂で体も洗ってもらい、
お酒もひと口ずつ飲ませてもらい、
小説やマンガは読み聞かせてもらう。

すごい金持ちのすごい贅沢。


でもよく考えたら、

これって介護されてるおじいちゃんと
同じなんですよね。

さてさて・・・

昔たくさんの社員を雇っていました。


任せられることは、どんどん任せる。


自分が得意なことだけに集中する。


そういう

方針だったからです。

間違っていたとは思いません。


今は

正社員20人ほどしか

雇っていませんが、
基本的には同じ考えです。


でも

違うことがひとつだけあります。

それは、

やりたくないことや
不得意なことをやるようになったこと。


矛盾するようなんですけど、
これがとても大事なのです。

やりたくないこと。


不得意なこと。


たとえば、

メルマガの配信設定。


お客さんとのやりとり。


企画書や契約書の作成。

メルマガを書くのは、

苦になりませんが、
配信作業は面倒くさい。


企画を立てるのは好きですが、
企画書を作るのは面倒くさい。

そう私は

面倒くさいことが嫌いなのです。


やって出来なくはないけど、
面倒だからやりたくない。


そういうことが実に多いのです。

社員がたくさんいた時は、
面倒なことは全部やってもらってました。


企画書の作成、

メルマガの配信、
お客さんとのやりとり、などなど。

得意なことに時間を集中するため。


それが私の言い訳でした。


でも本当は面倒だったから。


やりたくない仕事だったから。

やりたくないこと。

 

不得意なこと。


それは

やらないほうがいい。


人にやってもらったほうがいい。


それは事実です。

でも

全部ではない。


やりたくないけど、

面倒だけど、
自分でやらなくてはならない。


そういうものも、あるのです。

本来は

自分がやるべき仕事。


自分が引き受けるべき、面倒くささ。


それから逃げると
もっと面倒なことになります。

会社の成長が鈍ったのは、
きっと、

私が仕事を振りすぎたからです。


自分が

引き受けるべき面倒まで、
人に振ってしまったから。

私の仕事をすること。


私の面倒から逃げないこと。


そのバランスが、

とても大事なのだと思う、

今日この頃・・・

 

 

今日は節分・・・明日は立春、春ですね。とは言え、まだまだ寒いのですが(;^ω^)

このコロナ禍で、随分と調達しましたが・・・しっかりと均衡~成長しないとですね。

しっかり、しゃがんで・・・天高くジャンプといきたい今日この頃です。

 

さて・・・

 

経営者という生き方に

リスクが伴うことは確かです。


でもそれは

借金を抱えることと、

イコールではありません。

会社を立ち上げるから

借金ができるのではなく・・・


社長になるから、

借金を背負うのでもない。


借り入れをするから、

借金は生まれるのです。

会社を立ち上げようとも、

社長になろうとも、
借り入れをしなければ、

一円の借金も背負いません。


会社員であろうとも、

公務員であろうとも、
ローンで家や車を買えば、

借金を抱えます。

リスクと借金は、

なんの関係もないのです。


そもそも

リスクのない生き方など
この世には存在しないのです。

さてさて・・・

オーナーという生き方に
憧れる人は多い。


資産家で、

投資を生業とし、
不労所得だけで生きている。


夢のような人生。

経営者という生き方が、
好きな人もいる。


自ら先頭に立ち、

人を動かし、
たくさんの報酬を得る。


波乱万丈の人生。

従業員という生き方が、
一番いいという人も多い。


リスクは負わず、
報酬も休暇も約束される。


とても安定した人生。

それぞれの生き方には、
それぞれの良さがあり、
それぞれのリスク、
それぞれの苦悩もある。


生き方は、

千差万別なのです。

お金があること。


お金がないこと。


時間があること。


時間がないこと。

自分で決められること。


自分では決められないこと。


リスクがあること。


リスクがないこと。

何が自由で、
何が不自由なのでしょうか。


完全なる自由も、
完全なる不自由も、
幻想なのかもしれません。

人生には、

リスクがつきものです。


決断から

逃れることはできないし、
労働せずに

生きていくことも出来ない。


それが人生というもの。


あるべき自然な姿なのです。

オーナーしかできないという人生も・・・


経営者しかできないという人生も・・・


従業員しかできないという人生も・・・


きっと

全部不自由な人生なのです。

なぜなら

依存する生き方だから。


ただ

その対象が違うだけ。


お金に依存するのか・・・


会社に依存するのか・・・


社員に依存するのか。

適度なリスクも負えて、
必要な決断ができて、
しっかりと現場仕事もできる。


それが

真の自由なのかもしれません。

バランスの良い生き方。


きっと・・・それが一番清々しい。

 

雪・・・この時期になると、いつも降ってくれるなとドキドキしながら眠りにつきます。

今年はもう2回ドキドキしました。(笑) そろそろ次は降るかなとビビっています。

 

さて・・・

 

昔々のお金は綺麗な貝殻や宝石でした。


それが

塩やお米になり、金貨や銀貨になりました。


物々交換に使うには、
みんなが欲しがる必要があります。

だから

当時の人はお金の材料に、
みんなが欲しがる貴重な素材を使ったのです。


でも

人々はだんだんお金そのものを
欲するようになります。

その結果、

金貨や銀貨は銅やアルミになり、
紙切れになり、

ついには

デジタル数字になりました。


もはや

素材には何の価値もありません。

その価値を担保しているのは、
ただそれを欲しがり続ける人間の欲望だけ。

現金にこだわる人。


現金しか使えない人。


そういう人は、
ちょっと冷静に考えてみましょう。


現金とは何かってことを。

さてさて・・・


たとえば

ガラケーとスマホ。


ガラケーは使えるけど、
スマホは使えない。


それは、どうしてでしょうか。

スマホは難しいから?


いやいや、私から見たら
ガラケーの方がずっと難しい。


つまりは、単なる慣れなのです。

スイカやパスモのような、
電子マネーしか使ったことのない子供。


彼らは

きっと切符を買うのに
苦労するでしょう。


だって、

やったことがないから。

切符を買ったことがない人。


お米を炊いたことがない人。


ネットに接続したことがない人。


そこに優劣などありましょうか?

ネットに接続できるけど、
お米を炊くことはできない。


切符を買うことはできない。


そんな人は、

きっとたくさんいます。

反対もしかり。


お米くらい炊ける。


切符くらい買える。


でも、ネット接続はできない。


そんな人もたくさんいます。

単なる慣れなんですよ。


マニュアル車を運転できることが、
別段すごいわけではない。


オートマ車に乗ったことがなければ、
どうやっていいか分からないでしょう。

どっちが複雑か。


どっちが難しいか。


そう考えると単純。


当たり前ですが、

世の中は
どんどん簡単になっている。

切符を買うよりも、
ピッとかざす方が簡単。


マニュアル車よりも、
オートマ車の方が簡単。

現金って、結構難しいんですよ。


面倒くさいし、かさばるし、重たい。


単なる紙切れ、

単なる金属のカケラ、
それを持ち歩いて、

種類を見極めて、
人に渡したり、

自動販売機に入れたり。

ガラケーや、

マニュアル車は、
いずれマニアしか使わなくなる。


現金も同じ運命を辿ることでしょう。

 

二回目の緊急事態宣言・・・言いたいことは色々ありますが、

一般大衆の行動が全てなのかなと思います。最適解なんてないのに・・・

意思や目的に対して、こう判断したから、こうする。

みたいな・・・政治は、あまり語りたくありませんが・・・

 

さて・・・

 

マスとは大衆。


マスメディアとは、

大衆のメディアという意味です。


でも現実は、

決して大衆のメディアではありませんでした。

大衆のメディアではなく、

大衆に向けられたメディア。


それが、

マスメディアなのです。


大衆は、

ずっと忠実なる視聴者でした。


マスメディアで流された情報を信じ、
マスメディアで流された商品を買う。

今その忠実なる視聴者が、

傍観者となりつつあります。


スポンサーや局の意向、

権力の意向に沿って
一方的に配信される情報。


大衆は、

それをスルーし始めているのです。

CMを見なくなっただけではなく、
恣意的な情報も受け取らなくなった。


もはや、

マスメディアの先には、

従順な大衆などいないのです。

さてさて・・・

イチローはテレビ嫌い。


情報を捻じ曲げられるから。


それを、

聞いた時こう思いました。


結構、神経質なんだなあと。


でも、

それは事実だったのです。

取材や収録は、

たくさん集めて、構成して、編集して・・・


正確に伝えるには、
情報量が必要だから。


たくさんの情報を引き出し、
そこから真実の姿をあぶり出す。


その頃の私は、

まだ信じていました。

ところが、です。


1日がかりで撮影した中の、ほんの数秒。


しかも、

全体から見たら本心とは言えない、
無理やり言わされただろうことば。


そこだけが、

放送されていたりするのです。

まあ、凄いと思いました。


ここまで、やるのかと。


少しくらいの脚色は、想定内だと思います。


しかし、あまりにも酷い。


そういうものは、

もはや報道ではない。


単なる、

作られたドラマだったりします。

どう、切り取るかで、
事実は、

正反対に見えてしまいます。


まさか、

そこまでしないだろうと、
多くの人は思っているでしょう。


でもこれ、事実なんですよ。

面白くする、視聴率を稼ぐ。


そこにしか、目的はないのです。


事実であるかどうかより、
ウケるか、どうか、
視聴率を稼げるか、

どうかが大事。

言い訳しているみたいだし、
負け惜しみみたいなので、
みんな、ずっと黙ってますよね。


でも、毎日のコロナ報道を見ていると、
もう、いいだろうと思います。

あれは、本当に酷い。


きっと、

テレビ報道に壊された人は、
たくさんいるはずです。


だから

自業自得なんですよね。


みんなが、

テレビを信じなくなったのも。

何を信じるのかは、自分自身が決める。


自分の信頼は、自分自身で作っていく。


そういう、

素晴らしい時代が始まるのです。

 

・・・と前向きに生きましょうか(^^)/

 



 

緊急事態宣言・・・あんまり道は空いてないですね(;^ω^) 効果が心配ですね。

とは言え、ウチも含む中小企業の業績は、とても心配ですね。

しっかりとあがいて・・・生き延びよう(^^)/

 

さて・・・

 

国家が

会社化して行く一方で・・・


社会は

家庭化しているようにも見えます。


使わなくなったものをあげたり・・・


みんなでシェアしたり・・・


お金を配る人までいたり。

 

国家は会社のように、
数値による成長目標を掲げる。


人々は拡大や所有よりも、
緩やかでも持続可能な生活を求める。


つまり

マッチングしていないのです。

 

もっともっと稼ぎ・・・


もっともっと消費し・・・


もっともっと子を産み・・・


もっともっと国を発展させる。


それが

国家の求める人材。

 

ほどほどに稼ぎ・・・


無駄な消費を抑え・・・


計画的に子供を産み・・・


平和な人生を過ごしていきたい。


それが

実際の国民。

 

どんなに政治家が煽っても・・・


日銀がお金を余らせても・・・


欲しくないものは買わない。


死ぬほど働いてまで、
豊かになりたいとは思わない。

 

まず、

この現状を受け止めること。


それが

大事だと思うんですよね。

 

江戸時代は、

ずっと低成長社会でした。


でも・・・文化は栄え、
人々は楽しく暮らしていました。


これが

本当の国民性なのかもしれません。


元に戻っただけなのかもしれません。

 

戦後、

がむしゃらに頑張った。


人口も、

どんどん増えていった。


世界第2位の経済大国にもなった。


素晴らしいことです。


でもきっと・・・


異常なことでも、あったのです。

 

バブルの崩壊は、
ひとつのきっかけに過ぎなかった。


なんとなく、

そんな気がします。

 

考えるまでもなく頑張り・・・


考えるまでもなく働き・・・


考えるまでもなく成長する。


それは

正常な状態ではないのです。

 

非常事態だった。


だから、頑張れた。


非常事態が終わった。


だから

元の生活に戻った。


それだけのことなのかも、しれません。

 

右肩上がりが普通だというのは、

昭和の感覚。


穏やかな日常を繰り返すというのが、

平成の感覚。


国民の感覚は、

昭和はおろか、

もう

平成にさえ戻せないのです。

 

 

緊急事態宣言…(;^ω^)参りましたね。実効が上がるんでしょうか・・・

オリンピックも、GOTOも・・・辻褄合わずの感が否めません。

飲食店へのフォローも心配です。もちろん、自分たちの心配も(;^ω^)

 

さて・・・

 

昭和という、

右肩上がりの時代が終わり・・・


平成という、

停滞の時代になりました。


停滞は

悪であるというのが昭和の発想。


そんなに頑張らなくても

いいじゃないかというのが平成の発想。

平たく成ると書いて平成。


元号には、

その思いが込められていたのかもしれません。


平たくなった時代とも言えるし、
平たくなれた時代だとも言えます。

必要以上に欲しがらない。


必要以上に消費しない。


それって、ダメなのでしょうか・・・

ハレの日は、

確かに盛り上がるし楽しい。


でも、

いちばん大切なのは日常が平穏であること。


平穏に成った時代。


それが平成。

 

さて令和も3年目・・・

 

どない、なるんでしょうなあ~(^^♪

さてさて・・・


若い頃は、

欲しいものが沢山ありました。


ポルシェも欲しかったし・・・


ブランド物の服も靴も財布も、
何もかも手に入れたかったのです。

ものが増えると、クローゼットに入らない。


だから、

収納を増やすために引っ越す。


新しくできたスペースに、また詰め込む。


どんどんものが増えていく快感。


それがいつの間にか、

不快感に変わりました。

持てば持つほど、

嬉しい時代から、
適度に持っていれば、

満足な時代になり、
今は、

できるだけ持たないことが、

快適な時代。


歳をとったからなんでしょうか。


いや、何か違う気がします。

まあ、

歳をとったのは事実なんですけど。


それだけが、理由ではない。


世の中の空気みたいなものが、
変化したのだと思います。

世の中の空気。


それって、

一体何なのでしょう。


たとえば、

全員が右を向いている。


それが、左に向きを変える。


そんな感じ。

一人一人の動きは、

些細なもの。


ちょっと、首をひねるだけ。


何人かが、

反対側を向いて・・・


それに

つられて他の人も向きを変えて、
やがて、

全員が反対側を向くようになる。

たった、

それだけのことなのです。


でも・・・

人類が見ている方向が180度変わる。


景色も変わるし、

感覚も変わる。


価値観も変わる。


それが、

空気が変わるということ。

全身ルイヴィトンのおじさんは、
確かに、

昔はカッコ良かったのです。


似合わないアルマーニも、
フランクミューラーも、
身につけているだけでカッコ良かった。

今、

それがカッコいいのは、
すごくお洒落な人か、
背の高い男前の芸能人か、
イタリア人だけ。


普通のおじさんは、

カッコ悪い。

向きが、変わったのです。


それで、景色が変わった。


同じものが、違って見える。


ポルシェも、
ブランド物の服も、
違ったものに見える。

これを

成長と呼ぶのか、

進化と呼ぶのか、
あるいは、

退化と呼ぶのか、分かりません。


ひとつだけ、確かなのは・・・


変化した・・・という事実です。

 

これからは・・・変化の時代ですね・・・

 

あけましておめでとうございます。 今年の年末年始は、忙しなく過ごしました(;^ω^)

ド暇よりはイイですが・・・連日深夜の4t稼働はチョットね( ^ω^)・・・

昨年はコロナに尽きる一年でした。これから総てが変わっていくのでしょう・・・

「ダーウィンがきた」ではありませんが、我々も変わらないと生き残れませんね。

 

さて・・・

 

今食べようとしている食事は、

必需品なのか。


今着ようとしている服は、

必需品なのか。


今使おうとしているパソコンやスマホは、

必需品なのか。

家にあるもの、
身につけているもの、
食べているもの。


それらを

よく観察すると
必需品だとは言い難いものがたくさんあります。

生きるため、生活のために、働いている。


そう思っている人は、

とても多いです。

でも実際には、

必要のないものを食べ、
必要のない場所に行き、
必要のないことをするために、
人は生きているのです。

さてさて・・

社員は、嗜好品である。


そう

割り切ればいいのです。

嗜好品だから、高くてもいい。


嗜好品だから、好きな人を雇えばいい。


嗜好品だから、見返りなんてなくていい。


そういう

割り切りが、必要な時代なのです。

1本20万円のパターとか・・・


古伊万里の骨董の皿とか・・・


数十万円もする自転車とか・・・


そういうものと、同じ扱い。

パターを愛でるように・・・


古伊万里の皿を愛でるように・・・


高級自転車を愛でるように・・・


社員のことも愛でる。

いくら愛でても、
パターは何もしてくれません。


いいスコアを出してくれたりはしない。ww


古伊万里の皿だって、

自転車だって、
何もしてくれない。

でも

社員は違います。


会社を

愛してくれるかもしれないし・・・


社長を

尊敬してくれるかもしれないし・・・


仕事だって、

頑張ってくれるかもしれない。


社員とは

心をもった嗜好品なのです。

でも

決して必需品ではない。


その扱い方が、とても大事なのです。

社員が必需品だと考えている経営者。


それは

時代を見誤っています。


今や社員は、

必需品ではなく嗜好品なのです。


そこを

決して間違えてはいけません。

社員を必需品扱いすると、
大変なことが起こります。

まず、

社員が集まらない。


すぐに辞めてしまう。


まったくやる気を出さない。


仕事なんて頑張らない。

でもそれは、

社員が悪いのではありません。


悪いのは、

扱い方を間違えた社長さん。

必要だから、仕方なく雇うとか。


壊れず長持ちして当たり前だとか。


金払った分、きちんと働けとか。


そんな必需品扱いは、

お断りします!

嗜好品として、雇う。


嗜好品だから、好きな人を選ぶ。


嗜好品だから、大切に扱う。


嗜好品だから、見返りは求めない。


嗜好品だから、いるだけで嬉しい。

これが

正しい社員の扱い方。


それでも

社員を採用しますか。


それとも

採用やめますか。


今は、

そういう時代なんですよね・・・

 



 

12/30いよいよ特別な一年が終わります。

あたりまえが、あたりまえでなくなる日が来るなんて

思いもしませんでした。

この一年を笑い飛ばせるようにあと10年頑張ります。

 

さて・・・

 

いつ、どこで生まれたのか。


どんな学校を出たのか。


どの会社で、

どんな仕事をしてきたのか。


私の履歴書。

 

私の経歴書。

それが

私の人生に大きな影響を与えて来ました。


もちろん、

この先も影響を与えていくでしょう。


でも、

これからはもっと大きな影響を与える歴があります。


それは、web歴です。

どんなことをやったのか。


どんなことを言ったのか。


どんな服を着ていたのか。


どんな人と付き合っていたのか。

私自身が発信した情報と、

私に関して発信された情報。


web歴に浮かび上がる私のイメージが
現実の人生をコントロールしていくのです。

さてさて・・・

私のことをFacebookで知った。


少なからず、そういう人と出会います。


ブログを書き続けたり、

Facebookに露出してきたことは、
ひとつの誇りでもあります。

私も露出していることによって、
凄い人だと勘違いされてきました。


今でも、

そう思ってくれている人が
いるかもしれません。

でも

それはイメージであって、
現実ではないのです。


私の本が書店に並んでいても、
私が凄いわけではない。


これは謙遜ではなく、
事実を伝えているだけなのです。

テレビに出ている人も、
映画に出ている人も、
特別に凄い人ではない。


でも

凄い人だと思われている。


これが現実なのです。

凄い人であることは、もちろん大事。


でも、

凄いと思われることも、
同じくらい大事なことなのです。


イメージは

現実の私の人生を、
大きく変えてしまうのです。

私は今、ものすごい時間をかけて、
webでの情報発信をやっていく準備をしています。


発信する量は、大したことありません。


ツイッターなら1日たった140文字。

でも

その140文字を精査して、

皆さんの共感と反感を集めようと思っています。


考えて、考えて、書き直して、
納得いったものだけを発信する・・・みたいな。


そういう作業を、

もうずいぶんとやっています。

ツイッターだけではありません。


Facebook
webコラム、web対談、webマガジン。

 

どんどん広げて行こうと思っています。


ものすごく丁寧に発信して行こうと考えています。

それは

webにおける私のイメージが、
後々の私の人生と会社の未来を変えて行くと、
確信しているからです。

本は、

いずれ劣化してなくなります。


でも・・・webデータはなくならない。


20年後、50年後、100年後の私。

 

そして、プラウド。


それを

今から、コツコツと紡いでいくのです。

 



 

各位 本年も大変お世話になりました。

 

思えば遠くに来たものだ・・・毎年そんなことを思っています。

 

来たる2021年も、引き続き、宜しくお願いします。

 

さて・・・

 

 

サラリーマンなんかやってられない。


・・・という人が

社長になるわけなんですけど、
社長になったら、

サラリーマンを雇わないといけません。

自分がやってられない
・・・と思う役割を人にやらせるのですから、
なかなか矛盾しているわけです。

この矛盾を

なかったことにしてはいけません。


みんなの会社だとか、

しっかり還元するとか言ったって、
サラリーマンであることに変わりはないわけです。

自分がやってられなかったサラリーマンは、
やはり他の人もやってられません。


自分もやりたくなる、夢のようなサラリーマン。


それを

考えるしかないのです。


職場を楽しくすれば、
そこで

働きたい人が集まる。

人が集まって来たら、
たくさんの仕事がこなせる。

たくさんの仕事をこなしたら、
売上も利益も増える。

きっと

経営者の皆さんも、
頭ではわかってるんですよ。


でも、

どうしても実感が湧かない。

楽しさなんて押し出したら、
甘い考えの人間ばかり集まる。


楽することばかり考えて、
しんどいことをやらなくなる。

欲しいのは、とことん頑張る人。


少々キツイことでも、

へこたれず、
多くのインセンティブを稼いでいく。


そういう、ハングリーな人。

「最後は、カネでしょ」と、
ついホンネを言って叩かれた
政治家の人を思い出します。


最後はカネ。

 

じつは、
これは間違っていないのです。

どんなに楽しくて、
どんなにやりがいがあっても、
生活できないと、

どうにもなりません。


でも

それは最後なんですよ。


決して、最初ではない。

だいたい

仕事に見合う給料なんて、
出て当たり前なんですよね。


だって

仕事をしてるわけですから。


給料を払うのなんて、
べつに偉くもなんともないんです。

仕事を与えているとか、
働かせてやってるとか、
雇用を創出しているとか、
もう、

そんな話じゃないんです。

商品が

どこででも買えるように、
仕事なんて、どこにでもある。


それが

今の世の中なのです。


問題は、

その仕事をやりたいかどうか。


楽しく働いて、しっかり稼げるかどうか。

仕事はある。


でも、

人がいない。


募集しても来ない。


これ以上は、給料も増やせない。

そういう仕事は
「ある」とは言わないのです。

一人ひとりの得意が活かせて、
人に必要とされて、喜ばれ、
しっかりと稼げる職場。


それが

「仕事のある」会社。

 

自戒(;^ω^)

 

頑張らねば・・・