冬の気配が濃くなってきました。コロナ禍も心配ですが…(;^ω^)

新たな市場ニーズはどうなるのか?どんなタイムスパンで、どんな常識が醸成されるのか?

年始以降の変化を妄想する、今日この頃です(;^ω^)

 

さて・・・

 

新しい商品は、

どこにあるのでしょうか。


まだ見たこともない未知の領域。


あるいは、マーケットの隙間。


どちらも

間違いではありません。

でも

もっと簡単に
新商品を見つけられる場所があります。


それは、人間の心の中。

クロワッサンを

食べた事がない人にとって、
クロワッサンは、新商品。


盆栽の面白さを知らない人にとって、
盆栽は新商品。


ネーミングの価値を

分かっていない人にとって、
ネーミングは新商品。

知らないこと、

分からないこと、

経験のないこと。


そこに

新商品は眠っているのです。

まだ、無い市場。


潜在マーケット。


私は、

そこが大好きです。


なぜなら・・・競争しなくてもいいから。

物流事業でも、
私は、

ひたすらそこを狙っていました。


日本には、

400万社ほどの法人があります。


でも・・・ロジスティクスの専任担当者を置いているのは、
その内たったの3〜4万社。

物流を生業とする会社は、
当然その4万社に狙いを定めます。


配送計画も、物流予算も、
確実に持っている会社だから。

当然といえば当然なのですが、
そこでは、

熾烈な戦いが生まれます。


当社の方が便利です。


当社の方が安いです。


当社の方が優れています。

他社よりも、何が優れているのか・・・


早いのか、安いのか、便利なのか・・・


その競争に勝つことが、
会社の業績に直結しているのです。

私は、元来競争が嫌いです。


勉強でも、

運動でも、

喧嘩でも、
競争して勝った経験がわずかだから。(だから、価値があるとも思いますが)


だから、

競争しない方法を考えました。

これは

嘘みたいですが本当の話です。


私は

「運送屋と付き合っていない」という会社に、
ターゲットを定めたのです。


ニーズがないけど、競合もいないから。

運送委託する会社には、
委託する理由があります。


では

配送委託しない会社には、
配送しない理由があるのか。

結論から言えば、
そこに

明確な理由はなかったのです。


では、なぜ配送しないのか。


それは

「配送する理由」がないからです。

自分にとって、

それは大きな発見でした。


理由がないから配送しない。


だったら、

その理由を作ればいい。

見出してあげればいい。


そのように、考えた訳です。

今でも

私の仕事は変わっていません。


配送の仕事は

やらなくなりましたが、
やっている事はほとんど同じす。


すなわち、買う理由を作り出すこと。

私は、

私の欲しいものを買う。


私にとって、

必要なものを買う。


当たり前の話ですよね。

でも

実は多くの人は、
私には

何が必要なのか・・・

 

私は、

何が欲しいのか・・・を、
知らないものなのです。

 

新しい常識が醸成されていきます。

 

色々な人の思惑や、感じ方などなど・・・etc

 

まだまだ、妄想の時間は続くようです。

 

 

固め打ち・・・(*^^*) 天気がイイと気分も上がる(^^)/

 

さて・・・

 

相手の立場になって、

考えろと言われても、
実践できる人は、

なかなかいません。


本質が

ズレてしまっているからです。

相手の立場で考えるとは、
相手の気持ちを理解することではありません。


確かに

それも大事です。


でも、

それだけは単なる共感。

分かってあげることは出来ても、
解決してあげることは出来ません。


解決するために必要なこと。


それは

相手の続きから考えることです。

何を、

どういう順序で、

どこまで考えているのか。


それを理解し、

その先から、

その続きを、
その人の代わりに、考える。


それが、

相手の立場で考えるということ。

 

そんな風に思っています。

 

 

 

 

先週末からイイお天気が続いていますね。気分がイイ。

この勢いで、新たな時代の新たな生業を構築していきたいですね(^^)/

 

さて・・・

 

人の細胞は

7年で入れ替わると言われています。


つまり

7年ごとに新品の肉体が手に入るということ。


なんと素晴らしいことでしょう。

でも

実際には肉体は劣化していきます。


コピーする度に少しずつ、少しずつ劣化していくのです。


私は

もう何度もコピーを重ねています。


だから・・・細部がズレてきて、全体の輪郭もぼやけています。苦笑(;^ω^)

今の私は

本当の私の何%を再現しているのでしょうか。


何%までなら、

本当の私であると言えるのでしょうか。


その数値を超えてしまったら、

私は何になるのでしょうか。


私の本体は・・・

私の本質は・・・どれなのでしょう。

 

さてさて・・・

私は

まだ死んだ事がありません。


でも

会社を潰しそうになったことは、3回はあります。

 

また、親会社がつぶれていく様を間近に見もしました。


すなわち

会社が死ぬ瞬間を、
そして、

その過程を、見てきたという事。

たぶん

人間も同じだと思うのですが、
会社って、突然死んだりしないのです。


ゆっくり、じわじわと、死んでいく。


そういうものなのです。

もちろん

人間と同じで、
死ぬ瞬間は一瞬です。


人間であれば、脳が停止する時。


会社であれば、登記が抹消される時。

完全なる100%の死。


それは一瞬の出来事です。


死んだ事はありませんが、
たぶん人生も同じだと思います。

その瞬間、つまり死ぬ瞬間は、
別に苦しくも何ともない。


辛いのは、そこに行き着く過程。


即ち、じっくり死んでいくプロセスです。

死は、突然やってこない。


人も会社も、少しずつ死んでいく。


それは、

私が経験則から得た答え。

私も、皆さんも、
私の会社も、皆さんの会社も、
実は少しずつ死んでいるのです。

人間としての

死を感じ始めたのは、
48歳の時です。


50歳になって、

それは確信へと変わりました。


現在58歳になった私は、
10%くらい死んでいる実感があります。

体の一部が無くなったとか、
内臓や手足が動かなくなったとか、
そういう訳ではありません。

傷が綺麗に治らなくなったり、
理由もなく、

どこかが痛くなったり、
どんなに寝ても時間が経っても、
小さな事が忘れられなくなったり、
完全なる記憶喪失が部分的に発生したり。

気にし過ぎだという人もいます。


でも、それは違います。


私たちは確実に、

日々少しずつ、
死んで行っているのです。


多くの人は、ただ鈍感なだけ。


あるいは

見ないようにしているだけ。

私は

会社が死んでいくプロセスに、
きちんと目を向けていませんでした。


元気元気!と目を逸らしてしまった。


だから

今回は目を逸らしたくないのです。

私は、

ちゃんと生きたいのです。


だから、

死につつある自分を自覚していたい。


人も会社も、

命を使わずに生きることなど出来ないのです。

 

だから・・・

 

自分も、会社も、しっかりと抗って、もがいて生きたいのです。

 



 

週末から久々にイイお天気が続いています。ヤッパリ、好天は気分がイイ(*^^*)

愚痴れば良い気が逃げていきます。テンション上げて張り切って参りましょう(^^)/

 

さて・・・

 

犬にぶつかられたら、

犬ではなく、その飼い主に腹を立てる。


それが人間なのです。


だから

AIに仕事を奪われることを、
本当は、誰も恐れてはいないのです。

AIではなく、

AIの持ち主が仕事を奪って行く。


AIの持ち主だけが、豊かになって行く。


その事実が、許せないのです。

もしも、

AIがインターネットのように誰の所有物でもなくなったら。


仕事を奪うのが、

AIの所有者ではなくAIそのものだったら。

人間は、

驚くほどすんなりAIを受け入れるでしょう。


そして、

驚くほどあっさり自分の仕事を明け渡すでしょう。


人は、

人との勝負にしか興味がないのです。


力仕事が、

人間から機械に移り・・・


頭脳労働も、

コンピュータに移り・・・


お金儲けさえもが、AIに移る。


この先人間は、

何をやればいいのでしょう。

働く目的は、

人によって違いますが、
共通しているのは「お金を稼ぐ」という部分。


この部分がなくなってしまったら、
私たちは一体何のために働くのでしょうか。

やり甲斐とか・・・


生き甲斐とか・・・


人の役に立つ喜びとか・・・


自分自身の楽しさとか。

お金以外にも、
もちろん働く理由はたくさんあります。


でも、

お金を稼ぐという目的がゼロなんて、
そんな仕事は、イメージが湧きません。

それは、

もはや仕事と呼べないかもしれない。


じゃあ、

それは一体何なのでしょうか。


私には、

さっぱり分かりません。


きっと、

誰にも分からないでしょう。

お金という概念を持たない人に、
お金とは、

どういうものかを説明する。


時間という概念を持たない人に、
時間とは、

どういうものかを説明する。

そういう難しさが、
そこには、

あるのではないでしょうか。

私たちには、

とても理解しにくいこと。


でも、

分かる人にとっては、簡単なこと。


ごく当たり前なこと。


お金以外のために働くということ。

稼がなくても、食べていける。


稼がなくても、住むところがある。


稼がなくても、生活できる。


それは、

もうとっくに、
実現可能なのかもしれません。

実現可能だけど、実現していない。


それは、

私たちが恐れているから。


働かなくても生きていける社会を、
お金がなくても生きていける社会を、
私たちが、

とても怖がっているから。

お金がないと生きていけない。


だから、

お金のために働く。


それが、

この社会を動かす根幹のルール。

人を集め、

人を動かし、
文明と現代社会を築き上げてきたもの。


それは、

紛れもなくお金だったのです。

権力が人を動かす時代から、
お金が人を動かす時代に変わり、
次は、

一体何が私たちを動かすのか。


AIによる明確な指示でしょうか。


それとも、

私たちの心の声でしょうか。


答えは、

もうそこまで来ています。

より良い明日は、来るのでしょうか…(;^ω^)


 

今日は思ったほど降りませんでしたね・・・明日からは少し晴れが続くようです。

日に日に秋めいて来ました。人恋しく、美味しいものが食べたくなります。

 

さて・・・

 

1日8時間、

月20日働いて、

月給32万円を稼ぐ人。


この人の日給は

1万6千円、

時給は2千円です。


では

1日働けば、1万6千円稼げるのか。


1時間働けば、2千円稼げるのか。

恐らく出来ないでしょう。


毎日、毎時間、
常にそれだけのパフォーマンスを
発揮出来るわけではないから。

でも

月に32万円くらいの価値はある。


月給とは、

そういうものなのです。


反対に

月32万円払う気はないけど、
1時間だったら3万円、

1分だったら5千円払ってもいい、
という人もいます。

例えば、

1時間だけ相談したい相手。


握手したい相手、

一緒に写真を撮りたい相手。


人の価値には、

それに最も適した時間の切り分けが必要なのです。

さてさて・・・


私は平日の時間を、
三つに切り分けています。

ひとつ目は、午前中。


ここは

「処理」の時間です。


メールやFB、LINE、LINEワークス・・・

などなど・・・相手に投げておきたい事もAMに処理しておきます。

二つ目の午後からは、
1.情報収集(インプット)
2.自分なりの答え探し(クリエイティブ)
3.自分の答えを配信(アウトプット)
を繰り返すことで、

スキルアップとマーケット開拓をやっているのです。


また、往訪・来訪はこの時間に組み込みます。


面談の目的は、
相手の利益に貢献すること。


その方法をひたすら考えること。


ここでの

アイデア力を高めるために、
普段から訓練しているわけです。

三つめは午後17~20時。


ここは「人と会う」時間です。


大人数は苦手なので、

大抵、誰か2~3人で食事をします。


そして

食事をしながら、相談や気づきのキャッチ。

その目的は、
1.美味しいものを食べること
2.自分に興味を持ってくれている人に会うこと
3.会いに来た人と相談や触発する事です。

つまり、

1日の中で
お金を稼ぐのは13~17時だけ。


13~15、15~17の120分×2コマ。
この120分を使って、
私はいろんな商品を仕込んだり検討、販売しています。

どんどん、
新商品を開発していく予定です。

2時間に切り分けている理由は、
私にとって最も使いやすい時間だから。


1時間ではセカセカし過ぎるから。


3時間ではダラダラし過ぎるから。

何時間単位が、最も良い仕事ができるか。


最も売りやすいか。

 

最も買いやすいか。


これを考えることが、とても重要なのです。

 

って言いながら、夕方以降が薄い、今日この頃。

 

もっと張り切ってかないとね~(;^ω^)

 

 

今日は運転に関して・・・

 

運転を生業とする職業は、

トラックドライバー、

バスのドライバー、

タクシーのドライバー、

そして・・・

レーサー。

 

今日は

プロドライバーの中でも極めつけの

レーサーについて・・・

 

レーサーは運転に関して

並外れた知識と経験を持っています。

 

しかも、

常にレースをはじめとする

ハイスピードで

ダイナミックな、

言い換えれば、危険な世界で生きています。

 

したがって、

安全のためには

何が大切で、

何が大切でないかを熟知しています。

 

最も重要な事は、

悲惨な結果が待ち受けている高速時の事故や

突発的な事故をどう回避するかです。

 

縦列駐車や車庫入れなども

けっして疎かには出来ませんが、

やはり

それよりも直接命にかかわるような

重大事故をどう防ぐかの方が

遥かに重要なのは言うまでもありません。

 

その為には・・・

 

車の動きを支配する「ダイナミズム」、

すなわち、

「力と作用の関係」を

しっかりと頭の中に入れておく必要があります。

 

「走る、曲がる、止まる」

 

車の動きはすべて、

この3つの物理的要素に集約されます。

 

そして、

同時に・・・

 

車に「乗せられる」のではなく、

車を自分の意志と判断で操る「楽しさ」や「悦び」へと繋がるのです。

 

続く( ^ω^)・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長梅雨~猛暑から秋をすっ飛ばして冬の気配…(;^ω^)

困ったもんですね・・・コロナ禍により先行きは不透明。

ココは冷静に起死回生の策をしっかりと創らねば・・・

 

さて・・・

 

ああ

私はなんて愚かなんだ、と嘆きたくなる。


人生にはそういう時があります。


愚かな自分が嫌になる。


でも

それは正常な証でもあるのです。

人間とは

多かれ少なかれ愚かな生き物だから。


私は

愚かさを自覚できる私でありたい。


愚かさすら自覚できないほど、

愚かにはなりたくない。

自覚できるからこそ
人は

愚かさをコントロールすることが出来るのです。

愚かな自分を認め、

時にはその愚かな自分を許す。


愚かすぎる自分を決して許さず、

きちんと律して生きて行く。


いかに

自分の愚かさと付き合うか。

 

これは人間の宿命なのです。

賢いということと、
愚かだということ。


それはコインの表裏。


だから片方だけを、
手に入れることは出来ないのです。

人間は賢い生き物です。


でも

愚かな生き物でもあります。


動物は

決して賢くはありません。


でも愚かでもありません。

なぜ

動物は賢くないのか。


それは、

自分の頭で考えて
行動していないから。


ただ本能に従っているだけだから。

なぜ

動物は愚かではないのか。


それは、

自分の頭で考えて、
行動していないから。


ただ本能に従っているだけだから。

つまりは

賢さも、愚かさも、
自分で考えることの副産物なのです。

我思う故に我あり。


人間は考える葦である。


賢人たちも言っているように、
人間とは

考える生き物なのです。

自分の頭で考え、
自分の価値観で正悪を判断し、
自分たちのルールに従って生きる。


それが人間。


それが動物との決定的な違い。

自分で考え、

自分で判断し、
自分で決める。


だから人間は賢く、
そして

愚かでもあるのです。

食べ過ぎて苦しむ人がいるのに、
食べられずに苦しむ人がいる。


機械に仕事を奪われることを恐れ、
お金に振り回される人生を送る。

人間以外の生き物から見たら、
とても

無意味で、

無駄で、
不思議で、

理解不能な生き物。


それが人間。

つまり

人間というのは、
損得をしっかり考えているようで、
どう考えても損なことをしている。


正悪をきちんと判断しているようで、
どう考えても悪いことをやらかす。

人間らしく生きるとは、
どういう生き方なのでしょうか。

家族のために会社に行き、
家を買うために人生を捧げ、
辛いことにも耐え続ける。


それが

人間らしさだとしたら、
人間って一体何なのでしょう。



 

社員の皆が言ってきます。ブログの中身、たまには車について書いてください。・・・って(;^ω^)

好き勝手書いていいって、言ったじゃない。

 

・・・しょうがないから、書きましょう(^^)/

 

・・・さてさて・・・

 

車の運転・・・自信のある人、無い人。

 

安心してください。

 

プラウドに面接来てくれた人の大半が、上手ではありません。

 

そもそも上手か否かって、大した問題ではありません。

 

事故を誘因する要素は、

・技術

・メンタル

・コンデション

 

大きく分けて3つです。

 

技術は、練習すればいい。

 

メンタルは、平常心やルールの順守。

 

コンデションは、体調の良し悪し。

 

・・・だから

 

運転を生業とした会社の管理職の方は、

ほとんど事故も違反も起こしません。

 

「私は事故を起こさない!」という、気持ちが一番大事なんですね。

 

・・・さて

 

運転は、免許証が必要です。

 

あとは、何が必要でしょう?

 

それが、

「経験」なんだと思います。

 

認知・判断・行動に関わる、重要ファクター・・・

 

認知する情報の種類気づき・・・

 

判断するスピード、多様性・・・

 

行動するスムーズさなどなど・・・

 

このあたりの理解がこなれてくると、

運転が格段に安全になったり、楽しくなったり・・・

 

走る

 

曲がる

 

止まる

 

もっと楽しい車の運転を・・・(^^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

涼しくなりましたね・・・近年は春と秋がとても短く感じられます。

日本の四季折々の良さを感じたい、今日この頃です。

 

さて・・・

 

算数や国語を教えることはとても大事。


足し算や引き算が出来るようになって・・・


読み書きも出来るようになって・・・


子供達の世界は、ぐっと広がります。

でも、

間違えちゃいけないのは目的です。


足し算が出来ることも、

文字が読めることも、
手段であって、目的ではない。


目的は、

あくまでも、
子供たちの世界を、

そして彼らの未来と可能性を、
ぐっと広げてあげること。

とてつもなく、

小さな可能性を信じさせてあげること。


役に立たない人間など、

一人もいないと教えてあげること。


答えは、

人間の数だけあると理解させてあげること。


それこそが、

学校の役割ではないでしょうか。

 

そして・・・

お金を稼ぐことは、とても大事。


それを

否定する気はありません。


お金がないと、

家賃も払えないし、
ガス代や電気代だって、
現金がないと支払えないですからね。

・・・とは言え、です。


お金を稼ぐことは、人生の目的ではない。


これもまた、確かなことです。


お金を稼ぐことは・・・


人生を

快適にするための手段である。


人生を

豊かにするための手段である。

つまり、
生きること>お金を稼ぐこと
という図式なわけです。

でも、

ここで出て来るのが
お金を稼がなければ生きていけない、
という理屈。

すなわち、
生きること=お金を稼ぐこと
という図式に変えられてしまう。

人は、

パンのみに生きるにあらず、
などと言われても、
多くの人にとって生きることとは、
食べていくこと。


すなわち、死なないことなのです。

死なないために生きる。


なんだか、

正しそうにも聞こえます。


でも、よ~く考えてみると、
やっぱりなんか変ですよね。

電池に例えるなら、こうなります。


電気がなくなると、電池は死んでしまう。


生きること=死なないこと
とするならば、
生きる=電気を使わないこと。

死なないために、
電気は一切使わない。


それは、

電池として、
生きていると言えるのでしょうか。

生きるとは、命を使うこと。


つまり、

生きることとは、
少しずつ死んでいくことに、
他ならないのです。

では、

何のために生きるのか。


ここが、

一番大事ですよね。

稼ぎがないと生きていけない。


でも、

稼ぐために生きているのではない。

だからこそ、
稼ぐこと以外を目的にした学習や・・・


稼ぐこと以外を目的にした仕事や・・・


稼ぐこと以外を目的にした努力や・・・


稼ぐこと以外を目的にした役割が・・・


人生には、

必要なのだと思うのです。

 

 

 

 

今年は台風が少ないですね・・・前半少なかったので、

後半は行列で来るかと心配しましたが(;^ω^)

秋台風は首都圏めがけて来るものが多いので、油断できませんが、

今日のようなブルースカイが多くなることを期待します。

 

さて・・・

 

客観的に見れば、

私は70億いる人間のひとりに過ぎません。


日々すれ違う人も、
テレビに出てくる人も、会ったことのない人も、
等しく全人類のひとりに過ぎない。

でも

主観的に見れば、同じだとは思えません。


私から見れば、

私だけが特別な人間であって、
私と関わっている人だけが、

準特別な人間であって、
それ以外は

エキストラに過ぎない。

別に不遜なわけではなく、
それが

普通の感覚じゃないでしょうか。


客観視することはとても大事。


でも

自分視することは、もっと大事。

私は私に興味を持ち、

私を大切にし、私を生きればいい。


私の人生に参加できるのは、
私が関係者だと認めた人物だけなのです。


いつの頃からでしょうか。


もしかしたら、
ずっとそうだったのでしょうか。


私は

他人に、ほとんど興味がないのです。

もちろん羨ましいとか、
そういう感情はあります。


自家用ジェットが羨ましいとか、
異性にモテて羨ましいとか、
運動神経が良くて羨ましいとか。

いいなあ、と思います。


でも

妬みとか嫉みとかは無いんですよね。


悔しがったり、腹を立てたり、
その人の悪口を言いたくなったり。


そういうことは無い。

決して、

私がいい人だからではありません。


性格や人格が優れているからではない。


そもそも私は、

人の悪口が大好きなのです。


本人に直接悪口を言って、
怒らせることも多々あります。

ただ、

私が悪口を言う相手は、
親しい人たちに限られます。


自分なりのコミュニケーション。


だから、

親しくない人の悪口は言いません。


だって・・・その人に興味がないから。

いいなあ、とか。


自分も欲しいなあ、とか。


羨ましい状態の人はいます。


でも

その人になりたいとは思わない。


だって

他人の人生には興味がないですから。

だから困るんですよね。


結婚式とか、お葬式とか。


その人が幸せなのは、分かります。


悲しんでいるのも、分かります。


でも、私は

ほとんど何とも思わない。

すごーく、嫌なんですよ。


幸せを共感しているフリとか、
同じように悲しんでいるフリとか。


だから、行きたくないんです。

他人には、興味がない。


これは

事実なのだから仕方がない。


でも人間には、

驚くほど興味があります。


もう、

好奇心が抑えられないくらい。


だから、

待ち合わせ時など・・・

 

人間観察で十分時間を潰せます。

なぜ人は、満員電車で通い続けるのか。


なぜ人は、みんなで一斉に休むのか。


なぜ人は、会社の利益など追求するのか。


なぜ人は、嫌なことを我慢し続けるのか。


なぜ人は、当たり前を疑わないのか。

人間は非常に興味深い生き物です。


確かに犬や猫は可愛いし、
昆虫や爬虫類はカッコいい。


でも・・・面白さは人間の比ではない。


なぜこんな面白いものに、
皆さん無関心でいられるのでしょう。

 

やっぱり、私は変わり者なんでしょうか?

(;^ω^)