今日は運転に関して・・・

 

運転を生業とする職業は、

トラックドライバー、

バスのドライバー、

タクシーのドライバー、

そして・・・

レーサー。

 

今日は

プロドライバーの中でも極めつけの

レーサーについて・・・

 

レーサーは運転に関して

並外れた知識と経験を持っています。

 

しかも、

常にレースをはじめとする

ハイスピードで

ダイナミックな、

言い換えれば、危険な世界で生きています。

 

したがって、

安全のためには

何が大切で、

何が大切でないかを熟知しています。

 

最も重要な事は、

悲惨な結果が待ち受けている高速時の事故や

突発的な事故をどう回避するかです。

 

縦列駐車や車庫入れなども

けっして疎かには出来ませんが、

やはり

それよりも直接命にかかわるような

重大事故をどう防ぐかの方が

遥かに重要なのは言うまでもありません。

 

その為には・・・

 

車の動きを支配する「ダイナミズム」、

すなわち、

「力と作用の関係」を

しっかりと頭の中に入れておく必要があります。

 

「走る、曲がる、止まる」

 

車の動きはすべて、

この3つの物理的要素に集約されます。

 

そして、

同時に・・・

 

車に「乗せられる」のではなく、

車を自分の意志と判断で操る「楽しさ」や「悦び」へと繋がるのです。

 

続く( ^ω^)・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長梅雨~猛暑から秋をすっ飛ばして冬の気配…(;^ω^)

困ったもんですね・・・コロナ禍により先行きは不透明。

ココは冷静に起死回生の策をしっかりと創らねば・・・

 

さて・・・

 

ああ

私はなんて愚かなんだ、と嘆きたくなる。


人生にはそういう時があります。


愚かな自分が嫌になる。


でも

それは正常な証でもあるのです。

人間とは

多かれ少なかれ愚かな生き物だから。


私は

愚かさを自覚できる私でありたい。


愚かさすら自覚できないほど、

愚かにはなりたくない。

自覚できるからこそ
人は

愚かさをコントロールすることが出来るのです。

愚かな自分を認め、

時にはその愚かな自分を許す。


愚かすぎる自分を決して許さず、

きちんと律して生きて行く。


いかに

自分の愚かさと付き合うか。

 

これは人間の宿命なのです。

賢いということと、
愚かだということ。


それはコインの表裏。


だから片方だけを、
手に入れることは出来ないのです。

人間は賢い生き物です。


でも

愚かな生き物でもあります。


動物は

決して賢くはありません。


でも愚かでもありません。

なぜ

動物は賢くないのか。


それは、

自分の頭で考えて
行動していないから。


ただ本能に従っているだけだから。

なぜ

動物は愚かではないのか。


それは、

自分の頭で考えて、
行動していないから。


ただ本能に従っているだけだから。

つまりは

賢さも、愚かさも、
自分で考えることの副産物なのです。

我思う故に我あり。


人間は考える葦である。


賢人たちも言っているように、
人間とは

考える生き物なのです。

自分の頭で考え、
自分の価値観で正悪を判断し、
自分たちのルールに従って生きる。


それが人間。


それが動物との決定的な違い。

自分で考え、

自分で判断し、
自分で決める。


だから人間は賢く、
そして

愚かでもあるのです。

食べ過ぎて苦しむ人がいるのに、
食べられずに苦しむ人がいる。


機械に仕事を奪われることを恐れ、
お金に振り回される人生を送る。

人間以外の生き物から見たら、
とても

無意味で、

無駄で、
不思議で、

理解不能な生き物。


それが人間。

つまり

人間というのは、
損得をしっかり考えているようで、
どう考えても損なことをしている。


正悪をきちんと判断しているようで、
どう考えても悪いことをやらかす。

人間らしく生きるとは、
どういう生き方なのでしょうか。

家族のために会社に行き、
家を買うために人生を捧げ、
辛いことにも耐え続ける。


それが

人間らしさだとしたら、
人間って一体何なのでしょう。



 

社員の皆が言ってきます。ブログの中身、たまには車について書いてください。・・・って(;^ω^)

好き勝手書いていいって、言ったじゃない。

 

・・・しょうがないから、書きましょう(^^)/

 

・・・さてさて・・・

 

車の運転・・・自信のある人、無い人。

 

安心してください。

 

プラウドに面接来てくれた人の大半が、上手ではありません。

 

そもそも上手か否かって、大した問題ではありません。

 

事故を誘因する要素は、

・技術

・メンタル

・コンデション

 

大きく分けて3つです。

 

技術は、練習すればいい。

 

メンタルは、平常心やルールの順守。

 

コンデションは、体調の良し悪し。

 

・・・だから

 

運転を生業とした会社の管理職の方は、

ほとんど事故も違反も起こしません。

 

「私は事故を起こさない!」という、気持ちが一番大事なんですね。

 

・・・さて

 

運転は、免許証が必要です。

 

あとは、何が必要でしょう?

 

それが、

「経験」なんだと思います。

 

認知・判断・行動に関わる、重要ファクター・・・

 

認知する情報の種類気づき・・・

 

判断するスピード、多様性・・・

 

行動するスムーズさなどなど・・・

 

このあたりの理解がこなれてくると、

運転が格段に安全になったり、楽しくなったり・・・

 

走る

 

曲がる

 

止まる

 

もっと楽しい車の運転を・・・(^^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

涼しくなりましたね・・・近年は春と秋がとても短く感じられます。

日本の四季折々の良さを感じたい、今日この頃です。

 

さて・・・

 

算数や国語を教えることはとても大事。


足し算や引き算が出来るようになって・・・


読み書きも出来るようになって・・・


子供達の世界は、ぐっと広がります。

でも、

間違えちゃいけないのは目的です。


足し算が出来ることも、

文字が読めることも、
手段であって、目的ではない。


目的は、

あくまでも、
子供たちの世界を、

そして彼らの未来と可能性を、
ぐっと広げてあげること。

とてつもなく、

小さな可能性を信じさせてあげること。


役に立たない人間など、

一人もいないと教えてあげること。


答えは、

人間の数だけあると理解させてあげること。


それこそが、

学校の役割ではないでしょうか。

 

そして・・・

お金を稼ぐことは、とても大事。


それを

否定する気はありません。


お金がないと、

家賃も払えないし、
ガス代や電気代だって、
現金がないと支払えないですからね。

・・・とは言え、です。


お金を稼ぐことは、人生の目的ではない。


これもまた、確かなことです。


お金を稼ぐことは・・・


人生を

快適にするための手段である。


人生を

豊かにするための手段である。

つまり、
生きること>お金を稼ぐこと
という図式なわけです。

でも、

ここで出て来るのが
お金を稼がなければ生きていけない、
という理屈。

すなわち、
生きること=お金を稼ぐこと
という図式に変えられてしまう。

人は、

パンのみに生きるにあらず、
などと言われても、
多くの人にとって生きることとは、
食べていくこと。


すなわち、死なないことなのです。

死なないために生きる。


なんだか、

正しそうにも聞こえます。


でも、よ~く考えてみると、
やっぱりなんか変ですよね。

電池に例えるなら、こうなります。


電気がなくなると、電池は死んでしまう。


生きること=死なないこと
とするならば、
生きる=電気を使わないこと。

死なないために、
電気は一切使わない。


それは、

電池として、
生きていると言えるのでしょうか。

生きるとは、命を使うこと。


つまり、

生きることとは、
少しずつ死んでいくことに、
他ならないのです。

では、

何のために生きるのか。


ここが、

一番大事ですよね。

稼ぎがないと生きていけない。


でも、

稼ぐために生きているのではない。

だからこそ、
稼ぐこと以外を目的にした学習や・・・


稼ぐこと以外を目的にした仕事や・・・


稼ぐこと以外を目的にした努力や・・・


稼ぐこと以外を目的にした役割が・・・


人生には、

必要なのだと思うのです。

 

 

 

 

今年は台風が少ないですね・・・前半少なかったので、

後半は行列で来るかと心配しましたが(;^ω^)

秋台風は首都圏めがけて来るものが多いので、油断できませんが、

今日のようなブルースカイが多くなることを期待します。

 

さて・・・

 

客観的に見れば、

私は70億いる人間のひとりに過ぎません。


日々すれ違う人も、
テレビに出てくる人も、会ったことのない人も、
等しく全人類のひとりに過ぎない。

でも

主観的に見れば、同じだとは思えません。


私から見れば、

私だけが特別な人間であって、
私と関わっている人だけが、

準特別な人間であって、
それ以外は

エキストラに過ぎない。

別に不遜なわけではなく、
それが

普通の感覚じゃないでしょうか。


客観視することはとても大事。


でも

自分視することは、もっと大事。

私は私に興味を持ち、

私を大切にし、私を生きればいい。


私の人生に参加できるのは、
私が関係者だと認めた人物だけなのです。


いつの頃からでしょうか。


もしかしたら、
ずっとそうだったのでしょうか。


私は

他人に、ほとんど興味がないのです。

もちろん羨ましいとか、
そういう感情はあります。


自家用ジェットが羨ましいとか、
異性にモテて羨ましいとか、
運動神経が良くて羨ましいとか。

いいなあ、と思います。


でも

妬みとか嫉みとかは無いんですよね。


悔しがったり、腹を立てたり、
その人の悪口を言いたくなったり。


そういうことは無い。

決して、

私がいい人だからではありません。


性格や人格が優れているからではない。


そもそも私は、

人の悪口が大好きなのです。


本人に直接悪口を言って、
怒らせることも多々あります。

ただ、

私が悪口を言う相手は、
親しい人たちに限られます。


自分なりのコミュニケーション。


だから、

親しくない人の悪口は言いません。


だって・・・その人に興味がないから。

いいなあ、とか。


自分も欲しいなあ、とか。


羨ましい状態の人はいます。


でも

その人になりたいとは思わない。


だって

他人の人生には興味がないですから。

だから困るんですよね。


結婚式とか、お葬式とか。


その人が幸せなのは、分かります。


悲しんでいるのも、分かります。


でも、私は

ほとんど何とも思わない。

すごーく、嫌なんですよ。


幸せを共感しているフリとか、
同じように悲しんでいるフリとか。


だから、行きたくないんです。

他人には、興味がない。


これは

事実なのだから仕方がない。


でも人間には、

驚くほど興味があります。


もう、

好奇心が抑えられないくらい。


だから、

待ち合わせ時など・・・

 

人間観察で十分時間を潰せます。

なぜ人は、満員電車で通い続けるのか。


なぜ人は、みんなで一斉に休むのか。


なぜ人は、会社の利益など追求するのか。


なぜ人は、嫌なことを我慢し続けるのか。


なぜ人は、当たり前を疑わないのか。

人間は非常に興味深い生き物です。


確かに犬や猫は可愛いし、
昆虫や爬虫類はカッコいい。


でも・・・面白さは人間の比ではない。


なぜこんな面白いものに、
皆さん無関心でいられるのでしょう。

 

やっぱり、私は変わり者なんでしょうか?

(;^ω^)

 

 



 

秋ですね( ^ω^)・・・朝晩は大分涼しくなりました。

世の中は、温度差と不透明感と無常感が闊歩していますが・・・

希望を見出し、日々全力で邁進するしかありませんね…(;^ω^)

 

さて・・・

 

人間の数だけ職業はあるよ、とか。


人間の数だけマーケットはつくれるよ、とか。


私はそういう発想が好きです。


でも極論だよね、と思う人の方が多いです。

確かに、みんなバラバラだと、
かなり効率は悪いです。


だから

ある程度のグループ分けは仕方がないと思います。


でも

人間の数だけ必要だという気持ちも忘れないで欲しいです。

名前だって、お箸だって、
歯ブラシだって、人間の数だけある。


好きになる相手も、好きになる趣味も、
好きになる仕事も、人間の数だけあっていい。


それが豊かさというものだと、私は思うんですけど・・・

さてさて・・・


ブルー・オーシャンとレッド・オーシャン。


どちらを選ぶと聞かれたら、
普通はブルー・オーシャンを選ぶ。


そう思いますよね。

でも現実は、

そうではないのです。


圧倒的に多くの人が、
レッド・オーシャンで戦っているのです。


しかも、自分自身の意志で。


あえて

厳しい市場を選んでいる。

一体何故なのでしょう。


ブルー・オーシャン戦略は難しい。


特別な才能や、スキルが必要。


運不運の要素も大きい。


それが理由なのでしょうか。


レッド・オーシャンは厳しい。


だけど

手堅い堅実なマーケット。


それが

レッド・オーシャンを
選ぶ理由なのでしょうか・・・

ギャンブルか堅実か。


そう聞かれたら、
確かに堅実な方を選びますよね。


我々日本人は特にそうです。


でも

本当に堅実なのでしょうか。

多くの人がレッド・オーシャンを選ぶ理由。


それは

堅実だからではありません。


堅実だと思い込んでいるだけなのです。

競争は激しいけど、
おそらく堅実な生き方なのだろう。


一見楽そうに見えるけど、
きっとギャンブルみたいな生き方なのだろう。


そう思い込んでいる。

つまりは、

考えていないのです。


何をもって堅実なのか。


何をもってギャンブルなのか。


その根本的な部分を思考していない。

思考しないで決めている。


信じられないかもしれませんが、
これが事実なのです。

何のために勉強するのか。


何のために学校に行くのか。


何のために働くのか。


何のために就職するのか。

こういう根本的なことに、
疑問を抱いてはいけない。


それは無意味な疑問だから。


遠回りになるだけだから。


そう刷り込まれてしまっている。

調べれば何でも分かる時代に、
年表を暗記し続ける意味。


楽しく働けるチャンスがある時代に、
レッド・オーシャンで戦い続ける意味。


ちゃんと考えなくちゃいけないです。

 

まあ、ブルーオーシャンを構築するのも、

勿論、簡単ではありませんが…(;^ω^)

 



 

暑さ寒さも彼岸まで・・・と言いますが、ここ数日の断続的な雨、強烈な日差しはキビシ~(;^ω^)

徐々に業務の引き合いも頂いていますので、参っている場合じゃないですね。

来週からは、少し涼しくなるようなので・・・頑張りまっしょい(*^^*)

 

さて・・・

 

やりたい事、やれる事、やるべき事。


この三つのバランスが大事、などと言われています。


でも

私はやるべき事というのが大嫌い。


「べき」と言われた瞬間に、やる気を失くしてしまいます。

好奇心は旺盛でしたけど、
勉強するべきだと言われて、勉強する気を失くしました。


働くことは好きですが、
働くべきだと言われたら、きっと働く気を失くすでしょう。

もしも・・・この世から「べき」をなくしたら、
人はもっと自由に、もっと楽しんで、色々やるんじゃないでしょうか。


学校に行くべきとか、

投票に行くべきとか、子

供をつくるべきとか。


「べき」なんて言うから、

みんなやる気を失くしちゃうんですよ。


好きなことを、
得意なことにする。


得意なことを、
好きなことにする。

似ているけれども、全く違う。


それは、正反対のアプローチ。

好きなことを得意にするためには、努力か創造が必要です。


激しい競争に勝つ努力か、新たなマーケットを生み出す創造。

得意なことを好きになるためには、根性か工夫が必要です。


嫌なことでも受け入れる根性か、
得意なことを好きになるための工夫。

私は競争が嫌いで、根性もないので・・・


もっぱら創造と工夫で、乗り切りたいと、もがいています。

好きなことを利用して、新しい商品や、サービス、マーケットを創り出す。

得意なことを深掘りして、なぜ嫌いなのかを考える。


嫌いなことを除外して、

なおかつ、

得意なことを生かせるように工夫する。

潜在マーケットを掘り起こすとか・・・


まだ無いものを創り出すとか・・・


嫌いなものが好きになる方法を考えるとか。


かなり、

邪道に見えますよね。

そんなやり方は遠回り。


しんどいことから逃げているだけ。


目の前にある仕事を頑張ればいい。


そういう人の、何と多いことか・・・

人数が多いと、正しく聞こえてしまう。


人数が少ないと、間違っていると感じてしまう。


それが、

この社会の恐ろしいところ。

逃げない、辞めない、勝手に変えない。


努力、根性、忍耐。


それが勤勉な社会人の姿。


そりゃあ、おかしくもなりますよ。

仕事なんて無限にある。


簡単に創り出せる。


競争する必要などない。


我慢なんて、体に悪いだけ。

この事実を、きちんと教えるべきです。


出来るだけ、小さい時に。


まだ何者にも、染まらないうちに。


それこそが、大人の役目だと、私は心底思うんですけど。

 

・・・などと言いながら、「人間辛抱だ!」にも共感してしまう小さなオイラです(;^ω^)

 

先週末は、殺人的な暑さでしたね・・・

これで一雨来れば、秋の気配が濃くなってくるでしょう。

とはいえ、今しばらくは猛暑日を覚悟しなくては…(;^ω^)

 

さて・・・

 

人を雇って組織を作るか、
人に雇われて組織に属するか、
組織から離れてフリーになるか。


旧来、私たちに

示されて来たのは、この三択でした。

即ち、

リスクを背負うか、

人に雇われるか、
孤独になるか・・・という選択。


でもここに来て、

新たな選択肢が出来つつあります。

人を雇わずに組織を作る、
人に雇われないで組織に属する、
組織から離れずにフリーになる、
という選択肢。

 

これは、

もはや三択ではありません。

なぜならそ、

の境目がとても曖昧だから。


どこを選んでもリスクはあるし、責任もあるし、自由もある。


経営者と、

会社員と、

フリーランスの、ハイブリッド職種。


経営社員ランスとでも呼んでおきますか。

会社に所属するのはいいけど、
組織に組み込まれるのは嫌。


本当を言えば・・・

 

人を雇いたくないし、
人に雇われたくもない。

かなりワガママですが、
これが私の心情なのです。


バラバラだけど、
バラバラではない。


時には、個人として動き、
時には、得意なことを組み合わせ、
チームとして動く。

理想といえば理想の形。


でも、

これを実現するためには、
いくつかのハードルがあります。


まず、

一人一人が自立していること。


そして、

何らかの専門スキルを、
身に付けていること。

私の専門スキルは、
物流の新たな仕組みや価値を、生み出すことです。


今ある商品やサービスに変化を加え、
仕組みや価値から、新たなマーケットを生み出すのです。

マーケットが見つかると、
また新たなスキルが求められます。


新しいマーケットや商品に、
名前をつけるスキル。


その価値を

分かりやすく説明するスキル。

ここで求められるのが、
ネーミングやコンセプト設計という、
特殊な言語化のスキルです。


だから

その専門スキルを持つ人と、
チームを組むことになります。

ネーミングやコンセプトが完成すると、
更に新たなスキルが求められます。


次はマーケットを具現化するスキル。


例えば

見込み客を集めるためのメディア。


その立ち上げや、運営を担うスキル。

そこで、

また新たなスキルを持つ人と、
チームを組むことになります。


でも、

ここでは終わりません。


次は、

マーケットに投入する商品の開発。


その商品を販売するための組織作り。

開発スキルを持った人。


採用スキルを持った人。


育成スキルを持った人。


専門家が、

どんどん増えていきます。

個人が仕事を生み出し、
別の個人を巻き込み、
専門スキルの連鎖によって、
個人が法人の課題を解決していく。


ここに

CtoBという、
新たな仕事形態が誕生するのです。

まだまだ、これからこれから(^^)/
 

今朝は少し涼しかったような気がします。もちろん日中は酷暑(;^ω^)

少しづつ、秋は近づいてきます。2週間ごとに振り返ると、季節の移ろいを感じやすいようです。

 

さて・・・

 

鳩にフンを落とされて、
ラッキーだと思える人は居ません。


でも、

そこで立ち止まった結果、
トラックに轢かれなかったとしたら、どうでしょう。

その後の人生では、

鳩を拝み続けるかもしれません。


頭が悪いことも、走るのが遅いことも、
大企業に入れなかったことも、
ラッキーかもしれない。

頭が良いことも、走るのが早いことも、
大企業に入れたことも、
アンラッキーかもしれない。

何が、ラッキーな出来事なのか。


何が、アンラッキーな出来事なのか。


それは、

ずっと後になってみないと、分からないんですよね。


人間万事塞翁が馬( ^ω^)・・・

 

 

 

そう、ここ数年でしょうか。


私のことを、

ストイックな人間だと、
言ってくれる人が増えました。


正直、自分で笑ってしまいます。

怠け者、
怠惰な人間、
堕落しきっている、
努力のできない人、
落ちこぼれ。

子供の頃から、
本当の努力とは?・・・と、うろうろしていた私。


その私が、ストイックだなんて。


人生とは不思議なものです。

いや、実は不思議でも何でもない。


そう、これが普通なんですよ。

勉強して、いい学校を出て、先生になった。


そういう人たちから見れば、勉強することはストイック。


遊ぶことは、単なる堕落。

じゃあ、

野球ばっかり、やってる人は?


サッカーばかり、やっている人は?


ピアノやバイオリンばかり、やっている人は?


ストイック?

 

それとも堕落?

野球やサッカーにはプロがある。


ピアノやバイオリンにもプロがある。


でも、

テレビゲームにはプロがない。


単なる遊びには、先がない。

彼らは、

そう信じていたのです。


でも、違ったみたいです。


だって、今やゲームにもプロがいる。


同人誌やコスプレで遊んでいた人が、その遊びでお金を稼いでしまう。

勉強も、メジャースポーツも、
マイナースポーツも、将棋も、
ゲームも、鬼ごっこも、全部同じ。


分野は、

まったく関係がない。


どうやら、

それが真実だったみたいです。

脇目も振らず、やり続けること。


それを、

ストイックと言うのです。


勉強だろうが、

音楽だろうが、
遊びだろうが、どれでも同じ。

重要なのは、分野ではない。


真剣にやっているのか、
それとも、

適当にやっているのか。

 


違いは、それだけ。



こんな簡単なことが、
なぜ、今まで分からなかったのでしょう。


いや、今でも尚、
分かっていない人が、たくさんいます。

夢中になれるものに、時を費やす人生。


それ以上の成功など、あるのでしょうか・・・

 

 

浜松40℃オーバー…(;^ω^)凄いですね。まあ、あちこち凄い訳ですけど。

こう暑いとマスクも鬱陶しいし、ずっと来ていない台風も心配だし、

集中力も欠如しがちだし、一つ一つ、しっかりとやっつけていかないとね(^^)/

 

さて・・・

 

運が良い時と、運が悪い時。


それは、

確かにあると思います。


ちょうど、電車が来ることもあるし、
ちょうど、電車が行ってしまうこともある。


ちょうど、信号が青になる時もあるし、
ちょうど、信号が赤になる時もある。

では、

運が良い人と、運が悪い人はどうでしょう。


生涯、青信号のみとか、

生涯、赤信号のみとか、
そんな人、いる訳ないですよね。

つまり、世の中には、
運が良い人と、

運が悪い人がいるのではなく・・・


運が良いと思い込んでいる人と
運が悪いと思い込んでいる人がいるだけ。

 

きっと、そんなもんです。


幸運の持ち主とは・・・


我が人生は青信号が多い
と思い込んでいる人たちなのです。


社員を冷たく突き放す、とか。


社員ごと会社を売ってしまう、とか。


そんな、

酷いことが出来るか!・・・と、昔は思っていました。

でも、今は違います。


今だったら、平気で「辞めたら」と言えます。


今だったら、平気で会社を売ってしまえます。

(平気じゃないけど(;^ω^))


なぜなら、今の方が、ずっとニュートラルだから。

自分が面倒を見るべき、という錯覚。


自分が社長をやるべき、という錯覚。


全ては、

単なる思い込みなのです。


嫌ならやめればいいし、辞めさせればいい。


今は、心からそう思います。

結局、

私は、社員を大事にしているようで、
彼らを見下していたのかもしれません。


自分が一生、彼らの面倒を見るのだ・・・などというのは単なる思い上がり。


そんなことは、誰にも出来ないのです。

社長とは、

社長という立場で仕事をする、
単なる一人の労働者に過ぎません。


お金を出して、組織を作って、利潤を得る。


それもまた、

出資者の正当な仕事なのです。


そこには、善人も悪人もない。

私には、ずっと後ろめたさがありました。


社員から搾取しているのではないか・・・という後ろめたさ。


それは、

誰の為にもなりませんでした。

もし私が、

労働に特化したならば・・・


仕組みや権利収入ではなく、現場での労働収入だけで稼ぐならば・・・


そうやって妄想しながら、六年が過ぎました。

確かに労働収入は清々しい。


後ろめたさが全くない。


でも、

そういう生活をしているうちに、呪いが解けてきたのです。


私を縛っていた、経営者の呪い。

結局、私は歪んでいたのです。


どっぷり社長でいた時も、妄想の中でも。


今、ようやくニュートラルになって思うこと。


それは、

「どっちでもいいじゃん」ということ。

私はこれからも、
労働者として労働収入を稼ごうと動くと思います。


でも、経営者として、権利収入も稼ごうと決めました。


どちらかに決める必要などないのです。

会社に縛られない生き方。


それは、

会社を否定することではなく、
会社に依存することでもなく、
適当に会社とつき合うという生き方。


肩の力を抜いて、やるべき事をやって、堂々と金を稼げばいいのです。

 

鬱屈とした毎日が続きますが、こんな妄想を吐き出しながら、

新しい自分を創っていきたい、今日この頃です(^^)/