DVD放浪記 -345ページ目

トラックバック等についてのお詫び

こんなブログにもお立ち寄りいただいている皆さま、どうもありがとうございます。


また、この数日は、トラックバック等を多数頂きながら、きちんとしたご対応ができず、該当する皆さまにはたいへん申し訳ありませんでした。


実は、以前から、エッチ系、出会い系のトラックばかりで、ブログ開設以来すべて無視し、トラックバックを通知するメールも片っ端から削除していました。ところが、この土日に到着したメールの中に、一般の皆さまからのものが含まれていたことを発見いたしました。あわてて、トラックバックをOKする手順を調べているところです。というわけで、対応に時間がかかっておりますこと、なにとぞご容赦ください。


おそらく、いままでにトラックバック通知をいただきながら、私の不注意から無視してしまったケースがあるものと思われます。そうした皆さまにも、この場を借りて謹んでお詫び申し上げます。 m(_ _)m

漢字の読み方

都心に出かけたついでに、いつも立ち寄る量販店を覗いてみた。


新着タイトルをざっと見回してから、見逃しているタイトルがないか少し気になってストックに移る。久しぶりなので、タイトルのアイウエオ順に「ア」からずっと見ていこうとしてオヤと目がとまったのが以下のタイトル。


ワーナー・ホーム・ビデオ
尼僧物語

漢字の読み方では山ほど間違いを繰り返している身だから、人のことをどうこう言える立場にはないのだが、これって、本当に「あま」って読むんだろうか? なんか「甘そう」みたい…… (^^; あ、まー、エリック・アイドルとロビー・コルトレーンが笑わせてくれた「ナンズ・オン・ザ・ラン-走れ!尼さん-」(1990年)なら「あま」だろうが。

昭和33年の東京というユートピア

バップ
ALWAYS 三丁目の夕日 豪華版

「三丁目の夕日」に描かれたのは昭和33年の東京ということになっている。実は、私はその当時をほんの少しだけ覚えている。


さすがに、建設中の東京タワーを見ることはなかったが、完成後一度だけ展望台に連れて行ってもらったような気がする。たしか、「333メートルの東京タワーに上ったら……」という東京タワーの歌というものがあったはずだ。


車の往来の頻繁な大通りこそ舗装してあったものの、現在のようにいたるところアスファルトで覆い尽くされているようなことはなく、当時私が住んでいた地域では、まだまだ土と草のにおいを感じることができたものだ。それも新宿のど真ん中でだ。


我が家にも「氷冷式」冷蔵庫があったし、家の中の照明は、もちろん、蛍光灯ではなく笠つきの電球だった。テレビの受像機の前には布が下げられていて、電源投入と音量調整、チャンネル選択をおこなうふたつのダイアル状のつまみがあり、長く使用するうちにこれが時々外れてしまったものだ。夏休みともなれば、住宅地内の公園に白いスクリーンが張られ、即席の野外映画劇場となった時代である。


駄菓子屋もほぼ映画に描かれたとおりである(もっとも、私の家では、駄菓子屋の菓子は食べてはいけないというお達しがあったのだが)。フラフープは苦手で一度も回転させることができなかったし、ゴム動力の模型飛行機は私も何度か組み立ててみたが、残念ながらうまく飛ばすことができなかった。障子の張り替えの時は、破ってもかまわないというお許しが出たのだろうが、ただ穴だらけにすればいいというわけではなく、後の作業が楽なようにしなければいけなかったはずだ。


毎日学校の授業が終われば、家に飛んで帰ってランドセルを玄関の中に置くやいなやまた外へ飛び出して行くのが常だった。さんざん遊んでから、夕焼け時になると、少し高い場所に上って西の方角にある富士山(と当時思っていた山なみ)を見やりながら、夕日の最後の温もりを体に感じるのだった。


そうしたことを今思い出すきっかけを与えてくれただけでも、この映画には感謝しなければならないだろう。


私の両親がこの映画を観ることができたならば、さらに感慨深いものがあったに違いない。いや、もしかしたら、アラが見つかっただろうか。おそらく、映画の中で描かれた町並みは、どこか実在のものを精密に再現したというよりは、あちこちからエッセンスを寄せ集めて作り上げたような気もする。実際にこの時代に生きた人間にはすべてがバラ色の世界だったわけでもないだろう。貧しさもあったし、今ならなんということもない疾病に苦しみ、プライヴァシーというものはまず存在せず、雇用の機会均等などない時代である。


だが、そのあたりを論じても野暮なだけだろう。


これは、昭和33年の東京を舞台に借りた物語ではあるけれど、実際には、人の心の中にのみ存在するユートピアの世界を描いたものなのだろうから……。




アイドルからニッポンのお母さんへ

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ALWAYS 三丁目の夕日 豪華版

「ALWAYS 三丁目の夕日」に登場した俳優陣のなかで、ダントツによかったのは、鈴木家を支えるお母さんを演じた薬師丸ひろ子だ。保存に失敗したシュークリームのにおいをかいでダメを出すユーモラスな場面や、夫の蛮行を身を挺して阻もうとするときの漫画的なアクションも笑えたし、子どもらに愛情を注ぐときの、やさしく包み込むような表情も実によかった。(あーん? なにか文句のある奴は一歩前に出ろ!)


「野性の証明」や「翔んだカップル」、「ねらわれた学園」、「セーラー服と機関銃」などを観ていたときには、後に彼女が典型的な「ニッポンのお母さん」を演じることになろうとは夢にも思わなかった。役者としては難しい時期もあったようだが、そうした苦労もこの映画によって報われたといえそうだ。


ポニーキャニオン
翔んだカップル

しまった! そういえば、「ナースコール」を見逃してたっけ……。 (ーー)



「ALWAYS 三丁目の夕日」

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ALWAYS 三丁目の夕日 豪華版

宮崎アニメや、「Shall We ダンス?」など一部の例外を除き、日本映画とは長い間疎遠な時期が続いてきた私は、当然ながら、この「ALWAYS 三丁目の夕日」もずっと敬遠していた。だから、このBOXセットを発売前に予約したのも、この映画が昭和33年という時代をCGでいかに再現しえたかという興味本位からだった。だが、本編を観て驚いた。これが面白かったのだ。


今さら私がその面白さを書き連ねたところで意味はないだろう。物語の作りをあざとすぎるとみる向きもあるだろうが、とにかく、これほどベタな人情話を素直に楽しむことのできる自分に驚いてしまった。おそらく、これからも私が折にふれて何度も観直す映画の1本になることは間違いない。

「そりゃ、いくらなんでもほめすぎだろう」と笑われることを承知であえて言うなら、もしかしたら、私たちもやっと、日本版「素晴らしき哉、人生!」を手にすることができたのかもしれないのだ。

ビデオメーカー
素晴らしき哉、人生〈特別版〉





「逢びき」とビリー・ワイルダー

デヴィッド・リーン監督は、「戦場に架ける橋」(1957年)、「アラビアのロレンス」(1962年)、「ドクトル・ジバゴ」(1965年)などの重厚な大作映画で知られるが、いっぽうで、「陽気な幽霊」(1945年)のようなユーモラスな小品にも冴えを見せた監督だ。


アイ・ヴィー・シー
陽気な幽霊

「逢びき」(1945年)は、ノエル・カワードの戯曲が原作で、ともに家庭を持つ中年男女の不倫の恋を描いた古典的作品として知られるが、抑えた描写にもかかわらず、いやむしろその抑制のおかげで、今なお観ることのできる作品となりえたような気がする。いい台詞はいろいろあるが、やはり、ラスト・シーン結びの台詞がいい。これも私の歳のせいか……。


主役はもちろん、シリア・ジョンソンとトレヴァー・ハワードであるわけだが、「マイ・フェア・レディ」で主人公イライザの父親を演じた、スタンリー・ホロウェイもなかなかいい味を出している。


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逢びき


ビリー・ワイルダーは、この「逢びき」の中で、二人の密会に場所を提供する役回りとなった男性の存在に注目し、「アパートの鍵貸します」のアイデアを得たともいわれているそうだが、だとすれば、なかなか目の付け所がするどいというべきか。「逢びき」の中ではラフマニノフの曲が流れるが、果たしてこれもビリー・ワイルダーに影響を与えたのだろうか?


20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
アパートの鍵貸します

バタフライ効果と「もしも…」の世界

南米の奥地で蝶が羽ばたくと、その小さな影響が積もり積もって、アメリカ本土で竜巻だか、嵐だか、ハリケーンが起こることにもなりかねないというのが、巷でいわれている「バタフライ効果」の意味らしい。マイケル・クライトン流に言うなら、「北京で蝶が羽ばたけば、ニューヨークで嵐になる」といったところだろう。なぜそんな話を持ち出したかというと、昨夜見た映画の中で言及されていたからだ。

 


 

この「月夜の恋占い」では、人々のごく些細な行動が、静かな池の中に投じた小さな石によって生じた波紋がどこまでも広がっていくように、多くの人間関係に影響を与えていく様を淡々と描いていく。ワゴンセールものだったので、あまり期待していなかったのだが、これは意外に拾い物。

この「バタフライ効果」とは意味合いが異なるが、「あの時、あそこで異なる選択がなされていたら……」という設定に基づいてその後の物語が展開していく場合がある。SFの世界なら、「パラレルワールドもの」とか「多元宇宙もの」などと呼ばれ(ああ、なんと懐かしい響きのする言葉か!)、「もしもナチス・ドイツが第二次世界大戦に勝利していたら」などさまざまなバリエーションが開拓されているが、それはそれでまた別の話。そして、この「もしも……」のアイデアを日常生活を舞台にして映像化した試みもいくつかある。最近の例でいうなら、「スライディング・ドア」「ラン・ローラ・ラン」だろうか。

 

 


グウィネス・パルトロウ主演の「スライディング・ドア」は、電車に乗れた場合と乗り遅れた場合とでその後の展開が変わっていく趣向。日常生活の中でよくある小さな出来事を分岐点としたアイロニカルな筋立ては、なかなか楽しめる。

いっぽう、フランカ・ポテンテの出世作、「ラン・ローラ・ラン」は、窮地に陥った恋人を救うために刻限までひたすら金策に走り回り、結局時間切れで恋人が命を落とすたびに最初のシーンに戻ってリトライを繰り返すというお話。もうコミックとしかいいようない破天荒なつくりだが、ベルリンの街中をローラが駆け抜けていくテンポが実に軽快でいい。

 


そして、この設定を徹底的に突き詰めたのが、ビル・マーレイとアンディ・マクドウェル主演の「恋はデジャ・ブ」だ。結末はわかっていても、そこに至るプロセスでしっかり笑わせてくれるところは、さすがハロルド・ライミス監督。自分の人生、毎日同じことしか起こらないとボヤいている方にはおすすめの作品である。
 

 

 


 

電車の中で……

DVDを買い込んだ袋を抱えて新宿から電車に乗る。時刻は午後8時近くだ。


目の前は優先席。左端、私の真向かいに65から70歳前後の年配の男性が座った。帽子をかぶり、この陽気にはやや厚手に見えるジャケットにノーネクタイ。メガネを下にずらして読んでいるのは岩波書店の「図書」だった。そういえば、私もその昔欠かさず読んでいた時期があったのだが、そんな時代からはもうずいぶんと遠く隔たってしまったものだ。


しばらく経つと、その反対の扉側の隅に60ぐらいの女性が腰掛ける。首から老眼鏡をぶら下げ、旅行帰りらしく、座席横の下にキャンバス地の黒いバッグを置いている。右手から床に下がっているビニール袋の形からすると、その中にはペットボトルが何本か詰め込まれているらしい。


ほどなくして、そのふたりの間に老夫婦が座る。男性はきっちりしたスーツにネクタイ姿。それにくらべ、ご夫人のほうはいかにも普段着といった質素ないでたち。ご主人の用事の後にどこかで待ち合わせたのかもしれない。


私の右隣には、小学生(4、5年生?)とおぼしき男の子とまだ若そうなお母さん。男の子は本を読んでいる。岩波少年文庫なら本文をちらと盗み読めば、ある程度タイトルを当てることも可能なのだが、彼が読んでいるのは講談社の青い鳥文庫。「テンキー・ボード」といった言葉が目に入ってくるので、タイトル当てゲームは早々に放棄する。本の表紙にビニールカバーで補修が施されているようで、学校か近隣の図書館から借り出したものなのだろう。よしよし、きっといい家庭に違いない。その母親の右隣に誰がいるかはわからない(下車する際に、遠出帰りと思われる、やや中年にさしかかりぎみの男性と判明する)。


漠然と前の座席に座る人々を眺めているうちに、私の目は点になった(その時、誰かが私の顔を見てたらきっとそう見えたに違いない)。ふたりの男性の服の襟元には同じ襟章がにぶく輝いていたのだ。最近メガネの度が合わなくなっているので細部まではわからないものの、とにかくどちらも菊の花に似たデザインで、色合いも、光の反射の具合もまったく同じに見えるのだった。老夫婦がなにやら話を続けていたが、夫人がバッグから2通の窓空き封筒のようなものを取り出すと、「図書」を読んでいた男性が聞き耳を立てている様子。年金の話でもしているのだろうか。


乗り換え駅で下車した私がこの人たちと出会うことは二度とないだろう。


                    *****


買い込んできたDVDをあれこれ眺めていたが、「酒とバラの日々」でも「バターフィールド8」でもなく、また、「肉の蝋人形」でも、ワゴンセールで980円で買ったウェズリー・スナイプ主演の「アウト・オブ・タイム」でもなく、同じくワゴンで見つけた1500円の「月夜の恋占い」を見ることにした。


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月夜の恋占い

「サウンド・オブ・ミュージック」子役たちのその後

「サウンド・オブ・ミュージック」のDVDの中には、7人の兄弟姉妹を演じた当時の子役らが一同に会した、「40周年同窓会」が収録されていて、大人となった彼らの姿を見ることができる。だれもが、多少の浮き沈みはあるにせよ元気な姿を見せてくれているのにはほっとする。

 

 

 

長男を演じたニコラス・ハモンドは、「サウンド・オブ・ミュージック」に出演したことで一種の「責任」を負うことになったと語っていたが、日本でも、「この作品に出演した以上は、警察のご厄介になるようなことだけはできなくなってしまった」などと似たようなことを言う俳優がいることを思い出してしまった。

 

クリストファー・プラマーが、音声解説などの中で一般論として、映画における「子役」については否定的な見方を表明しているのが面白かったが、その彼も、最終的には、この映画の子役らとは打ち解けることができたようだ。音声解説の中で、「ずいぶん経ってから、末っ子役の女性(キム・カラス)が楽屋の私を訪ねてくれたんだが、ゴージャスな美女になっていたのには驚いた」というエピソードを紹介していたが、気になる方は、この同窓会に登場した彼女の姿を自分の目で確かめてみてほしい。

 

 

 

以前にも触れたが、アンジェラ・カートライトは、テレビ番組「宇宙家族ロビンソン」で次女のペニー役を演じて日本でもおなじみの顔となった。実は、キム・カラスもさるエピソードの中にゲスト出演している。

 

 

 

 

 

「サウンド・オブ・ミュージック」を日本語で聴く

「サウンド・オブ・ミュージック」には、二種類の音声解説が収録されている。ひとつは、ロバート・ワイズ監督のもの。もうひとつは、ジュリー・アンドリュースを中心に、クリストファー・プラマー、長女役のシャーミアン・カー、振付師のディー・ディー・ウッド、そして、トラップ家を代表してヨハネス・フォン・トラップらのコメントを加えたもので、こちらは今回初収録のものだ。


ジュリー・アンドリュースらの語るエピソードはどれも面白いものばかりなのだが、他の映像特典の内容とダブっている箇所がかなりあるのがやや残念。来るべき「50周年記念エディション」のためにコンテンツの出し惜しみをしているわけでもないのだろうが、ラフ編もののような気がしないでもない。


とはいえ、長女リーズルからグレーテルまで7人の兄弟姉妹を演じた子役らの「40周年同窓会」や映画の熱狂的ファンらが集うシング・アロング集会の模様は実に楽しいし、フォン・トラップ・ファミリーの光と影を描いたドキュメンタリーも大変興味深かった。ミア・ファローのスクリーン・テスト(!)は格好の話のネタになることだろう。

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
サウンド・オブ・ミュージック <ファミリー・バージョン>


さて、今回の<ファミリー・バージョン>の一番の目玉は「完全日本語版音声」の収録である。実は、この日本語版については、時間がなくてまだ全編を観ていないのだが、とりあえず、歌の部分だけを先に拾って観たところでは、島田歌穂(マリア)、布施明(トラップ大佐)、華原朋美(リーズル)のキャスティングはまずまずといえそうだ。特に、布施が、あえて抑え気味に歌をまとめているところは好感が持てる。島田も、英語の歌詞のほうがよほど歌いやすいだろうに、日本語の歌詞をよくメロディに乗せて頑張っていた。華原朋美も無難に歌をこなしていたと思う。


「サウンド・オブ・ミュージック」のように、原曲のままですでに超有名な曲の歌詞を、メロディに合わせた自然な日本語に翻訳することは容易なことではなかったはずだ。日本での舞台公演では何度も行われていたことなのかもしれないが、そうした訳例に接することがなかった私にとっては、今回、このDVDで英語と比較対照ことができ、いろいろと収穫の多い体験だった。興味のある方はぜひ一度観ていただきたい。