ここになにかを、しるすたびに、いろんなひとが、いろんなかたちで、心配してくれて、それだけでも、十分すぎるくらい、恵まれてて、感謝なのに…。ついつい、弱音をはいてしまいます。なにかを、こうしたいああしたいとおもっているのを示すのは簡単なのに、そのはんたいを、しょうめいするのは、じつにむずかしい。つまり、なにもしないで、一生を終えることでしかだめなのかなかなぁ~?
そもそも、それとても、わたしの思い過ごしやもしれず、いまの状態は、だれのせいでもなく、ただ、わたしの運と選択にすぎず、むしろ、自分自身で選んでこうしているのに。おそらく、そんなひがいもうそうも、自分のこころがつくりだしているだけかもしれないのに。いつぞやの、わたしのとんちんかんな思い込みによる、そうどうのとらうまのせいで、なんでもないことまで、なんでもあるかのようにおもってしまっているのかもしれません
てんきがくるたびに、どうしてこうも、どらまちっくなことばかりをおこってしまうのだろう…と、ため息で。老いととともに、だんだん、そういうことを前向きにとらえることができなくなってきて。だれにも、なんにもいわれてないのに、あと、なにをあきらめたらいいのだろう…って、そんなことばかりおもっている自分がいます。
そうはいいつつ、そのつど、こんなになやんでこころをよじらせてしまうのも、やっぱり、わたしのなかに、まだ、のぞみをかなえたいというよくがあるからでしょうねぇ。つまりは、いつかはひとりぼっちでなくなりたいという…。なにも、のぞまなければ、きっと、もっと楽に生きられるのだろうなぁ。しごとも、めだつことも、べつにどうでもいいと、おもっているのに。でも、だったら、いまあるもので、じゅうぶんなわけで、なにも、なやまなくてもいいはずなのに。やっぱり、すきなものをあきらめては、とても生きられないって、人生さいごのいちにちだけでもいいから…なあんて、おおげさなぜいたくをおもってしまうから、くのうするのでしょうねぇ。