いずれにしても、それは、どちらでもたいさのないことです。そう~、そういえたら、かっこいいだろうなぁ。そうおもいます。ただ、じっさいの、こころは、ときに、よわくて、どうしようもなく、わがままで、つまりは、じぶんじしんのよくにがんじがらめになって、ないものねだりに、こころをちりぢりにさせてしまったりするのです。ひっしで、じぶんをなだめているじぶんと、それでも、ありのままのじかんをただみまもるしかないと、しぜんの流れに、なかば神頼みのような心境になってる自分がいます。苦しい苦しいというのは、簡単だけど。そして、我慢すればそれでいいというのでもなく、じゃああきらめればすべてがきえてなくなるわけでもなく。つまりは、ぜ~んぶひっくるめて、わたしなのだから、しかたないなぁ~という、ため息と。それでも、いつか、もうすこし、つよくなりたいなぁ~という、願いと。

ほんに、さきのことは、だれにもわからず。そして。あたりまえのことを、正直に言葉にすることの、驚きというか。ときに、なんでも無理にことばにしようとすると、肝心のこころの流れを止めてしまうから、というのは、たまたま、いま読んでる本にありました。それでも、ことばは、ことばどおりであって、ことばどおりではなく、その行間やあとさきには、いうにいえない多くのことも含んでいて。もちろん、ことばとしてきいて、たとえそれが、必ずしも自分のこころに望ましい内容でないとしても、どこか、ことばにしてもらえて、ホッとしている部分もあるのに気づいて、自分でも驚いたり。しています。

かといいつつも、それでも、こころはどこかで、少し甘えてもいたくて、なんとか、どこかで自分の都合がいいように、つまり、少しでも元気が出る方向に、解釈できないものかと、こころのなかの、テープレコーダーを何度も再生しては、自分を励ましたり…。にんとも。われながら、ほんにやっかいなことだと。もっと、さらっと、ふわりと、さりげなく、いたいよ~。こうやって、書くことで、なんとか、したいとしてしまうのも。きっと、書くことで、読んでもらえる、つまりは、聴いてもらえる、そういうのがあるから書けるのだろうな、とも、おもいます。それが、自分の日記に書くのとは大きく違うのであり。いつも、こんなふうに、悩めるたびに、それでも、きっかけのなることばをもらったり、それがうまれたりして、時が流れてきています。その、いまここにある喜喜!に、もっとやわらかくなりたいなぁ~と、思いながら。自分のこころを、宥めるのに、少しだけ腐心しています。

かんたんに、ごめんやありがとうといっては、せっかくのきもちが、かえってつらくなるようななにか。そして、大げさかもしれないけれど、もしかしたら、そんなに深く考えて発せられたことばでなくても、さりげない、ひとことに、とても、救われたり、するのもこころです。たとえば、しんぱいしなくていいから、ふつうにしていなさい。とかね。ふ~。もちろん、かんたんになにかがどうにかなったら、だれも苦労しないのですけどね。きょうは、これいじょう、かんたんには、きれいなこたえが書けそうにないので。げんきになるまで、あともうすこしじかんをもらえたらと…。ともあれ。やっぱり、ありがとうは、ありがとうですね。すごく感謝しています。