I need your help
どうしてだろう。なにがどうしたというのでもないのに ことばというのは、どうしてこうも、ちからがあるのだろう あたりまえの、いや、しょうじきにはっせられたそのひとことが、どうしてこうもこころにおおきくのしかかってしまうのだろう さきのことなどだれにもわからないのに いまのじょうきょうがこれまでとなにひとつかわったわけでもないのに
それにもし、かりそめのそのばしのぎのことばなどより、はるかにせいじつでうつくしいとさえおもうのに
まるで、なにかがおもいどおりにならなくて、だたをこねてすねているこどもみたいだと、あたまではわかってる そう、あたまでは
それでも それでも、いっけんあきらめたようでも、こころのなかではあきらめずにがんばっていられるのと、かんぜんにあきらめてしまうのとは、なにがちがうのだろう あきらめたつもりでも、あるときひょっこりねがいがかなうのと、ほんとうにみずからきぼうをとおざけてしまうのとは、なにがちがうのだろう
それでもこころがふさいでどうしようもないときは、どうしようもなくあまったれだとじぶんでもおもうけれども、とことんまでおちこめばいいとおもう じぶんじしんに むりにがんばろうとするなっておもう そしてじっさいそうしている できそになったときにできることだけをするぞって。 そうはいいつつ、おりをみて、こころのなかで、いろんなこえがしてくる めのまえがつらいときは、もっとずっとさきに、いざとなればここをはなれりゃいいんだとか、とにかく、さきのためにひたすらしんぼうすることはやめにすればいいとか、もしかしたら、ずっともっと、じゆうになれるかもしれないとか、ほんに、まるでないてるこどもにこんどああしようね、こうしようねって、いいきかせ、なだめすかせよとするかのように
かんたんにはできないことを、ことばであんいにやくそくされることのほうが、ずっとよくないことだとあたまではわかるのに
わがままなこころは、それでもせめてそのかのうせいをいくらかでものこせることばがあれば、どんなにいいだろうって どんなにげんきとゆうきをもらえるだろうかって
こころはどこまでもわがままでよくばりである
いまはただ、さきのみえないいいようのないふあんにおしつぶされていて、たとえわずかでもいいから、よせることのできるきぼうがみえていないことへの、駄々にすぎないのに
これまで、それこそ、めのまえのことだけをみて、ひたすらいきあたちばったりをよかれとして選んできたのは、ほかのだれでもないこの自分自身なのに こまったときだけ、めにみえるささえをもとめるのは、ただのあまえにすぎないのに
それどころか、こころのどこかでは、さきがわからないからたのしみをきたいしていられるって、どこかで、くるしみやくろうをみずから、よろこんでまではいないけど、それでも、それがあってこそ、というか、それにたえてるじぶんをひょうか、というか、つまりは、それがあるから、がんばれる、じぶんらしくいられるのではと、おへそまがりをよしとしているところもあるのに
だから、ひょっとしたら、おちこむのだって、じぶんでそうしたくてそうしてるのではないかとさえおもえないでもないではないか
いまあるすべては、すべてみずからのえらんだけっかであるし、いいもわるいもなく、そういうことなのだ だから、じぶんをせめるでもなく、ほめるでもなく、あきらめるでもなく、なにかのせいにするでもなく、それでいて、いちまつのきたいとゆめだけは、こころのすみに、けっしてすてないであっためておく
そうできたらなぁ
むりにきらいになろうとして、あきらめて、じぶんのこころをかるくするのににげるでもなく、むりやり、べつのものでありあわせて、こころをごまかしてていさいをととのえることににげるでもなく、ひとにじまんするだけのために、こころにふたをしてすませるのでもなく、ひとのものさしにあわせることで、ひとなみだからそれでいいのだとむりやりじぶんをなっとくさせるのでもなく
そうすることで、けっきょく、めにみえるものは、みのまわりになにもおとずれることがなかったとしても
それでも、そのことにほこりをもてたとしたら だれにほめられることがなかったとしても いちども、じぶんのこころをいつわることなく、いきてるじかんをおえることができたとしたら ひょっとしたら、ものすごくつらいだろうなぁ さびしくてわびしくて、ないものねだりで、どうしようもなくいたたまれなくなることもあるだろうなぁ
それでも、想いをまもりとおすことができたなら
かっこいいことなんて、ちっともないかもしれないけれども ほこりだけはすてない
そうできたらなぁ~
どうしてだろう。なにがどうしたというのでもないのに ことばというのは、どうしてこうも、ちからがあるのだろう あたりまえの、いや、しょうじきにはっせられたそのひとことが、どうしてこうもこころにおおきくのしかかってしまうのだろう さきのことなどだれにもわからないのに いまのじょうきょうがこれまでとなにひとつかわったわけでもないのに
それにもし、かりそめのそのばしのぎのことばなどより、はるかにせいじつでうつくしいとさえおもうのに
まるで、なにかがおもいどおりにならなくて、だたをこねてすねているこどもみたいだと、あたまではわかってる そう、あたまでは
それでも それでも、いっけんあきらめたようでも、こころのなかではあきらめずにがんばっていられるのと、かんぜんにあきらめてしまうのとは、なにがちがうのだろう あきらめたつもりでも、あるときひょっこりねがいがかなうのと、ほんとうにみずからきぼうをとおざけてしまうのとは、なにがちがうのだろう
それでもこころがふさいでどうしようもないときは、どうしようもなくあまったれだとじぶんでもおもうけれども、とことんまでおちこめばいいとおもう じぶんじしんに むりにがんばろうとするなっておもう そしてじっさいそうしている できそになったときにできることだけをするぞって。 そうはいいつつ、おりをみて、こころのなかで、いろんなこえがしてくる めのまえがつらいときは、もっとずっとさきに、いざとなればここをはなれりゃいいんだとか、とにかく、さきのためにひたすらしんぼうすることはやめにすればいいとか、もしかしたら、ずっともっと、じゆうになれるかもしれないとか、ほんに、まるでないてるこどもにこんどああしようね、こうしようねって、いいきかせ、なだめすかせよとするかのように
かんたんにはできないことを、ことばであんいにやくそくされることのほうが、ずっとよくないことだとあたまではわかるのに
わがままなこころは、それでもせめてそのかのうせいをいくらかでものこせることばがあれば、どんなにいいだろうって どんなにげんきとゆうきをもらえるだろうかって
こころはどこまでもわがままでよくばりである
いまはただ、さきのみえないいいようのないふあんにおしつぶされていて、たとえわずかでもいいから、よせることのできるきぼうがみえていないことへの、駄々にすぎないのに
これまで、それこそ、めのまえのことだけをみて、ひたすらいきあたちばったりをよかれとして選んできたのは、ほかのだれでもないこの自分自身なのに こまったときだけ、めにみえるささえをもとめるのは、ただのあまえにすぎないのに
それどころか、こころのどこかでは、さきがわからないからたのしみをきたいしていられるって、どこかで、くるしみやくろうをみずから、よろこんでまではいないけど、それでも、それがあってこそ、というか、それにたえてるじぶんをひょうか、というか、つまりは、それがあるから、がんばれる、じぶんらしくいられるのではと、おへそまがりをよしとしているところもあるのに
だから、ひょっとしたら、おちこむのだって、じぶんでそうしたくてそうしてるのではないかとさえおもえないでもないではないか
いまあるすべては、すべてみずからのえらんだけっかであるし、いいもわるいもなく、そういうことなのだ だから、じぶんをせめるでもなく、ほめるでもなく、あきらめるでもなく、なにかのせいにするでもなく、それでいて、いちまつのきたいとゆめだけは、こころのすみに、けっしてすてないであっためておく
そうできたらなぁ
むりにきらいになろうとして、あきらめて、じぶんのこころをかるくするのににげるでもなく、むりやり、べつのものでありあわせて、こころをごまかしてていさいをととのえることににげるでもなく、ひとにじまんするだけのために、こころにふたをしてすませるのでもなく、ひとのものさしにあわせることで、ひとなみだからそれでいいのだとむりやりじぶんをなっとくさせるのでもなく
そうすることで、けっきょく、めにみえるものは、みのまわりになにもおとずれることがなかったとしても
それでも、そのことにほこりをもてたとしたら だれにほめられることがなかったとしても いちども、じぶんのこころをいつわることなく、いきてるじかんをおえることができたとしたら ひょっとしたら、ものすごくつらいだろうなぁ さびしくてわびしくて、ないものねだりで、どうしようもなくいたたまれなくなることもあるだろうなぁ
それでも、想いをまもりとおすことができたなら
かっこいいことなんて、ちっともないかもしれないけれども ほこりだけはすてない
そうできたらなぁ~