なんとなく、こころがかるくなったきがするのはどうしてだろう。ふるいせんぞのじゅばくから、すこしだけ解放されるきがするからだろうか。もちろん、気のせいなのはわかっているけれど。ほんとは、いまあるのは、いまはなきせんだちの方々のおかげなのであり、感謝こそすれ、ちょっとけむたくおもうのは、無礼千万なのは、わかっている。あたまでは...。ただ。ああたまではわかる、と、そんなふうにおもうことは、実は、こころでは、そうおもいたくないこと、いまはまだあそうなっとくできていないこと、にほかならず、つまりは、なにかがひっかかって、素直にそう思えずにいるということだ。こころから、そうおもえていることなら、わざわざ、あたまではわかる、なんてことばはでてこないのであるから...。
と、いうわけで、かように、ときどき、ぬけだすことで、なんとか、それなりに、いられるように、自分なりの、無意識の、あるいは、半分は、ほぼ確信的な、自分保持?計画というか、まぁ、要は、単なる気晴らしなのです。
よし、今度こそ手紙を書こう。そう何度もおもって、いまだにできていない...ことについて。たとえば、車に乗っていて、ふとおもうのだ。よし、今度こそ書くぞ。いまなら、なんだか書けそうな気がする...と。ところが、しばらく時間がたつと、もういけない。やっぱり、もう少し先にしよう...、そのうちもっと、今だ今しかない!って、ときがあるに違いない...。そう、おもって、むしろ、慌てず踏みとどまった自分を褒める自分もたしかにいるのだ。
なあんて、愚図愚図しているうちに、一生が過ぎていってしまうのかあなぁと、まるで、ひとごとみたいに、自分を皮肉めいて眺める自分がいるのも、また事実。
ちょっとでも長く、ひっそり目立たずいたいと、おもってしまうからでもあり、また。多少は不自由ななかにも、それでも、ささやかな安らぎがある、いまの時間を、なくしたくないと、いうおもいがまたひとつ。そうなのだ。すべてが、思い通りでなくとも、ささやかでもうれしい、あるいは平穏だと感じられる時間がいまあるから、あえてそれをなげだすようなリスクに身を置きたくないと、おもってしまうのだ。いまのままでも、とりあえずは、充分生きていかれるではないか、と。もし、変化をのぞんで、いまあるものまで、なくすようなことになったら、どうするのかと...。要するに、怖いのだ。
努力がいやというのでもない。ただ。いまある、奇跡的な、平穏な時間時間をなくしたくない。だから、ちょっとでも、そんなささやかな時間を守りたいと。おもってしまうのだ。いま、自分が思うこと。それが、すべてではないのか。そう、おもわないことを、あえてしても、やはり、なにかが違うのではないのか...
なあんて。つまるところ、おもうのも、考えるのもわたし自身であり、であり、でてくることばは、どこまでも自分自身への言い訳なのではあるのだけれど...。
残りの人生が、気が遠くなるほど永いものにおもえるときもあるし、それでもまだ、ひょっとしたら、すこしくらいいいことがあるやもしれない...。少しだけ、ほんの少しだけ、、そう思えるときもある。
で、結局は、いまある平穏な時間を、それがそうある間は、なるたけ、じっとしていたい。何度、考えても、いつも、同じ結論になるのだ。もっとも、一度でなく、なんども考えてしまうということ自体、なにかが、こころにひっかかっているのでは、あろうけれども。。。
と、いうわけで、かように、ときどき、ぬけだすことで、なんとか、それなりに、いられるように、自分なりの、無意識の、あるいは、半分は、ほぼ確信的な、自分保持?計画というか、まぁ、要は、単なる気晴らしなのです。
よし、今度こそ手紙を書こう。そう何度もおもって、いまだにできていない...ことについて。たとえば、車に乗っていて、ふとおもうのだ。よし、今度こそ書くぞ。いまなら、なんだか書けそうな気がする...と。ところが、しばらく時間がたつと、もういけない。やっぱり、もう少し先にしよう...、そのうちもっと、今だ今しかない!って、ときがあるに違いない...。そう、おもって、むしろ、慌てず踏みとどまった自分を褒める自分もたしかにいるのだ。
なあんて、愚図愚図しているうちに、一生が過ぎていってしまうのかあなぁと、まるで、ひとごとみたいに、自分を皮肉めいて眺める自分がいるのも、また事実。
ちょっとでも長く、ひっそり目立たずいたいと、おもってしまうからでもあり、また。多少は不自由ななかにも、それでも、ささやかな安らぎがある、いまの時間を、なくしたくないと、いうおもいがまたひとつ。そうなのだ。すべてが、思い通りでなくとも、ささやかでもうれしい、あるいは平穏だと感じられる時間がいまあるから、あえてそれをなげだすようなリスクに身を置きたくないと、おもってしまうのだ。いまのままでも、とりあえずは、充分生きていかれるではないか、と。もし、変化をのぞんで、いまあるものまで、なくすようなことになったら、どうするのかと...。要するに、怖いのだ。
努力がいやというのでもない。ただ。いまある、奇跡的な、平穏な時間時間をなくしたくない。だから、ちょっとでも、そんなささやかな時間を守りたいと。おもってしまうのだ。いま、自分が思うこと。それが、すべてではないのか。そう、おもわないことを、あえてしても、やはり、なにかが違うのではないのか...
なあんて。つまるところ、おもうのも、考えるのもわたし自身であり、であり、でてくることばは、どこまでも自分自身への言い訳なのではあるのだけれど...。
残りの人生が、気が遠くなるほど永いものにおもえるときもあるし、それでもまだ、ひょっとしたら、すこしくらいいいことがあるやもしれない...。少しだけ、ほんの少しだけ、、そう思えるときもある。
で、結局は、いまある平穏な時間を、それがそうある間は、なるたけ、じっとしていたい。何度、考えても、いつも、同じ結論になるのだ。もっとも、一度でなく、なんども考えてしまうということ自体、なにかが、こころにひっかかっているのでは、あろうけれども。。。