ふとしたときにやってくる。それも、思いがけず…。だから、たいてい、自分でも、その不意打ちに面食らい、そして、しばしたじろぐ。どんなにおおきな落ち込みも、それが過ぎてみれば、どうしてあんなに…、と、自分でも思わぬでもないが、さりとて、心配はつきない。無論、心配してもどうにもならぬが、どうにもならぬことを心配することから、こころが離れなくなっとき、ひとは落ち込み、もだえ、苦しむ。そして、これも、思いがけない、ひとことや、ふとした節目におとずれた空気に、救われ、望みがつながった感じに、支えられもする。なにごともたんたんと、ふわふわぁ~っと、まっていられたら、いいのになぁ~と、相変わらず、ふとした瞬間におとずれるさびしさに、打たれそになってる、自分自身におもう


これはこれでいいのだと、とても感謝もしているし、わかってはいるのですけどねぇ~
すべては、いまの積み重ねであると同時に、すべては、なにかにいたるまでの、途中…(つまりは、なにかに少しずつ近づいている)なのだ。それも、貴重なひとつひとつ。なのになぁ~。どうしてこうも、ときどき、…なきそになってしまうのですかねぇ~。まぁ、それが当たり前なのかもしれませんが。それに、さびしさを感じるのは、そうでないときをしっているからであり、たしかに、おもうところがあるから、なのですけどねぇ(^-^;なあんて、書いてるうちに、案外、落ち込むことなど、どこにもない気がしてくるようでもあるから、たぶん、こうしているいまも、なにかに向かえてる途中なんだぞ、と、そう自分に言い聞かせてます
うう、どうにか、なんとかなるかたちが、いつかおとずれるといいのになぁ~
それぞれの、ひとのおもいをすべていっきにおさめるというのは、たぶん無理なのでしょうねぇ
だから、時間というものがあるのですかねえ…
それでも、ともあれ、おもえるところのあることを、とてもうれしいとおもっているのですよ。うん。これだけはたしかです…(たしかに、苦労はかけてしまうかもしれませんが)
う~ん。やっぱり、少しずつ、あせらずに…ですかねぇ…