「ヨーガ・スートラ」 1章2節では
ヨーガの定義が述べられました。
今回取り上げるのは、そのあとに続く2節。
その時、見る者 は本来の姿にとどまる。 (YS 1:3)
そうでない時は、心のはたらきと同じ形を帯びるように見える。 (YS 1:4)
見る者 =ドラシュトゥフ
とは、「ヨーガ・スートラ」のキーワードのひとつ。
見る者である意識=プルシャ
とも解釈されます。
プルシャ & プラクリティ
とは、対になる存在で、
これも重要キーワード。
ここでは、簡単に
意味だけ書きましょう。
プルシャ =意識、Awareness
プラクリティ =根本原質、 具現、Nature
ここでは、先に定義された
”ヨーガとは、心(チッタ)のはたらきを止滅すること” (YS 1:2)
をうけているわけです。
まとめると、こうなります。
a) ヨーガの状態に達したときには
「見る者=意識」は
本来の状態にとどまる
でも
b) ヨーガの状態に無いときには
意識は、
心=チッタのはたらき
と
意識自身を
同一視してしまう。
ちなみに
”心のはたらきには5種類ある”
というのが、このあとに続く句になります。
心の中には、
常に波のように
さまざまな動きが生まれては消えていきます。
この、波のような
心のはたらき=ヴリッティ
を止めること。
どうやって?
ヨガのポーズ
プラーナヤマ
そして瞑想の
プラクティスを通じて
波のない静かな水面のような状態に
達することが、ヨーガの目的であると
「ヨーガ・スートラ」はいうのです。
「ヨーガ・スートラ」 1章2節
ヨーガの定義については、こちら
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「ヨーガ・スートラ」 INDEX は
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