伊万里市郷土研究会というグループを作って歴史研究の活動されていましたが、残念ながら解散されるそうです。
会誌の一部コピーを頂きましたが、本も出版されているそうです。
また、当地に明治政府の廃仏毀釈で廃寺となった七幸神社があり、それにまつわる話です。
伊万里市楠久は伊万里湾で伊万里市の対岸にあたり、松浦党の水軍が拠点にしていた港として
水軍ですから、船の運航に北極星や北斗七星は重要な役割を果たし、そのために七幸神社が創建されたのでは、とのこと。
七幸神社の主祭神は「北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんしょうおう)」と日本では聞い たことがない神様です。
北辰とは北極星および北斗七星を神格化した北辰妙見尊星王に対する信仰とのこと。
明治時代の廃仏毀釈のどさくさで廃寺となり、最近(と言っても2016年)に復興されたとのことです。
新パワースポットに 七幸神社145年ぶり復興へ
それと話題は楠久に存在する天文台跡。日本では数か所しか残ってませんし、ほとんどが江戸

古代のバビロニアやエジプト、中国、南米のインカ帝国などでは、太陽や月、星の動きを観測
することから、それぞれ独自に天文学がはじまったようです。
暦が作られた目的は地域によって異なり、エジプトではナイル川の氾濫時期を予測するため、
バビロニアでは航海術や占星術のため、中国では農業や祭祀のために発展していったと考えら
れています。
こうした背景から、世界各地で太陽暦や太陰暦が作られていきました。
とくに中国では、暦の歴史は紀元前2000年ごろの夏王朝にさかのぼり、殷王朝・周王朝・戦国
時代を経て漢代に発展してきたようです。
中国の暦は干支で年を表し、60年を一つの周期として巡ります。また、太陽や月の運行をもとに
「二十四節気」が定められ、農業と深く結びつきました。五行思想との関連も、中国の暦の大き
な特徴とされています。
さらに、その日を「六白金星」といった星で表す**九星術(九星気学)**は、五行思想と暦の
融合から生まれたもので、
後漢の時代(25年~220年)には体系が固まったようです。
note 九星気学の基本と方位の象徴閑話休題
古代に文化が伝わったのは、中国やそれより西の国から大陸経由、または朝鮮半島経由が主だと
考えられています。(資料:日本人はどこからやって来た? ≪ 大陸の端の行き止まり ≫)

そもそも人類はアフリカで生まれたので、原始時代の氷河時代に海が後退して陸地が続いて
いた時代に、あちこちから日本列島に移り住んできたと思われます。
縄文・弥生時代以降になっても、事情のあるたくさんの渡来人・帰化人が渡ってきたはずです。
松浦党の人たちも、商売で朝鮮半島と佐賀を日常的に船で行き来していたはずです。
日本に暦が伝わったのは推古12年(602年)とされています。
百済からもたらされたと言われており、仏教が欽明天皇13年(552年)に百済から伝来したこと
を考えると、暦も同じルートで伝えられたのだろうと思われます。
七幸神社の天文台が築かれたのが、以前触れた新羅・善徳女王の時代に造られた「瞻星台」と
同じ頃だとすると日本で暦が伝わった直後に建てられた可能性がある、ということになります。
日本での暦は太陰暦で主に農業や祭事に使われ、この楠久で作られた暦は「肥前太子暦」と呼ばれ、全国で使われたと伝承がありますが、残念ながら現物は実存していないとのことでした。
残念ですが、こよみ、って使ったら古いものは捨ててしまいますからね。
明治時代になって、廃仏毀釈により七幸神社がつぶされ、暦も太陰暦から太陽暦に代わって、
「肥前太子暦」も返りみられなくなったんでしょうか? 農家は最近まで太陰暦のこよみを使っ
ていると聞いたことがあります。
日本人に浸透した五行
お話の中で五行に関する話がありましたので、書いておきますね。
陰陽五行を学ぶと、下記のようにいいことがあるそうです。

水が木を育てる、木は火に燃やされる、火は土で消される、金(金属)は土の中から採掘される
◆相克(抑制する関係)
の作用でバランスを保っているという考え方のようです。





































