3.11 あの日 あの場所で何が起きていたか

それが語られ始めている

マスメディアが発達したこの成熟した国家で

そのメディアは真実を伝えながらも、視点はあくまでも傍観者だった。

なぜなら、傍観者視線での報道を行なわなければ、国が持たないという大人の判断からなのか。

多くのご遺体、失われた命の抜けた身体が。

日本のメディアは写さない

現場の手が届く場所に多くの真実が横たわっていても、それが沈んでいても、写さない。



大人の正しい判断、死者の尊厳、プライバシー、みた人の気持ちの問題 様々な要素がある。

それは理解できるが、何処か他の場所で起きた遠い出来事ではない。

死者の尊厳も、遺族の気持ちも もちろん最大限そんちょうしなければならない。

その中で、現実に自分にも関係がある重要事態として、ともに感じて考えなければならない。


私達だって、明日当事者になるかもしれない。

はじめて現実を知った時、私達は何を思うのか。

真実を伝えるのが報道だとしたら、この国の報道はバラエティ番組と変わらない視点で伝える気がする。

今起きている事が、事後検証のごとき学者に論じられている。

暖かいスタジオで、こざっぱりした服を着た学者に何が解かるのか。


人は過去から学ぶ

過去から学ぶと指導層は言う

このような悲劇を二度と繰り返さないために私達はこの悲しい教訓を生かしていかねばならないと。

何も解決しないまま、偉い人はみな心痛を表情に出して訴える。

彼らが本気でそう語るのであれば

今、各地には来るその時に備えて様々な動きが目に見えて実現に移されているはずだ。


東京 この都市が大地震に襲われた時、人々は逃げさ迷い、そして死んでいくかもしれない。

それが、想定されているのにも関わらず、今 国は行政は企業は、そして私は何をしているのだろう。

僕らと東京の人々に 3.11の教訓は生かされているか。


最初の揺れを生き延びたとして、水はあるのか? 暖かい場所はあるのか? 食料は? 医療は? 

救援は? 支援は?


次世代の国防を担うF-35の導入が先なのか?

八ッ場ダム が先なのか?

それどころか、消費税は福祉財源か?

大臣の失言を書き叩くよりも、メディアには必要な事がある。


このままでは、こうなってしまうと


罪も無い人々が 津波にのまれ 火に焼かれた 事実があり、1年もたたない

その時、どれほど恐ろしかったか

その思いを封印して、同じ事を繰り返すのか


阪神の教訓 東北の教訓 


いつか要人は言うだろう


この首都圏を襲った悲しい現実を二度と繰り返さない様に・・・・・・


生き残れるだろうか 


何時来るか解からない 確実に来るであろう 報道されない地獄が