61才 ばちあたり

まだ、会社には毎日行っている

待遇 気にしない

ギャラ 気にはなる

コミュニケーションスキル まあ もはや あるものを つかいましょ

日々の喜び そんなもの追い求めたところで というのは本音

突発的な美味しさは 好き

恋 常にするね なぜだろう

ドキドキ 心臓を患っているから 時々

 

空間が好き

 

そこにある人が作った建物が好き

 

そこにいる、人間の姿が興味ある

 

その人間の着ている服に興味ある

 

ショウウインドウにディスプレイされた服に興味あり

 

▓9月27日 ひどい風邪で寝込んでる

 

場像はAI生成

 

 

この夏は マルチストライプに惹かれた

 

だから

 

そうだよね

 

どうでもいい

 

 

彼が言う

「もう、暗くなるまでまてないよ」

 

「はああああ??  昭和の男子じゃあるまいし そんなガッツカなくてもいいのに」

 

「お前がいけないんだよ、こんな場所でその気にさせてさ」

 

「それは、君が 酷いよ 私は ただ・・」

 

「ききたくない言いわけなんて 要らないさ 僕は素直だ」

 

「素直すぎるってば」

 

「お前も少しは 素直に そうだよ 素直にさ」

 

「まだ 早いよ 気が進まない」

 

「入れば気がかわるよ いつもそうだろう」

 

「ズルいよ」

 

そして2人は

 

 

もつ焼きのお店へ

 

「とりあえず 赤星」

 

 

 

 

そうなんだ

誰かがやらなくては社会が回らない仕事ある

例えば 医者 弁護士

 

誰かがやらなければならない仕事に

なりたい人材がいて、そこに辿り着くために

散々な努力をして 金も使い たどり着ける者は僅か

パイロット 憧れで そこにたどり着くためには

本人も努力するし、選ばれし者には航空会社も大金を負担する

 

そして、それを得た人の収入はそれなに高い

 

他方で

宅配便の配達員

誰かがやらねばならない仕事ゆえ

一時期は、労働に見合うかは別として

大金が得られる仕事と言われた

 

現実は知らない、やったことがないから

誰かがやらなければ社会が回らない仕事

 

誰もやり手が無いのなら

その仕事の賃金は上がる

 

そんな経済の原理は、ものを売り買いするなら成立しても

誰もやりたがらない仕事を給料を上げて人が集まるか?

それ以前に、その仕事に、そんな賃金払える利益構造か?

 

そうでないなら、必要な仕事、誰かがやらなければならない仕事

人が居ないなら、採算度外視して公金入れるのか

そんな所に集まる人が、その仕事を全う出来るのか

 

仕事には、誰かがやらなければならない仕事でも

 

金も時間も費やしてでも、なりたい仕事

 

大金積まれないと、やり手のない仕事

 

そもそも、大金出せる状況にない仕事

 

それは、そうだ

綺麗事言ったって、やりたくない仕事はあるだろう

 

大金貰えれば、身に鞭打って 宅配で頑張る

 

本当に大変だから 高給なのだとしても

 

成り立つた

 

では、介護はどうか

 

身内のお世話だって辛いのに

 

他人様の日々の大変なpお世話まで出来るのか

 

公金を大規模に投入しても

 

この業態では

 

様々に課題と費用が問題になり、現場の介護労働者に辿り着くまでに

 

枯れた川になってしまわないだろうか?

 

逆に考えて

 

そんな、過酷な仕事を日々できる人の

 

モチベーションは何処に

 

使命感と善意

 

否定しない

 

でも、皆が皆そうなわけはない

 

これを、外国人に

 

それも、新興国の、相対的に日本よりも物価、賃金が安いとされるエリアから

 

だとしても、そのエリアの人だって、同じ人間、嫌なことは共通

 

日本人が嫌な仕事を、賃金格差のロジックで解決できるとは思えない

 

単純じゃないからこそ

 

もう後回せないことだから

 

医療により、延長する寿命

 

なのに、老齢介護は進歩は遅い

 

何故か

 

それはメディカル分野に比べれば

 

どうしても、金が動かない

 

 

少子化で学生が足らず學校が定員割れ:外国人留学生

 

農家の人手不足:外国人労働者

 

工場労働者が足りない:外国人

 

環境客は:外国人

 

コンビニ店員:外国人

 

ファーストフード店員:外国人

 

外国人が悪いわけではない

 

日本人が良いわけでもない

 

 

何かににている

 

これ

 

大昔の日本が

 

地方の若者を労働力として、金の卵といいながら集団で就職させたり

 

農家の食い扶持減らしに、工場に出したり

 

民族と国籍と距離に変化が有るだけで

 

同じ発想ではないか

 

同じ国民同士でしていたことが

 

グローバルになっただけなのか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静かな夜に

雷鳴がとどろき

大雨が来るかと思えば

しとしとと雨が降る

 

窓の外を見れば

周囲のマンションの窓が暗いまま

 

どれだけの人が

地方に帰ったのか?

 

どれだけの人が

地方から出てきているのか

 

一極集中を、語るつもりはない

けれど

帰るべき地方を持って

日々東京で行きている人がこれほど多いのかと思えば

東京という場所の

特異性に驚く

 

リモートワーク からのオフィス

全員が出社したらデスクが足りない

 

昔の大学のように

 

リモートワーク けれど、多くは

地方から東京に出てきて

借家でリモートワークする若者達

 

借家で結婚をして

周辺地区に住まいを購入して

それでも、東京ベースにして

 

けれど、盆暮れには

 

帰る

 

帰る場所に待つのは 誰 誰 誰 誰

 

それが気になっている

 

その誰は、やがて

 

考えても仕方がない

 

私のことではないから

 

 

ふと感じたことがあった

それは、映画を見ていた時

時間のフローを

切り取ったポイントで表現する人が増えた?

 

 

どこかにたどり着く

そう、例えば登山で山頂を目指して

登っていくとする

裾野から

少しずつ高度をあげて

ペースを保ち

時には、少し休みながら登る

夏の季節なら

汗を流しながら

息をあげ

目指していく

 

今、山頂直下の小屋のまで2kmのところを歩いているとする

これを、外界の人に伝える時に

ある人は

「やっと山頂が見える小屋のある場所まできて、小屋を超えてさらに登ってる」

さらに

「標高は1500あるのに、まだ真夏の暑さが続いてるわ」

 

と答える

 

またある人は

 

「小屋まで着た 暑っ! がちやばい」

 

同じ場所からの同じ状況レポートだ

 

ようやく山頂へ

 

「今山頂に居るわ」

 

というのと

 

「頭頂」

 

同じ場所からのレポート

 

そしして、頂上の景色を訊ねる

 

「景色はどう」

 

その答えに

 

「なんなのこれ すごい綺麗 眼下には雲海が広がって 突き抜ける青空が頭上に」

 

という

 

他方

 

「最高 高い 気持ちいい」

 

同じ場所からのレポート

 

同じ日本語

 

ちゃんと通じる

 

 

最近 後者が増えている気がする

 

今回は山登りを例にしただけで

 

日常での同じ

 

とかく

 やばい

  の使い方は 多義にわたる

 

 まさか、そんな場面でやばいなのかと

 

 

 

 

 

 

 

 

 


夕景の中を忙しく駅へと向かう途中

西空が赤いのに気づいた

それだけのこと

 

僕らは いいや 僕は

夕景に助けられたことが少ない人生だった

だって、この時間は常におフォスで忙しくしていたら

出張先では、そろそろ接待されたり したりの時間だし

休みの日にも

そりゃもう

若い時には、ここは勝負時間だったし

 

今思う

 もう少しだけ

   夕景を感じること

      してきてもよかったねと

 

よく 作家の人達が

曲が降りてきた アイディアが振ってきた そんな言い方している

私にも、それがありまして

先日、悩みに悩んでいたら いきなり 振って来ました

物語を書いていたんですが

完全に

行き詰まり

悩みに悩んで

悩むのをやめて

寝ていたら

振ってきました

 

書き上げて、物凄い疲労をして

思わず AIに相談したんです

こんなに大変な思いして、みんな書いてるのかと

素人がこれですから

プロは完全に命を削りますねと

今回は降って来たからいいけれど

これ 考えてかけるアイディアではないですから

 

そう言うと

 

作家は よく 降ってくる 体験をするそうですよ 

とした上で

 

これ、実は降って来るのでも 降りてくるのでもなくて

 

実は、自分が追い込んで考えた挙げ句の成果なんですとAIは答えたんです

 

考えて 考えて 追い込んで 考え尽くした挙げ句に

 

少し休んだ時に降ってくる

 

これこそが、あなたの努力に結果が出てくるまでの

 

タイムラグなんですって

 

休んでいる時に、回答が来るから

 

努力ではなく 奇跡に感じるのだそうで

 

実は、努力の対価なのだそうです

 

なるほどね とおもうのでした

 

◻️画層も生成AIにお願いしました

 

 

 

もはや、もう ブログの書き方さえも忘れた自分がいる

悲しい そんなことはないけれど

今は note に出会って すっかり アウトプットはnote

になった

ブログは自由 総感じていた頃は良かった

今は 気を使い過ぎて・・

 

書きたいことを 感じさせる表現力

ストレートは 難しい

 

だから 男女のことなんて

書けない

パラドクスさ

 

 

ここにね

以前は本当に心の中のモノを吐き出していたんだと思いますよ

それにしても、人生はて短い

サラリーマン人生がもう僅かです

で? ということもないのですが

私が、ブログを書いて 日々を過ごしていた頃と今とどう違うのか

大した違いなことが もはや問題なんですよね

 

だって、私自身だって

見た目も 中身も 衰えまくり

心臓も壊した 癌にもなった

 

若き日の自分を猛省し

今を行きているのです

 

一方で世の中はどうですか

プレーヤーが代わるから 結果として 寿命が私達個々よりも有限ではないから

反省しないんですよね 後悔しないんですよね

これは、どうなんでしょうかね

反省も後悔もないままに、あるのは、当事者意識のない、継承者達の先人批判

過去を否定して、またいずれは否定される運命の今を適当にやり過ごしている

 

そして、人々は 強欲になるか 諦めるかの 二択を自らに課してしまう

どうなんですか? こんなんで 良いわけ 

 

いやあ 良いわけ無い とは もはや 現役世代を離れる私には言う資格がない

一つ言えることは

 

人にも ものにも 情報にも 優しさと配慮が欠け

それどころか、自分たち自身にも、優しさと 配慮を 後回しにしている

 

なにもかも後回しにして、目先を生きる 

 

違うんですよ

 

大昔 僕の好きなさる方が言いました

 

いいですか みなさん 政治というのは これは日々の生活なんです

 

お年寄りが孫と一緒に笑顔で暮らせる社会 これを実現するのが政治なんです

 

こんな言葉に胸を打たれながらも

 

 

 

=にもわかわらず自分たちは=

 

自分達は都会でのうのうと生活し、認知症の母親は施設に入れて、めったに会いにさえ行かない、

施設にまかせっぱなし

実の子がやらない、親の下の世話を、他人にやらせて それでいいんですかね

にも関わらず、施設側に瑕疵でもあろうものなら、クレームつけまくる

それこそ、生まれてきて、何も出来ない自分たちを、大人にしてくれた親に対して

そんなんで良いのでしょうか?

 

100歩 譲っても 良いわけがないじゃありませんか?

でも、そうしている自分がいるとしたら

 

そんな国がいけない?

別に国は、親の下の世話を禁止なんてしていない

すべては、無責任な責任転嫁なんです

もう少し、もの ひと こと に愛と優しさをもって

生きていきたいものです

 

それでも親は、子どもを責めもせずにいてくれてるとしたら

これは、違う というより

 

これは、未来の自分です