伴大納言絵巻
High Concept High value 3
「和の」本物を五感の全てで味わう、そのための導き手となるのが、当倶楽部の狙いである。
しっかりと自国の文化=「和の世界的優位性」を身につけ、国際舞台でそれを生かす。流暢に英語を話しても、外国文化に詳しくても、足元がおろそかではおぼつかない。ましてやビジネス上、支障を来すことにもなりかねない。
世界を舞台にして活躍する日本人Executiveは多い。
ワインを片手に歓談する際、日本酒(Japanese SAKE)の造り方の説明を求められた時、ゴッホに与えたジャポニズムの影響を語る時、北斎と広重が頭の中で混乱した経験はないだろうか?
ましてや、彼ら外国人が滔々と、ジャポニズムを憧れの眼差し持って語る時、質問された時、スマートに応えられたらと思った経験は、ビジネスマンなら誰しもあるだろう。
high concept high value 2
しかし、巷には俗悪な、まがいものの「文化」が溢れかえっている。本物の正真正銘の文化をあなたは、味わったことがあるだろうか?その懐に抱かれ、それを味わえるだけの素養があるだろうか?いざ、本物に出くわしたとき、その真髄を、あなたは心ゆくまで味わい、己のものとできるだろうか?さらにそれをビジネス上の武器とするには??
情報に溢れたこの時代、本物に出会うことは存外、難しいものである。
なぜか、日本人は桂離宮を訪ねた人々よりも、ヴェルサイユ宮殿を訪ねた人達の方が多い、という不思議な国でもある。
明治以降、多くを西洋から学んで来た結果、足元の日本文化を蔑ろにしたのでは心もとない。
何となく日本文化が分かったとしても、もはや東京に溢れるのはまがいものの「和モダン」と呼ばれるものである。西洋の眼で捉えたジャポニズム、ハリウッドが戯画的に描いた日本、このような日本であろう。それは、まがいものの日本であり、商業主義と結びついたものでもある。
ハイコンセプト・ハイバリュー 1
「high concept: high touch」というダニエル・ピンク氏の言葉をお聞きになった方も多いだろう。
真の21世紀は、2011年より始まるという見方がある。それまでの10年間はさまよえる小羊の如き時代であった。今、新たな時代が幕を開けようとしている。
目に見える物を売る時代は、もはや時代遅れとも言える昨今、正に前述の「high concept」に相当するのが、文化と伝統・教養であると言える。書店を見まわしても、「文化投資時代」「文化資本主義の到来」など、文化を冠としたキーワードが多く見られるようになった。しかも、これらの著作は現役のビジネスマンによって書かれているのが更に興味深い。
明智憲三郎様
「是非に及ばず」は信長公最後の言葉として知られる。しかし、もう一つ有名な最後の言葉もあると、明智光秀公御子孫から初めて伺った。信長公の小姓として最後までよく尽くした弥助が伝えたとされる。「自ら招いた結果だ」と言ったという。実は、本能寺には、信長が家康公を討つ為の布石が敷いてあったと、明智様は言われる。それが逆に自分が討たれた形になったのが、冒頭の言葉につながる。初めてお伺いした説は、実に説得力があった。光秀と家康は利害が一致したのだろう。その後、家康公が太平の世を作り、権現様として東照宮に祀られた。ここで最初に眼に飛び込んでくるのが、「三猿」の彫刻。これは、太閤の隠喩だという。「惟任退治記」という秀よしが編纂させた本能寺の顛末書がある。この記録こそ、光秀怨念説、天下取りの野望説、信長公の最後における横暴な振る舞いの元ネタを提供した記録であるとのお話は興味深い。明治期、国家のヒーローとして太閤は祭り上げられた。時代は中国進出とも重なっているので、それは国策であった。また大河ドラマも大いに先ほどの説(光秀悪玉説)を助長した。今、御子孫より、新事実が明るみになりつつある。