からのつづき。
あのころは満月すぎぐらいで、今は新月すぎ。
同じ環境に置かれるって人はいないから完璧にわかってもらえるってことはないんだけど、
それでも天の助けかいろんな人がいろんな形で支援してくれたこの頃。
白いカレーうどんとやらを食べに行こうって誘ってもらって恵比寿。
人酔いして余裕がなかったためにイライラしてたけど相手には何の落ち度もない。
空海がひらいたっていう高尾山神護寺の展示。
鐘楼堂屋根の修復費用を募るクラウドファンディングでご支援を募集いたします 。
→クラウドファンディングのページ
神護寺創建1200年、空海生誕1250年の節目の本年、国宝「梵鐘」を守る鐘楼堂の柿葺屋根の修復を行います。
第一期の総工費は3,000万円です。
第一目標として1,000万円を掲げて、9月13日(金)23時まで挑戦させていただきます。
どうぞ皆様のご支援をよろしくお願いいたします。
どうも修復に3千万円ほど必要らしくて、クラウドファンディングしたいってことみたい。
だったらどうして国立博物館でもっと宣伝しないんだろ。
知らなかったじゃん。
三輪山の十一面観音もそうだったけど、結局「おカネがない」って問題に直面しているみたいね。
カミさまよりカネさまの方が頼りになる、っていうか、もはや、神さまも金さまを必要としているというか。
みんな、おカネの問題だって思うかもしれないけど、この問題は根深いのよ。
ようは、神さまは、人の間にいないってことなのよ。
今までは、神さまが困らないように、「人が」してくれていたのに、
それをしてくれる人がいなくなった。
つまり、人の心から信仰心ってものが消えている。
昔はお堂の修復とかは、みんなが力を出し合ってやったものだけど、それをおカネで買おうとするようになってしまったことがこの問題の本質なのよ。
タダでではなくてきちんと評価してあげて欲しいけど、おカネで換算するのはしょせん無理だと思うよ。
たとえば宮大工。
釘をつかわず木材をつなぎ合わせる技術。
印は瓢箪。
明治神宮にもある。
なんでこんなところにひょうたん?
あたらしくミュージアムができて、ある一角にそれをみつけてからずっと気になっていた。
この頃差し向けられている教育係はそれを即答した。
「ここだけ釘を使ってない」
なるほどね。
明治神宮はそれを知っている人たちの場所だ(った)ってことよ。
成田山もそう。
瓢箪は、いつもぶらぶらしているが、くびのまわりにしめくくりあり。
ひょうたんは、海人族の印、だとわたしは思う。
というか、籠神社もそうだから。もともとあそこは、「よさの宮」といったのだから。
よさ=ひょうたん。
豊臣秀吉の千成瓢箪も。
帰りに目に留まったのは、
五條天神社旧社地跡(台東区上野4丁目10番)。
現五條天神社が不忍池弁天堂を挟んで反対側にあるのが気になるところ。
目を引いたのは、神木らしい銀杏の木。
もしや旧から新への変更には、もともと古いという聖天島から弁天島への変更と関係あるのではあるまいね?
聖天島には役行者とカーリー神と鳥塚があったと書いてある。
そういえば、教育係がもうひとつ口にした質問がある。
アララト山の絵葉書を送ったら、「この花はなんですか」って聞いてきた。
「桜でしょ」
わたしはそう答えた。そんなこと、聞かなくてもわかるじゃんね。
でも待てよ。
「このはなは、何ですか」
「桜」
このはなは、桜ではない。
本当は、梅。
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花 王仁
何度もお伝えしている通り。
でも、アララト山の写真はまちがいなく桜。
わたしがアララト山をみにいったあの日は7月17日。
ノアの方舟がアララト山に漂着した日。
この世に偶然がないとしたら、絶対なにか大きなメッセージがあるでしょ。
もしかして、梅から桜へ移った舞台がアララト山で、その記念が7月17日?
だったらいろいろ腑に落ちるんですけど。
たとえば、剣山の祭が7月17日だとか、牛頭天王を祀る祇園祭がその頃だとか。
なぜ天満宮に牛があるのか、とか。
梅から桜へ。
その徴が、牛?
天満宮を舞台に、「このはな」は梅から桜に変わったってこと?
コノハナサクヤヒメは、今は「桜」でしょうからね。
不忍池の祭祀が、聖天島から弁天島に移ったのと、なにか関係があるのかな。
この天満宮の移転も。
天文考古学の桜田さんによると旧社地も玄武ラインにあるらしいけどね。
そういえば、王仁の碑、上野公園でみたよ?
でこのことをFacebookにあげた瞬間にアイスもらったりビールもらったりすごいご褒美がふってきたんだったな。
ひさしぶりに見つけたアオサギ。
空の様子はどんどん秋に。
ようやく月が小さくなってきた。
黒潮の仲間の誘いでかつしかにクラシックコンサート。
寅さんの葛飾と、音楽の都ウィーンが姉妹都市なんてしらない人が多いんじゃないだろうか。
当時のウィーン市長が日本に向かう機内で寅さんをみて、感動したのが縁らしい。
で、黒潮の仲間がかつしかを音楽の街にって活動をしていて、誘ってもらったんだけど、
寅さん最終回の「男はつらいよ 紅の花」の舞台の加計呂麻島ルーツのわたし、美志摩かながここに呼ばれるっていうのは特別なご縁ということなのだと思われる。
そもそも男はつらいよシリーズはあれが最後になる予定ではなかったらしいし、
しかもあの「リリーの家」は「ばあさんの実家だった」って話が持ち込まれたりとかあったからね。
そもそも、わたしの本名はリリーだし。
いや、わたしはリリーにはなりたくない。
でもそれくらいの歳かなもう。
フーテンの寅子をやってきたけど、そろそろリリーの家に休みたい。
っていうか、わかりあえる相棒のリリーに出会いたいんだけどな。
帰りにスーパーに買い物に行ったついでに広尾の弁財天。
ここに連れてきてくれた友人を思い出していつもの
「今から会える?」
ちょうどライブのはざまのタイミングだからってお出かけ先から戻ってきてくれて一緒にコーヒー。
彼女のちょっと前と、今の自分は同じような時の流れ。
バイトに明け暮れた時期からそれらを卒業して、本当にやりたい歌だけをしている彼女。
わたしも朝昼晩過呼吸くらい息するように仕事をしていた自分を卒業しての、したくないことはしない、のわがままスタンスを貫いての今。
これからの時代は、「やりたくないこと」を「しなきゃ」と思っている人たちがそれをして世の中を支え、
そうでない人たちは、「したいこと」だけをするようになる。
どっちがいいとか悪いとかないと思う。
それらは、自由意志での選択の結果、になるのだと思われる。
「そんなのずるい」とか「おかしい」って思うなら、
「したくないこと」に手を出しちゃいけないよ。
ひとり時間もきつくてきつくて、さらに眠れず泣きついてごはん。
しかし、泣きつくといってもかわいくない私はキレるだけ。
それでも、この世には「普通の素直な人だとつまらない」と思う奇特な人もいて助けられている。
薬の副作用か細かい理不尽にいちいちつっかかる。
ふるさと納税で送ってもらったコメが白米で、普段白米は家では食べないから、まだ昨年の玄米ともらった白米を小さな冷蔵庫に入れて少しずつ食べているわたしはいきなりきた真夏に突然届いた10キロの白米を保存できずに、
自治体に玄米に変えてもらえるように交渉した。
でも、先方はできないの一点張り。
この真夏に予告もなく精米したコメを送りつけるってどうよ?
せめて精米時期は選ばせてほしい。
新米がもうすぐできるだろうから、早くさばきたい気持ちはわかるけどさ。
玄米に変更も、小分けの商品に変えることも、時期を変えてくれることもできず、
「返送なら承る」って言われて、
「権利は(納税してくれた人に)の意向で返すことができる」
っていうから仕方なく返した。
だって、うちの家はエアコンもいれてないのに、白米って生ものをこの暑さでダメにしないって無理だもん。
結局好意を無駄にして残念でしかない。
小分けしてあれば、友だちにあげるってこともできたけど、さすがに5キロの袋をクルマのない私が出先でプレゼントって、相手も困るからできないもん。
こういう仕組み考えてもらえないかな、ふるさと納税。
なんとも後味の悪い結果に。
前は玄米に変えてもらってそれは1年経った今も大事に食べているんだけどな。
お米は、備蓄するものなんだよ。
今の行政の人たちはそんな基本的な知識もないのかもしれないけど。
そんな愚痴をきいてもらいながら近所の居酒屋。
酒を飲む気にもなれずジンジャーエール。
飲めば元気になるかと思って2杯目はワイン。
こんな展開も今までにない感じ。
なんなんだろ、このモニュメント。
似た形、みたことある気がするけど思い出せない。
ここにもイチョウ。
東京には銀杏の木がけっこうある。
東京の木だけど、東京都のマークは、「イチョウじゃない」ことは既報の通り。
なんか、最後は諏訪とか、1989年のドイツのこととか書いてある。
当時交流していた風の鳥さんはなんと帰国して入院していらっしゃると書いてあった。
ドイツ繋がり。いろんなことで共通点がありそうな方。
なぜか麻布十番におそばを食べに行こうって誘われた。
わたし、話したことあるんだけどな。
ここで食べた蕎麦はとても塩辛かったって。
なぜならわたしは人生はじめての「クビ」を言い渡された場所がこの蕎麦屋だったから。
あのとき食べたのは女社長が頼んだ鴨なんばんだったが、今回は別のもの。
ここでわたしはひとつの重大な出来事を思い出した。
ここでクビを言い渡されたときは、わたしはまだ一回目の結婚をしていたはずだってことよ。
わたしはもうあの当時のことは記憶から消えているからね。
いつ離婚したのか覚えてない。
でも二人の秘密で双方の親には黙って離婚したのに、今回もわたしに一方的な投げかけをしてきた実の父によってわたしは夫の家に連れていかれて離婚を明るみにしてしまったのがすべての大混乱の原因だっただから。
もちろん人生に「もしも」はないけど、
あのままわたしたちが自然体でいたならこんな分離はなかった。
わたしが子どもとの面会権を求めてつけた社会派弁護士に裏切られて、彼女の弁護士費用を捻出するために彼女が彼女の一存で元ダンナに要求した「解決金」のせいで、「わたしが」お金を要求した、と思われ、
「経済的に不安定なあなたに育てられるより、裕福な相手に育てられる方が子どもたちのため」と説得された。
子どもたちへの手紙は彼女が責任をもって渡すと約束したが、それは履行されなかった。
なぜなら「わたしがおカネを要求した」ということと一緒に、「手紙は受け取らずに返した」と元ダンナがネットで書いているのを見たから。
すべてが誤解ですべてが裏目でしかなかった。
人生にはどんなに訴えても解けない誤解があるんだなってわたしがあきらめるようになった原因はあの空白時代にあるのはまちがいない。
伊勢平氏おじさんのストーカー事件もそう、
結局真実とは関係なく、「わたし」がしていないこともあっさりと「したこと」になるんだってことをあのときに思い知った。
そしてそれは相当にショックでわたしの記憶の中からあらゆるものと一緒に消し去ったっぽい。
その空白期間の「点」にこのタイミングで、なぜか連れられて行った。
このところ美しい秋の空。
バスで東京スカイツリーに行ってとんかつを食べた、って話をしてくれた教育係と神宮でばったり会って、そのままスカイツリー。
いつか行こうって言ってたから。
朝の参拝スタイルのまま。
森の妖精同士な感じでちょうどいいのか。
ふたりともちょっと浮世離れしているからね。
四谷大木戸は東京に水を流すために一番高い場所にある。
玉川上水は羽村取水口から四谷大木戸まで約43キロに渡る水路で1654年に完成。
羽村取水口から四谷大木戸までの高低差はわずか92メートル(100メートルで21センチ)しかなく、創意工夫と粘り強い努力によって作られた。
そして終着点の印は、緑の石。
なんでか四谷大木戸から高麗神社に行っている不思議。
そこでみる剣片喰紋。
実はスカイツリーはらせんになってて、水平に見えない。
そこがここの特徴。
会津のサザエ堂というか、イランのサーマッラーのモスクというか。
サザエ堂は怪しかった。
会津さざえ堂。二重らせん構造。二重らせんって DNAじゃんね。ワトソン・クリック。1953年。
ちょっとまって、これができたのは、1796年だよ。
wikiによると
江戸時代後期の寛政8年(1796年)[11]に当時の住職であった郁堂(いくどう)が建立したものである[12]。当時は阿弥陀如来を本尊とし、斜路には三十三観音像が安置されていたという。神仏混交の信仰形態をもっていた正宗寺は、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、以後、栄螺堂は個人の所有となっている。また、堂内にあった三十三観音像は他所へ移され、代わりに「皇朝二十四孝」の額が取りつけられている。
とある。
昔は阿弥陀如来。
浄土真宗?一向一揆のあれ?白山?
今は仏像はなくて、なんかいろいろ額が飾ってある。
で頂点にあったものは、
54代仁明天皇って額と
23代顕宗天皇って額
んー。なんなんだろ。このあたりが示すなにかは。
雲の上、って演出みたい。
いつも森を歩く妖精が天空を歩く。
白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
若山牧水
空をあるくわたしと地を這うわたし。
父は空海と同じ誕生日だと自慢していたっけ。
なぜかわたしにはこの歌、日本武尊をイメージしちゃう。
空も海も、わたしにとっては父。
関係ないのは頭ではわかっているのに、なぜなんだろ。
いつか、青い鳥になれるかもって遠くまで旅している白い鳥。
週一の人間界の修行、からのかつカレー。
カレーってもの忘れにいいんだってさ。