奇跡が起きるとき | かんながら

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旅の記録です

わたしがあなたがたを愛したように、 互いに愛し合いなさい。 これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、 これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、 あなたがたはわたしの友である。もはや、 わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。 僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。 わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、 わたしがあなたがたを任命したのである。

(ヨハネによる福音書15:9−16)

 

今週の聖句はこれだった。

 

現実的な用事があるときしか教会に行かないわたしであるが、呼ばれたミサではいつも号泣する。

 

 

「友のために自分の命を捨てること、これ以上の大きな愛はない」

 

この聖句は、しろくまさんが亡くなってすぐ、机の上の彼の持ち物を整理していたとき、奄美で出会ったシスターがくれた名刺がでてきて、その裏に書かれてあった。

もらったときには、ちっとも響かなかった。偽善みたいで。

 

 

でも、机の横に置かれた棺に眠るしろくまさんの隣でこれをもう一度目にしたとき、彼は確かに、わたしのためにいのちを捨ててくれた、って思った。

 

 

わたしの方ははやくあの世に帰りたくて、彼はまだまだやりたいことがあったのに。

 

 
 
彼は、知覧特攻平和会館の写真集(いつまでもいつまでもお元気で)の仕事をすることになったことがきっかけで、彼自身がある特攻兵の生まれ変わりだと信じていた(都をつなぐ旅 〜オーサカからトーキョーへ 護国寺から靖国神社へ(その2))。
 
 
そのことを、わたしに話すことはなかった。
なんとなく、そんなことを口にしたことは、ある。
本当に大事なことは、(パートナーには)言えないものだ、と近所のご婦人に言われたけど、それもなんとも受け入れ難かった。
 
そういえば、彼の生い立ちは、「戦争」と切り離せない。
お父さんは、東京大空襲で年長のすべての家族を喪い、幼い弟ふたりを連れて戦争孤児として生き延びた。疎開して助かったものとばかり思っていたが、東京にいて空襲にあっていた。
しろくまさんがそのことを知ったのは、お父さんの1周忌の法事の席だ(陸軍と桜の1日 〜 上野寛永寺〜靖国神社〜千鳥ヶ淵)。
 
 
バイト先の怖いおじちゃんに「お前みたいなやつが真っ先に死ぬ」って言われたり、軍用イルカのことを話していたり(神に抱かれる 〜軍用イルカと波動測定器、そしてユダヤ?)、望んでいたのは平和な世の中。
 
 
さて。

 

 

 

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。これが、わたしの掟である。」
 
 
もう何千年も続いている争いが止まる、という奇跡が起きるとするならば、それはきっと神のはたらきなのだと思う。
 
 
 
憎むべき相手を愛するとか、
許しがたいことを許すとか、
真逆のものと睦み合うとか、
 
 
そこに、神があらわれるのかもしれないな。
 
 
 
でも。
 
今までみたいに「ただ飲み込むだけ」が正解じゃないような気もする。
 
 
そういえば、
「お金貸して」にも
「口約束を反故に」にも、
 
「NO!!」って言ったけど、
 
 
わたしは彼らを拒否してない。
わたしが拒否したのは、彼らの言動である。
彼らの方は(彼ら自身のことを)拒否られた、と思っているかもしれないが。
 
 
今までだったら、「NO」自体言えなかった。
釈然としないまま、自分の気持ちの方を修めて、変わらずつきあっていただろうから。
 
 
気持ちの方をおさめることに慣れすぎているような気がする。
伊勢平氏おじさんは、相変わらずわたしに対して理不尽な怒りをぶつけてくるし、理不尽な要求をしてくる。
それでも、おじさんと睦み合うために、そしてそのまま受け止めてしまったら心が折れてしまう自分のしあわせのために、彼の理不尽をいちいち点検しなかった。
でも、わたしのなかには、やっぱり小さな澱になってたまっているみたい(私の孤独)。
 
 
 
でも、もうその理不尽を飲み込むのはやめたんだった。
伊勢平氏おじさんに対しても、そうしよう。
 
 
「互いに愛し合いなさい。それがわたしの掟である」と、イエスは言った。
 
 
「自分自身を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」ともイエスは言った。
だったら、わたし自身もまた、他人とおなじように(少なくとも自分自身には)、大切にされてもいいはずだ。
 
 
わたしは掟を守ってきた。
しようと思ってそうしたのではなく、ものごころついたときからずっとそう。
わたしのたったひとつの思いは、I love you だから。
 

 

だから、拒絶を受けるたびに、ずっと悲しかった。

社会と、人と距離を置いて生きてきた。
仕事をしているときをのぞいては。
 
 
 
他人を尊重するように、自分を尊重したとしても、
それが神の意思に叶うなら、それは、成る。
 
 
その対立を埋めるのは、わたしではなくて、神のはたらき。
 
 
明日は新月。
 
 
 

 

 

 

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