兆しに気づく、神に委ねる 〜緊急事態宣言発令中 | かんながら

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旅の記録です

 

表参道も木々の枝先が賑やかになってきた。

 

人間が寒さにとらわれて「冬」としか思っていないときでも、自然は常に次の季節へと移り変わっていく。

春がきて、突然に春になるのではない。

 

枝先が丸みをおび始めるのは、12月くらいか。

この時期になると、5月に新芽を芽吹く欅(けやき)ですら、こんなにも姿を変えている。

冬のうちに、春の「しるし」は訪れているのだ。

 

 

 

 

 

 

会社員をしているときから思っていたが、「事件」が起きたとき「突然」ってみんないうけど、兆候(しるし)は必ずある。

 

 

 

「そんなことしたら、○○になります」

 

わたしは空気が読めないから、よく上司や社長に直談判にいった。

 

 

 

社長から

「怖いから下がりなさい」

って言われたこともある。

 

 

「ジャンヌダルクはいらない」

とクビになったこともある。

 

 

 

多くの人は、「気づかない」ようにできていて、

 

気づいていても、保身のために「忖度」して、それを告げない人も一定数いる。

 

そして、こういう人たちが「会社員が向いている」人であり、

後者のタイプが会社員として成功できるものなんだなとわかったのは、いろんな会社で会社員を10年やってからだ。
 
 
わたしは運のいいことに、最後の会社で査定の面談のときに上司から、
 
「お前の評価は、仕事の出来できまるのではなく、オレの好き嫌いで決まるのだ!」
 
と正直に言ってもらえたので、すっきりした。

 

 

そして、わたしは(個人的な事情で)会社員を辞めざるを得ない状況になり、人の相談を聞く仕事をするようになった。

 
 
そこからの人生は、最初の離婚をしたときと同じく、「波乱万丈」って言葉は甘いと思うくらいのいろいろありすぎる人生だったが、会社員に戻らなかったことは後悔していない。
 
 
社会(会社)は、私を必要としていなかった。
だからといって、わたしが人に忖度して、会社の方に馴染んでいたとしたら、私は、自分の霊性を損なったと思う。
 
 
ストレスで精神を病む人が増えたからなんとかしないと、って言うけど、そんなもの、社会(会社)が変わらなければ解決しない。
 
 
わたしは、コンプライアンスや、人の健康に関わる仕事をしていたから、「ノー」といわねばならないことは「ノー」ということが、仕事だと思っていたし、今も間違っていないと思う。
 
 
わたしは、自分のあり方を「保身のために忖度するよう」変えるより、会社(社会)を変えようとしたけど、会社(社会)から追い出された。
 
 
「他人を変えるより、自分を変える」っていうけど、
 
 
もし、わたしが会社の利益優先で「黒」を「白」といい、
「ノー」を言うべきことを「イエス」と言って、そのことが明るみにでたら、間違いなく社会から糾弾された。
 
そしてそんな問題が起きたら、会社だって私が求められる職務を果たさなかったと責任を問うたであろう。
 
 
この世の中は、矛盾だらけで成立している。
 
 
 
以前の記事(私の孤独)で書いたが、

人は適度に嘘をついたり、ごまかしたりするけど、わたしは、それがみんな記憶に残ってて違うと引っかかる。

そして、それが自分の心の深い部分に澱になってたまっていく。

 
会社(社会)には居場所がない、と悟った。

 

 

そしてそこからしばらくして、東日本大震災が起きた。

 

 

 

阪神淡路大震災のときにも、同じことがあった。

そのときのテーマは「家族」だった。

「家族」の中での役割と、自分自身のあり方の乖離。

 

 

わたしは、「自分」を捨てるより、「家族」を捨てる方を選んだ。

 

 
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そして、コロナの今。
 
「命」か「経済」か。
 
 
 
そんなの、立場によってみんな違う。
 
 
 
はっきり言おう、完璧な正解なんか絶対ない。
 
 
 
しかも、同じ人でも、状況、置かれている立場で、選択すべき最適解は違うのだ。

 
同じひとりの人間でも、医師としての立場、家庭の中での親としての立場、委員としての立場、で出すべき答えは違う。
 
 
 
だから。
 
もう、いい加減やめようよ。
 
絶対に埋まりっこない溝を、嘘やごまかし、隠蔽で埋めようってすることは。
「正しい答え」なんかそもそも存在していないのに。
 
 
それこそが緊急事態だ。
 
 
 
 
 
医師は医師として、
経済学者は、経済学者として、
政治家は、政治家として、
生活者は、生活者として、
 
 
自分の立場からの正直な意見を伝えたらいいじゃない。
そこには、葛藤も矛盾もきっとある。
完璧な答えなんて存在しない。
 
 
 
でも、その溝はいずれ必ず埋まる。
日本人は、今までだって、「なんとなく」を上手につかって、うまくやってきたのだ。
 
 
のらりくらり、あいまい、いい加減な日本人的決定方法。
でも、素晴らしき「日本製」は、頑なで折り合うことのできない愚直な人たちの間に神があらわれることによってできたのだ。
 
 

 

 

 

あの気持ち悪いくらいの独特のあいまいさが、「日本」の強みだ。
そこに、「知恵」が入り込まなければ。
 

 

 

 

埋まらない溝を、「知恵」で埋めようとするから、おかしくなるのだ。
 
 
 
アダムとイブは、(知恵の実を食べたことによって)知恵がついて、天国から追われた、と聖書にあるではないか。
 
 
知恵は、恐れからくる。
だから、地獄を生み出す。
 
 
「知恵がついた」から、わたしたちは、天国から追われ、地獄に堕ちたのだ。
 
 
わたしたちが、しあわせでいたいなら、
 
その溝を埋めるのは、「神」だ。
神とは、「愛のはたらき」だとわたしは思う。
 
 
 
コロナ経済では、きっと苦しい立場に置かれる人は、すごくふえる。
ほんの少しの勝ち組以外の人は、すごく苦しくなる。
 
でも、それは豊かな人たちが、支えたらいい。
実際に、今、そうなっている。
 
 
経済的に豊かな人たちだって、サービスや商品は労働者からお金で買うのだ。
その人たちが経済的に困窮して、いなくなって提供されなければ買えないのだから。
 
 
 
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健康の問題に関しては、(わたし自身がそうだが)普段から健康の問題のない人、コロナにかかっても無症状や症状の軽い人は、重症化しやすい高齢者の人たちや、健康に不安を持っている人たちに配慮することも必要だと思う。
 
 
不安は、人をおかしくさせる、と前に書いたけど、人は不安になると、他者を非難し、他者の行動を制限するようになる。
 
 
すると私たちの行動は監視され、いずれ禁止され、わたしたちの自由は奪われるようになりかねないし、実際にそうなってきている。
 
でも、不安を持っている人たちが、社会が彼らに配慮してくれていて、大丈夫だと安心できたら、(他者を)自由にさせていても大丈夫だと思えるようになるだろう。
 
 

わたしたちが、人ではなく、自分自身をみるようになったとき、神はあらわれる。