私は孤独 | かんながら

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旅の記録です

 
下書きのはずが上がってた。
すみません。最近(元から?)おかしい。
昨日はよりによって記憶が飛んでいる。
 
朝起きたら食べた記憶のないレンチンピザの袋がゴミ袋に入れられており、調理済みのピザがレンジの中に入ってた。
 
 
 
「私の孤独」って曲について書いた(私の孤独)。
白山のサルタヒコと話してて、「私は孤独」にいきついた。
 
でも、「私は孤独」だと美しくない。
 
だから、嫌われる。
 
 
「私の孤独」の世界は、伊勢平氏おじさんの世界だ。
おじさんにとって、わたしはこの歌のいう「孤独という名の彼女」なんだなって思った。
だってわたし孤独だもん。この歌では、孤独という彼女をとにかく遠ざけようってもがく。
わたしは彼の孤独と一体だから避けられるのであろう。
 
 
 おじさんには嫌われてるとしか思えない扱いをうけている。
私の友人からはおじさんは「サイテー男」である。
自尊心が低いから、そういう男を好きになるんだとか思われるけど(過去にはあった)、そういうのではない。
 
 
 
 
子どもの時からずっと「ぼっち」で、ハイジのおじいさんみたいな人間嫌いの祖父とふたりきり。
家庭のあたたかさとか無縁だった。
 
 
でも、学校に入って「かわいそう」って言われるまでは別にそれがあたりまえで普通だったから、苦しいと思ったことも親を恨んだこともない。
 
 
 
 
うっかりしてると周りの感情が流れ込んでくるわたしは、このところすごく心がざわついている。
前回緊急事態宣言が出たときも、なにわの審神者(さにわ)もそうだったが、自分自身もかなりおかしかった(平将門公とイエスキリストと、空也のもなか 〜贖いのちから)。
 
きっと、世界中が不安なんだろう。
わたしはテレビもない生活なので、ニュースもほとんど入ってこない。
だからよくわからないが、今世の中が混乱してるってことは、自分の心のざわつきぶりからなんとなくわかる。
 

 

なにか感じることがあるみたいで、会ったばかりのサマリーさんから連絡をもらったり、久しぶりの友人から電話貰ったり。

 

 

寂しいよぅ、って泣いて甘えてみるも、

わたしの長い友人たちは達観しており、

 

 

「オレの商売人としてのカンが、オマエには近づくなと言っている」

 

などと言われる始末。

 

 

「玄米10キロ手配しといたで。しばらく生きられるな」

「うん。ありがとう」

 

 

浮き輪を投げるのが上手である。

 

 

 

私は孤独。

だってこの世界には自分しかいないんだもの。

 

 

 

 

 

 

昨日間違えて、とある聖地の井戸の水を飲んでしまった。

塩水か味をみて、って頼まれても怯むやつだったのに。

 

でも、そのせいかその後のワインのせいかわからないけど、ヨギの治療師とオンライン飲み会してたら終えた記憶がない。

でもチャットはとりあえず普通に成立してたようだ。

 

 


 
そして、朝起きたら、空がきれいで、
 
鳥が飛んでて、
あの鳥も、行き交う人たちも、木々も、
 
 
 
あ、みんなわたしの一部なんだなって感じた。
 
 
もちろん知っている。
でもその体感があるのは、久しぶりだった。
 
 
 
前にも、こんなふうに感じたことはある。
何度も。
そして子どもの頃は、いつもそう感じてた。
 
 
 
わたししか、いない、世界。
だから、私は孤独。
 
 
以前の記事にも書いたが、「神も投影」とヨギの治療師は言った。
 
 
わたしはわたしの力の秘密に気づきつつある。
それは、わたしたちすべての人が持っているものだ。
 
 
 
コロナは、わたしたちに恩寵をもたらしてるのかもしれない。
 
 
ひとりで考える時間があり、
リーダーに失望することは気づきにはいいことなのだ。
 
私も常々先生を持たないようにしてきたし、もたないように勧めてきた。
 
だって、私の世界はわたしの想いが生み出したものなんだから。
 
 
 
 
伊勢平氏おじさんだって、何かが変わりつつある。
 
世界は、きっと、解き放たれる。
 

 

 

 

 

 

 

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