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pocopanのブログ 「地図がいっぱいある暮らし」

地図を眺めれば、家にいながら「冒険」の始まり。
毎日をワクワクドキドキの「夏休み」にするためのブログ。

 

今年二度目の広島です。前回の6月では、母の入院の見舞いのついでという形で原爆ドームを見学しました。その後、母の入院から3ヶ月が経過したため、老人ホームから退園せざるをえなくなり、その退園の手続きで、急遽山口へ。今回もついでに広島に立ち寄ることにしたのです。今回の広島のメインは、家内がかねてから行きたがっていた大和ミュージアム。大和ミュージアムは呉にありますが、広島からは呉線で30分ほどの距離にあります。

いつもの「Booking.com」でホテルを探したところ、あいにくと呉には見つけられず、広島で選ぶことにしました。前回のエンホテルも候補に出ましたが、夏休みということなのか、6月の倍に近い価格です。この価格はどのホテルでもそうですが、もう少し駅に近いホテルを探します。見つけたのが、ロイヤルパークホテル。それほど値段も変わらないので、空いていた2部屋から川が見えるという少し高めの部屋を予約しておきます。

山口での見舞いも済み、手続きや私物の整理などの用事も、滞りなく完了。一路広島へと向かいます。駅前は6ヶ月前と変わらず、改装工事中。地下街に降りて登り返すのも面倒なので、地上を歩きますが、通行止めが多く、どうしても反対方向へと歩かされます。炎天下の中、長い信号を待ちつつ、かなりの遠回りをして、ホテルに到着。無事にチェックインを済ませ、部屋に入ると、まさかのリバーサイドとは反対の部屋。ホテル入口の道路とびっしり建てられたビルしか見えません。一泊ならまだしも、二泊なので、ダメ元でフロントに話に行きます。いくら謝罪されてもこの時期ではリバーサイドの部屋は空いていないと思ったのです。

フロントの女性は、どう対応して良いのか分からないようで、私の話を聞きながらも、しきりにパソコンで何かを調べている様子。すると、隣の男性フロントが、口を挟んできます。「本当に川が見えると書いてあったのか。このスタンダードタイプでしかも「Booking.com」なら、そのような広告は出さないが、本当に見たというのか。」と。私を睨み付けながら、私を詰問し、論破しようとしているようです。さすがに見たという自信を少し無くしましたが、二つある部屋から一つを選ぶ際に、眺望に関する記述でわざわざ高い方を選んだので、私も当初の主張を繰り返します。「文言は正確に覚えていないが、川側だと認識して予約した」と。そのやり取りはさすがにまずいと思ったようで、女性フロントが男性フロントから主導権を奪います。「お客様、あいにくと、このタイプの部屋で川が見える部屋は空いておりません。ランクが下がる部屋で狭くなりますが川が見える部屋が空いております。そちらの部屋とかで問題がなければお移りなさいますか」部屋の写真を見ると、先ほどの部屋と比べてほんの少し狭い感じ。すぐにOKします。しかも、ランクが低い部屋なので、5千円ほどの返金。部屋は最上階の15階で、当然のごとく眺めは抜群。このホテルの部屋の価格設定は狂ってると思いつつも、二泊のホテルライフを満喫するのでした。めちゃくちゃ悩むのは、このホテルの評価ですね。でも、「Booking.com」の予約をキャンセルして、現地で手続きをしたので、「Booking.com」での評価はできないのでした。

今朝も広島は炎天下。呉線の出発点である広島駅へ歩いて出るのも億劫で、ホテルからタクシーで大和ミュージアムへ向かってしまいました。昨日のロッカー代やホテルの代金が多少浮いたこともあり、さらには日本経済を回すんだという大義名分をにわかに掲げ、それほど抵抗なく無駄使いをするのでした。お金を支払った価値は十分あったようです。快適に目的地につき、後半ぐっすり眠っていた家内も元気一杯です。

自衛隊の巨大な潜水艦が目に入りますが、とりあえず博物館入口のネプチューン像を眺めながら入館します。山崎貴監督の特別展示もあり、両方見学することにします。まずは大和の方へ。いきなり、10分の1の大和の巨大模型。さすがに圧巻です。甲板のわずかな傾斜も再現されているとかで、細かいところまで作り込まれているようです。高射砲の一部に一人だけ兵士が配されていて、縮尺が分かるようになっています。プラモデル経験者としては、光沢のある表面よりは、実際に使われていた感じを表現するために汚しの塗装がされていた方が良かったかなと思いました。

ミュージアムは、中央に先ほどの模型が配されており、まわりに呉軍港の歴史や実物大の兵器(酸素魚雷・回天・海竜・零式艦上戦闘機)、呉軍港で建造された軍艦模型が展示されていて、映画「アルキメデスの大戦」で語られているような大和建造に関する資料はあまりなかったようです。というのも、この博物館の正式名称は、「呉市海事歴史科学館」で、「大和ミュージアム」は愛称なのでした。

山崎貴監督の展示室は楽しいの一言。今まで手掛けられた作品の模型やらジオラマが展示されており、この作品も山崎監督なんだと今さらながらの驚きの連続でした。まだ見ていない作品もあるので、家に帰ったら鑑賞しようと改めて決意するのでした。ミュージアムからの帰りは、呉駅へ通じるデッキを伝って歩きます。ちょうど広島行き電車が到着し、広島駅へと向かうのでした。

帰りの新幹線では、重巡高雄が登場する「ゴジラ-1.0」がもう一度見たいなと思いこがれていましたが、武蔵小杉のタワマン群を通過し、有楽町駅を過ぎて東京駅ホームへ到着する頃には無性に「シン・ゴジラ」が観たくなっているのでした。


■コース
①ホテルからの眺望


②大和ミュージアム


③映画監督山崎貴の世界




さあ、今日も地図を広げて、
博物館へ冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

GoogleMapで地図を眺めていると、海浜幕張の南東方向に「バレンタイン通り」なる通りがあることに気づきました。やけにロマンチックな通りがあるものだと感心していると、近くにマリンスタジアムがあるのを思い出し、千葉ロッテマリーンズを優勝に導いたバレンタイン監督の名前だとようやく納得するのでした。

名前の由来が野球にあったとしても、次の早朝ウォーキングで歩いてみようと思い立ちます。バレンタイン通りは、海浜幕張駅の南東に広がる千葉県立幕張海浜公園の先にある打瀬と呼ばれる地区にあるので、まずは海浜幕張駅へ向かいます。といっても総武線沿線と京葉線沿線との間はバスを使うしかないため、バスが動き出す時間より少し前の6時前に家を出ました。

総武線の幕張本郷駅で2両編成のバスに乗りこみ、海浜幕張駅へ向かいます。千葉ロッテマリーンズ マスコットのある海浜幕張駅南口の広場。毎度のことながら、何やらイベント用のオブジェが置かれているのですが、今回もへんてこな物体が鎮座していました。案内板などがいっさいないため、何を表しているオブジェかはまったく見当もつきません。

三井アウトレットパーク幕張の細い道を抜け、メッセ大通りへと出ます。ここにはホテルが立ち並んでいます。幕張メッセで仕事の用事がなるならば、ここに泊まるのが便利そうですが、宿泊料はそれなりに高そうです。ホテルニューオータニ幕張にホテルフランクス、ホテル ザ・マンハッタンには趣味の良いベンチが置かれていると思いきや、ラブホテルかと思うような石膏像も置かれていました。

千葉県立幕張海浜公園では、植物の名前を示す手作りの木材の名札がとても印象的。わんぱく広場にも時計塔や帆船など個性的な遊具が並んでいます。

ようやく、打瀬と呼ばれる地区に入ります。最初に目に入る看板は、バレエカンパニー。洒落た街角です。広々とした打瀬2丁目公園では様々な犬たちが飼い主たちの回りを思い思いに駆け回っています。中心の美浜プロムナードに入ると、これまた洒落た町並み。喫茶店やブティックなどが並んでいます。さらに街角の建物の壁には、地区を表す紋章(黄道十二星座をモチーフ)が飾られています。

そもそも、この打瀬と呼ばれる地域は「幕張ベイタウン」と呼ばれており、景観形成推進地区として景観基準が厳しく定められているとのことです。バルコニーの物干しの位置や、地面の舗装・植栽・照明・モニュメント・ベンチなどのストリートファニチャーのデザインにいたるまで、こと細かく基準があり、新設や改修の際には千葉市都市景観デザイン室の許可が必要だそうです。、

ようやく、バレンタイン通りに到達。お目当てのマリーンズ優勝パレードのモニュメントを探し当てますが、その偉業のわりに小さな石碑でした。

マリンデッキを伝って、再び千葉県立幕張海浜公園へ。南北に長い幕張海浜公園もこの付近の噴水はメンテナンス費用がないのか枯れていて、廃墟みたいです。大きな広場越しに見える花時計もちょっとお疲れ気味な感じでした。

駅前に戻ると、幕張メッセで何かすごいイベントがあるような人混みです。駅構内の天井近くには、赤と黒を基調とした横断幕。そこには「BUMP OF CHIKIN」や「HYDE」などと多少聞いたことがあるアーティスト名が書かれていました。こういう大きなイベントを見ると、アニメ「パリピ孔明」で諸葛孔明とヒロインの月見英子がめざしていた「サマーソニア2020」を思い出すのですが、後で調べてみると、まさに、そのモデルになっている「SUMMER SONIC 2024」が開催されているのでした。ちなみに、駅前のオブジェは、ポップな作品で人気の覆面アーティストCOIN PARKING DELIVERYによる「五元気」とのことで、文化庁主催のプロジェクト「MUSIC LOVES ART 2024 ‐ MICUSRAT (マイクスラット)」の一環として展示されており、こういった風変わりな作品がサマソニ会場までいくつも展示されているのだそうです。


■コース


①海浜幕張駅南口広場


②ホテル街


③わんぱく広場


④幕張ベイタウン


⑤幕張海浜公園


⑥「SUMMER SONIC 2024」




さあ、今日も地図を広げて、
お洒落な街へ冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

先日のパリオリンピックで、セーヌ川でのトライアスロン競技が話題になり、少し驚きましたが、前回の東京オリンピックではどこだったのだろうかと調べてみたら東京湾のお台場だったことを思い出し、さらに驚いてしまいました。まあ、次回のLAでは選手たちも安心して泳げそうです。

さて、その東京湾に浮かぶ島の話です。昨年暮れに、横須賀線の東逗子駅から鷹取山に登り、そのまま京浜急行線の追浜駅へと下山しました。本来ならば、そのまま歩き続け、野島という島へ向かう予定でしたが、あいにくとタブレットのネット状況が終始悪く、地図が表示できなかったため、鷹取山を下山してからは追浜駅へたどり着くのが精一杯でした。そんなわけで、いつかは野島へ行きたいと常々機会を伺っていました。野島は金沢八景の平潟湾に浮かぶ小さな島です。

小さな島というのは、それだけでも小宇宙です。地図で野島を見れば公園やらちょっとした展望台があり、まさしく穴場というべき場所ではないでしょうか。しかも展望台から西側を望めば富士山が見えそうで、東側の東京湾に目を向ければ八景島シーパラダイスが眼前に広がって見えるはずです。



先週の芝浦のウォーキングはそれほど暑くなかったことから、今回の野島はかなり油断してしまったようです。なにはともあれ、先週と同じく、始発の総武快速線で新橋駅へと向かい、都営浅草線に乗り換えます。泉岳寺で下車し、京浜急行の三崎口行きの始発の特急に乗り換えます。本来ならば快速特急に乗りたかったのですが、快速特急は08時45分からの営業ということで、また一つ利口になりました。快速特急の良いところは、何といっても座席です。進行方向に向かって座ることができます。今回はただの特急ですが、それなりに小さな駅は通過していきます。ただ目的地は小さな追浜駅なので、どこかで各駅列車に乗り換える必要がありますが、ちょうど上大岡駅で隣のホームに各駅列車が停まっていることに気づき、急ぎそちらに乗り換えます。

追浜駅で下車し、駅を出ると立派な商店街が延びています。ただ、かなり古い商店街のようです。それに、やけに埃っぽいので、アメリカ西部開拓時代のゴーストタウンを思い起こしてしまいそうです。アーケードのある、まさに昭和の商店街なのですが、早朝なので、どのくらい営業しているのかは分かりません。かつてはボーリング場や映画館があったほど、賑やかな街だったそうです。雑然としていて、さらに埃っぽいということもあり、早朝だというのに暑さが百倍にも感じられました。

商店街を抜けると高取川。ゴミがたくさん浮かんでいて、しかも流れがないので、ちょっとげんなりする風景です。しばらく川沿いの道を歩くと、整備された住宅街。護岸も整備され、カモやサギなどの鳥たちに出会います。対岸には学校があるようで自然の緑が護岸を覆っていますが、日差しの強いこと、強いこと。早くも背中は汗びっしょりです。道も直線が続くので、かなり体力を消耗します。ようやく平潟湾の海です。すぐ目の前には目的地の野島。小高い山が聳え、まるでラピュタのようにびっしりと緑が覆っています。

ほんの少しだけ海風を感じつつ、夕照橋を渡ると野島に上陸。島内は住宅地で、路地裏という感じの道を歩けば、ほどなくして野島公園。緑の木々にあふれた公園は蝉時雨で、ようやく涼しさを感じます。目の前の山は岩の固まりでした。標高が57メートルもあり、江ノ島の60メートルにひけをとりません。しばし休憩の後、階段に取りつきます。急斜面ですが、しっかりとした階段。ゆっくりと登ります。250段ほどの階段を登りきると車道。緩やかな斜面を迂回するように登ると、立派な展望台が見えてきました。背高い木々が周囲の視界を遮っていますが、展望台に登ることで、周囲を見渡すことが出きるようです。

展望台は眺めが良いのですが、あいにくと直射日光で炎天下。長居できる場所ではありませんでした。水蒸気が立ち込めているようで、せっかくの眼前の八景島もちょっとぼんやりと見えています。反対方向の富士山も識別できません。もう少し、朝の早い時間ならばと思いますが、間違いなく夜景は綺麗なはずです。さて、この島には貝塚や戦争中の海軍の掩体壕などがあるのですが、家内も私も体力が早くも限界。車道に沿って下山を始めます。

坂を下り終わると、伊藤博文の別邸があったりと、なかなか楽しませてくれる小島です。なお、この野島は、潮干狩りの穴場としても、かなり有名なようです。この後は、八景島シーサイドラインの野島公園駅を目指し、帰途につくのでした。


■コース


①鷹取川


②平潟湾と野島


③野島公園


④展望台とその展望


⑤伊藤博文の別邸


⑥野島公園駅




さあ、今日も地図を広げて、
有人島へ冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

先日のNHKの朝の情報番組「あさイチ」で朝ドラ「虎に翼」にゆかりの街を紹介するということで、山田よねさん役の土居志央梨さんと小橋浩之さん役の名村辰さんが案内役として出演。神田・お茶の水界隈が画面に写し出されました。一番目は神田川にかかる聖橋。ここから望む中央線・総武線・丸の内線の重なった交差が素晴らしく、スマホで撮影する人が絶えないということです。

基本的に、高速道路が多層になっている場所でも多少の見映えがするものです。それが川の上に積み重なっていれば、さらに重層感が出るわけです。そんなわけで、次の早朝ウォーキングはそんな場所を歩いてみたいとA4サイズのiPadで地理院地図を広げて探し回ります。

少しでも涼しい場所ということで、できるだけ東京湾に近い湾岸エリア。レインボーブリッジを見上げるのも良いかと思いましたが、意外と港湾施設が多く、近寄れません。でも、もう少し西に寄ると東京モノレールがあり、周辺の地図を見れば、ちょうど良さげな橋が見つかりました。地図をGoogleMapに切り替えると、渚橋と書かれています。しかも、JR山手線の田町駅からまっすぐ歩いて1キロほどの場所です。この地域は、芝浦と呼ばれており、江戸時代は文字通り芝が育っていた場所だったそうです。



当日は始発の総武快速線に乗り、新橋駅で山手線に乗り換えて、田町駅に向かいます。田町駅には思い出がいっぱい。独身時代のかつての駅前には昭和の飲み屋街が連なっており、仕事帰りに先輩や上司に連れられてよく飲んだり歌ったりしたものです。歌うといっても、現在のように個室で仕切られているわけではなく、大勢の他のお客の前で歌うスタイルでした。現在の田町駅にはそんな面影はなく、スタイリッシュな佇まいです。

駅からは、なぎさ通りが延びています。最初に通過する橋が新芝橋です。橋の中央部には川に向けて半月形のスペースが広がっており、夜になれば、運河のテラスといっしょにライトアップされ、適度に飲める現代風の屋台が並び、癒しの空間となっています。まさに令和を象徴する風景です。さらに、歩けば、オフィス街にも関わらず、猛烈な蝉時雨。ごくわずかな自然の空間にセミたちが短い夏の日を謳歌しています。

ようやく目的地の渚橋。橋は上りと下りに二つに分離しています。東京モノレールの橋脚を避けるためのデザインのようです。一望すれば、思った通りの適度な広さの運河が広がっています。川面には賑やかな鴨たち。しかも一回り大きいサイズです。岸辺には、どこかの国の大使館のような洋館があり、その背景には高層マンションがいくつも聳え、そのマンションを縫うかのように、適度な曲線を描くモノレールの高架が南北に延びていました。見事な景観に何回もPixel7aのシャッターボタンを押します。花々に囲まれたベンチも素敵で、しばらく時間を忘れさせてくれます。

この周辺は完全に運河に囲まれているので、芝浦島と呼ばれているようです。高層マンションに囲まれたプラタナス公園もセミたちの大合唱。汐彩橋の欄干にはアホウドリのような鳥のブロンズ像。運河も広く、東京湾も間近のようです。

コンビニで販売しているサンドイッチのような形状のヨコソーレインボータワー。ゆりかもめの車窓からでも目立つ建物です。建物の前には公開空地があり、夜になれば各種イベントが行われているようです。

ようやくレインボーブリッジです。予想はしていましたが、巨大なループはファインダーに収まりきりません。レインボーブリッジの遊歩道の入り口の建物まで行けば、多少の風景が望めますが、港湾施設を迂回しなければならないことと、すでにレインボーブリッジは歩いて渡ったこともあり、このまま芝浦ふ頭駅へ向かいました。

◼️コース


①田町駅


②新芝橋


③渚橋


④プラタナス公園


⑤汐彩橋


⑥ヨコソーレインボータワー


⑦レインボーブリッジ


⑧芝浦ふ頭駅



さあ、今日も地図を広げて、
高架を見上げに冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

東京オリンピックのサーフィン会場は房総半島の東浪見でした。先日の鵜原理想郷へ行く途中で見かけた東浪見駅は五輪の横断幕もなくなり、かつてのひなびた無人駅に戻ったようです。今回のパリオリンピックのサーフィン会場はどこかと探してみたら、タヒチ島ということで、パリから見てほとんど地球の裏側。そんなのありかよと思っていたら、開会式はスタジアム外ということで、セーヌ川を舟を使った入場行進。驚くことばかりです。同じことを東京でやるとしたら、隅田川とスカイツリーを使うのかなと妄想が広がります。いずれにせよ、すべての失敗の責任をコロナに押し付けることができて良かったねと、3年前の東京オリンピックははるか過去の話。

まあ、コロナから解放された日本人はやっぱりお祭り好き。先日の「稲毛せんげん通りまつり」も賑やかでしたが、近くの公園での盆踊りも盛大でした。午前中、オリンピックの開会式の動画配信を見たばかりでしたが、リアルな夕暮れ時の公園は、オリンピックに負けないくらい、熱量がありました。民謡調の定番の盆踊りは、円を形作るには踊る人が少なすぎて、寂しい感じはしますが、なぜか周囲の熱気だけは凄まじいのです。もともと広い公園ではありますが、屋台がそこかしこに林立し、大勢の待ち行列。付近の芝はビニールシートを敷いた家族連れで一杯。核家族やら三世代家族やら、何でもアリの状態。音楽も民謡調から現代風に代わり、いくつもの若い子達のグループが出演し、今どきのダンスを披露していました。踊りという概念に対して世代間の分裂がありすぎると感じるものの、「盆踊り」という場で世代を超えて、一つの場で楽しめるというのも素晴らしいものだと思います。いやー、まさに夏休みです。

さて、長い前置きでしたが、表題の「カタツムリを狙う犬」です。「いきなり何だそれは?」という感じですよね。位置情報ゲーム「イングレス」をプレイしていたら、そういう名称のポータルが自陣になったという通知があり、私も「何だそれは?」となり、とても気になって場所を調べてみました。どうやらそれは、海浜幕張にあるらしいのです。

海浜幕張といえば、アニメ「青いオーケストラ」の主人公たちが通う高校のモデルとなっている幕張総合高校があり、さらにはアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」のヒロインの雪ノ下雪乃さんが住むマンションがあるところです。まあ、そんな紹介をしなくても幕張メッセやマリンスタジアムがある場所でも有名です。なにせ新副都心として開発された街です。個人的な印象としてはペデストリアンデッキが見事に発展している街で、とても歩きやすい街です。なにせ信号待ちがないというのは街として大きな魅力です。

そんなわけで、この日曜日の早朝ウォーキングは、家内と海浜幕張に出掛けてみました。遅めの朝6時前に家を出て、幕張本郷駅まで総武線の各駅電車。そこからは海浜幕張駅行きの2両編成のバスに乗りますが、途中の運転免許センターで下車。ここを出発点とします。通りが一つ違っていたようで、北へ向かいます。

場所はこの辺りと、ペデストリアンデッキの上から下を見下ろしながら、ブロンズ像が置かれそうなコーナーを探しますが、なかなか見つかりません。やはり、地上で探さないと、いうわけで階段を降ります。すると目の前の建物の花壇のすみに小さな犬のブロンズ像が見えました。近づくとこれまた小さなカタツムリがいます。ようやく発見です。宮崎駿氏のアニメ「アルプスの少女ハイジ」では牧羊犬のヨーゼフがいきなりカタツムリを食べてハイジを驚かすシーンがありますが、これはちょっと違うみたい。得たいの知れない生き物に犬がビックリしているという感じです。なかなか面白いものを見つけたという満足感で一杯です。

帰りは、同じくペデストリアンデッキを伝って、海浜幕張駅まで歩き、稲毛駅行きのバスに乗りました。幕張総合高校の前を通り、雪ノ下雪乃さんのマンション近くを通るというゴールデンルートでした。

◼盆踊り


◼コース


◼ペデストリアンデッキの風景


◼カタツムリを狙う犬




さあ、今日も地図を広げて、
夏休みの冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

房総半島の太平洋岸にある勝浦は夏でも涼しいという噂を聞き、家内と訪ねてみることにしました。勝浦沖の海底は急激に深くなっており、そこで冷やされた海流が勝浦という街を涼しくしているのだそうです。

今回訪ねたのは、正確には勝浦市にある鵜原理想郷(うばらりそうきょう)です。鵜原理想郷は、勝浦湾の西側に突出する明神岬周辺の海岸景勝地を指します。周辺は、起伏に富んだ岬が続くリアス式海岸で、南房総国定公園に指定されており、砂浜が広がる鵜原海岸は日本の渚百選にも選ばれています。さらに岬は先端まで木々や植物にびっしりと覆われています。その複雑な自然造形に惹かれ、古くから多くの文人たちが訪れ、数々の作品を残しています。与謝野晶子は当地に滞在し、76首の歌を詠み、三島由紀夫は「岬にての物語」で鵜原を活写しています。大正初期には当地を別荘地とする計画があり、鵜原理想郷の由来とされています。

さて、早朝の快速電車で終点の上総一ノ宮駅まで一本。ここで乗り換えです。通常は2両編成の列車も、朝のこの時間は10両くらいの長い編成。楽に海側のボックス席に座れます。ただ、海が見えるのは、御宿と勝浦を過ぎたあたりから。勝浦の次の駅である鵜原駅はローカルな無人駅です。ホームに降りると、確かにカラッとしていて、ジトっとした蒸し暑いという感じはしません。駅には改札のゲートもなく、Suicaをかざす機器があるのみ。駅自体が改修中のようです。可愛い郵便局や小さくて短い商店街は祭りの準備中。昭和を感じる佇まいでした。

小さな川沿いに下っていくと、ほどよい大きさの入江には鵜原海水浴場が広がっていました。点在する海の家からは早くもラーメンの濃い醤油の匂いが漂ってきます。ブイに囲まれた海水浴場には、サーファーが多くみられますが、浜辺には子どもたちの姿も見えます。

浜辺の中央には鳥居が建てられています。満ち潮時には、波につかるのか、わからない微妙な位置ですが、一の鳥居のようです。鳥居をくぐるのがはばかれるように祭りのための飾りつけが施されていました。

砂浜の堤防沿いの道を歩くと、とても小さな漁港。その先には手掘りのトンネルがあり、中に入っていきます。反響もよくひんやりとした空間で、ときおり雫が落ちてきます。向こう側が見えているので、安心して歩けます。

トンネルを抜けるると小さな広場。左手の方に、理想郷と書かれた標識に従って、手すりのついた細い緩やかなコンクリート製の階段をゆっくりと登ります。途中立派な公衆トイレがあり、そこからは風通しのよい登山道。しばらくすると分岐点ですが、木々の背が高く、方向が分かりません。地理院地図で見当をつけ、右手の方へ向かいます。ここからは緩やかな小道。草原のような開けた場所に出て、小高い丘の上に設置されたベンチまで上がると尾根道の両側に突如として海が現れます。右側は鵜原海水浴場。左側は絶壁で、太平洋の荒波が谷間のような入江に打ち寄せていました。広々とした風景にカラッとした空気、それに風も気持ち良いのですが、さすがに頭上の日差しが強すぎます。

しばらく周辺を歩き、危険のないように絶壁の縁まで覗き込んだりしますが、そろそろ家内の活動限界なので、退散します。元来た道を戻っていきます。海水浴場も先ほどよりは人が集まっていました。帰り道の商店街で、お店の人から挨拶をされ、パンフレットをいただきました。それによると1週間後の日曜日に「大名行列」が行われるとのこと。商店街の祭りの準備は、このためのものでした。


■コース


①駅周辺の商店街


②鵜原海水浴場と一の鳥居


③鵜原理想郷




さあ、今日も地図を広げて、
涼を求めて、冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

この3連休は、地元の街で「稲毛せんげん通りまつり」なるイベントがありました。稲毛浅間神社と周辺で行われる地域のお祭りで、例年、夏の大祭の前夜祭と家内安全・安産子育大祭として2日間の日程で繰り広げられる参道祭りです。この例祭に参拝すると、1年365日お参りしたことと同じご利益があるとされています。いわゆる、稲毛という街の恒例の風物詩というわけです。今年は、14日の日曜日に前夜祭、15日の月曜日の休日に本祭という日程です。

家内との早朝ウォーキングをしない朝は、いつも一人で街を歩き回っています。13日の土曜日は、祭りのポスターでも探そうと歩き回ります。7枚でもポスターが見つかれば、ラッキーなのではないかと、勝手に運勢を占ってみます。注意深く眺めていれば、意外とポスターが見つかりました。やはり、物事は意識しないと脳には入ってこないようです。つまり、日ごろから幸せに通じるネタは意識して探した方がよさそうです。今回の祭りでは、車両の通行禁止区間が少し広がり、その分歩行者が安心して歩けるようです。まあ、駅までは広げた方が良いんじゃないかという意見はありますが、今年はこれで良しとしましょう。祭りの中心となる京成稲毛駅付近には、仮設トイレも設置され、けっこう大掛かりな祭りなんだと感心します。

この、稲毛せんげん通りまつり。例年、個人的には前夜祭の夜店を少し見て回る程度。翌日の本祭のメインとなる子供たちの神輿は、なんだかんだと用事があって、一度も見たことがありません。

さて、昨年からアパートの代表として、町内会の活動に参加することになりましたが、町内会も祭りに合わせてイベントを行います。前夜祭には町内の児童公園で屋台を、本祭には子供たちの神輿担ぎを行なっています。今年は、両日とも完全に仕事が休みなので、フルに手伝ってみることにしました。

日曜日は朝9時から公園で会場の設営です。電灯のコードを大きな木から引っ張るには、やはり、もやい結びとか自在結びが使われます。登山で覚えたはずでが、この10年ほど低山ばっかりで、一連の結び方はすっかり忘れていて、何の役にも立ちません。こうした作業は離れて見守るばかりです。会場設営作業では、プラスのドライバー・ナイフ・ライターなどの小道具が必要なのに、こういう時に限って家に置いてきています。

15時からは、屋台の焼きそばで焼く係。鉄板に油をひいてから焼きあがるまでの工程を三回ほど見て、調理方法を覚えます。まあ、塩コショウだけ全体にしっかり振りかけていれば大丈夫だと思っていましたので、失敗を気にすることはありませんでした。実際には、そんなことを考える暇もなく、ひたすら焼き続けました。汗びっしょりになりますが、夏山登山に比べれば、ましな方でしょう。途中、水を飲んでくださいとのコールがありますが、ちょっと苦笑い。登山の先輩たちから、「水を飲んだらバテル」とさんざん言われてきた世代なので、水をのむことに激しく抵抗感があります。山では水は貴重なので、飲んでしまえばあとで苦しむだけなのですが、ここは平地。ペットボトルの飲料水がずらりと並んでおり、ときたま、口にするようにしました。

翌日の月曜日も朝9時から公園で会場の撤収です。神輿用の本部席だけ残し、後片付け。人が集まれば、あっという間に撤収作業も終わります。

さて、13時に公園に集合し、いよいよ神輿です。神輿は担がずに、台車に乗せたまま子供たちがロープで引っ張るという形式、台車自体は大人が支え、事故が一切起きないようにします。神輿と太鼓の荷台の台車を子供たちが引っ張ります。子供たちが一生懸命声を上げて引っ張る姿はやはり楽しいものです。神輿の行列には、警官たちも同行し、途中、交通整理をしながらの行進。歩行者天国となっている区間では、祭りも最高潮。祭りがこんなに楽しいものかと心の奥底から感じたものです。

後で聞くと、今年が最高の人出だったようです。その分、ゴミの山を心配しましたが、火曜日の朝に歩き回った感じでは、カラスも姿を見せず、比較的綺麗に片づけられていました。ちょっと思ったのが、町内会の盆踊りの実現。いや、でも、準備がめちゃくちゃ大変そうですね。

■13日土曜日


■14日日曜日「前夜祭」


■15日月曜日「本祭」



さあ、今日も地図を広げて、
神輿を担いで、冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

先週の日曜日は7月7日で、ちょうど七夕の日。七夕にちなんだ場所へ行ってみたいと地図を眺めてみました。思いつくのは、平塚と秩父の七夕祭りですが、この酷暑に遠出をするのはちょっと苦手。涼しい早朝のウォーキングに徹し、なおかつ七夕を楽しめないかと、ネットサーフィンを続けます。

この関東には、関東三大七夕祭りがあるそうです。
●埼玉県狭山市「入間川七夕まつり」
●神奈川県平塚市「湘南ひらつか七夕まつり」
●千葉県茂原市「茂原七夕まつり」

茂原の七夕はまったく知りませんでした。茂原駅の駅前には七夕のモニュメントがあるとのことで、俄然興味がわいてきたのですが、こちらでは旧暦でお祭りを開催するとのこと。梅雨の合間ではない8月に実施する旧暦の七夕祭りの方が、季節にぴったりなわけですが、まあ今回は、せっかく新暦の7月7日にどこを歩こうかと調べ始めているので、このまま調査を続けます。もっとも、和暦と西暦の両方の暦を使っている日本人は本来器用なのだから、いっそのこと新暦と旧暦の両方を使いこなせばよいと思うのです。私もさっそくそうしてみましょう。

さて、調査の方ですが、近場に星神社はないかと調べているうちに、土浦に七夕神社。そして市川におりひめ神社があることを突き止めます。土浦は遠すぎますが、市川はめちゃめちゃ近くてよさげです。しかも、このおりひめ神社はショッピングモールであるニッケコルトンプラザの一角にあるようです。ニッケコルトンプラザは総武線の下総中山駅と本八幡駅のちょうど中間点にあります。地図をもっとよく見てみると、京成線の鬼越駅の方が近そうです。おりひめ神社は鬼高という地域にあるようで、この辺はどんだけ鬼がいるんだよと鬼殺隊を呼びたくなりますが、よーく調べてみると、鬼高と呼ばれる地域は、鬼越と高石神という二つの町の飛び地が入り組んだ場所で、両者の頭文字を一文字づつとって、鬼高と名付けられたそうです。この地域は、鬼と神が同居していたわけです。

さて、当日の朝は、船橋までは総武快速線。歩いて5分程の京成船橋駅にて京成線に乗り換え、鬼越駅で下車します。改札口には笹飾りがあり、すっかり七夕気分です。短冊には思い思いの願い事が書かれています。

ゆっくりと細い道を南下し、真間川を渡り、総武線の高架を潜ります。ニッケコルトンプラザの入り口は、すでに時代遅れを感じますが、住民たちの往来の激しさを感じる摩耗感があります。でも、ダイエーのマークが残っているところは、残念な感じもしますが、これも愛嬌というものでしょう。

さらに南下すると、鬼高遺跡です。古墳時代後期の集落遺跡。ここからはたくさんの土器が発掘され、いわゆる鬼高式土器の標式遺跡として考古学史上重要な遺跡の一つになっているとのことです。

鬼高遺跡公園をあとにし、ふたたびショッピングモールの方へ戻ります。朝6時開園の門をくぐると、ニッケ鎮守の杜(おりひめ神社公園)です。東屋とベンチが適度に配された、ちょっと西洋風の小さな庭園ですが、花々の背が高く、意外な空間です。奥へいくと、神社がひろがっていました。ここがおりひめ神社のようです。鳥居の神額に「おりひめ神社」と書かれています。まったく七夕らしさはありませんが、隣の稲荷神社といくつかの大き目な溶岩ともに早朝の空気を清澄に保っているようです。もともとは昭和初期に建立された「天照大神」様を祭るお社でしたが、「日本毛織株式会社」の敷地内に長くあったことから、現在の「ニッケ鎮守の杜」の「おりひめ神社」と呼ばれるようになったそうです。

神社を離れると、南側には、千葉県立現代産業科学館。しばらく歩くと、市川市文学ミュージアムの入り口にブロンズ像の「ママ•••ご本をよんで」(大須賀力氏作)が飾られています。中央こども館の脇を過ぎれば、アルミ色の大きなオブジェ「地生-35°43′PORARISへ」。半円の両端を北へ延長すると、北極星があるように作られているようです。これらを見ながら、総武線の本八幡駅へと帰途につくのでした。


■コース


①鬼越駅


②真間川


③ニッケコルトンプラザ


④鬼高遺跡公園


⑤ニッケ鎮守の杜


⑥おりひめ神社


⑦千葉県立現代産業科学館


⑧「ママ•••ご本をよんで」


⑨「地生-35°43′PORARISへ


さあ、今日も地図を広げて、
短冊に願いを書いて、冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

先日、四街道の街を歩いたことで、千葉や船橋・成田・東金へと四方へ続く道がある一方、少し南へ進んだところに、東西に延びる一本の道があることに気づきました。御成街道です。徳川家康が鷹狩に使った道です。いったいどこへ鷹狩に出かけていたのかを調べてみたら、東金であることを知り、びっくりしてしまいました。東金駅は、「関東ふれあいの道」を歩くために二度も利用した起点となる駅だからです。しかも、家康が宿泊した御殿は八鶴湖のほとりにあったということで、さらにびっくりです。二度とも冬の寒い夜明け前の幻想的な八鶴湖を鑑賞し、その東岸を歩いていたので、なおさらです。御殿は西岸にあったようで、この機会に家内と湖を一周してみようと思い立った次第です。

東金駅へ向かうためには、外房線で大網駅まで行き、そこで東金線に乗り換えて、二つ目の駅となります。始発の外房線に乗れば、10分ほどの待ち時間で始発の成東行きの東金線に乗車することができました。途中、珍しいことに何度も濃霧にあい、いっそう幻想的な八鶴湖が見れると期待も膨らみます。それにしても、東金という地名は素敵です。想像するに、東の方を見ると黄金色に実った稲穂が一面に広がっていたかのようです。この仮説は間違いでした。もともとは、鴇ヶ峯と言われていたそうで、最福寺境内の山嶺が鴇(とき)の頭に似ていたからだそうです。

到着した東金駅は無人駅。陸橋を渡り、北口から改札を出ます。でも、市役所やショッピングモールがあるのは南側。直接南側へ出ることはできません。なんと北口からさらに陸橋を渡らないと南側へ行けないようです。

北口は昭和の景色が色濃く残る佇まいです。早朝なのでわかりずらいのですが、店じまいしたかのような古風なパチンコ屋やらお店が立ち並び、往時の賑わいがしのばれます。ホテルを改装したようなマンションやら、令和らしからぬ風景が続き、心が和みます。

ほどなくして八鶴湖。曇ってはいるものの、明るい早朝の八鶴湖はどんよりしていて、ちょっと期待外れでした。高い湿度もそんな印象を与えるのかもしれません。千葉公園の綿打池よりもはるかに郊外にあるのだから、もっときれいであってほしかったという期待が強すぎたからかもしれません。さすがに湖面の色が茶色ぽいというのはいただけませんが、クリーン作戦を展開していることは各種看板で伝わってくるので、数年後の湖を思い浮かべることにします。とはいえ、周囲は完全に緑あふれる自然に恵まれているので、これはこれで良しとしましょう。遊歩道が完備されているので、少なくとも湖を一周しようという気にはさせてくれます。

適度に休憩所があり、堂々とした鳳凰山本漸寺山門は歴史を感じさせてくれます。湖に突き出した突端には厳島神社谷弁財天が置かれていて、単調な景色をうまく打ち破ってくれています。もとは小さな湖だったようですが、御殿造営時に、湖を今の形に大きく広げたとのことで、見事に鑑賞に堪えうる風景に仕上がっています。まあ、春はライトアップされた桜と夏は打ち上げ花火とイベントも多彩なようです。

突端の根元には、満開のハスの花。それも、この区画一面です。今まで千葉公園で見ることがかなわなかったハスの花をこの地でようやく見ることができました。

東金高校の正門が珍しいので、近づいてみることにしました。こちらも歴史を感じる正門です。奥の校舎の屋上には天文台。さらに左奥に見えるのはピンク色の洋館。あとで調べてみると、この千葉県立東金高等学校は、千葉高等女学校に続いて設立された千葉県で2つめの県立高等女学校であり、100年以上の歴史があるとのことで、もう少しよく見学しておけばと後悔しました。あと、学校紹介ビデオによれば、天文台に見えたドームは、プラネタリウムでした。

もうすぐ湖の一周が終わろうとするころ、古い三階建ての木造の建物がみえてきました。八鶴館です。1885年(明治18年)に創業された割烹旅館の建物で、国登録有形文化財に指定されています。旅館としては、コロナ時に廃業。現在はレンタルスペースになっているようです。

帰りは、同じ道をたどって、東金駅へ。ちょうど東京行きの電車(京葉線)に乗車することができました。空いている席に座り、慌ててGPSロガーを停止し、肝心の東金御殿跡の案内板を完全に見逃していたことに、今さらながら気づくのでした。


■コース


◎八鶴湖


①鳳凰山本漸寺山門


②厳島神社谷弁財天


③ハスの花


④千葉県立東金高等学校


⑤八鶴館



さあ、今日も地図を広げて、
湖を一周しに、冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

ようやく関東地方も梅雨入り。今週の早朝ウォーキングも傘をさしての歩行となりました。今週の目的地は、四街道駅。夏至の二日後なので、雨がふっているとはいえ、外はだいぶ明るくなりました。とはいえ、房総半島はには内房線・外房線・成田線と各種のJRが走っていますが、東京方面に比べると圧倒的に本数が少なく、成田空港に向かう途中の駅である四街道といえども、稲毛駅での始発は05時38分と出だしはかなり遅くなります。いつも4時には起きてしまう老夫婦には、ちょっと時間がもったいないと感じてしまい、昨日コンビニで購入しておいたお結びを家で食べてからの出発となりました。

四街道駅には、ものの13分で到着です。先週の船橋よりも近くにある街ですが、出発が遅いと、かなり遠くの街に感じてしまいます。さっそく北口に出ますが、目の前のレンガ色の広場にはまっすぐ入ることができないようです。ロータリーのまわりを歩き、反対側まで歩かないと中に入ることができません。広場の中央には、駅前区画整理記念碑がそびえています。三人の女性が地球らしい丸い物体を高らかに掲げていますが、案内板などがないので、意味は不明です。平和でも祈願しているのかもしれません。この像の基部から水路が流れており、先端には小さな小便小僧の像が置かれています。本来ならば、この北口にはペデストリアンデッキができあがる予定だったようですが、現在では計画がとん挫しているようで、ちょっと殺風景で中途半端な印象が否めない駅前空間となっています。

駅からえのき通りを西へ進むと、貫禄ある座ったおじさんの後ろ姿のブロン像。と思って、正面から見たら、胡坐を組み物思いに耽る少女像でした。こちらの像も意味不明ですが、どっしりとした存在感のある銅像で、Y路地の片隅の空間のちょうどよいアクセントになっていました。

さらに、西へ進むと、四街道十字路の道標石塔があります。四街道の地名については以前もふれたことがありますが、四つの街道が交差しているとかではなくて、四つ角が由来しているとのことです。

船橋道方面
千葉町道方面
東金道・馬渡道方面
成田山道方面

四つ角がある場所はいくらでもありますが、この辺りの江戸時代は広大な原野でしたので、四つ角自体が珍しかったのでしょう。明治時代になると、開拓が始まり、順番に「初富(はつとみ)」、2番目が「二和(ふたわ)」、3番目が「三咲(みさき)」、以下「豊四季(とよしき)」「五香(ごこう)」「六実(むつみ)」「七栄(ななえ)」「八街(やちまた)」と、13もの街ができていきます。豊四季という街がある通り、四街道は開拓地ではなく、単なる四つ角から軍事基地へと変貌していきます。

さて、ここからは進路を南へとります。踏切を超え、しばらく細い路地を歩くと、美しが丘近隣公園と思しき森が見えてきます。しっかりとしたコンクリート製のゲートを潜ると、大きな窪地にできた公園が広がっています。水生植物のしっかりと覆われた調整池があり、その池の周囲の遊歩道の外側は樹木がしっかりと生い茂っています。全体的に長細い公園なので、奥まで見通せませんが、奥には児童公園があり、長めのローラー滑り台や遊具がそろっているとのことです。雨足が強くなってきたので、調整池の一周も断念し、次の目的地へと向かいます。

美しが丘第1児童公園に到着。公園の入り口には、虎竹秀芳氏作の「かざぐるま」の像が置かれています。背景の木々の緑が肝心の風車を見えにくくしていますが、女の子がしっかりと風車を支えているという感じで、ちょっとほっとするような銅像です。こちらの公園も窪地にできており、階段を下ると、木々にしっかりと囲まれた公園がひろがっていました。二つの吊り下げられたタイヤの遊具が面白そうです。再び、緩やかな坂道を上り、駅方面と向かいます。

四街道駅の南口のロータリーには、特にモニュメントは置かれておらず、閑散としています。駅の階段を降りると、ちょうど逗子行きの快速電車が到着したので、あわてて乗り込みました。雨がはげしく振り出したせいか、乗客も少なく、こうして静かな日曜日が始まるのでした。


■コース


①駅前区画整理記念碑


②物思いに耽る少女像


③四街道十字路


④美しが丘近隣公園


⑤美しが丘第1児童公園




さあ、今日も地図を広げて、
ビニール傘をさして冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。