なんでも日記 -38ページ目

面白そうな中国に関する本のリスト

面白そうな本です。
まだまだ忙しくて読めないのですが。
でもこの人の書いた本のうち、「食人宴席」は、ずっと昔に読みました。
ショッキングでした。
黄 文雄
近代中国は日本がつくった
黄 文雄
日本の植民地の真実
黄 文雄
捏造された昭和史
黄 文雄
今こそ中国人に突きつける 日中戦争真実の歴史
黄 文雄
醜い中国人
黄 文雄
大日本帝国の真実―西欧列強に挑んだ理想と悲劇
黄 文雄
「竜」を気取る中国「虎」の威を借る韓国―そして日本はしゃぶられ続ける
黄 文雄
日本人が知らない日本人の遺産―教科書が教えないもうひとつの歴史
黄 文雄
日中戦争知られざる真実―中国人はなぜ自力で内戦を収拾できなかったのか
黄 文雄
韓国人の「反日」台湾人の「親日」―朝鮮総督府と台湾総督府
黄 文雄
それでも中国は崩壊する
黄 文雄
反日教育を煽る中国の大罪―日本よ、これだけは中国に謝罪させよ!
黄 文雄
中国こそ逆に日本に謝罪すべき9つの理由―誰も言わない「反日」利権の真相
黄 文雄
韓国は日本人がつくった
黄 文雄
捏造された近現代史―日本を陥れる中国・韓国の罠
黄 文雄
中国の日本潰しが始まった
黄 文雄
満州国の遺産―歪められた日本近代史の精神
黄 文雄
歴史から消された日本人の美徳―今蘇るこの国の“心の遺産”とは
黄 文雄
台湾は日本人がつくった―大和魂への「恩」中華思想への「怨」
黄 文雄
中国が葬った歴史の新・真実―捏造された「日中近代史」の光と闇
ジョージ秋山, 黄 文雄
マンガ中国入門 やっかいな隣人の研究
黄 文雄
韓国は日本人がつくった―朝鮮総督府の隠された真実
黄 文雄
華禍―こんなに中華主義が怖いわけ
黄 文雄, 納村 公子
漢字文明にひそむ中華思想の呪縛
黄 文雄
チャイナ・リスク
黄 文雄
「NO」と言える台湾―孤児国家・台湾経済はなぜ強いのか?
黄 文雄
日本人が台湾に遺した武士道精神
黄 文雄
中国人の卑劣 日本人の拙劣
黄 文雄
中国陰謀学入門―戦慄!それでも日本人は騙される
黄 文雄
ありのままの中国―過大評価されている中国3000年の正体
清水 文雄, 和泉式部
和泉式部集・和泉式部続集
黄 文雄
脅かす中国騙される日本―中国ビジネス市場崩壊
黄 文雄
大東亜共栄圏の精神―なぜアジアだけが繁栄するのか
黄 文雄
醜い中国人 (ビジネス編)
黄 文雄
中国人の偽善(ウソ) 台湾人の怨念(ウラミ)―日本が選ぶ賢明な道
黄 文雄
醜い中国人 日中比較編―中華思想と日本商法
柏 楊, 黄 文雄
新 醜い中国人―「21世紀は中国人の時代」は大嘘だ
鄭 義, Zheng Yi, Ko Bunyu, 黄 文雄
食人宴席―抹殺された中国現代史
黄 文雄
歪められた朝鮮総督府―だれが「近代化」を教えたか
黄 文雄
中国・韓国の歴史歪曲―なぜ、日本人は沈黙するのか
黄 文雄
立ち直れない韓国―“謝罪要求”と“儒教の呪い”
黄 文雄
主張する台湾 迷走する日本―アジアをリードするのは誰だ?
黄 文雄
日本の繁栄はもう止まらない―知的通商国家としての歴史の必然
黄 文雄
それでも日本だけが繁栄する―欧米にとって代わる東アジア
黄 文雄
呪われた中国人―“中国食人史”の重大な意味
黄 文雄
近代中国は日本がつくった―日清戦争以降、日本が中国に残した莫大な遺産
黄 文雄
大予言 中国崩壊のシナリオ
黄 文雄
中華思想の嘘と罠―中国の正体を見る
黄 文雄
中華思想の罠に嵌った日本―一人が支配する国・中国の病理を暴く
黄 文雄
中華帝国の解体
黄 文雄
中国・韓国が死んでも教えない近現代史
黄 文雄
中国・韓国反日歴史教育の暴走
黄 文雄
中国にもう花は咲かない
黄 文雄
中国「反日」の狂奔
黄 文雄
中国人の黒い舌
黄 文雄
“21世紀”日中文明の衝突 つけあがるな中国人、うろたえるな日本人
黄 文雄, 池田 憲彦
日本がつくったアジアの歴史―7つの視点
黄 文雄
日本人から奪われた国を愛する心
黄 文雄
捏造された日本史―日中100年抗争の謎と真実
黄 文雄
「龍」を気取る中国「虎」の威を借る韓国―そして日本はしゃぶられ続ける
黄 文雄
歴史が示す競争の法則
黄 文雄
罠に嵌った日本史―日本は再び米中二大覇権国家の餌食になるのか!?

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日本の貿易黒字とその将来展望

 政府の政治目的による日本たたきは、多くの経済学者にとって、とりわけいらだたしいものです。なぜなら、過大評価されている日本の貿易黒字は、アメリカ政府の言うような、世界中に失業を輸出するという意図的な近隣窮乏政策ではありません。日本の黒字は、家庭や企業の貯蓄率が非常に高いことが原因であり、また、日本社会が持つ文化と、とりわけ人口構成上の特徴が反映されています。それにもまして、つい最近までの過去三十年間で達成された一人あたり所得の増加が、原因であることは確かです。

 これほど多額に貯蓄する日本の家庭は、もちろんどこかにお金を預けなければなりません。最初に、銀行預金、生命保険、日本の国債、社債などに投資しました。ところが、日本経済がその貯蓄を国内で使って、高収益をあげられる金額を超えてしまったのです。それで、銀行と保険会社は、最近の低金利時代にアメリカの家庭がやっていることを、しました。高金利を求めるようになったのです。多様化、とりわけ国際的な多様化で、投資リスクを減らそうとしました。その結果、一九七〇年代と一九八〇年代に、アメリカの債券、つまり我が国の工場や設備投資に使われる社債と、最終的に旧ソ連を崩壊させた一九八〇年代における軍備大幅増強資金を調達した、アメリカ国債を購入することになったのです。

 しかし、日本人の貯蓄は、円であり、我が国は社債と国債を、ドルで売ります。どこで、日本人は、我が国の債券を買うためのドルを手に入れるのでしょうか。その方法は、一つしかありません。我が国から輸入する自動車、木材、グレープフルーツよりも、もっと多くの自動車や、カメラ、ファックスを、そのときの為替レートで輸出することによって、ドルを手に入れるのです。それが、大騒ぎの元凶である、日本の貿易黒字であり、アメリカの貿易赤字です。

貿易赤字や、支払い超過といった、感情的な言葉をやめると、我が国が、とりわけ消費者として(我々は皆、どのような職業であっても消費者です)、このような状況から、莫大な利益をえていることがわかるでしょう。一九八〇年代のころから、貿易黒字を自慢する日本人の友人をからかって、いつもこういっていました。

「それは、本当はひどい策略なのさ、日本人がお金をつぎ込んで作った、すばらしい自動車、カメラ、機械をだまして持ってこさせているんだ。それで、そのかわりにあげているものは何だと思う? ジョージ・ワシントンの肖像画さ」。

 このゲームはいつまで続くのでしょうか。それが終わるのは、日本の貯蓄率が下がるか、アメリカの貯蓄率が上がるときでしょう。政府は、帳尻を合わせようと必死で、提案していますが、いつもそれはとんちんかんであり、国の内外で政治的な緊張を、更に高めるものです。

 国内の貯蓄率を上げることに関して言えば、クリントン政権が財政赤字を削減したのは、ブッシュ前政権や、議会の野党である共和党のように、確かに正解でした。その結果、政府のマイナスの貯蓄を削減することによって、国内の純貯蓄は、増加します。しかし、貿易赤字に対する影響については、生産面での国内投資を維持したいと思うなら、政府の消費か、個人消費のいずれかを減らさなければなりません。政府は当初、少なくとも部分的に、政府支出を政府投資と単に名前を変えることで、政府支出を削減しようとしました。そして、個人消費については、(消費を減少させてしまう広範囲な課税ではなく)上位の所得階層グループと企業への増税で、対処しました。政治的には、便利な方法ですが、このような税制度による影響としては、増やしたいはずの貯蓄が、減少します。

 日本の貯蓄に関して、アメリカ政府は直接には影響を与えません。しかし、日本政府に、大規模な赤字による財政支出を強制することで、間接的に、日本の貯蓄率が下がることを願っています。この財政支出規模は、我が国では不況のときであっても、議会や世論が認めないほどの規模です。我が国の行動に従うよりも、わが国の指図に従うのを、日本が嫌がるのは、我々の偽善に対して単に感情的に反応しているのではありません。日本を不況から脱出させて、日本人が一般消費財をもっと購入し、そしてとりわけアメリカ製品をもっと購入するようにしむけるための財政出動が、本当に効果的なのだろうか、と、経済学者たちは、実は疑念をいだいているのです。でも、経済諮問会議の報告書を読んでも、そんな風に思わないでしょう。この件に関して我が国の政府は、まさに一九六〇年代ケインズ主義の立場をとっています。私は、これを素人の(ナイーブな)ケインズ主義と呼んでいましたが、それは、別のケインズ主義があることを示唆しているのかもしれません。

 今日、政府スポークスマンが主張するように、財政刺激策がほとんど機械的に反応するものであるとは、経済学者は考えていません。とりわけ、日本で起きた最近の出来事からすれば、そうです。日本の家庭は、恐ろしいほど莫大な富の蓄積が、株価下落のために、消滅したのをみています。そして、地価の下落で、さらに富が失われました。大規模な減税があっても、収入と正味資産のバランスを、望ましい状態へ回復させるために、日本の家庭は、消費するよりも貯蓄するでしょう。

 対ドルで円高がすすむにつれて、日本の家庭は、万が一に備えるために、更に貯蓄を殖やし、円高を意地悪なアメリカが介入したからだと考えるでしょう。私は、実際にアメリカが介入しているとは、言いませんが、それは、実際には何ら問題ではありません。例によって、ここで重要なのは認識です。我が国が円高を誘導しているとか、少なくとも口先介入で円高にしているといったような考え方のために、日本企業は、アメリカで得た利益を早く日本に戻し、日本の銀行や投資家は、米資産を売り、資金を還流させ、その結果もちろん、更に円高が進むのです。恐ろしい円高は、日本人にとって、かなりの情緒的意味があります。円高は、次に苦しい時期が来るという前触れなのです。それは単なる迷信でもありません。なぜなら、為替レートは、長期的には大した問題ではないのですが(実質為替レートまたはインフレ調整後の為替レートが保たれるように、国内物価と賃金水準がファンダメンタルズによって決まる水準に調整されるに過ぎない)、国内の物価と賃金が調整される過程は、短期でみると確かに苦しいこともあるでしょう。輸出中心の企業や、輸入品と競合する多くの企業で、解雇や工場閉鎖が、行われるでしょう。ドルが、対マルクや対円で値上がりした一九八〇年代初期、我が国のラスト・ベルト地帯で多くの企業が悪夢のような経験をしたことを思い出してください。

 近い将来に、日本の貯蓄率がさがって、貿易黒字が大きく減少し、我が国の貿易赤字が減るとは、思いません。貿易黒字は、日本が現在のひどい不況から脱出するにつれて、確かに若干下がるでしょう。おそらく、若干の金融緩和政策で、そのプロセスを、いくらか速めることができるかもしれません。日本銀行は、一九八〇年代半ば頃、円高を金融緩和政策で相殺しようとしたために、株価と地価の爆発的な上昇に火を注いてしまったという記憶に、まだとらわれているようです。しかし、政府が、日本製品の輸入に対して、大量の報復措置を実行するぞと単に脅すだけだとしたら、日本の貿易収支が大きく改善される見込みは、次の大統領選挙までありえません。

 しかし、長期となると、見通しは大きく変わりそうです。今から一世代後には、例えば二〇年から二五年すぎたころですが、日本の現在と、つい最近の過去の貿易黒字は、単なる黄金時代の記憶となるでしょう。黒字を支えてきた莫大な家計の貯蓄は、その頃までになくなってしまうのです。そのような貯蓄の伝統を支えてきた、文化の力は、着物や毎日二時間の通勤といっしょに消滅してしまうからです。しかし、その大きな原因は、人口年齢構成の大きな変化です。日本は老齢化し、成長率と貯蓄率は、我が国のような成熟社会と同じくらいの水準まで落ちるでしょう。貯蓄率が低ければ、貿易黒字は、減少するだけでなく、我が国のように、貿易赤字にまで落ち込む可能性も高いのです。輸出額をこえて、輸入額が増えてしまうときに、どうやって日本は代金を支払うのでしょうか。我が国と同じ方法です。過去の海外投資からえられる配当と金利収入、そして、もっと急速に急成長している国の預金者に、国債を売りつけるのです。日本の場合、おそらくそれは、中国でしょう。このような逆転を、貿易赤字を危機とみるような重商主義の老官僚がまだ生きていたら、きっと嘆くでしょう。しかし、少なくとも、貿易赤字を削減するための議論と政策を考え出す時間は不要です。日本は、いつでも、一九九〇年代クリントン政権の、使い古しのお下がりを再利用できるのです。

 


原著のご紹介

John Gray
False Dawn
日本語訳の本は、あまり訳がよくありません。
きっと下訳を余りチェックせずに、出版したのではないでしょうか?
でも原文をすらすら読むのはかなり難しい。

ニュージーランド民営化失敗の記事

http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=104241&pg=20050818

に面白い記事がありました。

こんなに悲惨なプロセスをたどったとは知らなかった。

ニュージーランド民営化が失敗したということは、

「グローバリズムの妄想」に書いてあったけれど。

衆議院選挙で郵政民営化の議論を聞いていると、

若くて口の減らない連中が、郵政民営化を主張しているから、

郵政民営化が正しいように思えるかもしれないが、ヨーロッパ系の考え方では、

民営化は失敗だったという結論が出ている。

郵便貯金があるから、倒産しないとか、黒字だとかいうなら、

郵便貯金を何だと思っているのか。

郵便貯金は、老後の蓄えであり、郵便事業失敗のつけを負わせるべきものではないはず。


衆議院選挙

毎日毎日小泉!!のいい気な面と

その刺客という人たちの自信満々な顔を見るのが、いやです。

民主党から、出馬するのですか?

小泉一味でないならば、応援します。

がんばってください。


外国情報

この情報は、著者に許可を得ております。

日本語版の書籍に、この部分は載っていません。

英語版で追加された補遺ですが、日本語版には追加されないままでした。

しかし、日本にとって非常に重大なことが書いてあります。

別のホームページに公開しておりましたが、ブログに転載しました。

皆さんはどう思いますか。

グローバリズムの妄想の補遺その9

できることは何か

 

 世界経済が危機にあるというコンセンサスはまだない。超国家組織と主流派の政党は、アジアの不況は沈静化できると考えている。世界経済の徹底的な改革が必要なことは、理解されていない。このような理解がいまだにないことが、将来に対する悲観主義の理由だ。

 世界の主流である考え方によれば、アジア危機は、起きるはずではなかった。このような世界観によると、自由な資金の移動が、経済効率を最大にまであげるように働くはずだ。インドネシアのように、そのために経済全体が破壊される場合でも、そうだ。現在有力となっている世界観では、経済効率は、人間の幸福と切り離されている。

 経済哲学の根本的な変化が必要だ。市場の自由は、それ自体が目的ではなく、その場しのぎの手段であり、方策なのだ。市場が人間に奉仕すべきものであり、人間が市場に奉仕するのではない。グローバルな自由市場では、経済手段を社会的に管理して、政治で支配する機能が、危険なほど失われている。

 超国家組織の中では、市場原理主義の可否が問われ始めている兆しがある。資本は自由に移動できなければならないとする定説や、「ワシントン・コンセンサス」のような教義は、しばしば批判の対象となっている。それにもかかわらず、英米式自由市場が、至る所で経済改革の手本となっている。世界経済が一つの普遍的な市場にならねばならないという思想の正当性については、いまだに問題となっていない。

 どの経済理論にも、自由市場の力に対する決定的な説明はない。自由市場は、西洋文明に何度もあらわれるユートピア思想だ。世界的な自由市場には、普遍的な文明という西洋の啓蒙思想があらわれている。それが、特にアメリカで、自由市場が好まれる理由だ。それはまた、現在の状態を、ひどく危険なものにする。

 グローバル化が(すなわち、距離感をなくすような新技術が世界中に普及すること)、西洋の価値観を世界中に行き渡らせることはない。多元社会を元に戻すことが不可能になる。ますます世界経済が相互につながることの意味は、一つの経済文明の成長ではない。永久に異なるままの経済文化の間で、生活様式を、探さなければならないだろうという意味だ。

 超国家組織の課題は、多様な市場経済が繁栄できるような規制の枠組みを作り上げることだ。現在行っていることはその逆だ。多様な経済文化に対して徹底的に作り直せと、強制しようとしている。歴史をひもとくなら、グローバルな自由放任が簡単に改革できるという希望を裏付けるものはない。最初にあらわれた自由市場の場合、西洋の政府による正統派支配を揺るがすためには、大恐慌の大惨事と、第二次世界大戦の経験が、必要だった。これまでに経験したものよりもさらに大きな影響を及ぼす経済危機がくるまでは、グローバルな自由放任以外に可能な選択肢が出現するとは考えられない。おそらく、グローバル自由市場を支えている経済哲学が、完全に放棄されるのは、アジアの不況が、世界の大半に広がったあとだろう。

 アメリカの政策に根本的な変化がなければ、グローバル市場のあらゆる改革案は、無益なものとなろう。現在、アメリカは、世界中の司法権について何でも口を出すことを、自国の国家主権に対する絶対的な執着と、結びつけていている。そのような方法は、グローバル化によって生まれた多元主義の世界には、もっともふさわしくないものだ。

 アメリカの政策によって実際に起きることは、グローバル市場の不安定さに耐えられなくなったとき、他の国が、一方的な行動をとるだろうということだけかもしれない。その時点で、グローバルな自由放任という、ずさんな体系は、崩壊し始めるのだ。

 グローバルな自由市場という構想は、衰退する運命にある。この点で、他の点と同様に、ユートピア思想の社会工学による二十世紀に行われたもう一つの実験である、マルクスの社会主義によく似ている。どちらも、人類の進歩は、ある一つの文明を目標にしなければならないとしている。どちらも、近代経済が、様々な変種となる可能性を、否定し、一つの見方を世界に押しつけるためには、人類は苦渋に満ちた大きな代償を払ってもかまわないとする。どちらも、必要欠くべからざる人間の必要性のために、挫折した。

 もし、歴史に学ぶなら、もうすぐ、グローバルな自由放任が、取り戻せない過去のものとなると思わねばならない。他の二十世紀のユートピアと同じように、グローバルな自由放任は、その犠牲者もろとも、歴史の記憶という穴蔵へ、のみこまれていくだろう。

 

グローバリズムの妄想の補遺その8

ヨーロッパの社会的市場経済に未来はあるか?

 

 グローバルな金融機関のシステミックな危機によって、ユーロの導入が挫折する可能性がある。しかし、その危機を乗り越えるなら、ヨーロッパ連合は、統一通貨によって、世界市場で、これまでにないほどの存在感をえることになるだろう。これまでの議論は、グローバル経済にとってどのような意味を持つかということよりも、繁栄を手に入れるための国内の障害に焦点を当ててきた。だが、前者も、大きな影響を及ぼす可能性がある。

 ヨーロッパ連合は、世界市場による動揺から、統一通貨でユーロ圏を守ることはできない。しかし、アメリカと対等の条件で、交渉のテーブルにつく経済力が得られる。EUの加盟国がすべて、統一通貨に加入すれば、ユーロ圏は、世界で最大の経済域となり、ユーロは、支配通貨としてのドルを、おびやかすだろう。もし、ユーロの信認が確立されるなら、ドル崩壊の可能性は高まる。さらに、事態が進展するなら、アメリカが世界最大の債務国として繁栄できなくなる日を、ユーロは、早めるだろう。時とともに、おそらくかなり急速に、世界で経済力の均衡に変化が訪れるのは、避けられない。

 新通貨が成功する内部条件が整っていないのは、事実だ。単一金利体制では、景気停滞に陥る国や地方があれば、繁栄するところもある。このような多様性にアメリカを適応させたような条件は、EUにはない。現状では、ヨーロッパ大陸全土での労働の移動性は存在せず、ヨーロッパの不況地域に、大量失業が発生するのを防ぐ財政メカニズムはない。

 ユーロが導入されたら、ヨーロッパの制度は、このような欠陥を修復しなければならなくなるだろう。統一通貨体制から生ずる必要性やその制限条件に対して、各国がもっと柔軟に対応できるような政策を、立案するように迫られるかもしれない。しかし、ヨーロッパは、決してアメリカではなく、今後もそうなることはないと、認識することになる。様々な歴史的生活共同体が長い間住み着いているヨーロッパ大陸では、アメリカなみの労働移動性は不可能であり、さらに望ましくもない。また、あえていうなら、アメリカのような権力を持ったヨーロッパ国家が、登場することもないだろう。ヨーロッパの制度は、発展し続けるが、混合状態のままだろう。ヨーロッパの支配権は、各国の政府とEU本部の間を、バランスをとりながら移動することになる。

 ヨーロッパの資本主義は、アメリカの自由市場とは大きく異なるままだろう。ヨーロッパのどの国も、英国でさえ、自由市場のために、アメリカに生じた社会的欠陥の水準は容認できない。国家と市民社会の境界は、これまでと同様に、往来可能で、交渉もできるだろう。歴史的な記憶や、土地に対する愛着は、アメリカモデルのような移動性の妨げとなる。これらすべての理由から、自由市場は、ヨーロッパ大陸の社会的市場にとってかわることはないだろう。

 だが、ヨーロッパの社会的市場は、現在の形のままで存在することは不可能だ。第一に、失業率は、いつまでもこの状態を続けられない水準だ(EU全体で、十一%を越えている)。全人口が高齢化すると、これほどの失業が財政に与える意味は大きい。しかし、大量失業による財政問題は、最悪の脅威ではない。

 大量失業により、ヨーロッパ中で社会的な排斥と疎外が、激しくなっている。ヨーロッパ大陸では、大半の国に、急進的右翼の有力な政党がある。フランスとオーストラリアでは、中道派政党に政治取引の条件を無理強いしているのは、社会的に排斥されたグループが支持基盤の一つとなった極右翼の政党だ。このようなヨーロッパ諸国で、政治の中心となる立場をきめるのは、リベラルな価値観ではなく、反リベラルの政党だ。

 統一通貨の初期に、ヨーロッパの制度が直面する危険は、市民の心の中で、ヨーロッパ連合が大量失業と結びつくようになることだ。ヨーロッパの制度をこのようなものと考える選挙民は、右派の政党に利用されやすい。二、三年の間に、急進的な右翼が、EU加盟諸国の政権に参加することはないだろう。しかし、穏健派政権によって政策がつくられる状況を、急進的な右翼が、自分たちに都合のよいようにもっていくことは可能だ。

 ヨーロッパ連合を含む大ヨーロッパでは、極右翼の政党は、もっと大きな権力を行使できるだろう。国家が弱体であれば、簡単にバルカン化できる。かなりの力を持つ少数民族がいれば、その国は、民族的な国家主義の犠牲となりやすい。旧共産主義国で事件が起きれば、ヨーロッパには紛争の種がまだあることを、思い出させるのに効果があるだろう。

 グローバルな自由市場では、経済への参加から排除されていた社会的グループは、過激派の活動に対する支持者として復帰し、政治を悩ましている。ジグムント・バウマンの記述は、この成り行きを、うまく表現している。「グローバル化のプロセスに必要不可欠なものとして、空間的な隔離や、分離、排斥が進行している。新しい民族の傾向や、根本主義傾向は、グローバル化の結末を末端で受けている人々の経験を反映しているが、広く『上部(つまりグローバル化された上層部での)文化の混血化』とされているものと同じように、グローバル化の正統な結果である」。

 社会民主主義者は、ヨーロッパの社会的市場が、グローバルな自由放任の枠内で、再生できると考えている。しかし、世界中を自由に動き回る資金により、ケインズ政策は効果がなくなった。そのケインズ政策によって、社会民主主義体制は、これまで完全雇用を達成してきた。グローバルな自由貿易のため、社会的な責任を負担する資本主義での規制と税金のコストを、支えるのは難しくなっている。このような状況が更に進む限り、ヨーロッパの社会的市場は、グローバル市場の絶え間ない影響にさらされるだろう。社会的な排斥と政治的な疎外が、常に脅威となる。

 この主張は、ラインモデルの資本主義が、消滅する運命にあるといっているのではない。その逆であり、ドイツの資本主義は、統一という悪夢のような出来事を乗り越えて、ヨーロッパで第一の経済力となった。ラインモデルの問題は、利害関係者の利益を、株主の利益よりも優先し続けられるだろうかということだ。グローバルな自由放任のルールが変わらない限り、その答えは、続けられないということになる。

 グローバル市場が、そのような企業の株価を、容赦なく攻撃するだろう。統一通貨で統合されたヨーロッパでも、ドイツの社会的市場は、現在のままではいられない。ドイツでも、ヨーロッパ大陸の他の国でも、社会的市場は、アングロサクソン流の自由市場に、向かってつき進むだろう。それでもやはり、三十年後には、ヨーロッパの社会的市場を、識別するのは困難になるかもしれない。

 統一通貨は、百年もの間、グローバル化の過程で生じた競争激化という影響から、ヨーロッパを守ることはできない。グローバルな自由放任が、歴史という試験に合格した後かなりたってから、ヨーロッパは、工業化によって、元に戻せないような変化をとげた世界で、ふさわしい場所を見つける必要があるだろう。

 また統一通貨は、近隣諸国の経済崩壊に付随する影響から、ヨーロッパを守ることもできない。ロシアが、ルーブル崩壊の後に、混沌に陥るとしたら、そのことが、ヨーロッパ諸国の経済に及ぼす直接の影響は、何とか吸収できるかもしれない。だが、社会と政治へ及ぼす影響は、かなりのものになるだろう。ポーランドのような国は、東側国境付近で、大規模な人口移動の怖れがあるとき、どのような対応をするだろうか。そのような大きな難民危機が起きれば、東へ向かうEUの拡大戦略は、どのような影響を受けるだろうか。

 統一通貨は、そのような問題を扱うために、ヨーロッパでほとんど役に立たないだろう。だが、ヨーロッパ連合にとっては、グローバルな自由放任によっておきる、さらに大規模な危機に対応するための強力な武器になる。世界市場が、押さえ込めないような圧力によって崩壊し始めるとすれば、ヨーロッパ連合は最大の経済圏となろう。その規模と資産で、資金の移動を制限する改革を迫ることが可能だろう。もし、ヨーロッパが、今後の混乱を生き延びるとすれば、そのかなめとなるユーロの地位によって、投機的な通貨取引の規制を促すヨーロッパ連合の発言権は、強まるだろう。一九三〇年代のヨーロッパのようなグローバルな恐慌でも、アメリカや、アジア諸国の状態よりましとなるかもしれない。

 自由市場が、英語圏で持っていたような支配権を、ヨーロッパにでえることはない。グローバルな自由放任体制が崩壊するとき、世界経済の新しい枠組みを構築するために、ヨーロッパ連合が、主導権を握れるかどうかはわからない。

 

 

グローバリズムの妄想の補遺その7

日本は、独特の経済文化を維持できるか

 

 日本は、アジアで唯一の経済大国であり、今後もその地位を維持するだろうと予想される。アジアで最初に工業化された、世界最大の債権国として、アジアのどの国よりも優位に立っている。高い教育水準と莫大な資金プールがあるため、二十一世紀の知識ベース経済に対しては、おそらくどの西側諸国よりもふさわしい状況がある。だが、金融危機と経済危機に直面しているために、日本独特の経済文化の存在そのものが、危うくなっている。

 日本の経済問題を解決しなければ、アジアの危機は悪化の一途をたどるだろう。その場合、世界経済は、日本に続いて、デフレと不況に陥る危険がある。現在日本では、一九三〇年代にアメリカやその他の国で起きたような規模で、資産価値が下がり、経済活動が縮小している。日本のデフレを退治しなければ、アジアと世界がデフレを回避する見込みは、ほとんどない。

 日本の経済問題に対して西洋が作成した処方箋は、矛盾だらけだ。今も昔も、超国家組織が主張しているのは、日本は、西洋のモデル(より具体的にはアメリカのモデル)に従って、金融制度と経済制度を再構築しなければならないというものだ。日本の経済問題に対するこのような解決策は、全面的なアメリカ化である。このような主張をする人からみると、日本が、経済問題を解決するのは、日本人であることをやめるときだけだ。

時折、このようなことが率直に表現されることがある。アメリカの新保守主義に属する雑誌に、満足げな記述があった。「アメリカには、ペリー提督の役割をしてくれるIMFがついている」。

 そのような西洋化を強行する政策の結果は、独特でかけがえのない文化が絶えるだけではすまない。過去半世紀の間、日本のめざましい経済進歩とともに存在した社会のきずなを、破壊することになる。ところが、現在のデフレ危機は解決されない。

 西洋の政府が日本に要求しているのは、(先進国の中では、日本だけということらしいが)、ケインズ政策をとることだ。西洋のコンセンサスによれば、日本は、減税と公共投資を行って、巨額の財政赤字を計上しなければならない。一方で、西洋の超国家組織は、日本の労働市場を解体せよと要求する。その労働市場は、過去五十年間、完全雇用を確保してきた。日本がこれらの要求に応じるなら、その結果は、問題を一切解決することなく、西洋社会の解決不可能なジレンマを輸入するだけかもしれない。

 日本に西洋諸国が現在突きつけているようなケインズ政策は、デフレを退治するのには役立たない。そもそも、そのような政策は、先の見えない時代に貯蓄を殖やす日本人の文化的傾向を、全く考慮していない。現在の状況では、さらなる減税で自由になる金も、消費に回らず、単に貯蓄が殖えるだけだ。経済不安が広がるにつれて、通常の水準をはるかに超えるところまで、日本の貯蓄は膨らんでいる。減税が恒久減税とされても、さらに貯蓄率が上がるだけだろう。

 減税によって日本で増えた手取り収入が、効率よく投資されるとしたら、外国への投資となるだろう。赤字国債発行による資金調達も、経済に期待された効果をもたらさない。資本がグローバルに動くとき、高水準の公的借り入れが、国内経済活動を刺激するという保証はない。

ケインズも気がついていたように、赤字財政という政策が成果をあげるのは、閉鎖経済に対して実施されるときだけだ。

資本が自由に移動するとき、そのような政策は、ほとんど効力を持たない。その結果、日本は流動性の罠に陥る。ケインズ政策では、それを救えない。西洋の政府は、日本の体制について、資本移動を自由化し、金融を規制緩和せよと、執拗に迫っていた。しかし、それによって、現在日本に押しつけているケインズ政策の効果がなくなるとは、気づかなかったようだ。

 日本が西洋の要求通りに労働市場の規制緩和をすすめるなら、さらに事態は悪化するだろう。もし西洋のモデル(とりわけアメリカのモデル)に従って、労働市場の規制が完全に緩和されるなら、失業率は倍増し、もしかすると三倍にまで達するかもしれない。それは、もちろん、わざとやっていることだ。しかし、労働者の不安を増大させ、それによって日本の貯蓄傾向は強まる結果となろう。消費を刺激するという減税のねらいは、かくして、挫折する。

 おそらく、日本政府が消費を刺激できる唯一の策は、何とかインフレを起こして、貯蓄が得にならないようにすることだ。しかし、他の国では、インフレに対抗して、さらに貯蓄することがある。たとえ、金を失うことになろうとも貯蓄する。日本人が、そうはならないとは限らない。そのような政策の結末がどのようなものであろうと、円の暴落は避けられない。なぜなら、アジアで他の国が、とりわけ中国が、それと同じようなことをして返すことになるからだ。これは、西洋の政府が何よりも恐れる結末だ。

 日本の労働市場におしつけようとしているフレキシビリティが、政府に強制しているケインズ政策とうまく折り合わないことを、西洋の政策立案者は、理解していない。さらに、日本の需要を喚起するのに最も有効となる可能性のある政策が、アジアで競争的通貨切り下げを引き起こし、それ故アメリカとヨーロッパでは保護主義を引き起こすことになるとは、気づいていないようだ。

 労働市場の規制緩和によって起きるべくして起きた失業率上昇によって、日本では、西洋諸国の時よりも、ひどい社会不安がおきるだろう。十分な福祉がなければ、社会不安が起きる。西洋諸国の経験からは、この状態が急激に生じるものではないとわかる。

 西洋ほどの大量失業を日本へ持ち込むなら、最終的に西洋式の福祉を確立しなければならない。だが、西洋の政府は、反社会的な下層階級を創り出すという理由で、福祉を削減している。再度繰り返すが、日本が要求されているのは、西洋のどの国も解決できない問題までも持ち込むことなのだ。

 日本に西洋式の福祉が登場してもしなくても、失業率上昇の結果は、単に貧富の差が大きく広がるだけだろう。完全雇用を放棄するように主張することで、超国家組織が要求しているのは、これまで日本の社会的平和を維持してきた平等主義なタイプの資本主義を、捨て去ることだ。

 株主の利害を何よりも優先する西洋の資本主義とは対照的に、日本の資本主義では、社会と政治の正統性は、雇用創出に由来する。西洋主導の超国家組織から絶えず要求されて日本政府が導入する政策のために、この独特な日本的資本主義は、維持できなくなるかもしれない。

 一九九八年の『ビッグバン』で、金融機関の規制が緩和されたが、日本にとって、これは、運命の一歩だった。金融の規制緩和と、日本の雇用中心資本主義の維持は両立できない。日本企業の業績を評価するとき、外国の銀行は、日本の雇用を維持するための配慮よりも、株主にとっての価値を基準とするだろう。日本と西欧企業の共同事業の場合も、英米基準による業績と生産性をあてはめようとする、一方的な圧力がかかるだろう。時とともに、金融の規制緩和が、計画通り進むなら、これまで日本の完全雇用を支えてきた銀行と企業の相互ネットワークは、解消される。

長期的な影響力をもつこのような圧力は、日本に西洋のような失業を、確実に持ち込むことになる。そのような成り行きは、五十年代以降、社会と産業の対立を抑えてきた不文律の社会契約が、終わることを意味する。この社会契約が、長続きするような形で、更新されなければ、日本社会の独特なきずなは、壊れ始めるだろう。日本は、他のアジア諸国に続いて、政治不安に陥るかもしれない。その時点で、現在から見ればはるか遠い先のようにみえるが、国家の行く先が、突然、急激な変化を起こす可能性は排除できない。

 日本の経済問題を解決するとすれば、独特の経済文化を解体するのではなく、修正するものでなければならない。日本経済に対して、絶え間なく突きつけられる西洋の処方箋では、日本が遅かれ早かれ、西洋の一員になると仮定している。日本の歴史に、そのような期待の裏付けとなるものは何もない。日本の歴史からわかるのは、国家の政策が、突然変化した例が幾度かあることだ。しかし、そのいずれの場合も、独自の文化を放棄したためしはない。明治時代の近代化が成功したのは、主に日本による近代化だったという理由による。同様に、経済近代化が今日の日本で成功するとすれば、強制された西洋化の政策でない場合だけだ。

 社会のきずなを犠牲にする経済改革は、日本の選挙民に正統なものとして受け入れられないだろう。

日本の労働市場は、職業不安を大きく増大させずに、もっとフレキシブルになれるだろうか? なんとか再び経済成長するためには、他の先進工業社会を真似するべきだろうか? 或いは、商品や、サービス、ライフスタイルの質が向上する意味をあらわすように、経済成長自体を、再定義するべきだろうか? これは、今後、日本が答えを出すことになる問題だが、現在の危機に対する解決とはならない。

 デフレが悪化し、グローバルな不況のきっかけとなる見通しは、遠い先でも、架空の議論でもない。それは、現実の、間近に迫っているものだ。西洋の政府が日本につきつけている政策を実行すれば、デフレを退治することなく、第二次世界大戦後社会のきずなと政治の安定を維持してきた日本の社会契約を崩壊させてしまうかもしれないというのが、現状の危険だ。

 市場を規制緩和せよとする西洋の圧力によって、日本の政府には、政策の選択肢がほとんどなくなる。そして、世界経済に重大な脅威を及ばさない選択肢は、皆無となる。

 

 

グローバリズムの妄想の補遺その6

 英米流の資本主義が、アジア危機の結果、(他のモデルがすべて混乱しているため不戦勝となったとしても)、現在もっとも有望な経済システムだとすることはできない。このような解釈が考えられるのは、歴史を無視し、西洋の人種差別が続く場合だけだ。これからわかるのは、あらゆる既存の資本主義が変化しているということだ。

 アジア諸国は、現在他の国と同じように、絶えず突然変異していて、社会のきずなと政治の安定度は、思いがけない方向に変化する。他のいかなるものも、自由市場経済と同様に、この変転から遮断されることはない。アジア危機は、自由市場が普遍的に勝利するしるしどころか、グローバル資本主義が大混乱する時代の前触れだ。

 これが、現在の世論で(とりわけアメリカで)、ほとんど論じられていない展開である。アジア危機に対するアメリカの認識には、奇妙な矛盾がある。アジア資本主義が終末の危機を迎えているしるしとして、東アジアの経済問題を、アメリカは歓迎している。もしそうならば、世界の歴史的な巨大変動であり、長く続くものだ。アジア諸国は、巨大な、長引く問題を抱えているが、自由市場を終わらせるような衰退期ではない。アジアの資本主義には、アジア諸国の家族生活、社会構造、政治や宗教の歴史が、あらわれている。それらは、超国家組織の規制当局が、自由気ままに、変えられるような制度ではなく、独自の歴史と伝統的な知恵に満ちた慣習が密かに存在する、社会と文化の制度なのだ。

 国際通貨基金の政策をつくった、歴史を知らないオブザーバーだけが、アジア諸国は伝統の遺産を捨て去るだろうという構想を立てられる。歴史に学ぶとしたら、アジアの資本主義は、現在の危機から、予想もできないような変化を遂げて立ち直るだろうと確信できる。西洋のモデルに従って、作り直すことなどないだろう。だが、アジアの資本主義が『西洋』の資本主義に収束するとしても、何世代にもわたる悪夢のようなプロセスをへて、文化と政治が変化するだろう。

 つい最近まで、アメリカの世論は、このような構造変化が続いても、自分たちの日常生活は変わらないと確信していた。アジアの経済崩壊がアメリカに及ばす影響はわずかであり、プラスの影響だとまで考えていた。一方では、アメリカの政策立案者が認識していた(実際には執着していた)のは、グローバル化された市場では、どこかで大きな変化が起これば、あらゆる場所の経済に影響を与えるということだ。

 このようなつじつまの合わない予想によって、非常に不安定な世界観がつくられた。アメリカは、自国をグローバル化の原動力だと考えていると同時に、グローバル化の混乱から、どういうわけか隔離されていると考えている。資本主義がグローバルになると、それにつきものの不安定さもグローバルになるとは考えなかった。

 アメリカで『新パラダイム』を予言した人の説によると、過去に目を向けるとき、資本主義は必然的に、破壊的であると同時に創造的である。そのたぐいまれな高い生産性は、既存の産業を破滅させて、社会生活として確立されていたものをくつがえす。現在と未来に目を向けるときは、そのような不愉快な事実には、素知らぬ顔をする。期待するものは(少なくとも約束するものは)、常につきまとっていた苦痛と混乱をまぬかれている、莫大な生産性だ。

 アメリカの見解と歴史的な事実に関する、このような認識のギャップのために生じた非現実的な自信は、アメリカ経済の脆弱性を立証すれば、簡単に論破できるだろう。

 アメリカの株式市場が高騰したのは、経済のリストラだけが原因ではないし、またそれが主な原因でもない。アメリカの情報技術進歩によって、確かに経済の競争優位は高まった。同様に、一九九〇年代初期の、非人間的なダウンサイジングや、頻発する企業のリストラによって、アメリカ企業はコスト面で相当の優位を獲得した。このような範囲に関する限り、アメリカの好況の原因は、実際に経済効率がよくなったからだ。

 ウォールストリートでの非常に高い株価は、もう一つの証拠だ。これは、歴史上、政府の地政学的戦略によって、自国が勝利したとするアメリカの自信が原因だ。共産主義の崩壊、ヨーロッパ経済の低迷、アジア経済の崩壊など、十年足らずの間に起きたこのような急速な変化が意味するのは、多くのアメリカ人にとっては、『アメリカの政治理念』が正当であると、最終的に証明されたということだ。

 一九九〇年代末期には、アメリカの世論は、アメリカの価値観が、急速に、そして後戻りすることなく、世界中に広まることを確信していた。景気循環が時代遅れになったという非現実的な見解が、正統派理論とされた。アジアやヨーロッパのオブザーバーにとって紛れもない事実である『歴史が復活する』という予想は、考慮されず、さもなければ無視された。長期にわたるアメリカの好況は、国家的な傲慢といううわべだけのはかないムードから生じた、投機によるバブルと化している。

 このバブルは、いつ終わってもおかしくない。これは、部分的にアメリカの軍事的な覇権という前提のうえにたっているが、アジアの事件によって、この覇権の化けの皮がすでにはがされてしまった。インド亜大陸の核軍備競争は、それ自体がアメリカの安全保障に直接の脅威を及ぼすことはない。だが、核兵器を持ってインドとパキスタンが対峙すれば、アメリカ主導の国際的な核軍縮運動は無駄になり、その結果世界の危険度が増すことになる。

 南アジアの核兵器による軍備競争を回避するために、確かにアメリカはあらゆる影響力を行使した。しかしそれが失敗に終わったことも間違いない。核拡散防止のために、アメリカは、不愉快な事実を直視しなければならなかった。それは、グローバル化によってアメリカの力は増加せず、制限される傾向があるということだ。アメリカは、世界で最強の軍事力を有するが、軍事力を支える技術が広まるのはとめられない。

 アメリカの経済力も、同様に制限されている。中国通貨の競争的切り下げがおきれば、東アジアの被害は甚大であり、アメリカ経済も大きく後退する。極東地域のデフレを悪化させ、アメリカ議会には、保護主義の反動が生じるだろう。ウォールストリートが、悪夢のように奮闘するのは確実だ。そのような展開を予防することは、アメリカにとって何よりもまさる重大事だ。しかし、アメリカが、それを防ぐためにできることはほとんどない。

 アジア危機から逃避するための安全な避難所として、西洋の政府は、中国をほめたたえた。これまでのところ、その原因は、単に中国がグローバルな自由市場からある程度離れたところにとどまっていたからだ。中国政府の経済に対する支配力は、かなりのものだ。中国を賞賛していた西洋の政府が見過ごしているのは、その相対的な安定性が、西洋の助言や見解を、常に軽蔑していたことによる副産物であり、その軽蔑には、もっともな根拠があるということだ。

 中国の経済政策は、主に国内の政治要因によって決まる。アメリカ政府が、どのような動機付けを与えても、中国の支配者は、失業率が上昇する危険の方を、重大問題とするだろう。中国は現在、田園地方から都市へと、莫大な人口が急速に移動する歴史的な時期にある。失業については、すでに一億人の労働力余剰が生じている。多くの国有企業を倒産させる政策によって合理化が進むため、この数字が上方修正されるのは確実だ。中国政府の戦略は、そのような労働者を輸出企業で再雇用するというものだ。中国経済の中には、デフレが顕著な兆候を見せている部門もある。そのような状況のなかでは、失業率上昇を未然に防ぐという責務が、政治的に生き残るために最優先される。

 西洋の見解では、中国の現体制が、アジアの不況をさほどの困難もなく乗り切ると予想されている。このような予想を、中国の支配者がどれほど持っているかについては、不明だ。一見堅固だったロシアの全体主義体制が崩壊するのを、みてきた。安泰と思われていたインドネシアの独裁政治が、経済危機のために、月単位で倒れるのを目撃した。中国に同じことが起こらないと錯覚することは、ほとんどありえない。

 中国の支配者には、西洋の政府とは違って、歴史感覚がある。近隣諸国を巻き込んだ不況を生き延びるとしたら、歴史上もっとも著しい離れ技のような政治手腕が必要だろうと、覚悟せねばならない。権力にとどまるためには、いかなる手段も行使するだろう。競争的な通貨切り下げは、死にものぐるいの戦略の中でも、政府が経済状況を悪化させ、社会と政治の不安材料を増すような方策の一つとなるだろう。天安門事件のような出来事を予想するのも無理はない。

 東アジアの通貨切り下げスパイラルが起きるとしたら、世界経済のシステミックな危機を引き起こす可能性のあるいくつかの重大事件の一つにすぎない。一九九八年八月の切り下げ後に起きたロシア通貨ルーブルの暴落は、同じような結果を生じる可能性があった。ロシア経済が再び崩壊すれば、その結末は、政権交代ではなく、体制が大きく変化する可能性がある。そのような体制の変化が、『西側諸国』に及ぼす影響は深刻となろう。西側諸国は、ロシアの民主化移行が、逆戻りすることはないと考えていた。現在ロシアの専制主義がよみがえる可能性があるが、それに対応する準備はできていない。西側諸国の政府は、そのような展開を国際システムに対する脅威と考える。同様に、ロシアの新体制がどのようなものであれ、ロシアに資本主義をもたらした西側諸国政府や超国家組織の失敗を利用して、西側に対する敵対感情に火をつけるだろう。ロシアの体制変化によっておきる予想もつかない事態の中で、国際経済協調が、かつてないほど困難になることは確実だろう。

 ロシアで、経済が崩壊し、再度体制が変化する。日本でさらにデフレがおきて、金融システムが弱まり、日本が持っているアメリカ国債をやむなく売却する。ブラジルとアルゼンチンで金融危機が起きる。ウォール街で暴落がおきる。このような事件の一つ或いはすべてが、現在の環境では、その他の予見不可能な出来事とともに、グローバル経済が混乱するきっかけとなる可能性がある。どれか一つでも起きれば、まず起きることの一つとして、議会をはじめ、アメリカで保護主義のムードが急速に高まるだろう。

 普通のアメリカ人は、長引く景気後退に耐えられる状態ではない。連邦福祉制度を廃止したことにより、失業率が上昇しても失業者に対する援助はほとんどない。一億人以上のミューチュアルファンド保有者が、激動する市場で、資産の大半を失ったら、国民が保護主義を支持するようになるのは、避けがたいだろう。

 経済史の常識によれば、国際経済が崩壊するとき、福祉制度がない国は、保護主義という手段に訴える傾向が強い。アジアの不況が悪化すると、このような歴史のパターンが、必ず繰り返される。

 アメリカでの個人の債務と破産の規模は、現在、歴史的な水準に達している。多くのアメリカ人にとって、株式市場が高値圏にあることだけでなく、値上がりが続いていることによって、現在の消費が、支えられている。景気が悪くなれば、そのような人々は、貧乏になったと感じ、また実際に貧乏になることだろう。大衆の投機心理が常に存在することを、地政学の勝利主義に、重要な要素として、つけくわえねばならない。この熱狂的な雰囲気では、ソフトランディングは不可能に近い。二十%くらいの下落では、自信過剰に変化が起こらない。

 一九八〇年代末期に日本で起きたような相場の反転(三分の二以上の下落)が、アメリカ株式市場に起きれば、アメリカの中産階級の一部は、貧困化する。株式市場で創り出された莫大な富が突然消えたらば、中産階級の不安はこの上なく高まるだろう。暴落の影響は、すでに貧困な人々にとっては、さらに過酷だ。一九三〇年代に、ジョン・スタインベックが詳しく描いたその日ぐらしで放浪するアメリカ人のような人々が、再び現れると考えるのは、根も葉もないことではない。

 アメリカ経済が大きく後退したら、どのような副産物が生まれるかを、前もって知ることはできない。しかしアメリカが自由市場へのめり込んでいる状態は、長くは続かないだろう。いずれにしろ、保護主義が繰り返し登場した、アメリカの長い歴史の中では、短期の異変に過ぎない。

 過去二十年間の新保守主義の政治コンセンサスが、アメリカ国民に定着した信念をあらわしていると解釈するのは間違いだろう。一九九〇年代初め、過激な右翼である共和党の人気は、急速に伸びて、さらに急速に下降した。このことから、アメリカ選挙民の成熟度だけでなく、どれほど気まぐれであるかということがわかる。

 深刻な景気後退が、急激に起きて長引くことになれば、アメリカ政界の自由市場信仰にとって試金石となり、その結果、この信仰心は失われることになろう。アメリカの経済国家主義が、突然それにとってかわるなら、近年アメリカの政策立案者が普遍的な自由市場に熱烈な愛着を示していたことから考えれば、皮肉な出来事だ。

 アメリカ経済をどのように改革するかについて記すのは、私の本意ではない。たとえ、私にその能力があろうとも、それはアメリカ人の仕事だ。本書の主張は、いかなるタイプの資本主義も、世界中すべてにふさわしくはないというものだ。それぞれの文化は、自由に独自の資本主義をつくるべきであり、他の文化が育てた資本主義と、折り合う道を探るべきだ。

 ちょうどアメリカの習慣を他国に押しつけた場合のように、ヨーロッパやアジアの資本主義特有の習慣を、アメリカが模倣するのも、お門違いだ。経済改革は、それぞれの文化の固有な価値観で、すすめられるべきだ。アメリカを例に取ると現在、ヨーロッパやアジアよりも、個人主義である。大きく違う文化の経済的な習慣を、アメリカが取り入れようとするべきだとは、思わない。

 アメリカの課題は、自由市場の代わりになるものを工夫することではなく、人間にとって欠かせないものを、大切にすることだ。(逆説的なことだが、アメリカで改革の課題としてあげられるものは、すべて現在禁止されていることに自由市場原理を、拡げるものとなりそうだ。例えば、巨大な麻薬市場という地下経済などがある)。市場が急落すれば、必ずアメリカの経済国家主義が登場する。そして、必要な、巧妙かつ微妙な経済改革は、不可能になる。

 一九九七年の終わり頃、本書の第一版が出版される前に、私は、次のように記した。「西洋の自由市場主義者が、アジア諸国の経済問題に対して勝ち誇った態度をとるならば、自らを近視眼的で自信過剰であること(はじめてのことではないが)を、示しているのだ。アジア諸国の中には、大幅な経済改革を行わなければならない国もある。だが、アジアの金融危機は、自由市場が世界中に広まる前兆ではない。グローバルなデフレ危機のプレリュードである可能性がある。このような事態が進展するうちに、アメリカは、現在アジアや世界中に強制しようとしている、規制のない自由市場という体制に怖れをなして退散する」。これが、私の予言であり、変更する理由を認めない。