グローバリズムの妄想の補遺その6
英米流の資本主義が、アジア危機の結果、(他のモデルがすべて混乱しているため不戦勝となったとしても)、現在もっとも有望な経済システムだとすることはできない。このような解釈が考えられるのは、歴史を無視し、西洋の人種差別が続く場合だけだ。これからわかるのは、あらゆる既存の資本主義が変化しているということだ。
アジア諸国は、現在他の国と同じように、絶えず突然変異していて、社会のきずなと政治の安定度は、思いがけない方向に変化する。他のいかなるものも、自由市場経済と同様に、この変転から遮断されることはない。アジア危機は、自由市場が普遍的に勝利するしるしどころか、グローバル資本主義が大混乱する時代の前触れだ。
これが、現在の世論で(とりわけアメリカで)、ほとんど論じられていない展開である。アジア危機に対するアメリカの認識には、奇妙な矛盾がある。アジア資本主義が終末の危機を迎えているしるしとして、東アジアの経済問題を、アメリカは歓迎している。もしそうならば、世界の歴史的な巨大変動であり、長く続くものだ。アジア諸国は、巨大な、長引く問題を抱えているが、自由市場を終わらせるような衰退期ではない。アジアの資本主義には、アジア諸国の家族生活、社会構造、政治や宗教の歴史が、あらわれている。それらは、超国家組織の規制当局が、自由気ままに、変えられるような制度ではなく、独自の歴史と伝統的な知恵に満ちた慣習が密かに存在する、社会と文化の制度なのだ。
国際通貨基金の政策をつくった、歴史を知らないオブザーバーだけが、アジア諸国は伝統の遺産を捨て去るだろうという構想を立てられる。歴史に学ぶとしたら、アジアの資本主義は、現在の危機から、予想もできないような変化を遂げて立ち直るだろうと確信できる。西洋のモデルに従って、作り直すことなどないだろう。だが、アジアの資本主義が『西洋』の資本主義に収束するとしても、何世代にもわたる悪夢のようなプロセスをへて、文化と政治が変化するだろう。
つい最近まで、アメリカの世論は、このような構造変化が続いても、自分たちの日常生活は変わらないと確信していた。アジアの経済崩壊がアメリカに及ばす影響はわずかであり、プラスの影響だとまで考えていた。一方では、アメリカの政策立案者が認識していた(実際には執着していた)のは、グローバル化された市場では、どこかで大きな変化が起これば、あらゆる場所の経済に影響を与えるということだ。
このようなつじつまの合わない予想によって、非常に不安定な世界観がつくられた。アメリカは、自国をグローバル化の原動力だと考えていると同時に、グローバル化の混乱から、どういうわけか隔離されていると考えている。資本主義がグローバルになると、それにつきものの不安定さもグローバルになるとは考えなかった。
アメリカで『新パラダイム』を予言した人の説によると、過去に目を向けるとき、資本主義は必然的に、破壊的であると同時に創造的である。そのたぐいまれな高い生産性は、既存の産業を破滅させて、社会生活として確立されていたものをくつがえす。現在と未来に目を向けるときは、そのような不愉快な事実には、素知らぬ顔をする。期待するものは(少なくとも約束するものは)、常につきまとっていた苦痛と混乱をまぬかれている、莫大な生産性だ。
アメリカの見解と歴史的な事実に関する、このような認識のギャップのために生じた非現実的な自信は、アメリカ経済の脆弱性を立証すれば、簡単に論破できるだろう。
アメリカの株式市場が高騰したのは、経済のリストラだけが原因ではないし、またそれが主な原因でもない。アメリカの情報技術進歩によって、確かに経済の競争優位は高まった。同様に、一九九〇年代初期の、非人間的なダウンサイジングや、頻発する企業のリストラによって、アメリカ企業はコスト面で相当の優位を獲得した。このような範囲に関する限り、アメリカの好況の原因は、実際に経済効率がよくなったからだ。
ウォールストリートでの非常に高い株価は、もう一つの証拠だ。これは、歴史上、政府の地政学的戦略によって、自国が勝利したとするアメリカの自信が原因だ。共産主義の崩壊、ヨーロッパ経済の低迷、アジア経済の崩壊など、十年足らずの間に起きたこのような急速な変化が意味するのは、多くのアメリカ人にとっては、『アメリカの政治理念』が正当であると、最終的に証明されたということだ。
一九九〇年代末期には、アメリカの世論は、アメリカの価値観が、急速に、そして後戻りすることなく、世界中に広まることを確信していた。景気循環が時代遅れになったという非現実的な見解が、正統派理論とされた。アジアやヨーロッパのオブザーバーにとって紛れもない事実である『歴史が復活する』という予想は、考慮されず、さもなければ無視された。長期にわたるアメリカの好況は、国家的な傲慢といううわべだけのはかないムードから生じた、投機によるバブルと化している。
このバブルは、いつ終わってもおかしくない。これは、部分的にアメリカの軍事的な覇権という前提のうえにたっているが、アジアの事件によって、この覇権の化けの皮がすでにはがされてしまった。インド亜大陸の核軍備競争は、それ自体がアメリカの安全保障に直接の脅威を及ぼすことはない。だが、核兵器を持ってインドとパキスタンが対峙すれば、アメリカ主導の国際的な核軍縮運動は無駄になり、その結果世界の危険度が増すことになる。
南アジアの核兵器による軍備競争を回避するために、確かにアメリカはあらゆる影響力を行使した。しかしそれが失敗に終わったことも間違いない。核拡散防止のために、アメリカは、不愉快な事実を直視しなければならなかった。それは、グローバル化によってアメリカの力は増加せず、制限される傾向があるということだ。アメリカは、世界で最強の軍事力を有するが、軍事力を支える技術が広まるのはとめられない。
アメリカの経済力も、同様に制限されている。中国通貨の競争的切り下げがおきれば、東アジアの被害は甚大であり、アメリカ経済も大きく後退する。極東地域のデフレを悪化させ、アメリカ議会には、保護主義の反動が生じるだろう。ウォールストリートが、悪夢のように奮闘するのは確実だ。そのような展開を予防することは、アメリカにとって何よりもまさる重大事だ。しかし、アメリカが、それを防ぐためにできることはほとんどない。
アジア危機から逃避するための安全な避難所として、西洋の政府は、中国をほめたたえた。これまでのところ、その原因は、単に中国がグローバルな自由市場からある程度離れたところにとどまっていたからだ。中国政府の経済に対する支配力は、かなりのものだ。中国を賞賛していた西洋の政府が見過ごしているのは、その相対的な安定性が、西洋の助言や見解を、常に軽蔑していたことによる副産物であり、その軽蔑には、もっともな根拠があるということだ。
中国の経済政策は、主に国内の政治要因によって決まる。アメリカ政府が、どのような動機付けを与えても、中国の支配者は、失業率が上昇する危険の方を、重大問題とするだろう。中国は現在、田園地方から都市へと、莫大な人口が急速に移動する歴史的な時期にある。失業については、すでに一億人の労働力余剰が生じている。多くの国有企業を倒産させる政策によって合理化が進むため、この数字が上方修正されるのは確実だ。中国政府の戦略は、そのような労働者を輸出企業で再雇用するというものだ。中国経済の中には、デフレが顕著な兆候を見せている部門もある。そのような状況のなかでは、失業率上昇を未然に防ぐという責務が、政治的に生き残るために最優先される。
西洋の見解では、中国の現体制が、アジアの不況をさほどの困難もなく乗り切ると予想されている。このような予想を、中国の支配者がどれほど持っているかについては、不明だ。一見堅固だったロシアの全体主義体制が崩壊するのを、みてきた。安泰と思われていたインドネシアの独裁政治が、経済危機のために、月単位で倒れるのを目撃した。中国に同じことが起こらないと錯覚することは、ほとんどありえない。
中国の支配者には、西洋の政府とは違って、歴史感覚がある。近隣諸国を巻き込んだ不況を生き延びるとしたら、歴史上もっとも著しい離れ技のような政治手腕が必要だろうと、覚悟せねばならない。権力にとどまるためには、いかなる手段も行使するだろう。競争的な通貨切り下げは、死にものぐるいの戦略の中でも、政府が経済状況を悪化させ、社会と政治の不安材料を増すような方策の一つとなるだろう。天安門事件のような出来事を予想するのも無理はない。
東アジアの通貨切り下げスパイラルが起きるとしたら、世界経済のシステミックな危機を引き起こす可能性のあるいくつかの重大事件の一つにすぎない。一九九八年八月の切り下げ後に起きたロシア通貨ルーブルの暴落は、同じような結果を生じる可能性があった。ロシア経済が再び崩壊すれば、その結末は、政権交代ではなく、体制が大きく変化する可能性がある。そのような体制の変化が、『西側諸国』に及ぼす影響は深刻となろう。西側諸国は、ロシアの民主化移行が、逆戻りすることはないと考えていた。現在ロシアの専制主義がよみがえる可能性があるが、それに対応する準備はできていない。西側諸国の政府は、そのような展開を国際システムに対する脅威と考える。同様に、ロシアの新体制がどのようなものであれ、ロシアに資本主義をもたらした西側諸国政府や超国家組織の失敗を利用して、西側に対する敵対感情に火をつけるだろう。ロシアの体制変化によっておきる予想もつかない事態の中で、国際経済協調が、かつてないほど困難になることは確実だろう。
ロシアで、経済が崩壊し、再度体制が変化する。日本でさらにデフレがおきて、金融システムが弱まり、日本が持っているアメリカ国債をやむなく売却する。ブラジルとアルゼンチンで金融危機が起きる。ウォール街で暴落がおきる。このような事件の一つ或いはすべてが、現在の環境では、その他の予見不可能な出来事とともに、グローバル経済が混乱するきっかけとなる可能性がある。どれか一つでも起きれば、まず起きることの一つとして、議会をはじめ、アメリカで保護主義のムードが急速に高まるだろう。
普通のアメリカ人は、長引く景気後退に耐えられる状態ではない。連邦福祉制度を廃止したことにより、失業率が上昇しても失業者に対する援助はほとんどない。一億人以上のミューチュアルファンド保有者が、激動する市場で、資産の大半を失ったら、国民が保護主義を支持するようになるのは、避けがたいだろう。
経済史の常識によれば、国際経済が崩壊するとき、福祉制度がない国は、保護主義という手段に訴える傾向が強い。アジアの不況が悪化すると、このような歴史のパターンが、必ず繰り返される。
アメリカでの個人の債務と破産の規模は、現在、歴史的な水準に達している。多くのアメリカ人にとって、株式市場が高値圏にあることだけでなく、値上がりが続いていることによって、現在の消費が、支えられている。景気が悪くなれば、そのような人々は、貧乏になったと感じ、また実際に貧乏になることだろう。大衆の投機心理が常に存在することを、地政学の勝利主義に、重要な要素として、つけくわえねばならない。この熱狂的な雰囲気では、ソフトランディングは不可能に近い。二十%くらいの下落では、自信過剰に変化が起こらない。
一九八〇年代末期に日本で起きたような相場の反転(三分の二以上の下落)が、アメリカ株式市場に起きれば、アメリカの中産階級の一部は、貧困化する。株式市場で創り出された莫大な富が突然消えたらば、中産階級の不安はこの上なく高まるだろう。暴落の影響は、すでに貧困な人々にとっては、さらに過酷だ。一九三〇年代に、ジョン・スタインベックが詳しく描いたその日ぐらしで放浪するアメリカ人のような人々が、再び現れると考えるのは、根も葉もないことではない。
アメリカ経済が大きく後退したら、どのような副産物が生まれるかを、前もって知ることはできない。しかしアメリカが自由市場へのめり込んでいる状態は、長くは続かないだろう。いずれにしろ、保護主義が繰り返し登場した、アメリカの長い歴史の中では、短期の異変に過ぎない。
過去二十年間の新保守主義の政治コンセンサスが、アメリカ国民に定着した信念をあらわしていると解釈するのは間違いだろう。一九九〇年代初め、過激な右翼である共和党の人気は、急速に伸びて、さらに急速に下降した。このことから、アメリカ選挙民の成熟度だけでなく、どれほど気まぐれであるかということがわかる。
深刻な景気後退が、急激に起きて長引くことになれば、アメリカ政界の自由市場信仰にとって試金石となり、その結果、この信仰心は失われることになろう。アメリカの経済国家主義が、突然それにとってかわるなら、近年アメリカの政策立案者が普遍的な自由市場に熱烈な愛着を示していたことから考えれば、皮肉な出来事だ。
アメリカ経済をどのように改革するかについて記すのは、私の本意ではない。たとえ、私にその能力があろうとも、それはアメリカ人の仕事だ。本書の主張は、いかなるタイプの資本主義も、世界中すべてにふさわしくはないというものだ。それぞれの文化は、自由に独自の資本主義をつくるべきであり、他の文化が育てた資本主義と、折り合う道を探るべきだ。
ちょうどアメリカの習慣を他国に押しつけた場合のように、ヨーロッパやアジアの資本主義特有の習慣を、アメリカが模倣するのも、お門違いだ。経済改革は、それぞれの文化の固有な価値観で、すすめられるべきだ。アメリカを例に取ると現在、ヨーロッパやアジアよりも、個人主義である。大きく違う文化の経済的な習慣を、アメリカが取り入れようとするべきだとは、思わない。
アメリカの課題は、自由市場の代わりになるものを工夫することではなく、人間にとって欠かせないものを、大切にすることだ。(逆説的なことだが、アメリカで改革の課題としてあげられるものは、すべて現在禁止されていることに自由市場原理を、拡げるものとなりそうだ。例えば、巨大な麻薬市場という地下経済などがある)。市場が急落すれば、必ずアメリカの経済国家主義が登場する。そして、必要な、巧妙かつ微妙な経済改革は、不可能になる。
一九九七年の終わり頃、本書の第一版が出版される前に、私は、次のように記した。「西洋の自由市場主義者が、アジア諸国の経済問題に対して勝ち誇った態度をとるならば、自らを近視眼的で自信過剰であること(はじめてのことではないが)を、示しているのだ。アジア諸国の中には、大幅な経済改革を行わなければならない国もある。だが、アジアの金融危機は、自由市場が世界中に広まる前兆ではない。グローバルなデフレ危機のプレリュードである可能性がある。このような事態が進展するうちに、アメリカは、現在アジアや世界中に強制しようとしている、規制のない自由市場という体制に怖れをなして退散する」。これが、私の予言であり、変更する理由を認めない。