グローバリズムの妄想の補遺その8
グローバルな金融機関のシステミックな危機によって、ユーロの導入が挫折する可能性がある。しかし、その危機を乗り越えるなら、ヨーロッパ連合は、統一通貨によって、世界市場で、これまでにないほどの存在感をえることになるだろう。これまでの議論は、グローバル経済にとってどのような意味を持つかということよりも、繁栄を手に入れるための国内の障害に焦点を当ててきた。だが、前者も、大きな影響を及ぼす可能性がある。
ヨーロッパ連合は、世界市場による動揺から、統一通貨でユーロ圏を守ることはできない。しかし、アメリカと対等の条件で、交渉のテーブルにつく経済力が得られる。EUの加盟国がすべて、統一通貨に加入すれば、ユーロ圏は、世界で最大の経済域となり、ユーロは、支配通貨としてのドルを、おびやかすだろう。もし、ユーロの信認が確立されるなら、ドル崩壊の可能性は高まる。さらに、事態が進展するなら、アメリカが世界最大の債務国として繁栄できなくなる日を、ユーロは、早めるだろう。時とともに、おそらくかなり急速に、世界で経済力の均衡に変化が訪れるのは、避けられない。
新通貨が成功する内部条件が整っていないのは、事実だ。単一金利体制では、景気停滞に陥る国や地方があれば、繁栄するところもある。このような多様性にアメリカを適応させたような条件は、EUにはない。現状では、ヨーロッパ大陸全土での労働の移動性は存在せず、ヨーロッパの不況地域に、大量失業が発生するのを防ぐ財政メカニズムはない。
ユーロが導入されたら、ヨーロッパの制度は、このような欠陥を修復しなければならなくなるだろう。統一通貨体制から生ずる必要性やその制限条件に対して、各国がもっと柔軟に対応できるような政策を、立案するように迫られるかもしれない。しかし、ヨーロッパは、決してアメリカではなく、今後もそうなることはないと、認識することになる。様々な歴史的生活共同体が長い間住み着いているヨーロッパ大陸では、アメリカなみの労働移動性は不可能であり、さらに望ましくもない。また、あえていうなら、アメリカのような権力を持ったヨーロッパ国家が、登場することもないだろう。ヨーロッパの制度は、発展し続けるが、混合状態のままだろう。ヨーロッパの支配権は、各国の政府とEU本部の間を、バランスをとりながら移動することになる。
ヨーロッパの資本主義は、アメリカの自由市場とは大きく異なるままだろう。ヨーロッパのどの国も、英国でさえ、自由市場のために、アメリカに生じた社会的欠陥の水準は容認できない。国家と市民社会の境界は、これまでと同様に、往来可能で、交渉もできるだろう。歴史的な記憶や、土地に対する愛着は、アメリカモデルのような移動性の妨げとなる。これらすべての理由から、自由市場は、ヨーロッパ大陸の社会的市場にとってかわることはないだろう。
だが、ヨーロッパの社会的市場は、現在の形のままで存在することは不可能だ。第一に、失業率は、いつまでもこの状態を続けられない水準だ(EU全体で、十一%を越えている)。全人口が高齢化すると、これほどの失業が財政に与える意味は大きい。しかし、大量失業による財政問題は、最悪の脅威ではない。
大量失業により、ヨーロッパ中で社会的な排斥と疎外が、激しくなっている。ヨーロッパ大陸では、大半の国に、急進的右翼の有力な政党がある。フランスとオーストラリアでは、中道派政党に政治取引の条件を無理強いしているのは、社会的に排斥されたグループが支持基盤の一つとなった極右翼の政党だ。このようなヨーロッパ諸国で、政治の中心となる立場をきめるのは、リベラルな価値観ではなく、反リベラルの政党だ。
統一通貨の初期に、ヨーロッパの制度が直面する危険は、市民の心の中で、ヨーロッパ連合が大量失業と結びつくようになることだ。ヨーロッパの制度をこのようなものと考える選挙民は、右派の政党に利用されやすい。二、三年の間に、急進的な右翼が、EU加盟諸国の政権に参加することはないだろう。しかし、穏健派政権によって政策がつくられる状況を、急進的な右翼が、自分たちに都合のよいようにもっていくことは可能だ。
ヨーロッパ連合を含む大ヨーロッパでは、極右翼の政党は、もっと大きな権力を行使できるだろう。国家が弱体であれば、簡単にバルカン化できる。かなりの力を持つ少数民族がいれば、その国は、民族的な国家主義の犠牲となりやすい。旧共産主義国で事件が起きれば、ヨーロッパには紛争の種がまだあることを、思い出させるのに効果があるだろう。
グローバルな自由市場では、経済への参加から排除されていた社会的グループは、過激派の活動に対する支持者として復帰し、政治を悩ましている。ジグムント・バウマンの記述は、この成り行きを、うまく表現している。「グローバル化のプロセスに必要不可欠なものとして、空間的な隔離や、分離、排斥が進行している。新しい民族の傾向や、根本主義傾向は、グローバル化の結末を末端で受けている人々の経験を反映しているが、広く『上部(つまりグローバル化された上層部での)文化の混血化』とされているものと同じように、グローバル化の正統な結果である」。
社会民主主義者は、ヨーロッパの社会的市場が、グローバルな自由放任の枠内で、再生できると考えている。しかし、世界中を自由に動き回る資金により、ケインズ政策は効果がなくなった。そのケインズ政策によって、社会民主主義体制は、これまで完全雇用を達成してきた。グローバルな自由貿易のため、社会的な責任を負担する資本主義での規制と税金のコストを、支えるのは難しくなっている。このような状況が更に進む限り、ヨーロッパの社会的市場は、グローバル市場の絶え間ない影響にさらされるだろう。社会的な排斥と政治的な疎外が、常に脅威となる。
この主張は、ラインモデルの資本主義が、消滅する運命にあるといっているのではない。その逆であり、ドイツの資本主義は、統一という悪夢のような出来事を乗り越えて、ヨーロッパで第一の経済力となった。ラインモデルの問題は、利害関係者の利益を、株主の利益よりも優先し続けられるだろうかということだ。グローバルな自由放任のルールが変わらない限り、その答えは、続けられないということになる。
グローバル市場が、そのような企業の株価を、容赦なく攻撃するだろう。統一通貨で統合されたヨーロッパでも、ドイツの社会的市場は、現在のままではいられない。ドイツでも、ヨーロッパ大陸の他の国でも、社会的市場は、アングロサクソン流の自由市場に、向かってつき進むだろう。それでもやはり、三十年後には、ヨーロッパの社会的市場を、識別するのは困難になるかもしれない。
統一通貨は、百年もの間、グローバル化の過程で生じた競争激化という影響から、ヨーロッパを守ることはできない。グローバルな自由放任が、歴史という試験に合格した後かなりたってから、ヨーロッパは、工業化によって、元に戻せないような変化をとげた世界で、ふさわしい場所を見つける必要があるだろう。
また統一通貨は、近隣諸国の経済崩壊に付随する影響から、ヨーロッパを守ることもできない。ロシアが、ルーブル崩壊の後に、混沌に陥るとしたら、そのことが、ヨーロッパ諸国の経済に及ぼす直接の影響は、何とか吸収できるかもしれない。だが、社会と政治へ及ぼす影響は、かなりのものになるだろう。ポーランドのような国は、東側国境付近で、大規模な人口移動の怖れがあるとき、どのような対応をするだろうか。そのような大きな難民危機が起きれば、東へ向かうEUの拡大戦略は、どのような影響を受けるだろうか。
統一通貨は、そのような問題を扱うために、ヨーロッパでほとんど役に立たないだろう。だが、ヨーロッパ連合にとっては、グローバルな自由放任によっておきる、さらに大規模な危機に対応するための強力な武器になる。世界市場が、押さえ込めないような圧力によって崩壊し始めるとすれば、ヨーロッパ連合は最大の経済圏となろう。その規模と資産で、資金の移動を制限する改革を迫ることが可能だろう。もし、ヨーロッパが、今後の混乱を生き延びるとすれば、そのかなめとなるユーロの地位によって、投機的な通貨取引の規制を促すヨーロッパ連合の発言権は、強まるだろう。一九三〇年代のヨーロッパのようなグローバルな恐慌でも、アメリカや、アジア諸国の状態よりましとなるかもしれない。
自由市場が、英語圏で持っていたような支配権を、ヨーロッパにでえることはない。グローバルな自由放任体制が崩壊するとき、世界経済の新しい枠組みを構築するために、ヨーロッパ連合が、主導権を握れるかどうかはわからない。