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日本の貿易黒字とその将来展望
政府の政治目的による日本たたきは、多くの経済学者にとって、とりわけいらだたしいものです。なぜなら、過大評価されている日本の貿易黒字は、アメリカ政府の言うような、世界中に失業を輸出するという意図的な近隣窮乏政策ではありません。日本の黒字は、家庭や企業の貯蓄率が非常に高いことが原因であり、また、日本社会が持つ文化と、とりわけ人口構成上の特徴が反映されています。それにもまして、つい最近までの過去三十年間で達成された一人あたり所得の増加が、原因であることは確かです。
これほど多額に貯蓄する日本の家庭は、もちろんどこかにお金を預けなければなりません。最初に、銀行預金、生命保険、日本の国債、社債などに投資しました。ところが、日本経済がその貯蓄を国内で使って、高収益をあげられる金額を超えてしまったのです。それで、銀行と保険会社は、最近の低金利時代にアメリカの家庭がやっていることを、しました。高金利を求めるようになったのです。多様化、とりわけ国際的な多様化で、投資リスクを減らそうとしました。その結果、一九七〇年代と一九八〇年代に、アメリカの債券、つまり我が国の工場や設備投資に使われる社債と、最終的に旧ソ連を崩壊させた一九八〇年代における軍備大幅増強資金を調達した、アメリカ国債を購入することになったのです。
しかし、日本人の貯蓄は、円であり、我が国は社債と国債を、ドルで売ります。どこで、日本人は、我が国の債券を買うためのドルを手に入れるのでしょうか。その方法は、一つしかありません。我が国から輸入する自動車、木材、グレープフルーツよりも、もっと多くの自動車や、カメラ、ファックスを、そのときの為替レートで輸出することによって、ドルを手に入れるのです。それが、大騒ぎの元凶である、日本の貿易黒字であり、アメリカの貿易赤字です。
貿易赤字や、支払い超過といった、感情的な言葉をやめると、我が国が、とりわけ消費者として(我々は皆、どのような職業であっても消費者です)、このような状況から、莫大な利益をえていることがわかるでしょう。一九八〇年代のころから、貿易黒字を自慢する日本人の友人をからかって、いつもこういっていました。
「それは、本当はひどい策略なのさ、日本人がお金をつぎ込んで作った、すばらしい自動車、カメラ、機械をだまして持ってこさせているんだ。それで、そのかわりにあげているものは何だと思う? ジョージ・ワシントンの肖像画さ」。
このゲームはいつまで続くのでしょうか。それが終わるのは、日本の貯蓄率が下がるか、アメリカの貯蓄率が上がるときでしょう。政府は、帳尻を合わせようと必死で、提案していますが、いつもそれはとんちんかんであり、国の内外で政治的な緊張を、更に高めるものです。
国内の貯蓄率を上げることに関して言えば、クリントン政権が財政赤字を削減したのは、ブッシュ前政権や、議会の野党である共和党のように、確かに正解でした。その結果、政府のマイナスの貯蓄を削減することによって、国内の純貯蓄は、増加します。しかし、貿易赤字に対する影響については、生産面での国内投資を維持したいと思うなら、政府の消費か、個人消費のいずれかを減らさなければなりません。政府は当初、少なくとも部分的に、政府支出を政府投資と単に名前を変えることで、政府支出を削減しようとしました。そして、個人消費については、(消費を減少させてしまう広範囲な課税ではなく)上位の所得階層グループと企業への増税で、対処しました。政治的には、便利な方法ですが、このような税制度による影響としては、増やしたいはずの貯蓄が、減少します。
日本の貯蓄に関して、アメリカ政府は直接には影響を与えません。しかし、日本政府に、大規模な赤字による財政支出を強制することで、間接的に、日本の貯蓄率が下がることを願っています。この財政支出規模は、我が国では不況のときであっても、議会や世論が認めないほどの規模です。我が国の行動に従うよりも、わが国の指図に従うのを、日本が嫌がるのは、我々の偽善に対して単に感情的に反応しているのではありません。日本を不況から脱出させて、日本人が一般消費財をもっと購入し、そしてとりわけアメリカ製品をもっと購入するようにしむけるための財政出動が、本当に効果的なのだろうか、と、経済学者たちは、実は疑念をいだいているのです。でも、経済諮問会議の報告書を読んでも、そんな風に思わないでしょう。この件に関して我が国の政府は、まさに一九六〇年代ケインズ主義の立場をとっています。私は、これを素人の(ナイーブな)ケインズ主義と呼んでいましたが、それは、別のケインズ主義があることを示唆しているのかもしれません。
今日、政府スポークスマンが主張するように、財政刺激策がほとんど機械的に反応するものであるとは、経済学者は考えていません。とりわけ、日本で起きた最近の出来事からすれば、そうです。日本の家庭は、恐ろしいほど莫大な富の蓄積が、株価下落のために、消滅したのをみています。そして、地価の下落で、さらに富が失われました。大規模な減税があっても、収入と正味資産のバランスを、望ましい状態へ回復させるために、日本の家庭は、消費するよりも貯蓄するでしょう。
対ドルで円高がすすむにつれて、日本の家庭は、万が一に備えるために、更に貯蓄を殖やし、円高を意地悪なアメリカが介入したからだと考えるでしょう。私は、実際にアメリカが介入しているとは、言いませんが、それは、実際には何ら問題ではありません。例によって、ここで重要なのは認識です。我が国が円高を誘導しているとか、少なくとも口先介入で円高にしているといったような考え方のために、日本企業は、アメリカで得た利益を早く日本に戻し、日本の銀行や投資家は、米資産を売り、資金を還流させ、その結果もちろん、更に円高が進むのです。恐ろしい円高は、日本人にとって、かなりの情緒的意味があります。円高は、次に苦しい時期が来るという前触れなのです。それは単なる迷信でもありません。なぜなら、為替レートは、長期的には大した問題ではないのですが(実質為替レートまたはインフレ調整後の為替レートが保たれるように、国内物価と賃金水準がファンダメンタルズによって決まる水準に調整されるに過ぎない)、国内の物価と賃金が調整される過程は、短期でみると確かに苦しいこともあるでしょう。輸出中心の企業や、輸入品と競合する多くの企業で、解雇や工場閉鎖が、行われるでしょう。ドルが、対マルクや対円で値上がりした一九八〇年代初期、我が国のラスト・ベルト地帯で多くの企業が悪夢のような経験をしたことを思い出してください。
近い将来に、日本の貯蓄率がさがって、貿易黒字が大きく減少し、我が国の貿易赤字が減るとは、思いません。貿易黒字は、日本が現在のひどい不況から脱出するにつれて、確かに若干下がるでしょう。おそらく、若干の金融緩和政策で、そのプロセスを、いくらか速めることができるかもしれません。日本銀行は、一九八〇年代半ば頃、円高を金融緩和政策で相殺しようとしたために、株価と地価の爆発的な上昇に火を注いてしまったという記憶に、まだとらわれているようです。しかし、政府が、日本製品の輸入に対して、大量の報復措置を実行するぞと単に脅すだけだとしたら、日本の貿易収支が大きく改善される見込みは、次の大統領選挙までありえません。
しかし、長期となると、見通しは大きく変わりそうです。今から一世代後には、例えば二〇年から二五年すぎたころですが、日本の現在と、つい最近の過去の貿易黒字は、単なる黄金時代の記憶となるでしょう。黒字を支えてきた莫大な家計の貯蓄は、その頃までになくなってしまうのです。そのような貯蓄の伝統を支えてきた、文化の力は、着物や毎日二時間の通勤といっしょに消滅してしまうからです。しかし、その大きな原因は、人口年齢構成の大きな変化です。日本は老齢化し、成長率と貯蓄率は、我が国のような成熟社会と同じくらいの水準まで落ちるでしょう。貯蓄率が低ければ、貿易黒字は、減少するだけでなく、我が国のように、貿易赤字にまで落ち込む可能性も高いのです。輸出額をこえて、輸入額が増えてしまうときに、どうやって日本は代金を支払うのでしょうか。我が国と同じ方法です。過去の海外投資からえられる配当と金利収入、そして、もっと急速に急成長している国の預金者に、国債を売りつけるのです。日本の場合、おそらくそれは、中国でしょう。このような逆転を、貿易赤字を危機とみるような重商主義の老官僚がまだ生きていたら、きっと嘆くでしょう。しかし、少なくとも、貿易赤字を削減するための議論と政策を考え出す時間は不要です。日本は、いつでも、一九九〇年代クリントン政権の、使い古しのお下がりを再利用できるのです。