なんでも日記 -13ページ目

第6回ホラーサスペンス大賞特別賞

【NEW WAVE】
2006年4月1日 掲載
第6回ホラーサスペンス大賞特別賞受賞 木宮条太郎氏に聞く

「ホラーで泣いたっていいじゃないか、と言いたいですね」

木宮 条太郎
時は静かに戦慄く
 頻発する児童虐待が社会問題になって久しいが、木宮条太郎氏の新刊「時は静かに戦慄(わなな)く」(新潮社 1600円)は、その児童虐待をテーマにホラーサスペンス大賞特別賞を受賞した意欲作。京都の街全域が一夜にして親の子殺し・殺戮の現場に変わるという、戦慄の社会派ホラーだ。

――児童相談所所長の娘で大学受験生の由紀と、恋仲でいとこの府警刑事の息子・健一が主人公。一斉に起こる親の子殺しは人間の過剰適応なのか、あるいは進化なのか、ドーキンスの「人間は遺伝子の乗り物」説も作中繰り返し問われる。なぜこういう物語を?
「児童虐待を題材にしたのは、現代の悲劇のひとつの典型だと思うからですね。ギリシャ神話の昔から、子をいとしみ育てるという親子関係は、そうあって当然と思われがちですが、実はそうじゃない。この物語はそういう自分の信じていたものが目の前で音を立てて崩れるときの感覚から出発しています」
――京の街の喧騒を背景に、まず府警の科捜研が首をひねるような、自ら溶解した赤ん坊のミイラが登場する。そして破滅は母親が主人公・由紀に対し包丁を構えるシーンから。衝撃的で印象的な場面も多いが、一番書きたかったことは?
「サラリーマン時代、仕事を辞めるかどうか悩んだ時期がありまして、抵抗したくてもその方法がない、非常な無力感、悲しさを味わうようなことがありました。極端にいうと“大人の悲哀”ですね。ホラーの正道が恐怖譚なら、私が描きたかったのは、人が人であることのどうしようもない悲しさです。最近、携帯のCMで“ホラーで泣けるかよ”というセリフが出てきますが、私に言わせれば“ホラーで泣いたっていいじゃないか”と(笑い)」
――殺しの場面でも非常に美しい、映画的なシーン展開が多いが、読みどころは?
「終章直前、由紀と健一が家族の遺体を載せたリヤカーを引く場面です。すべての文章はこのシーンを目指して書いてあります。会社人間は社会的リアリティーのないものをなかなか読めないことはよくわかっています。そこをカバーして、愛、意思の力のようなものを描けたと思います。日々、組織に振り回されている方々に、この本で何かやる気を出していただければうれしいですね」

【作品概要】
 事件の幕開けは、比叡電鉄の駅ロッカーから転がり出た未熟児の遺棄死体だった。母親の女子大生は“自分の子やない”と泣き叫び、やがて京都府内各地で親の子殺し、一家無理心中事件が頻発する。
 一方、京都府内の児童相談所では異様なペースで被虐児童の保護件数が増えていた。そしてある晩、子をもつ親すべてに異常が起きる。
 抑えきれない嘔吐感と、内からの殺戮の衝動に襲われた親たちは、手に凶刃を構え、子供たちを片っ端から襲い始める……。

▼もくみや・じょうたろう 1965年、兵庫県加西市生まれ。京都大学文学部(社会学専攻)卒後、入社した会社に15年近く勤務後、02年に退社。03年、第12回新人シナリオコンクールで佳作受賞。本作で第6回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞し、作家デビュー。他の作品に映画シナリオ「エモーション・フラット」がある。


ハッスル、ハッスル、大フィーバー:日刊ゲンダイ引用

【著者インタビュー】
2006年3月9日 掲載
「ハッスル、ハッスル、大フィーバー!!」斎藤綾子氏

「この小説は“家”というシステムへの決別宣言です」

斎藤 綾子
ハッスル、ハッスル、大フィーバー!!
「私もこれまで独身を通す中で、いわゆる家のシステムから完全に逃れえたと思っていたんですが、世間はそう簡単に見逃してはくれないんですね。死んだらどのお墓に入るのか、という問題がありました。自然葬や散骨で済まそうと甘っちょろく考えていた私に、いやが上にも墓の問題を考えさせる係累もおりまして(笑い)。いまだに憤怒ではらわたが煮えくり返る思いがするんですが、それが自力で生前墓を購入する原動力になりました。再びの“家というシステムへの決別宣言”でもあるんです」
 圧倒的で破壊的ともいえるポテンシャルで、バイセクシュアルやゲイ、レズの世界を描き続ける著者の最新作である。
 前著「欠陥住宅物語」では、自身の住宅購入にまつわる裁判沙汰を妖しくも官能的な物語に仕上げた著者が、今回は生前墓購入にいたる顛末を、官能小説家・宮井涼子を主人公に描いてみせる。
「下手をしたら男の思惑でどうにでもなりかねない独り者の女の危うさと、彼女がおぼれるパチンコの魔力、そして官能を堪能していただけたら、という思いも込めた物語です」
 主人公・涼子は37歳、独身、平均月収15万円の官能作家である。家賃を払えばかつかつの生活だが、ハマリにハマる銀座のパチンコホールでの稼ぎで、なんとか不足分を補う修羅の日々を送る。
 その彼女が、“夫の墓には絶対入らない”と宣言する母、無職の夫との離婚でもめる妹、新婚生活も会社も投げ出す幼馴染みのセックスフレンドらが引き起こす騒動に巻き込まれる。
 揚げ句、父方の叔父に“うちの墓におまえを入れる余裕はない。嫁に行け”と諭され、ぶち切れてしまう。
 身勝手な身内・係累、セックスフレンドに翻弄されながらも、涼子が正気を保てるのはただただパチンコ台の前だけだ。やがて涼子は矢継ぎ早にまとまった単行本の印税と、妹が縁切り代わりに返してきた二百数十万円を元手に、文芸家協会斡旋の生前墓を購入する。朝から身を清め、パチンコ台に向かう彼女はどこへ行くのか……。
「パチンコホールには自分の優しさを素直に表せない女がいっぱいいます。ベッドまで行けるかどうかは別に、男性の方はたまには声をかけられてはどうでしょう(笑い)」
(幻冬舎 1400円)

◆さいとう・あやこ 1958年、東京都生まれ。大学在学中に「宝島」に投稿した短編をきっかけに、若い女性のセックスライフを描いた連載「性生活体験時代」でデビュー。以後、レズ、ホモ、バイセクシュアルなど、なんでもありのポルノグラフィー作家として活躍。主な著書に「フォーチュンクッキー」「良いセックス 悪いセックス」「スタミナ!」等多数。



●最新情報は「携帯電話」からご覧いただけます。アクセス方法はこちらへ


ウルトラ・ダラー:日刊ゲンダイ引用

【HOT Interview】
2006年3月18日 掲載
「日露戦争以来、日本の情報戦のセンスは眠りっぱなしです」手嶋龍一氏

前NHKワシントン支局長が小説家デビュー
手嶋 龍一
ウルトラ・ダラー


 NHKを代表する海外ドキュメント番組の制作、演出で知られた前ワシントン支局長、手嶋龍一氏がついに小説家デビューを果たした。
 最新刊「ウルトラ・ダラー」(新潮社 1500円)がそのデビュー作だが、英国諜報部員を主人公に、北朝鮮が世界に流布させた偽米ドル札の真実を暴く手際は圧巻だ。

「私は日露戦争以来、僕ら日本人のインテリジェンス(情報戦)のセンスは眠りっぱなしだと思っています。それは近年だと数々の日本人拉致事件から外務省幹部の北朝鮮とのネゴ疑惑、第1次湾岸戦争以来の日本外交の失敗、首相の靖国参拝問題からエネルギー政策まで、数え上げたら切りがないほどの現実が証明していると思います。そこで少しでも日本の、日本人のインテリジェンスの感覚が蘇っていただければ、という思いでこの物語を書きました」
 ちょっととぼけた味わいの英国人エージェント(情報機関の協力者)を主人公に、スパイ同士の恋愛もあるエンターテインメントに仕立て上げられているが、この物語に登場する人物や組織、事件の経緯はほぼ現実のものだという。
「具体的には、英国オックスフォード大学でのエージェントのスカウトから育成、日本の鎌倉にある受け入れ機関や、世界最強の捜査機関・米財務省傘下のシークレットサービスのメンバー、組織の機能などはすべて現実です」
 読みどころは、このウルトラ・ダラーが最初に確認されたのは、02年、アイルランドのダブリンだったこと。そして、モスクワ経由でIRA幹部が運んだ事実が書き込まれている部分も圧巻だ。
 さらにこの通貨テロともいえる工作は、実は北朝鮮を対米カードとして操る、某東アジアの大国の存在なしにはあり得ないことも明らかにする。
「ひとつ指摘しておきたいのは、これは報道された事実を基に組み立てた物語ではないということです。バラバラのピースとして存在した情報と、私のディープスロート(情報提供者)が提供してくれた情報を基に構成した物語で、書いた後に現実が追いついてくる、そういう作品です。ただ唯一、書き手の私も真実であってほしくなかったのは、日本の外務省幹部が北朝鮮と通じていた事情。これだけは嘘であってほしいと、いまだに思っています」

【作品概要】 
 2005年秋、米国は北朝鮮の偽米100ドル札(ウルトラ・ダラー)流通疑惑の大本であるマカオの銀行を摘発した。背景には60年代に起きた若い日本人印刷工らの拉致事件、80年代の米国、スイスで起きたドル紙幣用原材料と紙幣印刷機詐取事件が横たわっていた。
 この通貨テロともいえる国際事件を、表向きは英国BBCラジオの東京特派員の主人公と、世界最強の捜査機関・米財務省シークレットサービスが、北朝鮮と背後に控える東アジアの大国の仕業に収斂する深い闇を暴きだす。

▼てしま・りゅういち 1949年、北海道芦別市生まれ。慶応大経済学部卒後、NHK入局。政治部記者を経て87年から91年までワシントン特派員。95年から独ボン支局長、97年から05年まで米ワシントン支局長を務め退職。現在は東京、ワシントン、ロンドンを拠点に外交ジャーナリスト、作家として活動。著書にノンフィクション「ニッポンFSXを撃て」「一九九一年日本の敗北」など。


第29回すばる文学賞:日刊ゲンダイから引用

高瀬 ちひろ
踊るナマズ
【NEW WAVE】
2006年3月25日 掲載
第29回すばる文学賞受賞 高瀬ちひろさんに聞く

「暗い出来事の多い中で、読後ちょっと幸せな気分になっていただけたら」

「誰にでもある初恋、その懐かしさ、熱さ、ためらい、大胆さ、そうした感情の揺れを描きたかった」と語る高瀬ちひろ氏。最新刊「踊るナマズ」(集英社 1300円)は、エロチックな薫り漂うナマズ伝承譚を通し、思春期の少女の“ヰタ・セクスアリス(性の目覚め)”を描く、すばる文学賞受賞作。妙になまめかしい、新感覚の恋愛奇談だ。

――自分たちの生まれ育った町のご先祖は、人とまぐわうことを願った、なかなかなまめかしいナマズだった、という話を語る、若い母親の物語。いろいろと想像をたくましくさせてくれる伝承だが、そもそもこういう物語はどこから?
「夫の転勤で越した福岡の地下鉄のシンボルマークがナマズだったことが直接のきっかけです。私は東京出身で、ナマズは地震の震源という悪いイメージがあったんですが、九州のナマズ伝承を調べてみると、神聖な存在として崇(あが)められている民話・伝承がさまざまにあるんですね。ナマズのこういう二面性をまず小説化してみたかったんです」
――その伝承を聞く14歳時の弥生の萌えぶりが読みどころ。また脇役の、ずっと独身で後にナマズ絵画家になる叔母、弥生にワイセツなナマズ伝承を伝えた後、亡くなってしまう水口という元町職員の男の存在も、どこかエロチックだ。
「確かに水口が話す伝承はエロチック(笑い)。でも母親になった弥生が子供に伝えようとする“大切なもの”の部分も読んでほしいですね。人が生きる、生が連鎖する、という意味の“生”と、セックスの“性”がナマズの民間伝承を通して微妙にクロスする。その妙も味わっていただければ、書き手としてはうれしいですね」
――現代に編まれた新たな民話・伝承譚として、つい信じたくなるというか、ユーモラスでどこかホッとさせる物語でもある。
「そこも狙いどころでした。暗い出来事の多い世の中ですけれど、人間が本来もつ明るさに、ぜひ焦点を当てたかったんです。誰にでもある初恋のときの、懐かしさ、大胆さ、すべての感情を描いて、読んだ方がちょっと幸せな気分になっていただけたら、と思います」
 人間の心の襞(ひだ)をなぞる、新たな奇談、奇譚を期待させる書き手が登場した。

【作品概要】  
 母親の弥生が胎児にルーツを語る形式で物語は進む。15年前の夏休み、中学生の弥生は同級生の一真と、町のシンボルになっているナマズの民話に関するリポートを作る。
 2人はナマズの番人とあだ名される元町職員の水口を訪ねるが、水口が語りだしたのは、人間の女とまぐわうことを夢見たナマズの悲喜劇の物語だった。しかもそのナマズが住民のご先祖さまだという。ワイセツな踊るナマズの伝承に、弥生の“女の生理”が密やかに萌え始めて……。

▼たかせ・ちひろ 1971年、東京・八王子市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了。大学院修了後、警察関係の心理学研究施設に入所し、研究員を務める。今回、本作で第29回すばる文学賞を受賞、作家デビューする。


第68回小説現代新人賞:日刊ゲンダイから引用

【NEW WAVE】
2006年4月15日 掲載
第68回小説現代新人賞受賞 犬養六岐氏に聞く

「腹を切りたければ、お好きにどうぞ」

「人が眉をひそめるような嫌われ者の、横紙破りの正義、それが書きたかった」と語る犬飼六岐氏。最新刊「筋違い半介」(講談社 1800円)は、選者の浅田次郎、逢坂剛氏らが絶賛し、第68回小説現代新人賞を受賞した同作品他6編を収録した犬飼氏のデビュー作。権力を持つ者の悪事を討つ痛快・時代小説短編集だ。

――旗本の三男の出ながら嫌われ者の岡っ引き・半介。唯一、実家で優しく接してくれた兄嫁の頼みで、家を継いだ兄の切腹の真相を暴きだすピカレスク(悪漢)ものの一編だ。
「表題作は、日課の犬の散歩の途中に“筋の通った話はとにかく虫が好かねえ”という言葉がフッと思い浮かんで、仕上がった作品です。もともと世間のお手本になるような人より、世間の嫌われ者の方に愛着がありましたから(笑い)。11年間勤めた公務員を辞め、賞をいただく前の話ですから、“将来、自分はどうなるんやろう”という当時の不安な気持ちも反映した主人公だと思いますね」
――7編とも、あまのじゃくだが憎めない主人公が多い。また「筋違い半介」も他の6作も、弱者の側からの強者への糾弾、正義の行使という視点で書かれているが。
「そこは自分で実体験した苦い現実から来ているかもしれません。組織の中の上役・管理職には、部下に嫌われてもやらなきゃならない職務がある。下の者は下の者で、命令には逆らえない、なんともいえない無力感がある。結果はよかれあしかれ、その場その場で精いっぱいやるしかない。半介の場合は、家臣も上役も互いに悪意も善意もあったでしょうが、結果、人一人死ぬ悪い目が出てしまう。で、最後に半介に“腹を切りたかったら切ったらいい、好きにしてくれ”(笑い)と言わせていますが、これ、私の本音なんです」
――ペンネームにもあまのじゃく的な雰囲気があるが?
「愛犬の名前がロッキー、その犬を飼う私は誰? と、これもそのまんまのネーミングです。今回は、武家、町家の人々、農村で生きる人々を主人公にしていますが、彼らは身分や暮らす場所、職にかかわらず、皆、意地を張って、四苦八苦して、そして人を笑わせながら生きている人たち。ちょっとひねた笑いかもしれませんが、読み手の人にはこういう笑い、正義もあるんだということを楽しんでいただきたいですね」

【作品概要】
 表題作は、旗本の三男坊・半之介がつましい宮仕えの家を出て、町の嫌われ者の岡っ引きになる物語。名前を半介に変え、北町奉行配下でゆすりたかりは当たり前の岡っ引きになったが、家を継いだ兄が、昇進のため上役に賄賂を約束した廉(かど)で切腹。兄嫁の依頼で、権力を振り回す役人らの陰謀を暴くために立ち上がる……。
 他に、凶作に苦しむ村の青年7人が、飽食する村役人一家に対抗するため、村中の女に夜ばいをかけ口数を増やす策に出る「口増やし」など全7編を収録。

▼犬養六岐(いぬかい・ろっき) 1964年、大阪市生まれ。大阪教育大学卒後、堺市で公務員に。11年勤務の後、33歳のとき作家を目指し辞職。ゲームのシナリオライターなどを経て、2000年、「筋違い半介」で第68回小説現代新人賞を受賞し、作家デビューする。


犬飼 六岐
筋違い半介

脈圧ってなに?:日刊ゲンダイ引用

【すこやか生活術】
2006年4月27日 掲載
脈圧平均血圧

血圧の“新常識”知ってます?

 血圧管理というと、「上の血圧」と「下の血圧」を問題にしがちだが、最近の新常識として「平均血圧」「脈圧」がキーワードになってきたことをご存じか? それぞれどんな意味を持ち、どんな計算式で求められるのかを、東京医科大学八王子医療センター副センター長で循環器内科の高沢謙二教授に聞いた。
 細い血管を流れる血液は、一定の量で、一定の圧で、ゆったりと流れています。この細い血管内の血圧のことを平均血圧といいます」
 この平均血圧の直接測定はできないが、ごく単純化した計算式《下の血圧+「上の血圧―下の血圧」÷3》で求められる。例えば「上120、下70」の人なら70+「120―70」÷3で87だ。
 細い血管の動脈硬化が進んで血液の流れが悪くなり抵抗が増してくると、全身の血液の流れを保つために、心臓は血液をより勢いよく送り出さざるをえなくなる。その結果、血圧が上がり、上が150、下が100というような値を示し、平均血圧が上昇してくる。 平均血圧の目安は90だが、ちなみに上150、下100の人の平均血圧は約117だ。平均血圧110以上は要警戒だ。
「平均血圧が高くなってきたら、動脈硬化の始まりなのです」

 脈圧とは心臓が血液を送り出す時に生まれる圧です。送り出す血液の量が増えると大きくなりますが、脈圧を大きくする決定的な要因は、太い血管の動脈硬化なのです」
 脈圧の計算は簡単。《上の血圧―下の血圧》でOKだ。
 例えば上が120、下が70なら、脈圧は50。
「脈圧は太い血管の動脈硬化が進むにつれて大きくなります。というのも、50、60代になると、大きな脈圧の影響を受けて、下の血圧が下がってくるからです。脈圧値はおおむね50前後が目安ですが、上の血圧と下の血圧の差が大きくなり脈圧値が上がるほど、心筋梗塞などの心臓病を発症するリスクが増すのです」
 例えば58歳の人で上の血圧は170、下の血圧は70の人がいたとする。
「この場合、170という上の血圧については誰もが高いと感じるものの、下の70という数値は問題ないと考えるでしょう。ところが実際は下の血圧が低いのは、脈圧が増大したためで、動脈硬化が進行していることを意味するのです」
 上の血圧が高いのに下の血圧が低いのは、動脈硬化が細い血管にも太い血管にも起きていることを示すのだ。
「下の血圧の値を見る時は、必ず上の血圧の値と見比べなければなりません。下の血圧が同じ70であっても、上の血圧が120の場合と170の場合とでは、全く違うのです」
 こうした“血圧の新常識”を知った上で、血圧コントロールに取り組もうではないか。



二度目のプラザ合意は意味を持つか;economist記事引用

Economics focus

A host of problems
Apr 27th 2006
From The Economist print edition


Would a second Plaza agreement make sense?

Get article background

IF YOU want to guarantee an invitation to a high-powered summit, your best bet is to host it yourself. The International Monetary Fund was not invited to New York's Plaza Hotel in September 1985, when the finance ministers of America, Japan, West Germany, France and Britain agreed to bring the dollar down. Nor was it officially represented at the Louvre Palace in Paris 17 months later, when the same powers called a halt to the greenback's fall. As America's current-account deficit has resurged in recent years, the IMF has remained on the sidelines of the great dollar debate. But at its spring meetings last weekend, the fund got a foot in the door. It will serve as a kind of “master of ceremonies” should today's economic powers ever again seek a co-ordinated response to a great global question.

The IMF was given two duties. It will devote more effort to “multilateral surveillance”, scrutinising how each member's policies affect everyone else. This wide-angle focus on spillovers from one country to the next differs from the fund's customary approach, wherein it takes individual mugshots of each of its members' economies in turn. Once it has identified matters of collective concern, the fund will then get the parties together to look for collective solutions.


The guest lists for these meetings will be quite a bit longer than the cosy handful invited to the Plaza or the Louvre. A growing number of economies can now lay some claim to global significance. For the past few years, China has been the ghost at the feast whenever the older economic powers break bread together. Now the big oil-exporters are equally difficult to ignore. On April 21st the fund held an informal chin-wag on global imbalances with finance ministers from more than 20 countries. By the time it next meets in Singapore in September, its managing director, Rodrigo de Rato, will make concrete proposals to give several emerging economies—such as China, South Korea, Turkey and Mexico—more votes on the IMF's board, in recognition of their growing clout.

Were the fund to convene a summit on global imbalances, what might the guests talk about? In the original Plaza agreement, America promised to curb its budget deficit, the countries with big trade surpluses—Germany and Japan—agreed to expand domestic demand, and all conspired to sell dollars in the foreign-exchange markets. Several economists at the Institute for International Economics (IIE), a think-tank in Washington, DC, believe that a similar bargain should be struck today.

The case for a second Plaza agreement rests on game theory as much as macroeconomics. What is rational for each country acting unilaterally might not be best were all to act in concert. In a recent paper William Cline of the IIE* argues that the countries of emerging Asia in particular are trapped in a prisoner's dilemma. They are afraid of floating freely against the dollar because they want to remain competitive against each other, as well as against America. As a result, no single country will let its currency strengthen much, unless they all rise together. If Mr Cline had his way, China's yuan would appreciate by more than 40% against the dollar in real terms—a huge jump. But if the currencies of all China's trading partners were to strengthen against the greenback at the same time, the yuan's trade-weighted value would increase by little more than 8%, he says.

If the dollar were to fall, America's overspending government would have to make way, Mr Cline argues. A cheaper dollar would boost demand for America's exports. To stop this extra demand from stoking inflation, America's government would need to tighten its own belt, much as it promised to do in 1985. This, says Mr Cline, opens up a second opportunity for international co-operation. If the American government taxed more or spent less, other countries would need to spend more to maintain global demand. America's Treasury is fond of pointing out how reliant the rest of the world is on American profligacy. And this month Mr de Rato warned those pointing a finger at America's red ink to “be careful what you wish for”.


Not everyone recalls the Plaza agreement as fondly as Mr Cline does. For Ronald McKinnon, of Stanford University, the deal exemplified not amicable co-operation but Japanese capitulation . The country's policymakers let the yen strengthen to appease Japan-bashers in Congress, who were outraged by America's bilateral trade deficit. The yen jumped in fits and starts from about 250 to the dollar in 1985 to a peak of 80 ten years later. Mr McKinnon blames the strong yen for the liquidity trap that ensnared Japan in the 1990s. He fears that what befell Japan in those days could also happen to China were it to succumb to similar American harassment.

The Plaza Hotel closed last year. Many of its rooms are being converted into flats. The IMF may find that the political fashions that made the Plaza agreement possible are also a thing of the past. The Americans are quite receptive to the fund's new role, but largely because they think the fund will do some of their China-bashing for them. America's Treasury has explicitly rejected the idea of current-account targets of the sort envisaged by Mr Cline, and it is hardly going to raise taxes just because the IMF asks it to. This week the Chinese, less pliant than the Japanese of yesteryear, were also keen to point out that it was not the fund's job to tell them what value the yuan should be—not that the fund could answer that question even if it wanted to. The fund should make the most of its role as master of ceremonies, but it will never be the master of currencies.


*“


The Case for a New Plaza Agreement ”, IIE Policy Briefs, December 2005

中国の医療問題:北村レポート

極めて深刻な中国の医療問題

  • 2006年4月21日 金曜日

中国共産党で序列6位の黄菊(政治局常務委員、常務副総理)が膵臓ガンに侵されて余命いくばくも無いという噂が流れている。

 1月中旬から公の場に姿を見せなくなったことから自殺説まで含めて多くの怪情報が飛び交った。どうやら、1月に受けた定期検診で膵臓ガンと判定されたが、ガンの部位が悪く、既に転移が始まっていたことから重篤な状況にある由。政治局常務委員会は共産党の最高指導機関であり、現在は胡錦濤総書記以下9名で構成されているが、昨年も序列8位の李長春が幽門ガンを患い、こちらは幸運にも手術が成功している。昨年は李長春以外にも中央軍事委員会常務副主席の郭伯雄や国土資源部長の孫文盛ほかがガンと認定されており、中国の指導層のガンの罹患率は相当に高いようである。

中国の高級幹部たちに普遍的なのは肥満

 一方、中国の高級幹部たちに普遍的なのは肥満であり、連日連夜参加する宴席の美食と美酒が否応なしに肥満を促進する。肥満がもたらすのは贅沢病と言われる糖尿病や高血圧、心臓病であり、高級幹部たちの通院・入院・手術といった話は日常茶飯事のこととなっている。かつて日本政府ODA(政府開発援助)の対中無償援助協力に「天津代謝病防治センター機材整備計画」という約5億円の案件があったが、『代謝病』とは外務省が日本国民を欺くために言い換えたもので、中国の要請を受け、5億円もの日本国民の血税を使って高級幹部用の「糖尿病予防治療センター」に機材を供与したというのが実態であった。

 中国社会科学院が発表した医療衛生報告によれば、中国では都市住民の70%、農村住民の96%が異常に高い医療費にまともな診療を受けることが出来ていないとある。これに対して、共産党、政府、軍の幹部を主体とする850万人の特権階級は医療費が免除されており、中国政府の医療予算の80%はこれら特権階級のために使われているという説もある。

 上海市を例に取ると、中級幹部(区長・局長級)及びそれ以上の幹部は退職者も含めて1万8000人ほどいるが、1年間に公費として処理されるこれら幹部たちの医療費の総額は、上海市のこれら幹部用経費のなんと69%にも達している由。更に上海市では、現職の上級幹部(省長・部長級)や上海で休息を取ったり、既に退職している上級幹部は322人いるそうで、これらの人々の公費として処理される保健・医療費の合計は12億元(約170億円)で、これに含まれる滋養品だけでも3億5000万元(約50億円)に達するとのこと。これに対して、上海市の公費補助を受ける一般の公務員や社会保険の庶民たちの医療費の年間平均額は328元であることを考えると、共産党支配の素晴らしさがよく理解できる。

 中国の監察部と人事部が最近発表したところによれば、全国の共産党と政府部門では200万人もの幹部が長期傷病休暇を取得しており、そのうちの40万人の幹部は長期間にわたって病院の幹部用ベッドを占領していると。また、幹部用の接待所や休暇村の1年間の支出は500億元(約7000億円)にも上るとのこと。

 中国の農村では医療保険制度そのものが存在していない


 中国の農村では医療保険制度そのものが存在していないと言ってよく、昨今の高騰する医療費の影響もあって、農民は病気になっても医者にはかかれず、市販の売薬頼みで、薬効がなければ、死を待つのみという状況にある。これに対して都市では2004年末時点で1億2400万人が基本医療保険に加入しているが、これらは一定限度までの医療費が補助されるだけで、医療費の高騰により医療保険に加入している恩恵に浴している人々でさえも医者にかかれない状況が出現している。こうした医療費の高騰は医者による診察・治療費の乱脈徴収や大量の高価薬品使用による割戻しなどに起因している。


 2005年8月に黒龍江省のハルピン医科大学付属第2病院で死亡した75歳の男性患者は、ガンで5月に同病院の高級幹部病棟に入院した後、6月にICU病棟に移された。この患者はICUで68日間に亘る延命治療を受けたがその甲斐も無く8月6日死去。その後に病院から家族に請求された金額は、入院費用が142万元、薬品代が400万元の合計542万元(約8000万円)であった。当然ながら、この金額に家族は驚きあきれるばかりで、病院に明細を示すよう要求、遂にはメディアの取り上げるところとなり、2005年12月15日「新世紀ネット」が「超高額医療費事件」として報道し、国営テレビの中央電視台もこの事件を報道するに及んで、中国全土に大きな波紋を呼んだ。


 中国政府は監察部、衛生部、黒龍江省からなる調査チームを派遣して、事件の究明に当たった。調査結果は患者家族の支払額を138万元とし、病院長以下病院関係者多数の免職、病院に対する警告で決着した。この事件は氷山の一角に過ぎず、これを契機として中国国内で類似の超高額医療問題が多数提起され始めたが、医療体制全般に対する庶民の怨嗟の声は日増しに高まりつつある。中国の格差は医療にも大きな影を落としている。

中国の公費浪費のすごさ:北村レポート

北村豊の中国キタムラレポート

役人天国・中国 公費浪費の凄さ

  • 2006年4月28日 金曜日

 中国共産党の幹部養成学校である中央党学校が運営する新聞「学習時報」が、役人による公費浪費の実態に関する記事を3月中旬掲載した。

 この記事によれば、役人の公用車及び公費飲食の年間総額は6000億元(約8兆7000億円)に上るし、海外出張に関わる公費支出も1999年時点で年間3000億元(約4兆4000億円)に達していたので、学習、訓練、視察といった各種名目での海外出張は2000年以降も増大しているとしている。

 従い、これらを総合すると、少なくとも9000億元(約13兆1000億円)以上の公費が役人達により浪費されている勘定になる。2005年、中国の全国財政収入は3兆1628億元であり、9000億元はその約28.5%に相当する。これでよく国が運営できるものだと感嘆するのみ。

公用車の年間支出は軍事支出を上回る

 中国の統計によれば、2004年の公用車総数は少なくとも400万台あり、公用車関連経費の総額は4085億元(約5兆9000億円)で、これだけで全国財政収入の約13%以上を占めている。1台の公用車にかかる経費は、車の購入費、燃料費、修理費及び運転手の給与と福利厚生などで、これらの合計額は年間10万元程度となり、公用車を400万台として計算すると、ほぼ上記総額と合致する。昨年12月7日付の新聞「報刊文摘」は、公用車の年間支出3000億元は中国の軍事支出をはるかに上回り、全国の教育経費と医療経費の合計を上回っているのには驚かされると報じている。

 しかし、「驚かされる」は単なる言葉遊びに過ぎず、中国の一般大衆にとっては、さもありなんという感じで、驚きよりもこの数字に納得しているというのが正しい。上述した公費の海外出張費の3000億元超えが1999年であることを考えればこれもうなづけよう。

 チベット自治区に隣接する辺境地区である青海省の尖扎県という田舎は国家級貧困県と認定されている貧乏地域だが、なんとここの県政府は2003年以来、20万元から40万元もする乗用車を二十数台も購入して公用車としているし、同じく貧困県で7億元もの財政債務を抱えている湖南省衡南県では、500万元もの公費を使って幹部用に公用車を購入している。要するに、公用車は役人の権威の象徴であり、私用に使うのは当たり前。中国メディアによれば、公務3分の1、幹部や親族による私用3分の1、残りは運転手による私用が3分の1とのこと。

公費飲食は約2兆9000億円

 蛇足だが、中国では幹部を宴会に招待すると、幹部の車の運転手にも食事代として現金を包む習慣がある。幹部の地位によって食事代の額に差をつけないと、帰りの車中で高位幹部の運転手が「あそこの会社はケチだ」と嫌がらせをされかねないので注意が肝要。

 さて、公費飲食だが、こちらは全国で1年間に2000億元(約2兆9000億円)以上が支出されている。中国政府は公費飲食の中心である宴会費用の削減を図るべく、かつて宴会における料理数に限定を設けたり、1人当たりの料金を抑える指示を出したことがあった。しかし、一時的には守っても、いつの間にか忘れる中国式で、今や元の木阿弥で高級食材にうつつを抜かす日々。

 公費の海外出張はどうか。かつては「訪日○○代表団」という形で訪日する中国ミッションのホテルは、中国に便宜を図って優遇するホテルニューオータニ東京や新高輪プリンスホテルといった辺りが一般的だったが、今や最高級のホテルオークラ東京に泊まるミッションまで出る始末で、中国ミッション主催のパーティーは日本企業のそれよりも豪華なものとなっている。昔を知る者にとっては、何となく違和感を覚え、一体この金はどこから出ているのと聞きたくなる程。それだけ中国が豊かになったのかもしれないが、観光が主目的で、視察だの学習だのという名目は付けたしのミッションが相当の比率になっているのも実態のように思える。

 中国と商談をしていると日本企業は不利を痛感することがしばしばだった。この理由は極めて簡単、距離が近すぎること。日本ならば、いつか行くことも可能だが、欧州や米国はおいそれと行くことができない遠隔地。それなら契約してメーカー視察の名目で観光して来ようというのが人情。必然的に公費で米国のディズニーランドやパリのベルサイユを見物して来ようとなる。高位の高官が団長を務めれば、その部下が大挙して随行、引退直前の幹部も最後の思い出にとメンバー入り。一定以上の役職につけば、部下を海外へ連れて行ってやることでその忠誠心を増強させることができ、しかも費用は公費と一石二鳥。

 こうした公費の海外出張が、中央政府のみならず、地方政府の省・市まで全国挙げて行われれば、その総額が3000億元以上になるのは十分に納得できる。いまやアフリカのサファリにまで視察に出かけるミッションも出て来そうな状況にある。

 公費の浪費を抑えることで、どれだけ中国社会に蔓延する社会的矛盾を解消できることか。ただし、こうした役人天国は中国の「宿痾」のようなものでおいそれとは無くなるまい。

重大病が心配な特徴的症状:日刊ゲンダイ引用

【すこやか生活術】
2006年4月14日 掲載
重大病が心配な特徴的症状

背中の痛み

 久しぶりに運動をした翌日に背中が痛むのは筋肉痛だが、背中の痛みには心臓や肺などの重要臓器に関連した重大病が潜んでいることがある。それを筋肉痛とタカをくくっていると命取りになる。背中のどこに、どんな種類の痛みが起こってきたら、要警戒なのか? 日本鋼管病院の高橋伸副院長に聞いた。

●宴会で暴飲暴食した日の夜中に、背中の真ん中に激痛が走って目が覚めた
「急性すい炎の疑いがあります。急性すい炎になると、通常はすい臓の中では活性化されない消化酵素が活性化して、すい臓自体を“自己消化”しようとし、強い痛みが起きるのです」
 重症になると、死亡率は20~30%にも上る怖い病気だ。すぐ病院へ。絶食して消化酵素の働きを止める薬を使って、炎症を抑えなければならない。

●片側の背中から腰にかけて激痛が走る。吐き気もする
「尿管結石の疑いが大。尿に血が混じっていれば、その疑いはさらに強まります。腎臓でできた石が尿管に流れ落ち、はまりこんで激痛を起こすのです」 
 命に別条はないが、早めに病院へ。尿管のけいれんをとる薬で、痛みをとってもらおう。

●片側の肩甲骨のあたりに鈍い痛みがある。深呼吸すると痛みが強くなり、せきも出る
「進行した肺がんの疑いがあります。初期の肺がんなら痛まないが、進行して胸膜に入りこむと痛みが出てくるのです」
 猶予は許されない。すぐに病院を受診してレントゲンやCT検査を受けよう。

●左側の肩から背中にかけ痛みが走る。左腕にも痛みが伝わってくる
「狭心症か心筋梗塞の可能性があります。どちらも典型的な症状は前胸部痛ですが、それをあまり感じずに、放散痛といって上記のような症状となって出てくることがあるのです」
 すぐに病院を受診して心電図をとってもらおう。

●ゴルフをした翌日、背中が張るような感じがする
「普段、あまり使わない筋肉をフルに使ったことによる筋肉痛です。そのままにしていても、数日で治まっていくでしょう」
 これは安心な症状だ。

●重い物を持ち上げようとしたら、背中から腰にかけて鈍痛が走り、足にしびれも感じた
「椎間板ヘルニアのために神経根が圧迫されて、座骨神経痛を起こしている状態です」
 整形外科を受診して、治療を受ける必要がある。

●ある日突然、背中をバットで殴られたような激痛が。意識も少しぼんやりしてきた
「胸部大動脈瘤破裂の前兆ともいえる胸部大動脈瘤解離の疑いがあります。これは大動脈の壁が裂けてそこに血液が流れ込んだ状態。放置しておくと胸部大動脈瘤が破裂して死に至ります」
 すぐ救急車を呼んで病院へ。血圧を下げ、場合によっては緊急手術が必要だ。

●天ぷらをたらふく食べた日の夜中に、右の背中に鈍痛がしてきた
「胆石発作の疑いがあります。胆石発作はみぞおちの右の痛みが典型的ですが、背中の痛みとして感じることもあるのです」
 痛みが我慢できないようなら、病院を受診して胆のうのけいれんをとる薬で痛みを抑えてもらう必要がある。