ぶっちゃけ言えば、大して面白くなかった。途中で止めるのも癪なので最後まで読んだ。
ジャンルとしては都市形成史(そういう学問あるんだ)。筆者はブラタモリなどにも出演して
いるそうだ。こちらとしては東京の下町と山の手の形成について知りたかったが、この本は
それとは異なり、文字通りの江戸開城から現代の東京までの、都市、建物などインフラの形成史
であり、そういう事に興味がある人には好個の一冊かもしれない。
無理に読んだので散漫な感想しかないが、江戸の火事という災厄が需要創出の経済効果になっ
たことなどは勉強になった。
ただ、この手の本でよくお目にかかる「鬼門」についてなんだが。
「鬼門」
方角に関するタブーの一種。中国の陰陽五行説その他の思想が組み合わさり、万鬼が出入り
するとして忌み嫌われた方角、すなわち東北(うしとら)をいう。
ブリタニカ百科事典
さらに裏鬼門という反対側の方角南西も悪い方角だった。本書によれば、日本の鬼門の考えは
中国の風水とは異なり、陰陽道を基軸に神道、仏教を綜合した思想。鬼門から鬼が侵入すると
考えられ、都市造営に際して、鬼門、裏鬼門に「魔除け」として寺院、神社が建立された。
平安京では大内裏を基準として、鬼門に比叡山延暦寺、裏鬼門に石清水八幡宮。鎌倉幕府
は大倉幕府から見て、鬼門に荏原天神、裏鬼門に元八幡宮。江戸はどうかというと、太田道灌
が江戸城を建てた時、鬼門は柳森神社、裏鬼門は日枝神社。江戸時代の鬼門、裏鬼門は周知の
ように、鬼門の方角に上野寛永寺と神田明神。裏鬼門には芝増上寺、日枝神社。勿論、江戸城
の天守閣を基準に鬼門、裏鬼門の方角を定めている。
でまあ、掲載されている地図を見ると、確かに神田明神と日枝神社は東北・鬼門、天守閣、
南西・裏鬼門と直線で結ばれるのだが、寛永寺と増上寺のラインは折れ曲がっており直線と
は言えないが、このことについて詳しい説明はない。
それと、いつも思うのだが、昔は方角の測定についてどういう方法を用いたのか、そこら
あたりのところ書いて欲しかった。よく、江戸時代のある建造物の延長線上にどうこういう
建築物があるとかいうのを目にするが、偶然ではないですか。もし、任意に二つの建物を
同一線上に建てたとしたら、グーグルマップなんて優れたものが無かった時代、どんな
方法で測量したのだろうか。
という、つまらない疑問しかわかなかった。