自知堂綺譚

自知堂綺譚

雑想ノート。
日記代わりです。
「自知」とは老子の言葉より頂いている座右の銘から付けました。
人を知る者は智なり。自らを知る者は明なり。

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小学校~大学までやっていて、社会人に入り中断していた剣道を15年ぶりに再会しました。
次の日の筋肉痛はハンパないことは言うまでもありませんが、久しぶりの感触にココロときめいているのです。
おじさんの剣道となると、筋力、スタミナの低下、反射神経の衰えなどにより、望むと望まないとに関わらず、如何に最少の動きで相手を詰めるかという極道的剣道の模索となります。
よって、試合ではなく稽古過程、あるいは自己精進がその目的になるのは必然です。

これは中々、美しくかつ寂しい。

大学からタイムスリップしてきた永遠の20歳を自負する私としては、現在、そのギャップに戸惑うばかり。相手との間合い、中心線をとりながら、どっしり構えて、さあこいなどと声をかける・・・

己の道を究めんと欲するのですが、己の性分がすぐ顔を出します。

稽古もいいけどね、やっぱりね、勝ちたいのよ。試合に。

えーーい、遠間からスピードで押し切ってしまえ。

がんがん、連続技、連続技。

師によれば、こういう剣道は50代で成長がとまるとか。

そういえば、年齢不相応な茶髪をしている40代とか、マジやべぇとか言っている30代とか、本当にかっちょ悪いもんね。
年齢への抗い方にも美しさがあることは間違いない、これは剣の道でも同じことかもしれません。
かっこ悪いことが分かっていても茶髪にこだわるか。
年齢相応のちょいワルおやじを目指すか。
私の剣道は再開まもなく岐路に立たされております。

瀬戸内寂聴仏教塾によれば人間の渇愛を捨てるところに悟りがあるとのこと。

いっちょ滝にでも打たれるか。