自知堂綺譚 -2ページ目

自知堂綺譚

雑想ノート。
日記代わりです。
「自知」とは老子の言葉より頂いている座右の銘から付けました。
人を知る者は智なり。自らを知る者は明なり。


「臓器農場」読了:帚木蓬生 617ページ ★★☆☆☆ 


いやはや、何とも物騒なタイトルです。

前回、帚木氏作品で初読した「三たびの海峡」が心の琴線に触れましたので、他のもということで。
書店で見ている中で、このおどろおどろしいタイトルに目を引かれ、読んでみました。
帚木氏は東京大学文学部を卒業後、再度医学をめざし、現在、現役精神科医でもあります。
よって、医療描写のディテールはお手の物でした。

山の中腹にある聖礼病院というキリスト教系病院が舞台。
下町からケーブルカーにて通う新人看護師の天岸規子が主人公。
友人で同期の志木優子、恋心を抱くことになる的場医師等。
規子が頻繁に行われる聖礼病院での臓器移植を不思議に思い、臓器の入手とドナーの秘密を的場と優子と協力し、追っていく。
無脳症で生まれる子供が臓器移植に使われていた・・・・

たしかブラックジャックで無脳症を扱ったストーリーがあったという記憶ぐらいで、無脳症というものの性質や成り立ちをあまり知りませんでした。数千人に一例の発生確率とか。
脳がないために、出生から長くても数日間しか生きられないそうです。
胎児の無脳症の疑いを告白された親の心中は計り知れません。
胸が締め付けられる思いがしました。

「人間は考える葦」であるといったパスカルの名言に首を振る人はあまりいません。
では逆説的に、考えることのできない脳の無い胎児、あるいは乳児は他の臓器が健全であれ、人間ではないと言われれば・・・
素直に首を縦に振る人もあまりいないのではないでしょう。
臓器移植を待つ患者のために、無脳症ドナー胎児を敢えて育てる・・・
あなたは言下に「悪魔的だ」といえる根拠をもっていますか?
また、臓器移植できず死んでいく子供たちに「仕方ないよ」と言える論理がありますか?
そういう問いかけがなされています。

人間の存在や死生観を考える土台には宗教や育ってきた環境が大きく左右します。
現在の科学の状況では、議論は集約しそうにありませんが、己の考えを持っておき、自分の問題となったときの拠り所とする心構えは必要かなと改めて感じさせてくれる作品でした。

色々な情報・問いかけはあった本作品ですが、小説としてとらえると「う~ん」という感じ。
あえて小説の形態をとったこの作品は文芸作品として捉えて評価するのがよいでしょう。
それでいきますと・・・

・登場人物のキャラクターが??
  たとえば友人の志木優子。
  事件にのめりこんでいくモチベーションが分かりません。
  たとえばケーブルカー運転手の藤野茂
  障害者設定にした理由が?。
  しかも、役中での立ち回りは障害者である必要性を感じませんでした。
  結構たくさんの登場人物がでてくるのですが、キャラがはっきりしません。
・的場医師との恋のお話
  ??。必要?
・ミステリとすれば、稚拙。
  驚くことや、どきどきすることは特にないです。

ということで、星2つ。再読はしませんね。
私の好き嫌いはさておいて、色んな方向性の作品があっていいとは思いますが、中途半端はいけませんね。

「三たびの海峡」がよかっただけに、残念。