マームとジプシー 「Kと真夜中のほとりで」
脚本/演出:藤田貴大
出演:伊野香織、大石将弘(ままごと)、大島怜也(PLUSTIC PLASTICS)、荻原綾、尾野島慎太朗、川崎ゆり子
斎藤章子、坂口真由美、高橋ゆうこ、高山玲子、成田亜佑美、波佐谷聡、萬洲通擴、召田実子、吉田聡子
急に思い出したように書いてみる。
身体表現が非常に強い印象。ただ、ダンス的かというと、そうではない。
そこにあるのは、肩で息をし、喘ぎ、汗が噴き出ている、頑張っている身体である。
台詞は幾度も繰り返されるが、身体の状態(疲労)によってその台詞の表現が
変化してゆく。
つまり、この劇では、体力の限界まで動き続け、喘ぎながら台詞を繰り返して叫ぶ事で生まれる
ある種の感情の状態がその経緯を含めて表現されていると感じられるのです。
非常に面白いのです。
五反田団 「偉大なる生活の冒険」
2008年3月6日(木)~3月16日(日) こまばアゴラ劇場
作/演出/出演:前田司郎
出演:安倍健太郎(青年団
)、石橋亜希子(青年団)、内田慈、中川幸子
物語は、やみくもに、開き直りとも取れるポジティブさ
を描いているのですが、そのとぼけた表層とは異なり
非常な精緻さが感じられるのです。
この劇を通じて感じられるのは
ある種のリアリズムを伴う、テキストの豊かさであり
随所に感じられる「現在性」であり、そして極めて
「演劇的」である事なのです。
と、ここまで書いて気付くのは
これらの要素は、そのまま、前回に観た
「チェルフィッチュ/フリータイム」と
同じである事なのです。
面白いのです。
チェルフィッチュ 「フリータイム」
2008年3月5日(水)~3月18日(火) SuperDeluxe
作/演出:岡田利規
出演:山縣太一、山崎ルキノ、下西啓正、足立智充、安藤真理
伊東沙保(ひょっとこ乱舞
)
その特異な手法などの点ではこれまでと大きく異なる事は無いのですが
入場してすぐに気付くのは、地面にめり込んでいる(?)ファミレス客席の装置が
存在している事なのです。
また、物語は細かく分解され、物語に明確な枠組が与えられて
いないのです。さらに、これまでの「三月の5日間」や「エンジョイ」
とは異なり、他の現実の出来事との接続が無いのです。
装置に関しては、ある意味で具象的であると言えるのですが
同時にその「具象」を否定する意味あいが感じられるのです。
また、これまでは「他の現実の出来事との接続」する事で
「日本の若者たちの物語」と「現実の出来事」を対比する構図
から浮かび上がるものがあったのですが、本公演ではそれは
見あたらないのです。
劇の表現として進化というか、深化している。別の言い方をすれば
「濃く」なっていると感じられるのです。
ただ「他の現実の出来事との接続」事が無い事により
劇の表層として、明らかに「矮小化」していると言えるのです。
FUKAIPRODUCE羽衣 「宿題と遠吠え」
2008年2月28日(木)~3月2日(日) こまばアゴラ劇場
作/演出/音楽:糸井幸之介
出演:藤一平、日高啓介、寺門敦子、本山夏子、鯉和鮎美、高橋義和
伊藤昌子(劇団阿佐ヶ谷南南京小僧
)、東谷毬子、糸井幸之介、深井順子
物語は街を舞台に、セックスの滑稽さ、もの悲しさを
コミカルにポジティブにあっけらかんと描いているのですが
通常、ここまで、テキストが過剰であれば、劇として、物語が中心となって
しまうように思われるのです。
しかし、物語に直結するメタ的な表現や、歌ありダンスありと
むやみにエネルギッシュなミュージカル調に(本人達によると「ミョージカル」)
表現する事で多様性を獲得しているのです。
とても面白いのです。
ひょっとこ乱舞 「愛にキて」
2008年2月15日(金)~2月24日(日) 王子小劇場
作/演出/出演:広田淳一
出演:橋本仁、中村早香、笠井里美、松下仁、根岸絵美、高橋恵、草野たかこ
青木宏幸、齋藤陽介、菅原達也、平舘宏大、梅澤裕介、川畑舞香
森田義朗、川村紗也、長谷川暢、北之内直人(竹バンク
)、コロ(柿喰う客
)
西川康太郎(劇団コーヒー牛乳
)
表層的には、抽象的な表現方法や、分解されたエピソード群からなる物語
ダンスなど、これまでの劇の要素と大きく変わる事はないのです。
しかし、劇が始まってすぐに気付くのは、この劇が物語や役者などの
要素が突出する事が無く、劇の中心を創り出していないことなのです。
つまり、この劇は、重層的な非中心の劇であると言えるのです。
(私が観た「ひょっとこ乱舞」の劇では)ここまで非中心の劇は
観たことが無いのです。
これは、ある意味で、チョウソンハと伊東沙保の二人の
不在が作用した表現とも思われるのです。
また、本公演では、表現のレベルにおいて、これまで以上に
「野田秀樹的なるもの」への接近が感じられるのです。
唸ったのです。
毛皮族 「遺骨のトットさん、ドブに落ちる」
2008年2月14日(木)~2月17日(日) 駅前劇場
作/演出/出演:江本純子
出演:柿丸美智恵、羽鳥名美子、高野ゆらこ、武田裕子、延増静美、平野由紀、高田郁恵
細井里佳、菊地明香、中林舞(小指値)、金子清文
「社会派ピンキーバイオレンス」シリーズ。との事。
ニプレスを含む露出や、ダンス、水など、ほぼ以前からの様式
だと感じられるのです。
小道具や舞台美術の充実ぶりや「オリジナルソング」は
ある意味で進化しているとも言えるのですが
ただ、以前は江本のアンテナに引っかかった事柄を手当たり次第に
劇にブチ込んでいた事で結果的に獲得出来ていた現在性が
この劇では感じられないのです。
実は「オリジナルソング」は演劇ではある意味で重要であると言えるのです。
毛皮族も以前は「オリジナルソング」はほとんど使用していなかった
のですが「銭は君」あたりからほぼオリジナルソング化しているのです。
それは、公演のDVD化が容易であるという意味を持つのです。
コマツ企画 「方舟」
2008年2月7日(木)~2月11日(月) 王子小劇場
作/演出:こまつみちる
出演:本井博之、浦井大輔、川島潤哉、斎田智恵子、異儀田夏葉、寺西麻利子
劇の手法としては、明らかに「現代口語演劇」を下敷きとした
作劇と言えるのです。
そして、この劇の特徴として、明確な意志と共に感じられるのは
「現在性」なのです。
「フリーターを含むマイノリティ」であったり「スピリチュアル」など
細かなものも含めて挙げていくとキリが無い程なのです。
また、この「現在性」の物語への投げ込み方はある趣向が凝らされており
非常に巧みだと言えるのです。
そして、その巧みさ、明確な意志により「現代口語演劇」という手法の持つ
ある意味陥りやすいともいえる世界の矮小化から逃れていると感じられるのです。
面白いのです。
小指値 「霊感少女ヒドミ」
2008年2月7日(木)~2月9日(土) こまばアゴラ劇場
原作:岩井秀人(ハイバイ
)
作:北川陽子
演出:篠田千明
出演:初音映莉子、三浦俊輔、NAGY OLGA、大道寺梨乃、中林舞
野上絹代、山崎皓司
物語が、渋谷や新宿、国道16号沿いといった、ある特定の場所
が舞台となって語られている点や、物語自体は「ただ一つの物語」
となっている点に関しては以前観たものと共通していると感じられる
のですが、その他は大きく変化していると感じられるのです。
ナトリウムランプや蛍光灯を使用した照明や、映像、ナレーションに重なる
台詞、1人の登場人物を複数で演じるなど、その圧倒的な表現の多彩さ
密度感は見事という他は無いのです。
また、その身体表現の強さは、もはや「チェルフィッチュ」や
「ミクニヤナイハラプロジェクト」などと同様に、演劇とダンスが
交差した地点まで到達していると感じられるのです。
岡田も観に来ようというものなのです(実際来ていた)
というか、サミットディレクターだから。というのが
正解なのかもしれないのです。
天晴れなのです。
青年団若手公演 「革命日記」
2008年1月30日(水)~2月12日(火) アトリエ春風舎
作/演出:平田オリザ
出演:福士史麻、小林亮子、長野海、宇田川千珠子、大久保亜美、海津忠
木引優子、近藤強、齋藤晴香、酒井和哉、桜町元、佐山和泉、鄭亜美
中村真生、畑中友仁
まったくもって「現代口語演劇」という他は無いのですが
本公演で何か引っかかって感じられるのは「鄭亜美の声が超デカい」
という事では決してなく、後半、若干「ポツドール」な手触りが感じられる
という事でもなく、タイトルにある「革命」という言葉なのです。
もちろん、「革命を志す者達を描いている」という事があるのですが
決してそれだけではないと感じられるのです。
それは、演劇における革命に言及していると感じられるのです。
そして、それは同時にある種の「意志表明」とも受け取れるのです。
それは、近年の「現代口語演劇の様式化」または「保守化」という言説に
対応する「革命」であると考えられるのです。
パンフレットにある平田の「私たちの革命は、まだ途上にあります」
という言葉は、受け取り方によっては、野田秀樹の血圧が上がりそうな
言葉であると言えるのですが、それは「現代口語演劇を含む演劇全体」
に関してであると考えられるのです。
若手公演の場にこの題材を選んだという事も象徴的に感じられるのです。
面白いのです。
飛ぶ劇場 「あーさんと動物の話」
2008年1月31日(木)~2月3日(日) こまばアゴラ劇場
作/演出:泊篤志
出演:寺田剛史、有門正太郎、内山ナオミ、木村健二、門司智美、藤尾加代子
内田ゆみ、葉山太司、大畑佳子、宗像秀幸、権藤昌弘、鵜飼秋子、桑島寿彦
劇団創立20周年記念公演。
ギターによる演奏や歌、回り舞台などの仕掛けを組み込みながら語られる
物語は、ほぼ全編を通じて主人公である「あーさん」の半ば夢想の世界が
描かれているのです。(大家と警察官のシーンを除く)
この、劇の核とも言うべき構造としての仕掛けは、劇の冒頭であっさりと
提示されてしまうのです。
もしかすると、提示しているつもりは無いのかもしれないのですが
とても明確に描かれているように感じられるのです。
そのため、物語の構造としては、準重層的であると言えるのですが、その仕掛けが早々に
提示されてしまうため、それ以降は、ほぼ「ただ一つ物語」化してしまうのです。
ともかく、ギターは上手かったのです。