アマチュア無線の裏側で

アマチュア無線の裏側で

1970から1980年代の忘れがたい記憶から

アマチュア局に許可の実績ある最大出力はかつては500W、今は1kWまでに拡大されています。また、資格の上でも2アマは100Wから200Wへ。電信級および3アマは25Wを経て今の50Wへと拡大されました。それでも私が開局した頃から一切変わっていないのが移動局の最大50Wという電力です。

 

当時と比べると、現在では様々な情報の流れが誤り訂正付きのデジタル化されていますし、携帯電話とペースメーカーの関係が注目されてより機器の方も電波障害には強くなってきました。ハムの電波による妨害や誤動作はずっと少なくなったはずです。しかし電磁波が生体に及ぼす影響は変わらないでしょうから、どこで垂れ流されるか分からない移動局の電力は簡単には増力を許可できないのでしょう。

 

ハイパワーで女の子ばかり出生、という実証のところが怪しい噂話はさておき、電磁波が加熱以外の影響をもたらす可能性はあります。例えば、ハイパワー局が送信するとアンテナ上の鳥が一斉に逃げ出す、とかいう噂がありました。また、かつてのパチンコのイカサマには強力な電波で台を誤動作させる方法がありましたが、実行役には手の痺れや頭痛を訴える者がいたという話です。

ちなみに、そのイカサマ道具は単1のニカド電池16本を背負い、25Wのモジュール4個で合成した100Wを袖に仕込んだアンテナから放射していたのだとか。25Wとは以前の3アマ向け機材用なのか、これも「アマチュア用品のプロ流用」の一種と言えるのか、作っていたのは現役ハムだったのか、興味深いですが確かめようがありません。

 

しかし電界強度は距離の二乗に反比例しますから、ハイパワーでもアンテナからの距離を稼げば急減します。逆に言えば、ごく近くのローパワーの方が勝るものであり、ハンドヘルド機の使用はそれに当たります。特に1200MHzではアンテナの実効高も充分そうなので影響は大きいかも・・・ですが、近年、アルインコがDJ-G7を終売にして以来、1200MHzのハンドヘルドは市場から消えていたのでした。半導体不足プラス需要減からのようです。アマチュア機の技術も進歩し、144/430/1200の3バンド機などこれからは当たり前、と思っていたら技術でないところで後退してしまったのは悲しい現状です。

 

 

昨今、AIが急速に存在感を増しています。成り立ちからしてコンピュータ関連の情報源としては極めて優秀で、先般私が自家用PCを作り替えた際にも最新パーツの規格はほとんどChatGPTで確認しました。しかし人間が手で検索しても分からないような分野はもちろん苦手です。

 

RTTYの運用に必要な従事者資格は何か? 今でこそ全アマチュア資格で可能ですが以前は電信級以上でした。テレタイプは公式に「印刷電信」ですし、無線電信とは「電波を利用して符号を送り又は受ける」という電波法の定義が昭和25年の初版からあります。そして電信級の操作範囲は資格新設時から「無線電信」なので、私は最初から電信級で可能だと信じています。

ところがネット上で「俺の頃は絶対違った」と言い張る人がいたのでで物は試しと「いつから?」とChatGPTに投げたところ、結果に腑に落ちないものを感じ、「ほんの少しずつ」質問文の体裁を変えてみたところ、3回連続で違う年号が出たのです。

AIが拾ってきた「アマチュア無線の発展のためにJARLが取組んできたこと」という文書には「SSTVやテレタイプなど、従来第2 級以上の資格でなければ 操作できなかった電波型式」とは出てきますが、これは電話級の人が書いたんだろう、程度にしか私は思っていません。

 

例えばWikipediaならば「四級塩電解コンデンサ」でも触れたように、説明の稚拙さなどで信頼に足る執筆者かは推定できますが、AIの文章は画一的なものになるため判断しにくくなります。それに、そもそも日本固有の情報というアップロードの少なさ、インターネット世界構築以前の古い話、アマチュア無線というマイナー趣味と悪条件が揃っては、ウェブ上のクロールで回答してくるAIは本当は無力なのに、しかし見た目だけは立派に整えた答えをしてきます。

 

アマチュア無線サイトを運営する諸氏へ。ChatGPTなどの「AIだけ」を根拠に物書きはしない事を推奨します。私も当ブログにAI出力を唯一のソースとする情報は一切使用していません。

 

前述の「俺の頃は絶対違った」と主張する人は、「キミらの法の説明など信用しない、雑誌記事の掲載例をソースに示せ」、という態度でした。法にも増してアマチュア向け雑誌の方を信用するとは相当なものですが、残念ながら日本人に多いパターンです。

前回の続きで電話級が先か電信級が先か、という点について。

 

「電信級から先に取っては?変調器がない分簡単なはず」という今さらな、しかし今もよく目にするネットミームがあります。その元ネタは記憶によれば半世紀以上も前に「子供の科学」誌にJA1HMN 野川氏が書かれたものと思いますが、野川氏ももちろん半分冗談のつもりだったのでしょう。もっとも、変調技術がない代わりにキーイング回路とかキー・クリックのどちらかは出題が予想できたので、当時の記述式で出題数が少なかった頃には変復調の事よりそちらの面で簡単と言えたでしょう。ついでにですが、電気通信術の試験でも上級資格よりスピードが遅い、という事の他にも簡単な要素の設けられた気配はあります。。

 

電信級の試験は法規も無線工学もほとんど電話級と同じ質と量、それに加えての電気通信術こそが難物なのですから、実際に「電信級を先に取得した」という例は寡聞にして知りません。あったとして、クラブのへそ曲がりな先輩の指導で強制されたとか、同時受験したら電話級だけ落ちたとか、そんな程度でしょう。相互の科目免除もなく、しかし実質ほとんど同じ内容の国家試験を2回も受けざるを得ないのは実に無駄な制度設計でした。

この点、JARLは電話級保有者への「電信級移行コース」を講習会史の初期から開設しており、国家試験にもない権能をよくぞ引き出せたものだと思います。

ただし背景には想像できるものもあります。例えばアメリカでは期間限定で電信のみ許可される入門資格としてのノビス級が存在した事とか、あるいはDXCCではPHONE限定は昔からあるのに長らくCW限定はなかった、という事実から推測できるように「電話通信は技術的に難しいもの」という一般論が「当初は」通用していたのだろうという気はします。


似たような例を現行資格で見ると海上無線通信士、その3海通と4海通に間に操作範囲の「ねじれ」があり、3海通は4海通の上位資格ではないどころか、プロの通信士では唯一アマチュア業務ができません。第3級とか第4級と数字で呼ばれると上下関係にしか見えないので、せっかく制度改革した折になぜアマチュア無線技士のように整理できなかったのかなと思います。

 

3アマと4アマが制定される以前に存在した電話級と電信級という資格について。


電信級の操作範囲は電信だけ、電話級は電話だけとかなり限定的でした。従って以前、「テレビジョン免許のことなど」の投稿でも書いたように、テレビやFAXの免許を受けるためには2アマ相当以上、具体的には1、2アマか、プロの1、2、3通が必要だったのです。つまり電信級と電話級では全く操作範囲が被らず上下関係にはならないため一緒に「初級」と呼ばれ、ランクとしては同格扱いでした。出力も同じく最大10ワットでしたから、それが元で物議を醸したこともあります。

JARL会員の門標板が資格で色分けされても電信級は電話級と同じくオレンジ色だったのは、以上のような認識からだったのでしょう。上位に当たるのは両資格保有ですから、厳密な場合には「電信・電話級」と表記する事もありましたが、実際には単に「電信級」だけでほとんど両資格の保有を意味しました。

 

私が趣味でアマチュア無線をやっている、と学校で話したところが言下に「どうせ電話級だろ簡単なんだろ」と返されたことがあります(「インターフェア」に登場の人物です)。確かに全アマチュア資格の90%だったか?が電話級でしたし、「そういうことだけ」は割に知られていたのです。しかし同じ初級扱いとはいえ、電気通信術のハードルの高さ、それに圧倒的な資格者数の差から電信級の側では「一緒ではない感」を誰もが感じていたはずです。

 

後に電信級の保有者は全モードの解放を経た後、その廃止とともに新設された3アマに自動的に移行し、(同時に電話級が名を変えた)4アマの操作範囲を含んだ上位資格になります。その操作範囲は全モード、25Wへのパワーアップと18MHzの許可も伴ったので「旧電信級」の保有者はブロ・アマ全ての資格において、当時の制度変更で間違いなく最も得をしています。そもそも電信の重要度が下がったから制度が改革されたというのに、電信しか能力の証明のない資格に全モード解放とは破格でした。その移行には電話級の保有さえ必要なかったのですが、さて電信級だけしか所有していないハムが現実にいたかというと・・・

 

ここで一旦、回を改めます。

 

トリオ9R-59D受信機の局発は6AQ8ですが、双三極管だというのに片側は使われていません。無駄なようですが、トリオはオーディオ用にも松下製の6AQ8を調達していたので、品種を絞るメリットの方が勝ったのでしょう(あるいは半導体化が進んで余ったか?)。こういう事は前身の9R-59からあって、その時は局発は6BE6でした。もちろん、7極コンバータ管の必要などない場所です。

話は59Dに戻り、「6AQ8の余った半分を局発のカソードフォロアに使ってはどうか」、という提案は説明書記載の公式改造でした。カソードフォロアとはエミッタフォロアとかソースフォロアと一緒で、真空管版のインピーダンス変換・電流バッファです。しかしCR何個かだけで追加可能なこの回路がオリジナルで未実装な理由は、元々局発の「引き込み現象」も感じませんし、特に体感できる効果はないからでしょう。

 

もう20年以上も前の今世紀も初め頃、パナソニックがカーオーディオで CQ-TX5500D というイロモノを発売しました。車載用だというのに双三極管の 5670 を一本搭載し、それはいつでも眺められるようにパネルに埋め込まれ、さらにはヒーターのイメージの演出なのかアンバー色のLEDで、しかも明るく照明されています。

「真空管がボケたらどうするか?」 とはもちろん言う人がいました。しかし家庭のテレビ用途や古典球でもあるまいし、パワー管でもない近代的受信管ともなればカーステレオ程度の使用時間でボケるなど考える必要もないのですが、初期不良とか振動による故障はあるでしょう。

その球の使い道が「単なるカソードフォロア」、という噂がありました。そんな物がなくても前段の半導体の出力インピーダンスは充分に低いので、究極の修理はバイパスするだけだとか・・いや、私は確認していませんよ。ヒーターが切れてもLED照明に隠れて見えないでしょうし・・いや、これも邪推ですけどね。

 

同じ頃だったと思いますが、Aopenのマザーボード(もちろんバソコン用)にもオーデイオ部に双三極管 6922 を搭載した一発屋、AX4B533-TUBEがありました。さすがにPentium 4 時代の製品ですからもうゴミでしょう。ここが「修理」すればまだ実用になるカーオーディオとは違い、既に製造される事もなくなった真空管の利用法としては残念なところです。

 

誰でも電子工作の電源は乾電池から始まります。昔はその次に安定化電源に直接進むということはなく非安定化の電源とか、とにかく何らかの中間段階がありました。市販の安定化電源もあったものの、入門組には高価だったからです。実例の一つとして、非安定でも鉛蓄電池をフローティング充電しながら使えばリブルの少ない電源が得られるという方法が広く知られ、実際にトリオTR-1000とか、井上FDAM-3といった50MHzの1ワット「ハンディ機」でハム入門したての人々の御愛用でした。ただ、大概は著しく劣化したゴミ同然の自動車用ジャンクでしたから、さあ次は増力だ、とブースターを作ると動作が怪しくなるのもよくある話でした。もちろん新鮮なバッテリーなら、DC-DCコンバータで20から30Aも流れるハイブリッド機のFT-101やTS-520でもこの方法で動かせますが、今度はラジオ用程度のトランスでは充電が追いつきません。

 

さて、「ラジオの製作」や「初歩のラジオ」などの入門雑誌には、トランジスタ1石の回路で「消費電流は100μA以下なので電源スイッチは不要」、という製作はよくありました。しかし実際には、当時の単三マンガン乾電池の容量では100μAも流れ続けたら数か月持つかどうかですから、スイッチ不要とは言えません。電池一本さえも子供の小遣いには馬鹿にならないのが私も二次電池に目を向ける契機になりましたが、今のニッケル水素電池のような大容量の製品はなく、三洋の単三カドニカ(NiCd)がわずか450mAhで、しかも高価。そこで最初に買ったのは充電式のアルカリ乾電池でしたが、過放電で簡単に駄目にしてしまいました(欠点も多く現在は製造されていません)。

 

次にはバイク用 6V鉛蓄電池の新品が900円で出ていたので、2個求めて6V/12Vの実験用の電源とし、これで色々な経験をします。

まず、鉛蓄電池の短絡は細い電線くらいは丸焦げにしてしまうということ。これは危ないと管ヒューズを入れたものの、それから一体何本切れたやらで、実験用の電源とはそういうものだということ。また、今風の密閉型ではないので、充電すると泡を出して液が減るということ。その補充液は水道水では駄目らしいが、ガソリン・スタンドで安価に手に入る事。そして、油断して過放電で放置すると恒久的に駄目になること(サルフェーションです)。

 

鉛蓄電池は案外と管理は難しい、というこれらの体験を経て、やっと次に安定化電源を製作したのです。

1970年頃にアメリカで発売されたSignal/One CX-7、何回か触れてきましたが、その紹介記事は画期的な内容だった事以外にも、設計者のDick Ehrhorn氏 (W4ETO)  という、変な綴りの名前も印象的で良く記憶に残りました。同氏は後に Ehrhorn Technological Operations Inc. を興し、ハム向けにはALPHAシリーズのリニアを製造しています。コールサインにちなんだ社名は日本のLUSO、あるいはエーオーアールなども同様ですが、Operationsとは製造業の社名としては「ひとひねり」が入っているので、そのコールへのこだわりには見習って欲しい人々もいますね。

 

高出力のリニア用部品は1970年代の日本においては新品では高価、もしくは入手難でした。例えば国産で3-500Zパラレルという本格的な構成を初めて採用したのはトリオTL-922とかフロンティアSB-2000ですが、冷却用の専用チムニーは省略されています。もちろんアメリカにもチムニー無しとかテレビ球の廉価リニアはありましたが、出すものさえ出せばフル仕様でも手に入るのが当時のアメリカ市場というもので、中でもHenry Radio製リニアは出力の割に値頃なので一番人気でした。

 

8877のリニアアンプ」の投稿で書いたように、最大500ワット時代の日本では普通に落成検査に通るリニアはプレート損失が1500ワットまででしたが、いつの時代にも決められた上限に満足しない人たちはいます。そこで当時からハム機材に強く、個人輸入を扱う業者というものが存在しており、「言ってくれれば何でも買い付けますよ」、の精神で闇の需要にも応じていました。

もちろんアフターサービス無しですが、アメリカ本国でも出力過大なので輸出専用の設定だったETO ALPHA 77SX(8877/3CX1500A7パラレル)とか、Henry 8K Ultra (3CX3000A7)などが500ワット時代から持ち込まれ、特に8K Ultraは相当数が入ってきたようで今でもオークションなどでしばしば見掛けます。

 

Henry RadioもHF用リニアをはじめほとんどのハム用品は過去のものですし、2022年にはEhrhorn氏の訃報が流れました。ETO社はAlpha RF Systems社となって存続したのですが、それでも私が開局の頃から一筋に続いていた記憶のひとつが消えたような思いがあります。

前回書いた経緯を自分ながら改めて見て今、思うことが2つあります。

まずは昔のアメリカ製品に感じた「驚きや憧れの対象」が今は無くなってしまった、ということ。個人的に思うのは、Drake TR-7 (1977)あたりが日本製品を仕様で凌駕した最後の例という感じです。しかし今から期待しようにも、アメリカの有力メーカーはアマチュア無線バブルの時期に集中的に規模を拡大した日本メーカーが台頭した煽りを喰らって、もう全部が退場済です。


続いて、近代的な多機能の中には機器が寿命を迎えるまでの間に一体何回使うかな?、と思うものが増えた事です。これに伴い、押しボタンが異常に増えたパネルを「天然痘」と評した人もおりました。天然痘が根絶される以前には社会的に使えなかったであろう表現ですが、正鵠を得ています。昔の八重洲FTDX400なんてトランシーバーは最高級機だったというのに全てが回転ノブ操作で、押しボタンもスライドスイッチもトグルスイッチも一つもないですよ。かつてFT-200を気に入ってくれたG4DDI局も、今は日本製の microprocessor boxesには興味はないと言い切っていますね。


しかしHFの主なモードであったSSB/CWは今に至るも中心にあり、かつてHF帯でAMモードがSSBに完全に駆逐された程の大転換は二度と起こっていないのです。今は栄えているFT8にしても、いずれ新方式に代わられ発展的に解消されるものでしょうし、Free DVとかDMRデジピーターとかの現代的な技術も将来は同様のことになるでしょう。なるほど主流がSSB/CWに停滞していては、それは昔の「趣味の王様」も地位から滑り落ちます。

しかしそれならば、と開きなおって基本性能と操作性に徹底的に注力したシンプル化への回帰はないのでしょうか。現に昔の業務用の受信機など古株には今でも人気がありますし、いまどきのハムは老人クラブなのですが・・・しかし一般論として日本人は付加機能が大好きですから、やはり商業的には無理なのかも知れません。

 

シンプル化をあまり強調すると、実用一点張りの業務用ではなく趣味なのだから・・と言われてしまいそうではあります。しかし、アマチュア無線界の新たな通信技術というものは大体が海外の在野の人達が創始しており、日本のハム機器メーカーが主導したものではない、というのが歴史の示すところと思いますが、いかがでしょうか。

 

昔、アメリカが数の上でも最大のハム大国であった時代の無線機には、コリンズのRF-NFBとかPTOとか内部機構的なものだけではなく、表に出ている部分を見ても日本製にはあり得ない機能や性能の製品が色々とありました。

 

例えば国産で市販されていたVHF機がAM/FMのみ、しかも出力10Wまでしか存在しなかった時代に、コリンズ 62S-1はトランスバータという形態も独特でしたが、6mばかりか2mまでSSBで出られたのは当時唯一の存在ですし、入力も160Wもあります。ドレーク TR−6 トランシーバーも6mバンドで入力300Wとは、国産とはまさに桁が違いました。またHFの方では、ハリクラフターズ SR−2000は送信管8122のパラレルでオールバンド・入力2kWですからトランシーバーだというのに、テレビ球やせいぜい572Bの日本製のリニアアンプよりも格段に強力でした。

「付加機能」と比較すれば「パワー」は分かりやすく、また実用性の高さで高価格でも容認されやすい性能の代表です。


一方、圧倒的な付加機能で売り出したのはシグナル・ワン CX−7です。デジタル表示、エレキー内蔵、IFシフト、ノイズブランカー、2VFO内蔵等どれも日本製にはない機能が目立ちましたが、その他にもドライバーまで半導体であるとか、伝熱冷却の送信管採用など、特徴満載の極めて挑戦的な設計でした。しかし付加機能の品揃え、という特徴に関しては、その後の日本製品が最も力を入れて発展させた点であり、結果は現在の最高級機に反映されている通りです。

 

ハムバンド以外での送受信については、アメリカではMARSなどへの用途もあるためコリンズでもドレークでも古くから純正対応があり、バンド用の水晶発振子の数を揃えれば、IFと重なるなどの一部の周波数帯を除いてかなりHFゼネラルカバレジに近いものにできます。当時の国産でも多少はバンド追加できるものもありましたが、最初からそのつもりで設計を固めたコリンズやドレークにはどうしても自由度で劣りました。

 

(その2へ続く)

かつてNHKの人気番組「ブラタモリ」の中で、ex JA6CSH タモリ氏が水晶発振子を見ながら「これに電気をかけると発振する」、とコメントするシーンがありました。今風にモジュール化された水晶発振「器」なら確かにそうですが、「発振子」の方は原理として違います。

このよくある誤解の元は、世にある電子工作の解説がどれも「これが発振する回路」という立場でしか書かれていない事かなと思います。むしろ発振子の働きの説明は、回路の中で正帰還を止めているものの、その阻止能力には周波数的に落とし穴があってそこで帰還して発振が起こってしまう、と言う方がまだ良いかと思います。

 

古い形式であるFT-243型パッケージはベークライトの筐体に金属板の蓋をネジ止めした構造です。トリオTX-88A/D送信機や日新バナスカイ・マーク6トランシーバーのパネル上にある水晶ソケットもFT-243用で、1970年までくらいの「自作用の」標準です。ただし当時も既にメーカー製品が使うのはハーメチック・シール化されたHC-6/U, 18/U, 25/Uでしたし、逆に自作で米軍ジャンクのFT-241型を集めて選別だとかラティスに組んだとかは私以前の世代です。

 

私もFT-243型は新品で入手した4個が手許にあります。購入したのは秋葉原のラジオセンター・二階にある「菊地無線電機」で、1970年代初頭のこと。一個 800円とは水晶発振子としては少し安い方でしたが、当時でも旧式でしたから古い仕入れ品だったのでしょう。「菊地無線電機」は恐らく当時から業容も店の構えも、また主人も一切変わっていないという点では秋葉原で最古の店だろうと思います。その水晶が置かれていたガラスケースも当時のままです。

 

FT-243の脚は真空管のオクタル・ソケットのピンひとつ飛ばしの幅が適合し、部品入手に苦労した時代のOTの自作品のパネルにそれがあれば水晶用と思って間違いありません。専用のFT-243ソケットは買い占められた部品の一種で、ディップメーターのコイル用などにも使われてHC-6/U用よりずっと早く枯渇し、最後に買ったのはラジオデパートの「シオヤ無線」でした。ここもラジオ部品を扱いつつ老主人が長年頑張りましたが、ついに2023年に閉店してしまいました。