アマチュア無線の裏側で

アマチュア無線の裏側で

1970から1980年代の忘れがたい記憶から

1970年代も前半くらいまでは、50MHz専用のAM/FM機が非常に多く存在しました。八重洲は出さずにその時代を終えましたが、他はトリオ・井上といった大手はもちろん、中小からハムショップ企画の製品まで実に沢山の選択肢があったのです。これは、AM/FMなら技術的ハードルも低く、大量生産されていた輸出向けのCB機用の部品を利用できて参入も容易だったからです。

 

さて、この時代の50MHz専用のAM/FM機の特徴ですが、多くは受信はVFOで「一応」上限は54.0, もしくは52.5MHzまではダイアル目盛があって回ります。トリオTR-1000とかTR-5000も送信は水晶ですが受信はVFOで可変です。ところが、当時の多くの機器では内部の同調が固定ですから送信出力も受信感度も調整点を外れると大幅に低下してダイアル幅の上限まで満足な動作はしません。しかもその辺の事情は必ずしも説明書にも記載がなかったのです。今ならばクレーマーの餌食でしょうが、有資格者には暗黙の了解で通っていた時代柄です。

 

分かっているユーザーは、例えば中心を51MHz過ぎに再調整するとか、スタガー同調の幅を広げるとかしていました。当然ピークでの性能は下がりますが、元の7割程度の性能が出れば実用上はまず気になりません。さらに当時の海外の電波割り当て事情を勘案すると52MHz以上を本当に必要としたので、Es層伝播でDXを狙う人々はさらにピンポイントな調整もしていました。52.5とかの半端なダイアル上限の機器があったのはとりあえず52MHz台の実用域までは、という設定です。逆に、52MHz台以上の利用度が低かった理由には、そこまでダイアルが回らないか回っても満足な動作をしなかった事の他に、アナログ時代のテレビのIFが映像58.75MHz、音声54.25MHzというTVI警戒の事情もありました。

 

ただしAM/FM時代も末期に近づく頃の井上IC-71とかトリオTR-5200では、その同調ノブがパネルに出されました。オンエアにはひと手間余計に必要になりますが、54MHzまで完全に動作するのはハムの急増期にもマッチしていたのです。従って53MHz以上あたりではご当人たちは内緒のつもりのラグチューがよく聞こえましたが、その隠れ場所もなくなって行ったのです。

 

 

最初にほぼ全ての日本人が間違っており、しかも重要な事から。

 

現代英語のmidnightは「真夜中」ではありません。「夜の12時ちょうど」の事です。

 

これに比べたら通じるだけマシですが、同様にほぼ全ての日本人の誤りが「AM6:00」とかですね。「午前6時」の日本語の語順に釣られるのでしょうが、正しくは6:00 AMと数字が先です(am やa.m.でもOK)。昔のアメリカに W6AMという有名な局がいて、QSLカードには6時を指し鳴動する時計が描き込まれていました。ハムならこれを思い出してみることです。

 

難しいのは夜と昼の12時で、「0時? 12時? am? pm?」と疑い出したら止まりません。慣用的には昼が1200pmで、夜が1200amですが、どちらも語源的に正しくないので誤解の余地があります。確実なのは1200 noonと1200 midnightで、この1200は省略でき、noonとかmidnightだけでも通用します。略さず言うなら twelve (o'clock) noon/midnightです。

 

昔、JA1ANG 米田氏がCQ誌にちょっと書いていましたが、アメリカでは一部の職種を除き、24時間制を理解しないというのは本当です。一般人は1500とかの表現を見ても時刻の事とは直観しないのですが、DXをやるハムは分かっている方でしょう。ただ、UTC重視姿勢は必ずしも深くないので、例えば国際的なことでもEDT(アメリカ東部・夏時間)などと割に平気で地方時間で伝えて来ます。

なお、昔のQSLカードには世界時をGMTと書きましたが、今は世界協定時・UTCとなったのは原子時計の基準採用が契機でした。それまではGreenwichが世界の中心のようにも見え、フランスなんかが気に食わずに活動した事でしょう。UTCの語順も各国語を勘案したと言いますが、結局はフランス語のそれと同じになっていますし。


事のついでに同類の話で。例えば交流100Vというのも「AC100V」と日本語の語順通りで慣用化していますが、これも英語的には 100V AC のように数字が先でAC/DCを後に書きます(ac/dcと小文字も可)。ただ、VAの間にスペースがないと皮相電力のようなのでそこは注意。

真空管機は安定化されていないヒーター電源で電球も点灯していたので、50W程度のSSB送信機でも声の大小に応じてダイアル照明が明滅したのは以前も書いた通りです。それら無線機の電球ベースは振動で緩まないスワンBA9s規格のバヨネットが多かったのですが、真空管ラジオの多くはエジソンE10口金なので、ペイントロックが常識でした。

トリオ好みのネオンランプPLは白熱電球より長寿命なので、多くはランプ固定封入のブラケットです。交換式もほとんどE10で、BA9sのネオンはあまり見かけません。

BA9sの電球は市中の電器店にはあまりなかったのですが、さらに入手の難しいのが管ヒューズ型の電球でした(自動車用とは寸法が違います)。これはトリオがFMチューナーの横行スケール板を両脇から照らすなどの使い方をしています。T-599/R-599ラインもこの管ヒューズ型を採用し、しかも8Vと12Vだったか?とにかく双子の顔と構造なのに電圧規格が違うという意味不明でした。

 

さて、BA9sや管ヒューズ型がない場合、一時凌ぎの代用品は模型店で入手できる「麦球」でした。なお未確認ですが、麦球には不活性ガスを封入しない真空球が結構あるらしく、それではタングステンが蒸発しやすそうで、なるほど切れた麦球には蒸着の跡?があった気がします。とにかく麦球は当時の我々が入手できる最小の電球でしたが、信越電機で初めて購入したLEDはさらに小さいものでした。

 

LEDの利用は八重洲ならFT-101B、トリオならTS-520あたりからだと思いますが、当初は実用的な輝度があったのは赤発光だけだったのでPLとかインジケーター用途でした。

その頃、バイオニアのオーディオ機で「LEDのパイロットランプ」という宣伝文句があったはずです。今では滑稽に思いますが、世間では集積回路の登場時に「IC採用」と広告で打ち出したように、LEDにさえも先進的なイメージを期待したのでしょう。それと技術者の「使ってみたかった」もありそうで、その後もバイオニアは青色LEDもまだ珍しいうちから高級機種のPLに使い始めました。

 

八重洲がFT-847を発売した際、液晶のバックライトが白色LEDだった件では、取材でまさに開発から「使ってみたかった」が語られていました。FETの登場時のような初物好きの志向は設計者にはあって当然です。子供時代の私だって「PLにネオンを使ってみたい」と思ったのですから。

 

LEDがアマチュア工作用にも手に入るようになったのは1970年代前半あたりで、信越電機(現・秋月電子)の1本100円、10本900円というのが小売りでは一番安値でした。総金メッキの高級部品ですが性能は低く、10mAくらいは流してやっとパイロット・ランプ(以後PLと略します)に使えましたが、当然それ以前のPLは白熱電球かネオンランプしかありません。

真空管時代のラジオの電球はトランス式・トランスレス(整流管35W4の場合)ともに6.3V 150mAが標準ですからLEDとは比較にならない大食いでしたし、ネオンランプは放電管ですから少なくとも60V以上の電圧がなければ利用できません。どちらもLEDほどには「電圧も所要電力も寿命も寸法も輝度も」全部に自由度がなかったので、PLなどという単純な機能のものでも昔話を語り出すと結構色々とあるのです。

 

私が最初に真空管ラジオを組み立てた際、市販の並三用のシャーシに一応はPL用の穴はありましたが、それはゴムのグロメットを嵌めて電球を挿入するだけ、つまり電球の頭が剥き出しでした。本来そのシャーシはスピーカーとともにケースに収める前提なので、「ダイアル照明を兼ねるなど種類も場所も好きなように工夫しなさい」、という趣旨なのです。

しかしそのままでは余りにも見た目が情けないので、私はPLブラケットを付けたのですが、青色キャップを買って失敗でした。それは色温度の問題で、PL程度の白熱電球の光はほとんど青成分を含まないので、それに青いフィルターをかけたところで青色らしくならないのです。もちろん電圧を上げてフィラメントが高温になれば青成分も増えるのですが、寿命が格段に縮んでPL用途に向かなくなります。逆に切れにくいようにと、8V用を6.3Vで使うなどの例も普通にありました。

古いマランツのチューナーとかデッキには随分と明るい青の照明があったと思いますが、電球がよく切れたのではないでしょうか?

その並三のPLは後に「ネオンランプという部品を使ってみたい」の一心で交換し、最初に買った青の電球ブラケットは以来、何十年もジャンク箱で寝ていましたが、近年、青色LEDを入れて今度こそ青光りするPLとして日の目を見ました。交代したネオン・ブラケットの方も流用済で現用です。小物ながらこれらは「中古品の収集と終活と」で書いた古い手持ち部品の活用の一例です。

 

(続く)

現在では電解コン以外のキャパシタ類といえば、ほぼセラミックかフィルムというところでしょうか。私が電子工作を始めた頃にはラジオ工作で普段に使うのはMPコン、ペーパーコン、オイルコンが定番で、フィルム・キャパシタは既にマイラーとかスチロールはありましたが割高でした。

ただ、今から思うと少々変な話で当時はこれら三種が全くの別物のように(少なくともラジオやハムの雑誌では)説明されていたのですが、実は構造的には被るものなのです。例えばMPはmetallized paperですから紙を使っていますし、MPコンもペーパーコンもオイルを含浸しているとかです。蒸着型と箔巻型の区別はあるでしょうが、それ以外の構造の区別については曖昧で、当時の雑誌の筆者たちも皆アマチュアなのでそこまで詳しくはなかったのでしょう。

 

さて、これらのキャパシタは電解コンのような極性は無いもの、と解説されていたのですが、実物を見ると必ず片方には線を描いたマーキングがあります。非常に古い回路図ではキャパシタ記号の片側に点が打たれている場合もあり、明らかに何かを区別しているのですが、それが一体何なのかは初心者時代には疑問でした。

これらはいずれも巻回(けんかい)型のキャパシタですが、金属箔や蒸着面が最も外周に来る方(あるいはアルミ製ケース)の電極にマーキングがあるのです。そちらをアースまたは電源側とすればシールド効果がある他、ラグ板を用いた実装ではシャーシなどに接触すると絶縁の問題があったからです。真空管回路はハイ・インピーダンスで、また扱う電圧も髙いので、これは二重に重要なトラブル予防でした。

 

三種に共通なのはどれも長期信頼性が低かったという結果です(だから後にPCBが使われたのかも)。とにかく長年を経て絶縁抵抗が低下するのは決定事項のようなもので、インピーダンスの髙い真空管の段間カップリングなどでは古くなると全く用を為さなくなる、どころかバイアスが狂って真空管の破損にまで至る事はごく普通にあります。従ってビンテージ機器の修理はまずこれらを総入れ替えし、しかる後に「みんな大好き電解コンの交換」でもお好きにどうぞ、と言っておきましょうか。

ログの電子化により消滅したものに「整理簿」があります。もう完全に死語になったようで、改めて検索してみても例えばGoogle AIでは、業務日誌・ログブックを意味するものとしての解釈しか出て来ません。まさに「AIだけを根拠に物書きはすべきでない」の典型です。

改めて整理簿を説明すれば、交信済チェック用のいわばログの索引帳で、1ページ当たり行と列にAからZまでの26×26=676個のセルを並べたExcelのような表です。これ1ページでサフィックスの下2桁AA-ZZまでをカバー。それが27ページあればAAA-ZZZプラス2文字コール。さらに国内局ならJA0からJA9まで全部揃えると270ページに相当します。その小さなセルに記入するのは年月日だけで、それを元にログブックを調べるのです。既成の様式は業務日誌や規格カードと同様、JARLの販売品にもありました。

 

つまり、この様式は元々は「全アマチュア局」に各セルを割り振る前提で作られており、CQ誌に毎月付属するコールブック追補版で最新のコール発給状況を見ては増ページする、という使い方のものでした。もちろん海外QSOへの配慮は別に必要です。しかし私の開局時には既にハム局急増期に入っており、この方法ではプリフィクスの増加に対応しきれず破綻は明白になっていました。そこでどうしたか。

まずDXCCやJCCなどに興味のない人は整理簿は持たず、1st QSOのチェックは相手任せでした。整理簿を必要としていた人もページ数を限定してブリフィクスは全部共通とし、サフィックスが同じ局は全部同じセルに押し込むとか欄外追記などとしていました。

 

私もサフィクスだけの分類で作ることにしましたが、さすがに既製様式のページ当たり676個のセルは小さ過ぎ、2局は書けても3局目の記入は困難。そこで目を付けたのが事務用品の「金銭出納帳」ルーズリーフ(これも死語?)で、流用できそうな細かいセルが印刷済なのです。これを利用してAA-ZZまで各4ページ割り当てた全108ページの帳票を作成し、以後電子化するまでを乗り切りました。

 

さて、当初からブリフィクスが増える毎にページ追加していた局も、どこかで電子ログ化せざるを得なかったはずです。そんなこんなで世相が推移する一方、JARL謹製の紙の「整理簿」が前世紀一杯くらいまで除却もされずに販売されていたというのも驚きです。

 

定電圧放電管、というのは言わば定電圧ダイオードの真空管版です。ネオン管同様のガス封入の二極管ですから「真空管」ではありませんし、一見アノードっぽく見える外筒の方を普通はカソードとして使います。原理はグロー放電で、コロナ放電によるものは圧倒的に高電圧用でハムの用途はありません。また、脚ピン間の内部結線があるのも特徴です。シャント型の利用が多いのですが、それでは不用意に管を抜くと制御の外れた高電圧が出るので、管内結線を直列にしておけば管を抜くと出力も切れて安全、という用途です。

 

定電圧ダイオードも電圧規格次第で全く平坦度が違うのと同様、定電圧放電管も種類により安定度が違います。汎用品ではVR105mT(0B2)が最も良好とされ、自作ではなるべく105Vを利用するのが良いと言われました。もちろん基準電圧に使い、分圧器とボルテージ・フォロワで可変にもできるのは現代の定電圧電源と同じです。

管球式の無線機では発振管の電源や終段のスクリーン・グリッド電圧の安定化などに採用例があります。しかし定電圧放電管にはラジオ用など廉価品の設定はなかったので、しばしば60V程度で安定するネオン管で代用されました。

 

トリオ9R-59D受信機では、双三極管 6AQ8の未使用の片側で簡単に組めるカソードフォロワも省略した廉価キットなのに、そのB+電圧用の定電圧放電管のソケットだけは付属していました。「髙いから割愛したけどカソードフォロワよりも有用です」、という設計からのメッセージと読めますが、元々の周波数安定度が低いので電圧安定化の効果も搔き消されてほとんど体感はできません。

 

八重洲FLDX400送信機ではネオン管と定電圧放電管の二系統装備と大袈裟ですが、これは初期型ではVFOが真空管だった経緯によります。しかも定電圧専用に6BM8を動員とは今見ればもったいないですが(VFOがTr化した後も残りました)、それでも安定度は同じ真空管発振でもコリンズ製品には大きく劣り、彼我の技術格差は大きかった時代です。


「定電圧放電管」は簡単に「スタビロ」と呼ぶのが一般的でした。この語源ですが「スタビロボルトという商品名があった」、というのが私の見た記憶のある唯一の説明です。しかも確認できた事がないので、個人的には封印した言葉です。

1970年頃の顕著な動きのひとつはFETの採用が増えたことでしょう。品種としては自作でも、またメーカー採用も三菱のJFET,  MK10が初期の定番でした。当時もN-chならEIAJ規則に従い2SK型番が既に常識で、なぜこれがハウスナンバーで市販が続いていたのか分かりませんが、ともかく安価で入手容易だったのです。なお時代柄、パッケージが2SC710と同じなので銀マイグレーションによるトラブルには要注意です。

 

品種には価格と利用技術の両側面から来た流れがあり、MK10に続いてまずは2SK19と3SK22のJ-FET時代。それからMOSになってトリオでは3SK35、八重洲では3SK40です。やがてゲート接地用に再びJ-FETで米シリコニクス社U310/J310が(メーカー採用よりも海外情報が先行して)現れ、同等の2SK125(ソニー)が標準に・・・あたりまでは潮流と言えるでしょう。

二桁という数字の若さがFETの少ない時代を物語り、同じ頃に2SCなら四桁番が既に自作用にも使われていました。また、ソニーのトランジスタで自作用にも出回った品種は過去に多くありません。

上記の流れで「FET採用で高性能」が当初高らかに宣伝された効能は、「髙安定VFO」と「混変調に強い」でした。しかしVFOへの適用では「トリオのVFO回路」でも書いたように、半導体よりも大きなドリフト要素を潰してからでなければ本当の評価はできません。また、混変調の方では素子と回路次第でもあります。例えばBJTの低いインピーダンスが同調回路をダンプする回路はまずいでしょうし、FETの方が伝達特性で有利、という理屈もあります。しかし素のままでダイナミック・レンジが非常に大きいパワー用BJTの実例もあるなど、まったく一概には言えません。

 

「FET信仰」は同時代のBCLラジオにも存在し、と言いますか、購買層は完全に宣伝に乗せられていました。オーディオでも「電流経路にPN接合がないので音が良い・・」とか、?的 な説明を何かで見た記憶があります。トリオが「IC&FET」、ソニーが「IC+FET」などと少しだけ表現を変えてバネルを飾っていたのは懐かしいものです。しかしそれらを契機にFETの価格は下がり、用途も広がったのは確かです。ほぼ半導体化の出来たトリオTS-520の頃には中枢部以外にも普通に使われ、わずか5年間くらいでもう「FETだから高性能」とは誰も言わなくなっていました。

八重洲FRDX400受信機の特に重要箇所でもない固定チャネル発振が途中で2SC372からMK10に変わっていますが、単にコスト増だったと思います。「高くても使ってみたかった」?みたいな例は割と八重洲にありますね。

昔の雑誌記事にはそれが執筆された時点で既に内容が古いこともよくありました。「カーボンマイクとクリスタルスピーカー」の入手性の事やら、ゲルマニウム・トランジスタの採用などその例ですが、他にも色々と思い出すものがあります。

 

アンテナから同軸ケーブルを室内に引き込むにはどうしたらよいか? 

「子供の科学」誌でJA1HMN 野川氏が紹介されたのは、「窓ガラスの一枚をベーク板に入れ替えてコネクタで引き込む」でした。筆者も「オススメしたいな」と書いていた通り、いいアイデアなのですが、我が家には障子のようにグリッド分けしたガラス窓はありませんでした。可能だった家はその当時でも古い建築だったと思います。

 

続いて、「ラジオの製作」誌にJA1CNE 杉本氏の書かれた乾電池の生死判定の話。まだマンガン主流の頃です。

テスターを大電流レンジ(例えば500mAとかだったか?)に設定し、一瞬だけ触れて勢いよくメーターが振り切れれば使えるとの話。しかし当時もアルカリ乾電池は存在し、これは短絡電流が5Aから10Aにも達しますから、世の中には電池の種類に気の回らない人もいる以上は相当リスクのある提案です。とりわけ内部抵抗の低いニッカド電池ではさすがにいけません。

ちなみに私の場合、2.5V/0.3Aの豆電球の光り具合で判断しており、慣れると1.2VのNiCd/NiMHから、3Vのリチウム一次電池までどれでも見当がつくようになります。

 

同じく「ラジオの製作」誌にJA1ZB 松田氏の投稿された管球式車載機の製作記事について。

これが車載用というのにヒーター電圧が6.3Vなのです。そこで、「今日はこっちの半分、明日はあっちの半分と使えばよい。車載用だから12Vにしなければならない、というのはどうかと思います」、が筆者コメントだったと記憶します。しかし、自動車用の中古バッテリーは当時の入門ハムの愛用品でしたが 6Vのタップは見た事がありません(昔はあったのか?)。また、球式ですからDC-DCコンバータも別途必要で「持っていればハムをやっている限り必ず役に立つ」、という事だったのですが・・・多分、その機会なくトランジスタ時代を迎えた人がほとんどだったと思います。

昔はV, UHFのFM送信機のパワー段には可変容量ダイオード(バラクタ)による逓倍回路がよく用いられました。業務用の450MHz帯はもちろんの事、150MHz帯の車載機も1960年代まではこの形式で、充分に電力増幅した基本波を逓倍してBPFを通しそのままアンテナに出力するのです。動作原理としても、旧式なVHFコンバータの局発に使われた小信号ダイオードによる逓倍とは違い、はるかに効率の高いものです。

 

私がまだ初級の頃、既に430MHz帯は10MHz幅が解放されていましたが435(よんさんご)と呼ぶ習慣もまだ残り、市販機がやっと出たという位の事ですが、144MHzからのバラクタ逓倍の記事がCQ誌に掲載され、当時でも特別感のあった430MHzはおろか、1200MHzまで出力していたのはまるで雲の上の世界でした。

その測定で使われた電力計がBIRDのmodel43 で、オスカーブロックのSWR計しか持たない私にはこれまた別格の存在でした。BencherやVibroplexのCWパドルもですが、半世紀以上も商品として現役とは驚きです。

上記の「バラクタ」とはvaractor diode、それはvariable reactance の意味で、送信出力段に使うのですから何ワットもの電力に耐える部品です。

ところで「可変容量ダイオード」と言えば、普通は「バリキャップ」のvaricap diode、こちらは variable capacitance でFMのリアクタンス変調とか、FMラジオのAFC回路に使われる小信号用を想像する人がほとんどでしょう。今のハムはバラクタ使用の逓倍回路には縁のなくなった現状も関係あると思います。なお、英語資料でもvaractorもvaricapも使われている単語です。

 

それから色々な参考図書や雑誌などを読んでいて、ちょっとした事に気付きました。大体は逓倍に使うパワー用がバラクタ、小信号用がバリキャップですが、両者とも「バラクタ」と表現されることはあっても、逆に全てを「バリキャップ」と呼ぶことはないらしいと感じたのです。

これはどうやら「バラクタ」、varactor diodeの方が専門用語としては一般的で、多分ですが「バリキャップ」は商標起源です。小信号用まで全てを「バラクタ」と書いていた筆者はプロかそれに近い経歴の人だったのかも知れません。