カタカムナの共鳴

カタカムナの共鳴

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「イキモノ」 と 「モチモノ」 の間

 現在、私たちは便利な生活を享受している。テレビ、電話、カメラ、洗濯機、パソコン、自動車、新幹線、飛行機に囲まれて生活をしている。本来、科学というのは人の幸せに貢献できるようにしなければならないのだが、利便性のあがることが幸せだと勘違いし、将来に夢や希望を思い描く隙間もないほど、科学の緻密さに押しつぶされている。この世界は物質だけで構成されているのではない。物質と心の重なった構造をしている。本当は物質だけではなく、心の研究も発展していかなければならない。心の世界を宗教に任せきりにしていたのでは埒があかない。心の世界にエネルギーが蓄えられ、それが物質化しているのだと知らなければ。

 

 

 カタカムナヒビキ マノスベシ

 アシアトウアン ウツシマツル カタカムナウタヒ

 

 現象世界の背後には心のエネルギーが広がる世界があり、心の世界の主を「カムナ」と言う。その「カムナ」から現象世界の主が作られる。それを「アマナ」と言う。万物は「カムナ」と「アマナ」の共振(響き)によって発生する。その共振は渦巻き状の粒子であり、それを「アマ始元量」と楢崎皐月は名付けた。万物は「アマ始元量」の変遷として表わすことができる。

 

 

 フトタマノミ ミコト フトマニニ

 

 「カムナ」と「アマナ」の重合した「アマ始元量」の粒子は濃密になり、次第に現象世界に定着してくる。それが物質や生命質に発展してゆく。

 

 

 大自然の息吹を友としていた古代人の直観は研ぎ澄まされていた。物質の背後に隠れている「アマ」の始元の量を洞察するほどのものだった。世界を構成する材料は「アマ」という粒子から、すべて、できている。この雄大なスケールを感じてほしい。森の木々や鳥たちとテレパシーで会話できていたと思われる。

 客観的で合理的なものを事実としてきた現代人にとって、科学的に検証できないものは存在を認めず、テレパシー能力もだんだんと衰えてきた。人や物、動物の氣持ちも分からなくなってきた。共振能力の著しい低下がみられる。科学の盲点にもなっているもうひとつの世界、存在を確かめることのできぬ世界を知ることが、これからの人類の発展の鍵を握る。

 

 カタカムナの記号はそれぞれの「アマ」の形を表わしている。「アマ」には心が通い、響きとして感じられ、それが日本語音をつくる元になった。日本語の一音になんとなく意味があるのではないかと感じた人たちが「カタカムナ」とか「アマの形」に興味を持つ。その「アマ」は作物がどう育つのかとか、病気という症状で体を自然治癒していく仕組みだとかを明らかにしていく。すなわち「カタカムナ」を知る古代人は現代の天文学、物理学、化学、生物学、心理学、医学、農学といったものをすべて網羅した「アマという学問」を確立したのだった。

 さらに、ここに衝撃的な事実が隠されている。現在の日本語の中で片仮名として親しまれている文字は実は「カタカムナ」の記号をルーツに持つ形だったことである。実際、「サ」「キ」「リ」「ヰ」「ハ」「ホ」「エ」「へ」「ラ」「ル」「ス」「ヌ」「ソ」「ン」の片仮名の形はカタカムナの記号とよく似ている。

 カタカムナの直観を歌によって述べているが、それをいくつかあげると「イサナミ」はアマの波動性、「イサナギ」はアマの固着性、「タカミムスヒ」は独立した形ある実体(物資)を生す根源、「カムミムスヒ」は形のない実体(心)を生す根源、「アマノミナカヌシ」は原子核の中にある意識体を表わしている。カタカムナは悟りの科学なので、楢崎皐月は「哲科学」と呼んだ。

 

 カタカムナの「カタ」は現象の世界に押される型(パターン)、「カムナ」は形のない世界の主の意味なので、「カタカムナ」とは現象世界に表れるさまざまな形は形のない(心の)世界の主から生まれるとか、現象世界は心象世界の片々の構造によって成り立っているという意味になる。

 

 現象世界と心象世界の一切のモノは「アマ」の始元の物理量(カム、後述)から醸成されている。「アマ」は微分化された粒子であり「マリ」として感じた。アらゆるはじマリを感じ、カタカムナの記号にしたためた。

 「アマ」はひとつの宇宙の球と捉えたのだが、その宇宙の球の外側は「マ」の形を生す「カム」というものに覆われている。「カム」から「アマ」という球が生まれる。そして、「アマ」の球はひとつだけではなく、いくつもあると観じていた。したがって、いくつもある「アマ」の元はすべて、「カ」から生まれる。「カ」が発展して「ア」になることは記号にも書かれている。

 

 

   

 

 図.「カ」という音で表されたアマの形

 

 

 

 

  

 

 図.「ア」という音で表されたアマの形

 

 

 

 私たちは宇宙を一番大きな概念だと考えるが、実際はそうではなかった。宇宙の外には心の世界というものがある。宇宙という物質的な概念と心という非物質的な概念を合わせて、楢崎皐月は「天然」と呼んだ。そして、天然からいくつもの自然が生まれていると考えた。違和感のない普通の状態のこと、目立たずに生存すること、敵から狙われずに安全に暮らしてゆくことを私たちの祖先は何よりも大切にしてきた。

 アマ始元量は相似象になっている。互いに似通う性質があるので、いろいろなものの展開していく型(パターン)が共通の形として識別できることに氣付いた。そういう共通した型を識別する直観が心象世界とそこから生まれるいくつものアマとそのアマの形をハッキリと見分けたのだった。見分けた後はヨソヤ(48個)の音にあて、形を響きに翻訳していった。そして、響きによって単語を造り、48個よりも多い形を48個の形の重なりによって認識できるように応用していった。動物や植物、物質、すべてのものに相似象が展開され、この現象世界を共有している。

どうしてインフレ(お金の価値が下がる)が起きるのか?

なぜお金の価値は一定に保たれないのか?

朝ドラで 20円とかいう大金が出てくるけど、
それが今の 20円と価値が異なる
(ひどく安く扱われている)のはどうしてなのか?


インフレ前とインフレ後では
お金の価値が全然、違ってしまうので、
借金をしている人にとっての
インフレは大変に都合がよい。

借金というのは銀行からお金を借りて
別のものを買うということなのだが
このもの持ち(お金持ち)たちが
お金を返したくないために
インフレは起きている。

お金の価値は常に一定の範囲内で変動する。

これが健全なお金の使われ方をしている状態だと思う。

インフレが起きて、揺り戻しが起こらず、
ずっと上がったまま、というのが異常なのだ。


公共工事では買い物(建設)を煽り
予算を獲得し、
お金を使う(民間に渡す)ことで
庶民の生活がうるおう、とされている。

しかし、その予算、どこからもってくるのかというと
もちろん銀行である。

お金を持っていないのに、
銀行から借金をして、ものを買ってしまう。

そして、銀行が銀行の外に出したお金が
かさばってくると ものに対しての
お金の価値が相対的に下がり、インフレとなってしまう。

この前は この値段で買えていたものが 
買えなくなり それがずっと続いてしまう。


揺り戻しが正常に起きてくるには
銀行からお金を借りて
無理な買い物をする人が減ればいいのだ。

借金をしている人は
はやく清算しよう!

「こめる」と言うときの「こ」は
あるものの中にさらに小さなものが
入るというイメージです。

たとえば「心をこめる」と言ったときに
あるおまんじゅうをつくるとしたら、
そのおまんじゅうの中にさらに
心が入る、というイメージになります。

「こ」を単体で発音すると「個」となり、
これは何かから切り離されて
独立した状態となり
いわゆる関わりを断つような
イメージになります。

ネバネバでいたものが
分離してバラバラに散っていってしまう
ような感じです。

合わせ鏡の二重式で
まるで自分が何かの中にとじ「こめ」られて
しまうような感じになります。

先ほどの例でいえば
おまんじゅうの中に「こも」ってしまうような。
(ここでの「も」は温かさを感じます)

「こまる」と言ったときの「こ」は
とじ「こも」るような感じにはなりません。

ちょっとイメージできないのですが
「こめる」よりも広さは感じられます。

ためしに「こまない」と否定すると
「混んでいない」の意味になり
広く、間が空いたような感じになります。

「こまごました」と連続で言うと
断ち切れたものがそこら中にありながら
まだ繋がりを保っています。

その繋がりは「ま」という器に入っている点で
共通しています。

「ま」という心の器は
繋がりを保つための状態と言えそうです。

「たまる」と「ためる」は
「ま」と「め」のわずかな違いしかありませんが、
このようなことばの音には合わせ鏡の仕組みがあります。

「め」は心の器を表わします。
器には目盛りがふってあり、どこまで水が溜まれば
外にあふれ出してしまうかの目安になります。

 (あふれ出すと八つ当たりになる。私は八つ当たり肯定派です!
  こういう考えの人は滅多にいなさそうなので同じ考えの人がいたらウキウキしてしまいそうです)


「ま」は心の器の中に入る水を表わします。
日々「出来事」という水が注がれます。
嬉しいこと、楽しいことは、心を潤す水ですが、
怒りや悲しみも、強い意志をつくる水になります。

「め」には意思があり、
「ま」は器の堺がない水になります。

すべてがすべて「ま」で満たされており
心を共有する鏡になっています。

心には「ま」という状態と「め」という状態があります。

意思を働かせたり、外側の何かから守ったりするのは
「め」の役割です。

何も働かせず、だまったままにしておくのは
「ま」という状態です。

古来、日本の神学の概念では
「ま」は アマノミナカヌシ を指し、
「め」は アメノミナカヌシ を指したといいます。

略して アマ アメ と言いますが
どちらも共役している形として
ヤタノカガミ図象に表わしました。
 

背景を共有する

人が立ち、その周りに背景がある。
その周りの背景に、たくさんの人がいる。

背景はそれぞれの人が共有しているものであり、
人々をひとまとめに包んでくれる。

背景からエネルギーをもらい、
余計なものを背景に返す。

呼吸のように、エネルギーが
それぞれの人と背景の間で循環している。

背景から受けるエネルギーの影響は絶大であり、
感受性は背景によってもたらされる。

美しいと感じたり、おぞましいと感じる。

人と人は一見、違うように見えて
背景を共有するという点においては同じである。

ただ、背景を背にした時の
それぞれの行くべき方向性が異なっている。




  方向性を表わす記号「へ」

 それぞれの「ヨ」を開いていく。





     「ヨ」の記号

 ヤタノカガミ記号では
 「へ」と同じ位置に小円が置かれている。




何かものを見る、現象とは背景であり、
見るという動作は主体的な行為であり、
それぞれの人に依存している。

現象と背景との間には
エネルギーの授受が行われており、

現象は背景に戻され、
背景から現象が作られる。




背景の蓄積

背景は過去からのものが蓄積されて
現象になる。

であるから現象とは
これまでの時の流れと
背景の移り変わりが
蓄積されている。



カタカムナの歌に出てくる単語

 ツミ ・・・ 積み上がって感じられるもの

書き写していて思ったのですが、発展とは何なのでしょう?

これは悪しき慣習なので、削除しました。

何をもって発展というのか、全然、分かっていないと思います。

 

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 終戦六十年を迎えるにあたり、私たちが現在、享受している平和は戦争によって命を落とされた方の犠牲の上にあるものなので、もう二度と戦争への道を歩んではなりません。先の大戦では三百万余の日本人が家族を案じつつ遠い異国の地で亡くなられています。また、我が国はかつて植民地支配と侵略によってアジア諸国の人々に対して多くの損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、心からの反省を表明します。内外のすべての犠牲者に哀悼の意を捧げます。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と武器を交えずに、世界の平和に貢献していきます。戦後、我が国はサンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会へ復帰していく第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODA(Official Development Assistance:政府開発援助)や国連平和維持活動を通じて世界の平和のための物的・人的な貢献をしてきました。
 我が国は戦後生まれの世代が人口の七割を超えました。日本人はひとしく自らの体験を通じて国際社会の平和を心から希求します。世界各地で青年海外協力隊で活躍する日本人は現地の人々から厚い信頼を得ています。アジア諸国ではかつてないほどの経済的な交流が拡大しています。とりわけ一衣帯水(川を隔てて隣り合うほどの地理的な近さを表現する時に使われる例え)の地にある中国や韓国とは、ともに手を携えてアジア諸国の平和を維持していくことが必要です。過去を直視して、歴史を正しく知り、相互理解と信頼に基づき、建設的な協力関係を築こうと考えています。
 現在の国際社会はテロの温床となる貧困問題の解決、地球環境の保全、大量破壊兵器の不拡散など、かつて想像もできなかった複雑な課題に直面しています。我が国は平和に貢献するために不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験を踏まえ、国際社会での役割を果たしていこうと考えています。戦後六十年という節目の年に志を同じくする国々とともに人類全体の平和を実現するため力を尽くすことを表明します。

あぁ、だからデフレになったのか。
なんとなくカラクリが分かったよ。

ラジオの放送を記事にしてくれた人がいまして、
それを筆記しますね。

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ラジオのMCを務める参議員(院)の泉房穂。
国会議員に泉房穂が直接オファーして対談する番組。
国会議員のゲストとして呼ばれたのは
立憲の安住氏と自民の園田氏だった。

園田氏と泉氏の対談が始まった。


「僕は消費税は廃止するべきだと思っているんですが、園田さんは消費税に関してはどない風に思ってはるんですか?」

園田
「消費税と云うのは第二法人税だったんですよ。当時、消費税を始める前は法人税が40%だったんですよ。しかし問題は法人税を払っているのは黒字の企業だけで、赤字の企業は法人税を払っていなかった。それは不公平だと云うので、どうすれば赤字の企業からも税金が取れるか? と云う事で考えたのが、第二法人税としての消費税だった訳です。ところが消費税が始まると黒字の企業は40%の法人税に加えて消費税も払わなければならなくなるので、それは困ると云うので第二法人税である消費税の分、法人税を引き下げた。 と云う事で今、消費税は10%に上がり、法人税は40%から23%にまで下がった訳ですが、そこまで法人税が下がると黒字企業は利益を投資したり、社員の給料を上げたりに使わなくなってしまったんですね。法人税が40%の時代には企業は高い法人税をなるべく払わなくても良いように、設備投資したり社員の給料を上げたりして黒字額を減らして節税していたのが、法人税が安くなったので無理な投資をしなくなった。だから日本企業の剰余金が消費税スタート前の数十倍に膨らんで、社員の給料も上がらなくなってしまった。だから日本を活性化して復活させる為には消費税を廃止して、法人税を昔の様に40%に戻すべきだと、思っています。」

時間が経つごとに何かが生まれるようで
それは植物の果実に似て、うまみがあるものです。
今日の草場さん(陶彩画家)の投稿を筆記します。

 

草花や果実は

カタカムナで言うところの天然成分だと思いました。

 

それに対しての

周りの環境との関りで自然観が醸成されていくんだと。

 

後半は筆記しているうちに自分の思い付いたことばになりました。

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誰もが演者であり、その観客です。
生きる時間が刻々と果実のような実りをもたらしてゐます。
野の花はどうやって蕾をつけますか? 

子どもの頃は誰かや何かの役に立つかどうかに関係なく
「やってみたい」という衝動で動いてゐました。

ただ残念なことに
大人になるにつれ「役割」「効率」「知識」という罠にはまり
いつしか刻々と実る草花や果実のことは忘れてしまいます。

 

果実は「やってみたい」という好奇心です。

やったあとに意味を見い出します。

 

やる前から意味がないと決め付ける風潮を

打破する必要があるのではないでしょうか。

 2021年(令和三年)6月15日、自費2000万円を投じたの澄川誠 社長(昭和食品工業株式会社)の意見広告が日経新聞に掲載されました。以下はその内容なのですが、免疫という概念についてはかなり世間的に誤解があるので、その部分は端折っています。あとは、すべてメディアの誘導によってコロナ禍の騒ぎが引き起こされたので、その部分は補足として入れておきました。あと、こういった主張には神秘思想(実現できていないのに実現したかのように話してしまうこと)が紛れ込み、事実と考えの区別がつかなくなってしまうため、その部分もカットしています。石破首相が戦争に突き進んだ経緯について振り返っておられましたが、今回もまた、歯止めの効かなかった世界的恐慌でした。
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 繰り返される緊急事態宣言自粛要請によって心身ともに疲弊し、前向きな心が蝕まれていく。焦燥感、不安感が募るばかりです。当社は福岡と熊本でうどん、そば、ラーメンの飲食店31店舗と工場1つを経営している「昭和食品工業株式会社」です。地域のお客様に愛されて創業53期を迎えることができております。しかし、政治による「営業時間短縮」「休業要請」「緊急事態宣言の延長」「税金を使っての飲食店のコロナ対策の調査」もう終わるだろうと思ていても次第にエスカレートしていく対策には黙っていられません。中小企業に対するイジメですか?
 世間では感染者という言葉だけが一人歩きしています。一口に陽性と言っても暴露者(ウィルスが付いているが感染してゐない)、感染者、無症状感染者(感染しているが発症してゐない)と区別しなければならないのに、陽性者=感染者 として報道されています。また、検査数に対する割合で言わなければ感染者の増減は測れないのに感染者の数だけを毎日、日めくりカレンダーのように過剰に報道し、無駄に地域市民の恐怖を煽っています
 PCR検査で陽性反応の基準値(Ct値)というものがあり、検体(ウイルス)を増幅して個体数を検知するのですが、WHOの見解では35以上増幅すると感染力のないウイスルのカケラも拾い上げてしまうので「意味が無い」と言ってます。感染力のあるウイルスは20以下の増幅に抑えるべきです。それなのに今の日本ではCt値は40前後で行われています。陽性反応が出てもそれは感染者とは限りません。それなのに「感染者が増えた」「自粛、緊急事態宣言」と世間を騒がせています。
 今回の新型コロナウイルスの指定感染症の分類はSARSや結核と同じ「第二類」になっておりますが、2020年2月13日の東京医師会ではインフルエンザと同等、もしくはそれ以下の脅威と発表されました。この場合は「第五類」になります。実のところ医療崩壊はこの「第二類」の指定と無意味なPCR検査によって引き起こされています。また、今回のインフルエンザはなぜか世界では軒並み激減しています。一体、どうなっているのでしょうか?
 スウェーデンではアンデシュ・テグネルさん(免疫学者)がコロナ対策の指揮を取り、ウイルスの特性を正しく知らせ、市民と議論を重ねることで情報を共有しています。日本の政治家たちはマスコミに同調して自ら陣頭指揮を取ろうとせず、恐怖を煽るばかりです。ドイツやイングランドの130万人規模のデモが起きたのは去年八月のこと。プラカードには「マスクを外せ! コロナは詐欺!」と書かれました。スウェーデンではロックダウン、営業停止、外出の自粛、三密、ソーシャルディスタンスといったものはありません。マスクもしていない。日本は何をしているのですか?
 主権は国民にあるはずです。メディアや政治家にあるのではありません。正しいことを知ろうとしない我々も悪いのですが、メディアだけを鵜呑みにするのではなく、我々もまた納得できるまで情報を集め、客観的に自分でコロナについて評価したり、職場や学校、市役所などでよく話し合うべきだと思います。

 先の世界的な戦争から50年が経ちました。あの戦争によって犠牲となられた多くの人々に思いを馳せると胸が詰まる思いです。戦争に負けた日本があの焼け野原から幾多の困難を乗りこえて今日の平和的な繁栄を築けたのは私たちの誇りです。平和のための国内のたゆみない努力に私は心から敬意の念を表します。アジア諸国、米国、欧州諸国との間の友好的な関係を築き上げるに至ったことを喜びたいです。
 平和で豊かな私たちはややもすればこの平和の尊さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを二度と繰り返すことのないよう戦争の悲惨さを若い世代に伝えていかねばなりません。世界の平和を確かなものとしていくためにはまずは近隣諸国との間でお互いの痛みを深く分かち合い、信頼にもとづく関係を築いていかねばなりません。政府は特に近現代の日本の歴史研究を支援し、平和的交流の事業を展開していきます。現在取り組んでいる戦後処理問題についてはひき続き誠実に対応していきます。
 いま、戦後50周年の節目に当たり銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことです。わが国は過去の一時期、国策を見誤り、戦争への道を歩んでしまい、市民を存亡の危機に陥れ、日本の植民地支配によってアジア諸国の人々に多大な苦しみを与えました。私は、未来に誤ち、無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からお詫びいたします。また、日本の近代史がもたらした内外のすべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えたわが国は独善的なナショナリズムを排し、平和の理念である民主主義を押し広めていかねばなりません。同時に、わが国は唯一の被爆国としての体験を踏まえて核兵器の世界的な根絶を目指し、世界的な軍備の縮小計画を積極的に推進していくことが肝要です。これこそ過去に対する償いであり、犠牲となられた方々の御霊(みたま)を鎮めるゆえんとなるを信じます。中国のことわざでは「杖(よ)るは信に如(し)くは莫(な)し」と申します。この50年の節目に当たり人々の信頼を築いていくことを施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いといたします。


杖るは信に如くは莫し

 「頼るべきもので信にまさるものはない」という意味であるが、この言葉が生まれたエピソードはもっと複雑な状況であった。

 紀元前六世紀の中国、鄭という小さくて弱い国があった。この国は大きくて強いふたつの国(晋と楚)に挟まれていた。そのふたつの国は仲が悪く、どちらも「おれの子分になれ」と迫ってくる。やがて南の楚が攻めてきた。国の指導者の意見は真っ二つに割れ「とりあえず楚に降参して切り抜けよう。晋が聞いたら怒って攻めてくるだろうが、その時はまたそっちに降参するのだ」と言いました。これに対し子展は「楚も強いけど晋の方がもっと強い。あちらに従いましょう。杖るは信に如くは莫しです」と言ったのだった。子展のいう「信」は人間的な信ではなく、親分に対する信であった。親分を信じれば助けに来てくれることを期待しているのである。だが結局、子展の主張は通らず、鄭は楚に降伏し、怒った晋が翌年攻めてきた時、鄭はまたそっちに鞍替えしたのだった。