以下は「日本の上古代文化」という冊子の書き写しになります。
しかし、そのままの文を書き写したわけではなく、それを読んで、
自分としての解釈を書いたものです。
カタカムナについて書かれているので
カテゴリーとしては「相似象学会誌の書き出し」に入れておきます。
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「マリ」の重ね記号は「マワリ」とも誦み、
「ワ」を重ねたとしても「マリ」の記号の形は変わらない。

図1. 「マリ」を表わす記号
「ワ」は循環を表わし、
現われては消える「マリ」の規則的な循環を説いている。

図2. 「ワ」を表わす記号
「マ」はすべての「マリ」が統合された静の状態にあり、
「マリ」は「マ」から分離して時間(目の前)と空間(後ろ)を分け、
それぞれの正反が互換している動の状態にある。

図3.「マ」を表わす記号

図4.「マ」が「リ」という状態になった記号
静(マ)はシヅマリと言い、
たくさんの客体から自分が見られているという意識(集合意識)に基づく。
動(マリ)はタカマリと言い、
自分が客体を個別に見ている意識(観客意識)に基づく。
そして「マ」から分離した観客意識に基づく「マリ」でも
アツマリ(社会構成)になると静として振る舞う。
そして、すべてのマリを集めると「マ」に統合される。
「マワリ」という言葉の意味にも静と動の両面がある。
静のマワリは円周(長さ、空間)を意味し、
動のマワリは回転(速さ、空間の時間微分)を意味する。
ワ(大円)を縦に区切る線は時間(微分)を意味しており、
ワが微分されてイマという状態が現われる。
時間は観客意識(動のマリ)として目の前に現われ、前と後ろで旋転し、
前と後ろが分離してゆき、後ろに自分の空間が作られる。
この空間は観客に見られることはないカム(形が無)の状態である。
ワの大円を横に区切る線は
空間(自分の後ろ側の空間ではなく客体としての空間のこと)を意味しており、
微分されたマの旋転(イマ)が横に広がっていく様子を表わしている。
これをイマタチとかイマの統計的存在性と呼んでいる。
ところが、これを集合意識的な見方にすると、意識の逆転現象が起こる。
横の線は前と後ろの空間(上と下の半円)で反転(旋転の静止バージョン)しており、
縦の線で前にあったものは横の線では後ろに配置される。
自分のイマという時間が後ろにある状態(過去という意識状態)になる。
こうなると 観客に見られている自分の意識 は静まり返る。
この意識の状態では言葉も出ず、何かに対して具体的に働きかけることも出来ない。
ただ、自分の存在の電氣的な波動(人体波)が
周りに対してシヅマリという静かな影響を何もしないながら与えている。
さながら老子の言う無為自然に近い状態である。