縦と横の違いを感じ分けるには | カタカムナの共鳴

カタカムナの共鳴

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「イキモノ」 と 「モチモノ」 の間

カタカムナ図象は 〇 と 十 から出来ていますが

今回は 十 を構成する 〇 の図を書く

「カ」と「チ」の思念について

検討していきたいと思います。



まずは それぞれの図を見てみましょう。



   カタカムナ図象の「カ」





   カタカムナ図象の「チ」




大きな 十 に対して 小さな 〇 が配置されています。

違いは 〇 の位置です。

右にあるのか 上にあるか で

 十 の違いを 識別してください と言っています。



 十 を構成する 横の線 は 地平線 です。

縦の線 は 人が立って 〇 を見ている形です。

このことは 相似象誌3号 にも記載がありました。


  地 の上で暮らす 人 人 人


家を建てたり 作物を育てたりしますが

ここでは 人 が 地の上に立ち 

見ている という 単純な構図を採用しています。



 十 というのは 人 がひとりで立っています。

それに対して ふたりの人が立つ図もあります。





   カタカムナ図象の「サ」



地平線はあるけれど 誰もいない図もあります。





   カタカムナ図象の「タ」



「タ」の思念は 分離 独立 と伝わっています。

何から分離し 何から独立したのでしょう?



相似象誌 では すべてのものは アマ から生まれ

アマ に還る と言います。



ですので 「タ」という図は アマ から分離して

独立する という思念であります。



「アマ」ではないもの 「アマ」と向き合うものを

「カム」と表現しています。



ですので 「タ」の図は アマ から独立しているわけですから

「カム」という状態におかれています。



また 「アマ」ではないものの別の表現として

「アマナ」と言うこともあります。


さらに 別の表現として 「アメ」と言うこともあります。



こうした アマ から独立した 単語 たちは

確かに アマ から独立しているんでしょうけど

それぞれ 特徴があり 名前がつけられている

と推察できます。



とにかく 「タ」 は アマ から分かれて生まれた

「カム」 であり 「アマナ」 であり 「アメ」 なのです。


それに 「タ」 をふたつ重ねて書けば 「多」 になり

数の多いという意味になります。


確かに アマ から分かれると 単語 の数が多くなるようです。



ところで 十 の縦線をあらわす 人 は

アマから独立した存在なのでしょうか?



ここがよく分からない所です。



しかし 音の響きから察するに ひと つにまとまり

人 と呼んでいることも考えられます。



アマ から分かれた

カム アマナ アメ を内包した ひと つにまとまった状態です。



すべての始まりは 「アマ」 から端を発します。

そして アマ から独立した状態を 総称して

「モノ」と呼んでいます。



「モノ」 と響いた時の 思念 には情緒があります。

 もののあはれ  わびしさ  さびしさ  が

そこはかとなく 漂います。


心が通い合っているような 氣 がします。





そうそう 心 というのも 古代語 でありました。

 十 のうちの 縦と横の線が交わる 中心 を

ココロ と呼んでいるようです。



さらに その ココロ の中身が分かる という図があります。

 十 を開いた図で あらはすのですが




   カタカムナ図象の「ヰ」



という 現在は あまり使われなくなった 仮名 です。

平仮名では「ゐ」と書きます。



さらに片仮名の「ロ」は ココロ の「ロ」でもあります。

十字が開いた 中心部分も 「ロ」で出来ています。



であるなら このカタカムナ図象も「ロ」なのでは? 

と思うところですが 「ロ」には 「ロ」のカタカムナ図象が

割り当てられています。




   カタカムナ図象の「ロ」




ここでは「カ」と「チ」の小円の違いを識別する

という題名で 書き綴っておりますので

これ以上は 深入りしないことにします。



まずは 横線 と 縦線 の違いを 感じ分けなければ。



「カ」は カタカムナ図象は無しにして

響きだけを感じて 思念 があるとすると

どんな思念でしょう?



これについては よく考えました。



「カ」というのは はるか遠いもの を指しています。



すごく憧れている人がいたとして

 かのように振る舞う

という言い方をしませんか?



その 雲の上の 憧れとなるほどの 遠さ が

「カ」にはあります。



それに対し 「チ」 は ものすごく近いこと を指します。

近くまで寄って 眺める という意味です。



顕微鏡のような思念なのです。



どんどん近づいて 見てみるような



そうすると そのものは どんどん 小さな部分に

分かれていきます。



「ちょっと」 という 控えめなことばの言い回しも

小さなことを 扱うような 気持ちが込められています。



ちなみに わたしは 「ちょっと」と言うことが 口癖です。

無意識に使ってしまいます。



それは さて いいとして

「カ」の思念は どこまでも遠い という思念

「チ」の思念は どこまでも近い という思念

であることが分かりました。



それでは その感じを元に カタカムナ図象を 見てみましょう。



「カ」は 横線(地平線)の端に 〇 がついています。

「チ」は 縦線(人)の頭の上に 〇 がついています。



地平線を眺めるのは 遠くて 大きなものを見ることになりますので

カタカムナ図象 と 「カ」の思念は 合っていそうです。


人の頭で考えることは ささいなこと なので

「チ」の思念も 合っていそうです。


大きなことを 頭で考えると どうなってしまうのでしょうね?


これは 謎として とっておくことにしましょう。


それでは また。