相似象学会誌三号より
我が国の上古代人は「唯物」とか「唯心」のような「相対的物理観」ではなく
現象潜象(天然自然の存在)の一切をすべて<モノ>として統一したのであり、
文字通り絶対の唯物観を持っていた。
と書いてあるのですが、
一体、何を言っているのか、よく分かりませんでした。
相対と絶対・・・何が違うのだろう。
何日か考えていると
同じ意味を違うことばで言いあらわしている、と氣付きました。
その氣付くキッカケは
最近の寒暖の差が激しく、ずいぶんと波があるなぁ、と
思ったことから
この波は ナギ というカタカムナ図象の形もあらわしていると
思い立ちました。

「キ」をあらわすカタカムナ図象
地平線を象った横線に上下の波があるという記述。
上であれば冬のような気候、
下であれば夏のような気候をあらわす。
波があるから ナギ もある、ということではなく、
波も ナギ も同じ意味だった、
ということです。
そのようなことが別の個所にも書いてあった。
相似象学会誌三号より
直感によれば、一切の物は動的性質を有し、
動態に対する統計的静の性質があることを把握していた。
小さく見たら波があるが、大きくみれば止まっている、という性質のことです。
「統計」というのは別の個所にも出てきます。
相似象学会誌三号より
今は恒に存在するモノでありながら「今」といふ固有の存在はない
いはば「時間空間的な統計的存在性」のこと
個々うつり変わりの相を固定静止の観念で把へるところにアヤマリがある
つねに「変遷の統計的存在」としてみるべき
そうすると固定した考えも柔軟に変わり得ると思えます。





