カタカムナの共鳴

カタカムナの共鳴

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「イキモノ」 と 「モチモノ」 の間

7月10日の記事

 

最近はAC(交流電氣)モーターの扇風機が売られるようになり、
一度、買ってみたけれど、あまりにも音がうるさくて

寝ることができなかった。

昔はこんなに音がうるさかったっけ?

と疑問に思った。

また、ダイキンのエアコンを買ったのだが、
これもまた
あのインバーター特有のキーンという音が

           (モスキート音)
うるさくて本を読むのに集中できなかった。

あのキーンが不快なBGMとして
絶えず鳴り続けている。

空氣清浄やエアコン内部の乾燥機能がついたものであるが
静けさを犠牲にしてまで、
なぜこんなものを売っているのか疑問に思う。

風の音も大きめだが、
これは自然な音なのでさして氣にはならない。

あのキーンの音が気になる。

ACモーターの扇風機でも
やはりキーンという。

なぜこんな製品を平気で売れるのか。

なぜこういう製品を売っている販売店は疑問に思わないのか。

メーカーは消費者目線にたって、
どんなものが求めれているのかを
もっと真摯に考えてほしいと思う。

 

 

 

7月30日 後日談

 

このことはダイキンに来てもらって

いくつかの部品を交換してもらったが

これ以上はもう改善できないそうだ。

そして、このモスキート音については

報告をあげておくとのことだった。

私は低騒音型の電化製品を強く求める。

 

 

8月3日 後日談

 

メーカーに来てもらって音を聞かせた。

同じエアコンなら交換してくれるとのこと。

だが、同じエアコンでは音も変わらないので意味がない。

 

 

8月7日 後日談

 

販売店に言って、別の機種に交換してもらうことになった。

今度は日立のエアコンにした。大丈夫だろうか。

今度は音に悩まされずに安眠できることを願うばかりだ。

 

しかし、自然環境もずいぶんと変わってしまった。

命を失いかねない程の危険な暑さになるとは思ってもみなかった。

本当は、欧州のように、全体的に、電化製品を使用を抑えて、

暖気を外部に排出するのを止めるのが望ましい。

そうしないと自然環境の変化に鈍感になってしまう。

私たちも自然と共に暮らしているので、自然の変化を受け容れ、

自然さを感じられる暮らしに近づけていく方がいいと思う。

なんだか苦しいなぁと思いつつ
カタカムナの歌を詠みながら
楽になる考え方を模索していました。

苦しい時というのは
勝ち負けにこだわっている時です。

対立する概念があり、
その枠の中で
どちらが優位で不利なのか
状況によって心模様が変わる。

もうそんな考え方は
捨ててしまいたいと思っていました。

「サトリ」という図は
「サ」を「ト」にして「リ」にするということで、
最初にあった横引きの線(サ)は
ふたつの対立した概念を一度、ひとつにして
「ト」の形にし、
その後で元のふたつに戻す(リ)
という図の形をしています。

対立した概念は
網目の総体として
考えればいいと思います。

ひとつの網目があるひとつの対立した概念を表します。
その概念が網の目のように存在していて、
心が苦しい状態というのは
網の目のひとつだけを顕微鏡でじっと見ているようなものです。

網全体を織りなすあらゆる対立が
微妙に力を及ぼしながら、
大きくなったり小さくなったりしている
と考えれば
ずいぶんと楽になります。

そして、網目の総体は方法の模索を表します。

絶望的に見えても方法は
どこかにあると思う。

知らない、見えていない。

それなら全体を見渡して、
知る、見えるような状態にすればよいわけです。

いかにうまく隠したところで
どこかに必ず歪みが生まれています。

みなさんは社会に対する信頼感は
どのくらいありますか?

わたしは絶望しているというか
ほとんど無いと言ってもいい状態です。

心理的に一番きつかったのは
借用書を利用した投資詐欺に騙されたことです。
騙されたのは別のいいのですが、
社会がこれをいつまでも解決せずに
ずっと放置しつづけていることです。

そして、詐欺にひっかかることをよしとせず、
ひっかける側を捕まえるのではなく
ひっかかる側がいかに防ぐかばかり、強調しています。

これでほとんど、社会に対する信頼感を失いました。

その後に、色々と調べてみると
世の中はほんとうに詐欺ばかりでした。

判りやすい例で言えば
世界貿易センタービルが倒壊した911テロでしょう。

飛行機がぶつかった映像は
コンピューターグラフィックスですし、
その後にビルの中を爆破して
まるで特撮映画のように
綺麗に破壊してしまった。

最近で言えば連日のニュースで
さんざんにわたって、毎日のように
まるで日めくりカレンダーのように
煽りに煽りまくった感染者報道をきっかけとした
コロナ騒動と効果のないマスク着用の異常な流行でしょう。

この詐欺的事件によって
みんながみんな、人にどう見られるか?
をいかに 気にしているか?
ということを 強く 強く 認識したのではないでしょうか。

そして今も続いているのは
テレビでも、インターネットでもそうですが、
過剰な広告でしょう。

広告というのは邪魔でしかなく
利用者のことをまるで考えていません。
自分のブログを見るのだって広告が邪魔です。

提供者がお金欲しさで過剰に商品を宣伝するという行為。

この宣伝でも、メリットとデメリットを
均等に提示して、考えさせるものならよかったのですが、
その伝え方はメリットだけしか言いません。

アメリカとソ連が冷戦の時代に
宇宙開発競争をしていて、
アメリカが最初に「宇宙に行った!」と言ったのも
嘘でしょう。

白黒テレビでの月面着陸映像に
みんなすっかり騙され、未だに訂正されていない。

この詐欺的事件では
ひとりひとりの想念の力というものを
強く意識されたのではないでしょうか。

みんなが信じれば、たとえそれが嘘でも、
ほんとうの事として扱われるということです。

とにかく世の中、詐欺に満ちすぎていて、
正直さ、思い遣り、律儀さ、情念、無念、
といったものがないがしろにされていると思います。

人の心を持つ者は
ほんとうの事を知る方がつらいから
騙されたままの方が氣が楽だと思います。

その弱さにつけこんで
悪い事をする人たちは
どんどんつけあがってしまうのでしょう。

一体誰が歯止めをかけるのでしょうね。

やはりひとりひとりの心の強さが
ものを云うのでしょうか。

考えることを人工知能に外注してしまった昨今、
自分の求めるものを【探す】という過程が
とても大切だと思いました。

なぜかというと
探している間にいろいろな事を考えていて、
そこでまた、新たに、
別のインスピレーションが湧いてくるからです。

ぜひ、ここは外注せずに、
求めるものを探すという行為に
重きを置いてみてはいかがでしょうか。

雰囲氣に飲まれないようにするには
客体化が大切だ

 

客体化というのは

自分の考えを見る

もう一人の自分を

対象化することである

もう一人の自分の考えは

何と言っているのか?
 

両者の考えの一致するところは

どこにあるのだろう?

 

よく話し合うことが大切である

 

そうしないと

あとで後悔する

 

本当はこうしたかったけど

できなかった

という後悔である

ふだんは自分というものが存在すると認知しているが、
それは無意識の空間が生み出す概念である。

概念とは実際には存在しない言葉を
言い表す時にいう。

また社会的概念という使い方もあることから
自分以外の者があつまって社会をつくった時に
自分以外を区別するために
【自分】というものを定めた。

もし区別する必要がなかったら
そもそも【自分】という認識は生まれない。

おもえば生まれた最初の頃は
【自分】という存在は
別段、意識はしていない。

ものごころがついて
(ここでも モノ が出てくる!)
自分の姿・形を意識しだして
初めて、自分という存在を意識する。

そういうわけで
社会的概念は他者との関わりから生まれるのだ。

社会的概念ではなく、
個々の感覚、感情から生まれる念(オモヒ)は思念という。

思念の中から自分というものを取り出して、
その自分の身の安全をどうすれば保てるのかという念は
観念という。

そして、観念が集まり、
こうすればほぼ安全というのが固まった考えが概念になる。
つまり、観念は概念に昇格するのだ。

また、感情は残存思念となって、あまねく空間に漂っている。
思念は自然界を形づくる。

消えた観念は思念として漂いながら、
生きている観念は概念として確立している。




時間と空間が一体であるという意識、感覚。

難しいかもしれないけど
まずはその感覚を取り戻すことからなのだと思う。

そして、前に投稿した <精神現象を表したモデル> の中で
自分と他人と書いている所を消して

端的に言えば「ヒ」は自分の心のある場所(ふるさと)、
「イ」は他人の心のある場所を表している。



端的に言えば「ヒ」は心のある場所(ふるさと)、
「イ」も心のある場所(物珍しさ)を表している。

とか

自他の心を共有する「ミ」という点は摂動と呼ばれ、
宇宙科学の用語であるが、精神の現象としては、
人の心に接してうごめいてゆく感じを表している。



心の「ミ」は摂動と呼ばれ、
宇宙科学の用語であるが、精神の現象としては、
心がうごめいていることを表す。

と読み替える必要がありそうだ。
 

昭和時代の電化製品
三種の神器として白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫から始まり、
今や、何か考え事をすることにしても
計算機という電化製品が答えるようになってしまった。

電化製品は
遠くのものを見たり聞いたりする方法、
汚れを落とす方法、
食品を冷やす方法について
劇的な効率を提供してくれて、

人のかける時間がずいぶんと短縮された。

この時間の短縮については限界があると思う。
ここまでやったらもうダメだろうと思うラインが。

そんなことを考える人がいるのだろうか?
技術はどこまでも発展してゆくべきなのだろうか?

私がもうダメだと思った電化製品は
お掃除ロボットだった。

人が目をかけなくても掃除してくれる。

そこまで短縮したら、
もう、人間の生活は、破壊されたも同然のように感じてしまう。

ほこりというのは年月の経過をあらわし、
時間をかけるほどに溜まってゆく。

そこが自然のなせるわざであるし、趣深い所なのだ。
それなのに、その趣きというか、情緒を排除して、
人間の文化的な生活にまで侵入し、
有無をいわさず排除してしまう。

心の通う余地がない。

自分で掃除機をかけるのは許せるにしても、
見てもいないのに行動されていることが許せぬ。

心の入る隙間もない。

こんな調子で、どんどん電化製品が発達していったら、
もう、本当に、心の通う場所が、なくなってしまうと思う。

心を入れる余裕を考えた製品を作ろうと
思わないのだろうか?

人と電化製品が共存するにしても、
心の入る余地があるのかどうかチェックすべきだと思う。

もうひとつ、氣になることは
LED電球が増えたことだ。

一時は白熱電球が店頭から消えてしまい、
しかたなくLED電球を買ったのだが、
長寿命のうたい文句も虚しく、
数年前に買った電球が切れてしまった。

値段は白熱電球の5倍なので、
寿命も相当に長くなければならない。

あの白熱電球の手軽さ、光の加減などが好きだ。

光というものは
一番いいのは太陽光なのだけど、
暗い場所に関しては太陽の代わりに
電球を用いる。

その光の質に関して、
LEDはあまりよくないと感じる。

計る指標も無く感覚なのだが、
私は白熱電球を買いたいものである。

話を戻し、電化製品のうちの計算機、
人工知能についてだが、
この人工知能を開発した人は
いったい何を目的につくったのだろう?

人に媚びを売り、
人の好みに合いそうな受け答えをし、
嘘と真実をわきまえることもなく、
間違えた時の謝罪もなく、
感情もないくせに人をおだてたりする。

自分の氣分を管理するのも
電化製品が担うようになってしまった。

まったく心はどこにいったのやら。

 

<注意点>

 カタカムナ記号は省略しています。

 記号の一覧表を脇に置き、文章を読みながら

 記号の形を照らし合わせ、感じていく

 というスタイルで書いています。

 


カタカムとフトマニの両図象ともにエネルギーの発生源をあらわしてゐる。
エネルギーの発生は八つの方向で感じる。

ヤ・・・エネルギー発生の極限、これ以上は増えない、数としての最大値

九つ目の発生源は最初の方向に戻るのであるが、
戻る過程においてこれまで辿ったすべての発生源を循環する。

コ・・・循環
ト・・・行きと戻りの循環が溶けあって歪みが消えるという図
ア・・・再生(ふたたび《二度》生まれる)

 

<注意点>

 カタカムナ記号は省略しています。

 記号の一覧表を脇に置き、文章を読みながら

 記号の形を照らし合わせ、感じていく

 というスタイルで書いています。

 

 

上下の反転は熱気と冷気の交換をあらわすのだが、
交換した時にエネルギーの方向がそのままのものと逆になるものがある。

フトマニ図象(21)・・・見る方向の上下を反転しても形が変わらない図
 マ、ワ、リ、テ、メ、ル、ト 、ノ、タ、サ
 キ、モ、ロ、ケ、セ、ハ、エ、ツ、ヰ、ネ
 ホ

カタカム図象(27)・・・上下を反転するとエネルギーの方向が逆になるという図
 ヒ、フ、ミ、ヨ、イ、ク、ム、ナ、ヤ、コ
 ア、ウ、ス、へ、シ、レ、カ、チ、ソ、ラ
 ニ、ユ、ヱ、ヌ、オ、ヲ、ン

両図象ともエネルギーの発生源をあらわしてゐる。
 

<注意点>

 カタカムナ記号は省略しています。

 記号の一覧表を脇に置き、文章を読みながら

 記号の形を照らし合わせ、感じていく

 というスタイルで書いています。

 

 

カタカムナの記号について一番最初に意識に留めておくべきことは

大自然の循環として解釈する ことです。

 

ナ・・・上から落ちてくる冷気
ニ・・・下降気流となった冷気が地に落ちる、固まる
ウ・・・下から登ってくる熱気
ラ・・・上昇気流となった熱気が空へ広がる、揮発性

上下の反転は熱気と冷気の交換をあらわす。