4号P100
「ア」とはすべての始元が「アマ」であることを指すヒビキである。「アマ」から「アヤ(現象世界に存在するが捉えがたいもの)」にも「アカ(我々の目に明らかに見えている現象)」にも変遷してゆく。すべての物には正(アカ)と反(アヤ)がある。電氣粒子(イカツ)にも正(サヌキ・男)と反(アワ・女)がある。そして、それら正と反の背後に潜象(カム)の「アマ」がある。万物の正反性の根源は「ア」から生まれた「マ」であることをズバリと掴んでいる。「ア」というのは感嘆の音であり、安堵の音であり、最も切ない時に発する音であり、世界共通の響きとして知られている。アらゆる感情の母體であり、日本民族の感情がすべてこもっている。オドロキ、オソレ、ナゲキ、カナシミ、アハレミ、アマエ、アコガレ、ヨロコビ、オチツキ、ウナヅキ、イノリなどの感情を表はす。であるから「ア」は人の心の一番奥底にある音の響きなのである。
「ア」には器と中身の意味があり、低い声で「アー」と言えば、それは分かっている、という意味になる。高い声で「アー」と叫べば驚きとなり、器に入りきらずに中身が外にこぼれ落ちた感情になる。もうどうすればいいのか分からない、といった感じである。
日本人の民族的な連帯感は「アー」から生まれるそれぞれの感情の「マ」を「アマ」に託して、「アマ」というものをみんなが共に持ち合う「オヤ」として感じ入るところにある。難しいリクツは分からない(アヤになっている)けど、誰にでも分かる氣がしてゐる日本人の無意識の哲学は、さて、それを外国人にリクツや感情で理解させようすると、非常に困ったことになる。どうやって「ア」を説明すればよいのか・・・当の日本人でもハッキリとした認識が無いのであるから、何となく、彼らの論理的思考回路に圧倒されて、オトナシク負け、引き下がることにナリガチであるが・・・実は日本語の起源は「アマ」といふ言葉を作り出したカタカムナの物理的世界観が元になってゐるので、日本の言葉ほど、短い響きの中に、多くの人の心の動きを含ませた言葉は無い、と言へるのである。