こんにちは。
三輪みかです。
息子が学校に通うのが辛くなったころ、学校の事を敵のように思っていた事を思い出したので、書きたいと思います。
今までクローズドな場所でしか話していなかった内容も含みます。
こんな事、人に話してはいけない、って言うのが手放せたので書きますが、少しでも誰かの役に立てたら嬉しいです。
始まりは1通の手紙
息子の異変になんとなく気づいてはいたものの、それを認めたくなかった私。
今は疲れているのかな~?
しばらくしたら、元通りになるだろう、
なんて、見て見ぬふりをしていました。
そんな時に学校から1通の手紙を受け取りました。
高校1年の秋の事でした。
スクールカウンセラーさんからの手紙で
そこには 精神科のお医者さんに行ってください、って書いてありました。
学校の方からも電話があり、病院も紹介してもらいましたが、
電話したら、予約は半年後だったか1年後だったか、まで空いていない、って言われました。
まだ15歳だったので、思春期外来って事だったんだけれど、
その科のある病院も少なくて、どこも満員だったんです。
庭のお花。
先生の言葉は信じられなくて
その後、大人の人の通う、精神科にかかったけれど、病名もつけてもらえず、
薬も出してもらえず
検査しても、異常なし、でした。
あきらかに、ストレスフルで、ぼんやりして、まともに授業を受けられる状態ではなかったのにもかかわらず。
それで、そのことを担任の先生に伝えたら、とってもがっかりした様子、でした。
何か、病名をつけて欲しかったんでしょうか??
でも、私も、薬を飲んで治るものなら、出して欲しい、って思ったりもしました。
高2の担任
高校2年生になって、担任が変わりました。
この先生がとても良かったんです。
男の先生で、ご自身は、前年に、生死にかかわる病気をしたそうで、いつも汗をかいていて、いつ見ても少しつらそうでした。
でも、人の痛みが判るというか・・・・、
いつも息子に寄り添ってくれました。
個人的に電話番号ももらい、いつでも電話してくださいと。
この先生のおかげで、修学旅行にも行くことが出来ました。
大雨が降って、電車が止まったことがあったのだけれど、
自分の車で、先生の自宅近くの駅までですが、送ってくださいました。
私はその駅まで息子を迎えに行きました。
ただ、息子の状態は一向に良くならず、むしろ悪化していた感じ。
何も治療していないし、環境も変わっていないから
当たり前といえば当たり前、ですが。
それで、病院の提案で夏休みに1カ月間、検査という名目で入院しました。
その時に、もっと詳しく調べたけれど、やっぱり病名もつきませんでした。
本当に、心が状態を作っているだけ、だったんですね。
それで、その後も、何度も学校の面談をしたのですが、
最初の頃は、敵にしか見えなかった学校が、
どうやったら3年生に上がれるか、色々教えてくれたりして
だんだん味方に見えてきました。
私も観念したというか、学校の事を拒否していても仕方ないな、って思ったのかもしれません。
10年以上前の事なので、記憶はあいまいです。
卒業出来た
高校3年の記憶は、私の中にはほとんどありません。
どのくらい学校に行ったのか、
どんな様子だったか・・・・。
でも、最近になって、息子が、色々教えてくれます。
授業の事だったり、学校祭の事だったり、
息子の中では、ちゃんと学校生活を送った、っていう記憶があるのですね。
毎回、少し驚きます。
ただ、高校3年生は、テストもろくに受けられなくて、
座って名前を書いたら単位がもらえるから、と言われて、
そんな感じだったけれど、卒業できたんです。
あの時、学校を気のすむまで休ませて、
何なら退学させても良かったかな・・・・、って後悔したことも沢山あります。
でも、今になって思うのは、私が色々言った事はあったけれど、
最終的にそれを選んだのは、息子自身であった、ということ。
卒業したい、っていう意思があれば、学校は味方になってくれます。
どうしたらいいか、教えてくれます。
卒業 = 良い事、
って言うわけでは無くて、
あくまでも、それを選ぶのは子どもの方で、
それを望んだら、味方になってくれるよ、というお話でした。
こんな話でも、お役に立てたら、と思って書きました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
娘の個展、今日が最終日です。
見に来てくださった皆様、応援してくださった皆様、ありがとうございました。
私が自由にし出したら、子どもたちも勝手に自由になっていきました。
そんな世界にみんなが行けますように。
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