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やりとりは、私と1対1で、他の人には見えません。
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あなたのまわりに、
「この人に話を聞いてもらうと、心が落ち着く」
という人は、いませんか?
または、
「この人の話は、心にスッと入ってくる」
「他の人と同じことを言っているのに、なぜかこの人の言葉は響く」
そんな人は、いないでしょうか。
もし、そんな人がいるとしたら、とても幸せなことだと思います。
実は、どんなに活躍している人にも、メンターと言われる存在がいます。
メンターとは、
・助言や指導をしてくれる人
・困ったときに安心して相談できる人
・自分が進みたい方向の一歩先を歩き、その姿を見せてくれる人
そんな存在です。
メンターは、一人でなくてもいいと思います。
実際に話をする人でもいいし、
直接会うことはなくても、尊敬する人の生き方や考え方を学ぶことでもいい。
一人の人を「この人についていく」と決めるのではなく、
いろいろな人の良いところや、心に残る言葉を、自分の中に取り入れていけばいいのかな、と、思います。
そして、私がメンターとなるような人を見ていて感じるのは、
その人たちには、ある共通点があるということです。
もちろん、思想や行動が尊敬できることもあります。
でも、それだけではありません。
考え方がフラットで、
人に対して「良い」「悪い」と、簡単に決めつけないのです。
これは、東洋思想でいう「中庸の心」に近いものではないかと思います。
中庸とは、どちらか一方に偏らず、バランスの取れた状態のこと。
感情に流されすぎず、
周りの言葉にも振り回されず、
自分の軸を持ちながら、物事を見ることができる。
自分の軸は硬いものではなく、柔軟です。
だからこそ、周りの人から信頼され、頼られるのだと思います。
この「中庸の心」は、人生の終盤になって、ようやく身についてくるものだとも言われます。
それまでは、
心が揺れる経験をして、
迷ったり、間違えたり、
喜んだり、悲しんだりしながら、
少しずつ「中心に戻る」ことを覚えていく。
良い経験だけでは、真ん中はわかりません。
苦しい経験も、うれしい経験も、
両方を味わうからこそ、自分にとっての「真ん中」がわかってくると言われています。
メンターとして知られている人には、松下幸之助さん、稲盛和夫さん、渋沢栄一さんなどがいます。
こうした人たちの人生を見てみると、若い頃からさまざまな苦労や困難を経験していることがわかります。
苦労を経験すると、人の痛みがわかるようになる。
そして、どうしたらこの状況を乗り越えられるのかを考え続けることで、
洞察力やコミュニケーション力、行動力も磨かれていく。
だからこそ、
中庸の心というのは、
長い人生をかけて、少しずつ身につけていくものでもあるのです。
あの、「孔子」でさえ、手に入れたと自分で思えたのは70歳になってからだそうです。
でも、
「中庸」までいかなくても、
フラットなものの見方は、今からでも練習したら、手に入れることが出来ます。
では、どんな時に自分は人のことをジャッジいているのでしょうか?
それは・・・人を見てイラッとしたり、モヤっとしたりした時です。
ジャッジが入ったかどうかは感情が教えてくれるのです。
「あの人のあの態度が嫌」
「どうしてあんなことをするんだろう」
「普通はこうするでしょう」
この、イライラ、モヤモヤはまさにジャッジですよね。
こんな時、相手が悪い、と結論を出す前に、
一度、立ち止まってみる練習をお勧めします。
「フラットなものの見方をするとしたら、どう見えるだろう?」
と考えてみるのです。
それだけでも、少しずつ見える景色が変わってきます。
本来、被害者も加害者も無いのがこの世界なんです。
そして、もう一歩深めていくなら、
「どうして私は、この人をジャッジしたくなるんだろう?」
と、自分の内側を見てあげることです。
相手を変えようとするのではなく、
自分の中にある「こうあるべき」「こうでなければ」という思いに気づいていく。
すると、
相手の問題だと思っていたことが、
実は自分の問題でもあった、ということもあります。
人をジャッジしているとき、
私たちは知らないうちに、
「正しい自分」と「間違っている相手」という世界を作っています。
でも、人生には、
正しいか、間違っているかだけでは測れないことがたくさんあります。
相手には相手の事情があり、
自分には自分の事情がある。
その両方を見られるようになったとき、
人間関係は、ずいぶんラクになっていきます。
フラットになるというのは、
「私はこう思う。でも、相手はどうだろう?」
と、一歩引いて見ること。
その俯瞰の目が、心の中にできてくると、
人との衝突も少しずつ減っていきます。
そして不思議なことに、
人をジャッジしなくなっていくと、
自分自身も、人からジャッジされているようなことが減っていき、周りの目を気にする自分から解き放たれていきます。
「良い人にならなければ」
「ちゃんとしなければ」
「間違ってはいけない」
そんな自分へのジャッジも、少しずつ緩んでいくからです。
人生の中で、
ずっと心が揺れない人はいません。
でも大丈夫。
揺れたときに、自分の中心へ戻ってこられれば良いのです。
誰かを悪者にする前に、もう一度見てみる。
自分が正しいと思ったときほど、少しだけ立ち止まってみる。
そんな小さな練習を重ねていくことで、
私たちの心は、少しずつフラットになっていきますからね。
そして、いつか自分自身が、
「この人に話すと、なぜか心が落ち着く」
「この人の言葉は、スッと心に入ってくる」
そんな存在になれたとしたら、
それはきっと、
長い人生の中で、たくさん揺れながら、
自分の中心に戻る練習をしてきた証なのかもしれません。
私もそんな人で在りたいと思っています。
ニラの花
もう寂しくはありません。
この自分で大丈夫と思えたら
新しい世界に踏み出すことが出来ます。
そんなお手伝いが出来たら嬉しいな、と思います。
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