こんにちは。
みかりんです。
昨日の午後7時前の空。
夕焼けが綺麗でした。
昨日は、午後2時過ぎに、突然真っ暗になり、豪雨と雷が凄かったんですよ。
小学校の下校時間と重なり、お母さんたちはお迎えに行ったようです。
昨日、4人の友人と、立ち話をしました。
全員50代で、私以外、皆さん独身。
そのうち2人は結婚の経験もありません。
そして、共通しているのは 「お母さんが嫌い。」
お一人は、ずっと2人暮らしだったのを去年家を出て別居。
もう一人は母親と2人暮らしですが、家を出たがっています。
母親に対しては、誰でも良い面、悪い面、色々思う所はあるでしょうけれど、この二人は全否定に近い物があり、
とっても違和感を感じました。
そのうちのお一人に、理由を聞いてみたら、もともと性格も合わないけれど、ここ数年で特に口うるさくなって、お風呂に入れだの、何時に帰るか教えろだの、色々言ってきた・・・っていうのですが、
いやこのくらなら、私もやってます。
言い方はもう少し柔らかくしてるけれども。
でもそれは、団体で生活する上での便宜上であって、自由にさせない、という意識も無ければ、私の言うとおりにしなさいという意識もありません。
でも、彼女がそう感じてしまう、ということは、それが捉え癖。
子供の頃に、お母さんに言いたかったけれども言えなかった自分・・・というのが関係してくるんですね。
そこを癒してあげるひつようがあります。
今、ではなくて子供の頃の自分です。
記憶について。
そもそも・・・・、記憶は100%が自分の捏造 なんです。
マスターコースで、ルミさんから言われて衝撃を受けました。
100%、ですってよ。
何故かというと、出来事そのものを記憶するのではなくて、その時の自分の受け取り方の印象 で記憶するからです。
重要なのは、その時の・・・、の部分で、思い出すたびに、またその時の・・・が上書きされていき、だんだん事実がねじ曲がっていくのです。
皆さんの相談を聴いていると、大事にされなかった・・・、判ってもらえなかった・・・・、などに行きつくのですが、
本当にそうだったのかな?っていう事を検証しなおす事と、
その時の自分の思いを口に出したり、紙に書いたりして、癒していくことが大切です。
自分の気持ちをわかってあげられるのは、自分だけ。
お母さんだって、全てわかるわけではありません。
その時はまだ若くて未熟だっただろうし、
何の気なしに言った言葉だったり、その時は必至だったり・・・。
それなのに、嫌われちゃって・・・。
私もそう思われてるんだろうな~、と思うと複雑です。
でね、この彼女たち。
お母さんが嫌い・・・・ということは、自分が嫌い・・・に繋がるのです。
母親の中に自分の嫌な部分を投影して、それを見ているに過ぎません。
あ、それで思い出した~。
家に来ているお勉強の生徒ちゃん、が言うんですよ。
「だって、お母さん馬鹿だもん。」
どこが??って聞いてみたら、小学校の問題も解けないし、忘れ物も多いし・・・・。
あらら・・・・、それって自分が自分に思っている事と違うの??って思いました。
まさに投影。
お母さんの、その部分しか見ていないんですよね。
わかりやすい~~!
私だって、忘れ物多いよ、って言ったら、え??って顔されました。
お母さんが好きでいつも一緒に居たい、面倒見たい、見てもらいたい、も、
お母さんが嫌いで、わざと避けてしまう。
これはどちらも依存、と教わりました。
どちらも母親への執着です。
執着を手放しましょう。
自分を作っているのは自分、
母親のせいで・・・・、ではなくて全ては自分。
ここが理解出来て、お母さんのことを許すことが出来て、自分で自分の人生を歩くことが出来るようになったら、
人生はグルンと変わって、母親から愛されていた・・・・、ここまで育ててもらった、と、感謝の気持ちに切り替わるはずです。
母親を憎んでいる人は、まだまだ子供・・・ということになりますね。
昨日の感謝
昨日、立ち話が長くなっちゃって、気がついたら22時。
(開始時間は20時半w)
そしたら、息子から心配の電話がありました。
「どうしちゃったの?大丈夫??」って。
心配してもらえる家族が居て、幸せです。
私はこれを以前、息子にやっちゃって、ルミさんに余計な行動、って言われたんだけれど、電話かかって来たら嬉しかったんです。
ということは、あの時、私に心配をかけたのが、今息子に返って行った・・・ってことかな??(宇宙の法則)
これで清算されました。