飲・水・思・源・2 -132ページ目
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ヒナ・キューブ

 一月程前から、娘の初節句用にと雛人形を探していました。といっても私の家は男兄弟ばかりのため全く知識がなく、妻は妻で「人形ってジッとみられているようで苦手」という始末。というわけで、勉強せなといくつか人形屋さんを見て回ってみましたが、いい人形はなかなかいいお値段なのですね。まぁその金額を払ってもこれだ!というものがあればと思って人形の顔を覗き込んでいたのですが、まさに「顔は命」というけれど、いい顔の人形ほど魂がこもっているようで怖かったり。

 でどうしようかと家族会議した結果、まぁ気長に探そうかと。その内運命の出会いがあるかもしれないし、娘と一緒に選んでもいいし、ということでペンディング。ただ、今年の節句に何もないのも寂しいということで、買ってみました「ヒナ・キューブ」。
http://shop.interior.ne.jp/products/detail.php?product_id=1498

 

 

 ゴムの木で作られたパズル的な積み木の知育玩具です。色々な組み方が出来るので、ちょっと試してみたかったのです(w)。バランスをとるのが難しいので娘にはまだ組むことが出来ませんが、グシャグシャにしながらも一つずつカラフルなピースを見つめている様子を眺めているのも、また一つの楽しみです。

千と千尋の神隠し

 

 先日の「崖の上のポニョ」に触発されたのか、妻が「千と千尋の神隠し」のDVDを借りてきたので観賞。面白いのはやっぱり物語の舞台となる「油屋」の日常の風景です。大きな建物の中に温泉があり、それに付属する疲れを癒すための施設がある。最近のスーパー銭湯の様な妙にアミューズメント化された空間ではなく、日本建築の持つ開放性を活かした閉塞感のない空間。
 油屋の建築デザインは「色々な温泉が入っていて特定のモデルはない」とされていますが、道後温泉本館の座敷の気持ち良さを思い出します。

 ところでこの映画のメインコピーは、糸井重里による「トンネルのむこうは、不思議の町でした。」という川端康成を彷彿とさせる(?)フレーズだったそうですが、個人的には三波春夫の名言「お客様は神様です。」を援用したセンスに脱帽(w)

無印の家のこと

 

 無印良品とオリックス不動産が共同で分譲住宅の企画を開始しました。まずは千葉ニュータウン白井エリアにまずは22戸の戸建て分譲を販売するそうです。
http://www.muji.net/ie/lifestyle/project_shiroikomachi/

 そういえば先月、友人に「専門家から見て、無印の家ってどうなの?」と聞かれました。といっても無印の家は販売が開始された数年前に有楽町のモデルハウスを観に行ったことがある程度の知識しかなかったので、改めて調べてみました。

 

 

 現在無印良品の家シリーズは「木の家」(写真上)「窓の家」(写真中)「朝の家」(写真下)という3シリーズが開発されています。
 元々「木の家」の開発には建築家の難波和彦氏が関わられており、その構成や形態は難波氏の手掛ける「箱の家」シリーズの規格にそっくりという印象を受けていました。また「窓の家」は、建築家・隈研吾氏がデザイン監修されたものです。家のタイトル通り窓の部分は木製サッシが使用可能で、その部分のディテールに力が入っています。そして「朝の家」は、私は今回その存在を初めて知ったのですが、ミサワホームで「蔵の家」を設計した川本邦親氏が監修されているそうです。

 基本的にはすっきりとしたライフスタイルの思想の下、無印の家具の様に主張のないニュートラルな空間を持つ家です。そういう意味では誰が住むのか分からない規格住宅の典型とも言えますね。構造にはSE構法を採用し、仕様もコストパフォーマンスを考えると妥当な選択。家の形の自由度は低そうですが、郊外にゆったり目の土地があり無印的な感覚が合う人ならば、家を考えるときの選択肢の一つにはなるでしょう。
 

 

 ところでこの白井小町プロジェクトには、一つ共感する所があります。それは家(建物)のことではなく、建物と建物の配置の問題です。ここでは「ガーデンコモン」という提案で、これまで家の敷地の四周を区画してきた塀をなくし、隣接する家同士で共有する庭をつくろう、という考えです。
 実は6,7年程前に、私も某住宅メーカーから分譲地の計画依頼を受けた時に、「コモンガーデン」(笑)という名をつけた同じ様な提案をしたことがあります。非常に興味を持っては頂けたのですが、これまでにない提案だったため残念ながらお蔵入りしてしまいましたが。

 家を考える時には、住む人の生活や人生観を反映する内部空間を実現することは第一義に重要ですが、敷地の(建蔽率が60%なら)4割をしめる敷地の余白を庭として、第二のリビングとして、どう生活の中に組込むかということまで頭を巡らせると、生活の豊かさが広がります。勿論プライバシーの問題も考慮すべき問題ですから、どこを閉じてどこを開けば隣家ともっとも配慮し合って生活することが出来るのか、計画の中に予め盛り込んでおくことが重要ですね。

無印良品の理由展 トークイベント採録 原研哉氏

 

 無印良品のサイトに、無印のアドバイザリーボードでありグラフィックデザイナーの原研哉氏の講演が掲載されています。独自の「エンプティネス(Emptiness)」という概念から、生活や文化を捉え直すことから無印良品の社会的な位置付け、そしてこれからの企業としての在り方について、非常に分かりやすく語られています。
 ちなみに原研哉氏の著書である「デザインのデザイン」という本は、私の座右の書となっています。カタチを考える以前・デザインとはモノの在り方を考えるということだということを改めて学んだ本です。
「無印良品の理由展 トークイベント採録 第3回 原研哉氏」
http://www.muji.net/lab/report/100203/index.html

 

 

 上の写真は、足利義政の書斎である銀閣寺の東求堂にある「同仁斎」に無印の数百円の茶碗を置いた広告写真です。
 これを見て思い出すのが、2007年のミラノです。私はその春、サローネ・サテリテに「happybirchday」という棚を出品したのですが、棚を引き立たせる展示として何か飾ろうと思い、搬入日の前日に市内の雑貨店やらを廻りました。しかしコストの問題もありイタリアの小物にはピンとくるものがあまりなく、結局MUJIミラノ店でカップや文房具やらを購入しました。
 その時は無印の商品の「存在感のなさ」が、棚を引き立たせる小道具としてマッチするのだと考えていましたが、改めて考えてみるとどこにあっても馴染む「佇まいの普通さ」といった魅力があるのだと思います。数百円のものであっても、そのような美意識の高さが我々日本人にとって、そして感度の高いイタリア人にとって(ミラノ店は地元ッ子で賑わっていました)訴えかけるものがあるのでしょう。

 

 

 上の写真は2003年に東京ADC賞のグランプリをとった無印良品のポスターです。世界の地平線の写真、そして「無印良品」という文字だけ。個人的に広告が面白いなと思ったキッカケはこのポスターだったかな。「エンプティネス」という概念を良く表したポスターです。
 無印的な普通なデザインが何よりも素晴らしい、と思っている訳ではありません。ただそのデザインの端緒として、日本というローカルな根っこから派生した美学を持ちながら、世界中の人に伝わる魅力を持つ受容性の高いデザインを目指すという姿勢こそが大事なのだと思います。
 

さまざまの 事おもひ出す 桜哉

 

 今週の花は、オカメザクラです。日本では、平安時代までは和歌などで「花」といえば「梅」を指していましたが、平安時代からはサクラの人気が高まり、「花」といえば「桜」を指す様になりました。

 タイトルの句は江戸時代の歌人・松尾芭蕉によるものですが、以前にもブログに引用したかも。ということでもう一句。
「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」
 平安時代の西行法師の句です。月と桜があれば幸せ、という気持ちがストレートに伝わってきますね。

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