この世界の(さらにいくつもの)片隅に [Blu-ray]
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8年前(2016年)、映画館で見ました
良かった
最初、限られた映画館で始まったのが、あれよあれよという間に、公開期間が延長され、上映映画館も増えて行きました
同時期に、アニメ映画「君の名は」も公開されていましたが、自分は、迷わず「この世界の片隅に」を見ました
このアニメは、9年前(2015年)にクラウドファンディングで資金集めのために、支援メンバーを募集していました
最終的に3374人から3600万円超が集まり、製作委員会が正式に発足
この支援者数はなんと国内最高記録だったようです
完成を希望する人が多いのでしょうね
自分も参加したかった…
さて、「この世界の片隅に」は、「夕凪の街 桜の国」でお馴染みのこうの史代さんが書いた漫画です
戦前・戦中の呉が舞台で、広島から呉にとついだ女性が主人公です
広島の様子も描かれています
戦前・戦中、主人公は、毎日を淡々と過ごして行きます
焼夷弾空襲で焼けてしまった呉、原爆でたいへんなことになってしまった広島
身近な人の死
主人公を襲う虚脱感、それでも人は生きねばない
平凡だけどささやかな人々の幸せをたたえた光景
そんなことから「ふつうの人が当たり前に暮らすこと」の大事さを描いている漫画です
(漫画は、上・中・下の三巻あります)
この漫画は、北川景子さん主演でドラマ化もされましたね
それが、アニメになって映画化されました
DVDは手に入れてしまいました
そして、6年前、松本穂香さん主演でTVドラマになりました
さらに、「夕凪の街 桜の国」も6年前8月6日に2時間ドラマになりました
全部見ました
アニメ映画「この世界の片隅に」は、原作に描かれた部分を補うようにさらに映像が追加されて新しくなりました
映画を映画館で見ることはできませんでしたが、DVDは手に入れました
さらに舞台もあるようです
今年もまた、暑い8月
毎年、この時期は、6日・9日や15日があるため、原爆関係の記事をアップしています
今年もまた、去年の記事を引用して記事にします
今日は、映画「原爆の子」
原爆に関する映画は映画「黒い雨」や映画「夕凪の街 桜の国」などが良く知られていますが、「原爆の子」もそのひとつです
今は亡き新藤監督の映画です
以前、CS放送で、映画「原爆の子」(モノクロ映画)をやっていたので見ました
広島への原爆投下時、幼稚園に勤めていた女教師が7年後の夏休みにかつての園児達を訪問することから始まるものです
彼女が再会したのは、ピカドン(*1)のために失明して働く事もできず貧困の生活をしているかつての奉公人と原爆症の影響で死に床で平和を祈り続ける少女でした
原爆投下後から7年後の広島を再訪した女教師の目を通して被爆者の惨状を映し出していて、原爆投下の記憶も生々しいものです
終戦後7年後の1952年の広島をオールロケで描いているので非常にリアルな映像がある映画です
今はもうありませんが、映画「夕凪の街 桜の国」でも描かれた原爆スラム
自分はリアルタイムで見た記憶があります
映像で出てくる銀行の石段に腰をかけた人の影が残ったあと
あの映像は本物であり、自分はそれを見たことがあります
そんな広島の生の姿を映したモノクロ映画です
被爆と言うことがどのようなことか、わかる映画ではないでしょうか?
(レンタルがあったかどうかは不明です。たまにテレビ(BSやCS)で放映されています。自分はDVDに録画して持ってます。ちなみに音楽担当は映画「ゴジラ」でお馴染みの伊福部昭さんです。)
(*1)広島の人間は「原爆」を「ピカドン」と言います。原爆が「ピカっ」と光って、そして、「ドン」と爆発したことからきたようです。自分も広島での平和教育で「ピカドン」と教わりました。漫画「はだしのゲン」でも、原爆のことは「ピカ」と言っています。
(12年前の記事を引用しました)
「桜花」
これを「さくらばな」と読む人は、
太平洋戦争の特攻機「桜花」を題材にした映画「サクラ花(ばな)~桜花最後の特攻~」のことを知っている人でしょうね(9年前(2015年)に公開された映画です)
9年前(2015年)に我が町で、映画のロケ撮影があったばかりです
そして、「おうか」と読む人は太平洋戦争で「人間爆弾」とも呼ばれた特攻機・桜花(おうか)をよく知る人でしょうね
太平洋戦争末期、戦況悪化で本土決戦が叫ばれる中、襲来する敵艦を特攻専用機「桜花」で迎撃するため作られました
桜花は自力で発進できず、カタパルト(発射装置)を使って機体を空中に飛ばした後、ジェットエンジンで飛行する仕組みでした
ゼロ戦は、アニメ映画「風立ちぬ」でもお馴染みになりました堀越二郎氏の設計によるものでいたが、この桜花は、国産初の旅客機で有名なYS-11の生みの親でも有名な木村秀政氏の基本設計によるものでした
成田国際空港の近隣にある航空科学博物館には、木村先生のコーナーに何故か「桜花」がひっそり飾ってあったのが、これで納得できました
終戦間際、本土決戦が叫ばれる中、発射基地が比叡山のほか生駒山や六甲山にも計画されたと言うことです
本土決戦は、1億人の特攻(当然、民間人も含めてなのです)などととんでもないことも考えられ、モーターボートのような「震洋」と言う特攻型の艦船まで大量に作られていたのを今の人は知っているでしょぅか?
人は追いつめられると、軍人も民間人も無くなります
集団的自衛権はその危険性を秘めていると思うのです
戦いと言うのは兵隊のみではなく、国の人たちすべてを飲み込んで行くものだということを若い人たちは肝に銘じていた方がいい
それだけ、戦争とは狂気になるものだから…
以前、2007年に公開されたアメリカ・日本合作のドキュメンタリー映像「TOKKO特攻」を見たことがあります
日本軍の元特攻隊員と米軍駆逐艦の元乗組員が特攻の真実を語るドキュメンタリーでした
元特攻隊員の叔父を持つ日系二世の女性が監督したものです
(自分が住んでいる街には、「予科練平和記念館」があるので、特攻隊に対するこのようなドキュメント映画は気になっていました)
終戦末期とは言え、こんな悲惨で非効率的な作戦は考えられません
お国のためにと、若い命がもののように使われて失われたのです
(いま、ウクライナ戦争で、若い命がもののように使われていないか?)
何度も言いますが、戦争とはそれを当たり前のように行う凶器なのです
国が国民を教育・洗脳することでそんなことを可能にしてしまう
興味を持ったのは特攻隊によって撃沈させられたアメリカの駆逐艦の元乗組員の証言でした
彼らは、「もし、自分達が日本のように追い込まれたら、特攻のようなこともありえる」と言うのです
国民的な思想の相違もあり、アメリカはそんなことは考えられない国民だと思っていたのですが、戦争だから考えてしまうことなのでしょうか?
やっぱり、戦争は一般常識を狂わせてしまうのだろう
ドキュメント映画は、一方側からの記録を多く収録することが多いのですが、監督が日系二世と言うこともあって、日本側、アメリカ側から見た記録になっているのが良かったと思います
もし、このドキュメント見る機会があったら見て欲しいとい思います
8月9日長崎
今日、快晴の中、長崎で平和祈念式典が行われました
長崎は、自分にとって、原爆以外にも関わりのある町です
長崎県には姪が広島市から嫁いでいます
自分が福岡に転勤していたときも、仕事で度々訪れていました
その時、防災関係の仕事で土木作業を行いました
その後、茨城の工場に帰ってからも、別の仕事(防衛関係の仕事)で、全く違う仕事のために、度々、長崎を訪れました
自分にとって、縁が深い土地かもしれません
そんな長崎市に、79年前の8月9日11時2分、原爆が炸裂しました
(「ファットマン」プルトニウム型、ちなみに広島市に落とされた原爆は「リトルボーイ」ウラン型)
長崎の平和公園や平和記念資料館は見に行きました
今の長崎からは、想像できない写真が多くあって、衝撃をうけました
広島で平和記念資料館を幾度見ていてもです
今の長崎は、その当時の傷跡も無く、すばらしい町になっています
しかし、その長崎市も、戦後、長崎市の中心地(繁華街)である思案橋が1m以上もの水に浸かってしまう大災害(土石流)にあっています
(自分はその災害に対する防災設備の設置工事を長崎で行いました)
そのたびに復興している町なのです
広島より、いろいろな被害にあっていると言っていいかもしれません
そして、転勤している時、長崎の原爆について同時に勉強しました
広島市出身の人間で親族に被爆者を持つ人間だからそれができましたが、他県の人間だったら原爆すら気づかなかったかもしれません
原爆について何も知識のない茨城出身の妻も新婚旅行の時に長崎の平和記念資料館に連れて行きました
(当然、広島の平和公園や平和記念資料館も妻や子ども達を連れて行っています)
災害などの被害は、テレビや新聞、写真で見ても恐いだけで、実感がわかなのが現実ではないでしょうか?
それが人間かもしれません
実際にその地に行って感じるしかないでしょう
人間は病気でも事故でも何事も自分で体験しないと本当の危機感が湧いてこないような気がします
でも、今の自分たちには、少しでもそれを感じ想像することが必要だと思います
メールやブログで、すべてが伝わるとは思っていません
でも、感じてもらえれば、興味を持ってもらえれば、まず、一つハードルを越えることはできると思います
何も言わないよりはましでしょう
何も知らないでは、平和を語れるはずはないのだから…
(2007年8月9日の手記を利用しました)
日本の春と言えば「桜」
そうイメージする人は多いだろう
桜の花
「桜花」
この言葉を「さくらばな」と読むことと「おうか」と読むことで、ずいぶん印象が変わります
「「特攻隊員 御霊の代弁者」 サクラ花上映会 出演の林家三平さん語る 阿見(茨城新聞より、2015年11月)」
特攻機「桜花(おうか)」がテーマの映画「サクラ花 桜花最期の特攻」の上映会が9年前(2015年)、主なロケ地だった茨城県稲敷郡阿見町で開かれた
搭乗員の一人を演じた落語家の林家三平さんも登壇し「亡くなった人はもの申すことができない。御霊(みたま)の代弁者と思って見てほしい」と訴えました
上映会は同町阿見の公民館で行われ、無料で招待された360人が観賞しました
戦闘で搭乗員が命を落とす過酷なシーンでは客席からすすり泣く声も聞こえたようです
上映後は林家さんが舞台に立ち「役を演じたみんなは一致団結した気持ちだった。こういう映画が公開できるような日本であり続けてほしい」と語りました
実は、この上映会には、妻と一緒に行きました
映画の中で自分の妹の友達が、映画の最後にトランペットの演奏をしているのを聞いていたので興味を持ってみました
また、ロケ現場が地元でもあり、何か縁がある映画だと思っていました
少ない予算で作られた映画なので、他の大作映画から見れば見劣りしますが、訴えるものは多くあると思います
戦時中末期、特攻兵器として作られた「桜花」(おうか)
陸軍の爆撃機「陸式一攻」の腹に取り付けられて、敵艦隊まで接近し、人が乗り込み、ロケット噴射で敵艦に突っ込む
アメリカ軍はそれを「バカ爆弾」と呼びました
滑空機能はあっても、それは飛行機ではありませんでした
爆弾そのもの
しかも、人が乗った爆弾
そんなものを太平洋戦争当時の軍部が承認して使っていたとは、戦争末期ではいかに人は狂っていたか…
そして、それを操縦していたのは、16,17歳の予科練生
子供たちにそこまで頼らねばならなかった戦争
そんな、桜花の出撃中の人間模様を映画にしたのが映画「サクラ花 桜花最期の特攻」
予科練の訓練所があったのが阿見町
そして、桜花の訓練所は同じ霞ヶ浦の対岸の茨城県神栖にあったそうです
出撃場所は九州でした
戦時中末期、その戦争に疑問を抱きながら、出撃した人たちは多かったと思います
敵勢力と敵の技術力に圧倒されながらも、出撃しなければならかった状況
出撃中の陸式一攻の機内では、敵に近づき、攻撃を受けるたびに死と恐怖が広がる
無謀な戦争に突入してしまったために、彼らは苦しまねばなりませんでした
ネタバレですが、当然、この映画はハッピーエンドはありません
最後の切なさは、以前見たドイツ映画の「Uボート」と同じような展開と結末が待っていました
記事にもありましたが、今回の上映会には、映画に出演された林家三平師匠のトークショウがありました
師匠のお姉さんの泰葉さんが主題曲を歌っていました
そして、やはり、戦争となると師匠の母:香葉子さんの戦争体験の話も出てきました
9年前(2015年)、戦後70年の区切りと言われましたが、やっぱり、傷跡はあります
そして、忘れてはならない
無知が、戦争を引き起こすのですから…
この上映会の後、帰宅して、録画してあったNHKで放映された戦後70年の番組「一番電車が走った」を見ました
広島に原爆が投下されて三日目に広島に電車が走る
それは、己斐と天満町の間わずか1.4km
でも、その復興に人々は明日への希望を持ったと思います
広島電鉄も、戦時中から戦後のわずかな時期に、14歳から16歳の女学生に電車の運転と車掌をさせている
どこも、男手が足りない戦時中
こんな彼女たちに頼らねばならなかった日本
なんと愚かだったのだろうか?
どんな時も、復興を優先したものたち
それに、電気技師や少女たちが奮闘する
あの東日本大震災でも、三陸鉄道の復興は人々に勇気を与えている思います
破壊を産む戦争より、モノを作り上げ人々に役に立つことが必要
戦争は人々に何ももたらさないのだから
8月6日は、広島で平和祈念式典がありました
79年前も、暑い日だったと思います
この平和「祈」念式
相変わらずNHKのテロップは、「平和「記」念式典」になっていた
記念式典
「平和の記念日」とでも言いたいのでしょうか?
この日は、平和は祈り願うのでしょう!
平和ボケした日本人は、この日を他の記念日と同じ、単なる思い出の日にしてしまうのでしょうか?
79年間、被爆者が訴え続けても、継承されないものが数多くあります
日本人の意識が陳腐化しているのを恐ろしく感じます(これは、福島第1原発の事故についても同じです)
人間というのは、その特質・性質などの物理的なことは遺伝子によって継承できるのに、経験は継承できません
もしかしたら、原爆の傷跡は遺伝子の傷跡となって継承しているかもしれないですが…
(研究によると被爆の遺伝は無いと言われていますが、ある研究によると、それは科学的に証明されていないと言っています)
やっぱり、同じ過ちを繰り返してしまうのでしょうか?
東日本大震災で起こった原発事故は同じ過ちの一つと考えるべきでしょうか?
以前、祈念式で、子供代表の平和の誓いの言葉の中に
「辛いことを経験することはできないけど、想像して共存することはできる」
と言う言葉がありました
良い言葉だと思います
相手の身になって考える人間だからできること
だから、同じ過ちを繰り返さないようできるはず
被爆者がこの世からいなくなる時にこそ、さらに繰り返し、原爆の事実を継承して行かねばならないと思います
誰かがやらねば、誰も知らなくなってしまう
知らないことこそ、恐ろしいことです
知らないから、過ちが起こってしまう
どれだけの人が、この日、平和について考えたでしょうか?
ほとんどの人たちが、日常生活の延長であり、素通りでしょう
仕事をしていれば、学校に行っていれば、家事で忙しければ、育児で忙しければ、介護で忙しければ、しょうがないかもしれません
でも、どこかで、平和について考えて欲しい
平和について、意見を戦わせるのはいいと思います
それでお互いを知ることができるのだから
平和だから、今、生活できるのだと言うこと認識してください
この平和はもろいものだとと言うこと認識してください
そして、その平和を脅かす核兵器は、まだ、この世に存在すると言うこと認識してください
この日を単なる歴史の一行に終わらせてはいけません
「核兵器(放射性物質)と人類は共存できない」
(以前の記事を一部引用しました)
以前、書いた記事をさらにもう一度
中沢啓治著「はだしのゲンはヒロシマを忘れない」
自らが被爆者である漫画家中沢啓治さんは、その被爆体験をゲンと言う少年に置き換えて漫画を書かれました
体験記だから、はだしのゲンはリアリティがあり生々しい
でも、「そんなもんじゃない」と中沢さんは著書で言っています
どんな文章も絵も映像も、実体験を超える事はできません
それでも、書かずにいられない
中沢さんを含めて多くの被爆者はその被爆体験を語る事はありませんでした
思い出すことで、目の前にそのフラッシュバックがあるから
でも、何かのきっかけで被爆者は被爆体験を語り始める
中沢さんの場合は、同じ被爆者だったお母さんの死とその骨を見た時だと言います
粉々に形も無い骨を見て、放射能はそこまで蝕んでいることに悔しさと憎しみを持ったと言います
それほど、放射性物質は恐ろしいもの
自分の祖父は同じ被爆者でありましたが、その骨はりっぱなものでした
生活習慣や食生活でそれは変わるのかもしれないとも思いました
しかし、二次被爆を受けていた自分の父はがんに冒され、骨はもろかったと聞きます
放射能は人にとって脅威であることは十分に理解しなければならないですが、それに対する備えは自ら行う必要があると思います
中沢さんのお母さんと私の祖父を比較して感じました
そして、お亡くなりになった中沢さんの骨はどうだったのでしょうか?
今、福島を中心に放射能(放射性物質)の問題はまだ残っています
問題解決はしなくてはならないのですが、相変わらず先延ばしにする政府とは別に、我々一般市民は自分の体の自己防衛を怠ってはならないでしょうか(免疫力の強化)
当然、核兵器(放射性物質)の恐ろしさも忘れてはいけません
諸悪の根源は断たねばなりません
それは、過去の悲劇を忘れない事で始まると思います
無知・無関心が怖いのです
以前、「はだしのゲン」の漫画に対して、その内容・描写について賛否両論がありました
でも、必要な漫画であると自分は信じています
中沢さんも著書で言っています
「しつこくやるしかない」
「繰り返し、繰り返し、伝え続けるしかない」
と…
はだしのゲンは「ヒロシマ」も「ナガサキ」も「第5福竜丸」もそして「フクシマ」も忘れない…
ちなみに
「1997年、茨城県東海村の動燃施設で爆発事故。労働者37人が低レベルの放射線に被曝し、過去最悪の被曝事故」
「1999年、茨城県東海村にあるウラン加工工場で臨界事故が発生し、3名が被曝、そのうち「2名が死亡」するという最悪の事故」
これも事実
「ヒロシマ」「ナガサキ」「第5福竜丸」「フクシマ」の中に「トウカイ」もあっていいはずだと自分は思っています
「フクシマ」では直接の被曝死者は無かった
しかし、「トウカイ」では、被曝死者が出ているのです
そして、我々は考えるべきです
森瀧市郎の言葉を
「核分裂エネルギーを利用する限り、人類は未来を失うであろう」
「核(放射性物質)と人類は共存しえない」
(「核絶対否定への歩み」 森瀧市郎著 渓水社より)
P・S でも、自分は思います
核分裂・核融合の技術・研究を人類は続けねばならないでしょう
それが、宇宙を形成しているのですから
毎年のことなのですが、まだ、元気に会社に行っているときの1997.8.6(水)(曇り)の手記を読み返します
毎年、考えていることは同じです
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1997.8.6(水)(曇り)の手記
睡眠時間5時間
やはり朝は眠い
5時半に起きるのは、3年たったがやはりなれない
広島は、8時15分
原爆が投下された時間だ
ここ(会社(茨城))にいると、そんなものは関係ないような感じを受ける
もっとも、広島にいても職場では、そんな雰囲気なのだろうか?
自分にとっては、どうしても、この日は気にかかる
特に自分は被爆者ではない(このときは父の二次被爆を知りませんでした)のだけれど…
でも、身内に被爆者(祖父のことです)がいて、自分は広島県広島市出身であるために、そんな気持ちになるのだろう
原爆祈念式典も単なる記念式としてとらえられがちであり、本来の意味をみんなが考え直すべきかもしれない
いずれ、かみさんや長男にも原爆資料館を見せなくてはならない(まだ、次男が生まれていません。この後、かみさんや長男・次男を原爆資料館に連れて行きました)
原爆が落とされたという事実を知り、その原爆上回る核兵器が世の中に存在することを教えなければならないだろう
知らないということが一番恐ろしいことである
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自分の父親は、原爆が投下された次の朝広島に入り二次被爆をして、被爆者手帳を所持していました
そんな父は、ガンを発症して37歳と言う若さで亡くなりました
自分は、最近まで、父の被爆者手帳の存在を知らず、二世であることも知らずに最近まで生きてきました
祖父は被爆者手帳を所持しており、白内障は発症しましたが、被爆を決して人に話すことなく(近親者しか知りませんでした)、徹底的な自己健康管理を行い93歳まで長生きしました
二人とも原爆に遭遇したことも言わずにこの世を去っています
それが被爆者なのかなあと思うことがあります
戦争の話は、母方の祖父母や被爆者であった祖父の弟(4年前亡くなりました)から、聞きましたが、悲惨なことむごいことは、話してくれませんでした
子供時代の自分に対する配慮もあったのでしょうか?、それとも、話したくなかったのでしょうか?
祖父母達からもっとよく聞いておくべきだったと、今になって後悔しています
でも、少しでも知り得たこと・自分の体験したことを、子供達に伝えるべく、話さずにはいられません
戦争が恐いとか、核兵器が脅威であるとか、脅すということだけではないのです
事実を知っておかないと、また、同じ過ちを繰り返すと思うからです
無関心や知らないでは済まされないように思います
核兵器に関わらず、放射能物質を取り扱う原発も事故が起これば核兵器以上に脅威だということもしっかり理解しておかないといけないことだと思っています
(このことは2009年から毎年つぶやいていたのですが、最悪の原発事故は2011年に起こってしまいました)
広島、長崎が、最初で最後の被爆者を出した地ではありません
長崎以降、第五福竜丸の被曝(焼津)、それから、アメリカ・ロシア・フランスの核実験によるその土地での被曝者、そして、原発もロシアのチェルノブイリ原発の事故での周辺住民の被曝、日本でも東海村で放射能物質の処理ミスと放射性物質の認識不足による被曝者および死亡者が出ているのです
福島第1原発の作業員が、今後何らかの疾病を発症しないと言う保障はありません
原爆の被爆者ですら、10年後にがんや白血病が発病し、さらに、70年たったときでさえ、白血病が新たに発症しているのです
人は、放射性物質と共存できません
(以前の記事を引用しました)
7年前(2017年)に放送を見て
NHKスペシャル「被曝の森 原発事故 5年目の記録」
人がいなくなった地区に野生動物がはびこる
手つかずの森
毎時100マイクロシーベルトのホットスポットもあると言う
科学者が調査しているのだが、チェルノブイリの事故と同じようなことが生物に見られるという
被曝の森と言われている手つかずの森は、毎時10マイクロシーベルト(自然放射線0.04マイクロシーベルト)と観測されている
これが生物がどんな影響を与えるのだろうか?
今後、放射性物質の影響から突然変異の種が出てくるかもしれない
それは、通常生物だけでなく、微生物や細菌、ウィルスへの影響も考えられるのではないか?
福島に未知の生物が出現し、それが日本を襲い始めるということはないだろうか?
チェルノブイリでそんな報告は聞いていないが、でも、無いとはかぎらない
チェルノブイリでも例がない被曝動物がいる
人間に一番近いと言う霊長類のニホンザルだ
そのニホンザルがどれぐらいの被ばくをしているのか、捕獲したサルの太もものセシウムの被曝線量を量ったところ
13000ベクレル(通常の制限値が100ベクレル)
非常に高い被曝のようだ
これが、今後サルにどのような影響を与えるのか?
ある個体の脊髄では、血液を作る細胞が異常に低いものが見つかった(再生不良性貧血を通って白血病になる可能性がある)
それが放射能による影響かはまだわからない
今、被曝の森はどうなっているのだろうか?
7年前(2017年)に再放送を見て
2006年放送NHKスペシャル「核なき世界を 湯川秀樹」
その中で、湯川博士の亡くなる3カ月前絶筆となった平和への願い
「すべての国 すべての人が
納得できる
核兵器全廃の方法が
必ずあるはずだし
必ずそうあらねば
なりません
なぜならこれは
人類が
生き延びるために
わたしたち
科学者だけではなく
核兵器の恐ろしさを知る
すべての人の
悲願であるからです
人類が本当に
平和を願い
幸せに生きることを
望むかぎり
道は必ず
開けると信じます」
「核兵器と人類は共存できない」と訴え続けた湯川博士
後に続くものもそう言い続けて行くしかないだろう
2016年当時核兵器を保有するとされる国
アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮
1万6千発の核弾頭が存在する
これらの核兵器や核実験を減らすための条約
NPT=核拡散防止条約
CTBT=包括的核実験禁止条約 核兵器禁止条約案
国連総会で毎年採択されている核兵器禁止条約
交渉開始決議に日本は棄権を続けている