☆ワシの終活☆ -46ページ目

水爆4個

9年前(2015年)の記事をもう一度

 

「核兵器、世界で約1万6300個 北朝鮮は6~8個所有(共同通信より、2014年6月)」

スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は2015年、2014年の核兵器保有数のデータを発表しました

(現在はわかりません)

2014年1月時点で、世界全体の数は米国とロシアの削減により推定約1万6300個となり、近年の減少傾向が続いているようです

(米国務省は8年前4月に、9年前(2013年)9月末時点の核弾頭保有数は4804発で、最大だった冷戦時代の3万1255発(1967年)に比べて約85%減少したと説明しています)

そして、北朝鮮の核保有数は6~8個と推定されたようですね

(現在は、20個に及ぶ核兵器があるとされています)

核軍縮と言われていますが、世界にはまだこれだけ核兵器は存在するのです

(極秘に持っている国・団体は知りませんが…)

 

自分が小学校だったか、中学校だったか、忘れましたが、平和教育の時、もし、日本に水爆が落とされたらと言うことについて話をしてもらったことがあったと思います

その時、日本に4発の水爆が落とされれば、日本は破滅すると言われました

しかも、その投下都市は、福岡か北九州、大阪、東京、函館か仙台と言う、具体的なものだったと思います

ただ、何故、4発で何故、その都市なのかは、覚えていません

核兵器は、原爆の1000倍の破壊力を持つと言われていますので、都市はその瞬間に破壊されるでしょう

そして、政治・経済の機能は麻痺し、滅んで行くと言うことだったのかもしれません

日本赤十字社長崎原爆病院のグループが、現代の100万都市に爆発力1メガトンの水爆と、広島型原爆と同じ16キロトンの原爆がそれぞれ投下された時の被害シミュレーションの研究結果をまとめています

水爆が上空2400メートルで爆発した場合は、郊外も含め37万人が即死し46万人が負傷原爆が同600メートルで爆発すると6万6000人が即死し20万5000人が負傷すると推計したようです

研究報告は、12カ国が参加し2014年に広島市で開催された軍縮・不拡散イニシアチブ(NPDI)外相会合で配布されたようです

「もしも核戦争が起きたら...? コンピュータが予測する、過酷すぎる地球の状態!!(tocanaより、2014年7月)」

「核戦争後の地球」に関する最新の研究結果が、米国人科学者4名からなるチームによって発表されているようです

全面戦争となると地球上は放射能だらけになってしまって、その末路は容易にわかりますが、これは、「限られた地域における核戦争」の後に起こるであろう事態をモデル化したものだそうです

これは、インドとパキスタンの核戦争を想定したものだそうですが、その理由は、インドとパキスタンは、他国(例えば米国、ロシアや中国)と比較すると、核保有量が比較的少ないということに着目したようです

まず少量の核が地球に与える影響を考えれば、巨大サイズの核の影響も想定できると考えたようです

結果を要約すると、

「世界的な温度低下(2~3℃)」と「年間降雨量の9%減少」というもので、素人目にはそれほどショッキングには思えない

しかしこの変化は、地球の気温が過去1000年の間で最も低温となることを意味しており、「農業の不作」と「飢饉」を起こすのに十分であるというのです

どちらにせよ、どのレベルの核戦争が起きても、人類は飢饉を避けることはできないということですね

現在でも、一部の地域は飢餓で苦しんでいるのに、それ以上の苦しみがあるということ

飢餓は、病気も流行させるので、飢餓による死や病気による死、そして、核兵器の使用量が多ければ、放射能の影響の比例して大となるのでしょう

これらの悲観的な研究結果は、人々を暗い気分にさせるでしょう

しかし、それこそが今回の研究の重要なポイントであると科学者チームは語っているようです

彼らはこれを発表する事により、現在地球上にある約1万7千の核兵器を破棄する動機を与えたいと考えているようです

核の悲惨さやむごさを訴え、核廃絶を訴えるだけでは、人は動かない

これは教育についても同じでしょうね

今、学校教育では、核兵器について、どこまで教えているのでしょうか?

特に、核兵器を理解していない子供達にも、これらの定量的なこと(具体的な数値)を教えて、核兵器の恐ろしさを周知させる必要はあるのではないでしょうか?

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でも、最近、「ごちそうさまでした」を言えていない自分がいる
 

推しキャラ(その1)黒影豹馬・ブラックジャガー

黒影豹馬・ブラックジャガー(black jaguar)

「風雲ライオン丸(1973年)」(13)

 

ブラックジャガーについて考える(1)

 

風雲ライオン丸では、なぜ、ブラックジャガー(黒影豹馬)だったのだろう?

パイロットフィルムにもなった、「豹マン」のような形態でもいいと思ったのだが

 

これに、ブラックジャガーの鎧とベルト、そして、肩鎧をつけて、刀を持たせれば「シン・ジャガーマン」の出来上がり?

しかし、配色や形態が、怪傑ライオン丸のタイガージョーにかぶるからだったのだろうか?

いや、豹柄・ジャガー柄のマスクや着ぐるみを作るのが大変だったのか?

豹柄・ジャガー柄は虎柄より細かいからねえ

その点、黒は一番簡単だから

うしおそうじ氏の思いは、豹族(ジャガー、ヒョウ、チータ)への強い思い入れもあって、パイロットフィルムで終わってしまった「豹マン」や「ジャガーマン」のリベンジということで、タイガージョーとは違った配色のブラックジャガーの登場になったのかもしれない

 

自分は、このブラックジャガーは気に入っているのだけど

しかし、これも、不発に終わり、最後に託したのが「シルバージャガー

 

そのシルバージャガーも、パイロットフィルムでとどまってしまったのは無念だろうと思う

「豹マン」「ジャガーマン」「ブラックジャガー」「シルバージャガー」の豹族の造形は、ともに造形家の高山良策氏と聞いている

うしお氏も高山氏も、最後まで、豹人間の決定版を作る思いは強かったのだと思う

それが、両者の心残りではないだろうか?

実写の「ライオン丸G」で、せめて、豹の獣人が出てくれば、報われたかもしれない(漫画では描かれている)


ブラックジャガーの衣装は、一見、派手のように見えるけど、本体の黒にマッチングしているいい衣装だと思う(派手かなあ?普通だと思うけど)

戦国の安土桃山期を考えれば、黒影豹馬やブラックジャガーのあの衣装も理にかなっていたと思う

 

表地に山吹色の豹柄(実際はチーター柄のような気がするが)で裏地に鮮やかな赤のマント(ブラックジャガーなので、ジャガー柄と思ったらそうではなかった。あくまで黒影豹馬の着用羽織の豹柄。豹柄とジャガー柄はちょっと違う)

これは、マンガ及び実写版「あずみ」で主人公のあずみ(上戸彩)が来ていた西洋風マントのように、かっこいいマントだと思う

 

でも、残念なのは、ライオン丸やタイガージョーのようにマントが固定できていないために、殺陣のシーンで、マントが前に回って、前に垂れ下がり、せっかくいい殺陣の邪魔になってしまっていたシーンもあった(くやしい!)

 

ライオン丸やタイガージョーのように、胴着に固定するようにできなかったのが原因だろう

 

さらに、前の合わせは、あずみのようにボタン留めでは無く、イミテーションチェーンだったために、壊れやすかったのではないか?

 

 

初登場の第2話では、終わりの方で、とらわれていた和尚・志乃・三吉の縄を刀で切った後で、マントをひるがえしたのちにマントを留めているチェーンが切れた?

 

地虫忍者を斬りに行ったときマントが落ちるハプニング映像があったことに気付いた

 

このコマのあと、マントが完全に落ちてしまったと思う

このコマのあとは、シーンが切り替わる

1秒にも満たない映像なので、ほとんどの視聴者は気づかなかっただろう?(現場はどうなっていたのか不明)

その後のブラックジャガーの殺陣もあったのだろうけど、マントがとれたことで、シーンカットされたのかも

その後の話の戦闘シーンでは、スーツアクター(原博美)さんのマントさばきの改善で、少しはみえる殺陣になっていた

実写版「あずみ」でも、同じようなマントを羽織って百人切りの撮影をした上戸彩さんも、マントの扱いは難しかったと言っている

あずみ(上戸彩)vs美女丸(オダギリジョー)の殺陣シーンを見てもわかる

 

 

でも、ザグロとの対戦では、チェーンも巻きつけてしっかり、首にマントを固定して、殺陣のシーンを行っていた

飛んだり、転んだり、激しい動きの中、マントはしっかり固定されていた

 

 

最後の見せ場をマントのせいで台無しにしたくなかったのだろう

でも、飛び回るところとか転がる場面では、マントがまとわりついて苦労しているように見えました

 

 

マントの造形は素晴らしかったのだが、実用性を考えると今一つだったかもしれない

ちょっと悔しい!

広がると、きれいで、鮮やかなマントなんだけど……

 

 

マントって難しい!

 

自分の推しのこだわり

ブラックジャガーについて考える(2)へ(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画「一枚のハガキ」

映画「一枚のハガキ」

12年前(2012年)、CSで放映されていたのを見ました

その時の感想をもう一度読み直します

今は亡き新藤兼人監督が描く戦争映画(2011年公開)です

監督が経験したことを映画にしたもので、反戦平和への信念が描かれています

出演 豊川悦司、大竹しのぶほか

戦争から生還した男が、はがきを頼りに戦友の妻を訪ねる物語です

井上ひさしさんの舞台劇のように、舞台劇にしても良い映画だと思います

くじが決める運命

「国のためならしょうがない。どことあろうが行けと言われればいかなゃあならん。くじじゃけの」

そう言われて戦友:森川定蔵(六平直哉)から渡された一枚のハガキを受け取る男:桧山啓太(豊川悦司)

一方、夫:定蔵が戦死しても、家にとどまらなければならない妻:森川友子(大竹しのぶ)

義父母を養う為に、義父母からは次男と結婚してくれと迫られる

戦争は何もかも狂わす

次男と結婚した後、次男にも召集令状(赤紙)が来る

そして、次男も戦死…

さらに義父も心臓発作で亡くなる

しまいには義母も、へそくりを教えて首吊り自殺してしまう

残ったのは、嫁に来た妻のみ

これが戦争の現実なのだろうか?

一方、戦友から一枚のハガキを預かった男:桧山啓太(豊川悦司)は…

生き残ったが…

彼がいない間に、妻と父親ができて逃げられる

そして、手にした一枚のハガキを持って、戦友の妻を訪ねる

そこには

「戦争を呪って生きて行く。野垂れ死ぬ。」

と言っている妻がいた

そして、2人は一緒になる

生きて行くために…

戦争は何もかもを失ってしまうけど、人がいる限り、新しく生まれるものはある

そう信じたい

この映画、レンタルあったかなあ…

 

 

推しキャラ(その1)黒影豹馬・ブラックジャガー

黒影豹馬・ブラックジャガー(black jaguar)

「風雲ライオン丸(1973年)」

 

「風雲ライオン丸」<37>(妄想版)

 

 

 

サンケイ新聞に連載された「風雲ライオン丸(後編)作:うしおそうじ、まんが:若林不二吾」のストーリーを題材にして、一峰大二の風雲ライオン丸の内容の漫画の画像を使って作ってみた

自分は漫画家でもイラストレーターでもないので、素人の切った張った程度

 

謎の剣士は、名乗ることも無く、戦いからすぐに手を引いて終わる

謎の剣士の切っ先は、ブラックジャガーの額をかすめる

(しかし、ブラックジャガーは面が弱いなあ)

それに負けず、ブラックジャガーの「飛び牙の剣」が謎の剣士の右目をつぶす

ブラックジャガーは、この勝負を「五分五分」と言う

まるで、テレビ版の第10話「うなる大砲怪人ズク」で、ライオン丸とブラックジャガーが決闘とした時と同じような感じではないか?

だが、漫画では、ブラックジャガーは相手の方が強いと自覚しているところが違う

この漫画の豹馬の方がちょっと大人のような気がする

そして、原作漫画では、謎の剣士との対決は、豹馬の死によって立ち消えになるのだが、この妄想ストーリーでは新たなる展開を作ってみた

その時に、謎の剣士の素性もわかり、最後には、何故豹馬をつけねらうのかも分かるようにした

もし、原作漫画で、豹馬が生き延びていたら、豹馬とこの謎の剣士との再戦をうしおそうじはどのように描いたのだろうか?

今は亡きうしおそうじ氏に聞いたみたい

 

さて、ブラックジャガーの秘剣だが、テレビ版の「つばめ落とし」だけではないことがここでわかる

この先、さらにブラックジャガーの秘剣を妄想版で出そうと思っている

 

そして、豹馬に対する志乃の行為もポイントだと思う

志乃は、獅子丸に憧れを募らすのだが、豹馬には実は母性を出すのでないかと思う

原作では豹馬が戦死して、豹馬と志乃の関係は進展しなかったが、もし、生きていたら面白い関係になったと思う

 

(参考資料)

怪傑ライオン丸 第2巻 光ノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画

風雲ライオン丸 全1巻 ロケットノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画

 

 

「総員死ニ方用意」

太平洋戦争末期、戦艦大和は、1945年4月7日、米軍の猛攻を受けて沈没し、約3000人が戦死しました

「戦艦大和:総員死ニ方用意…1945年4月6日最後の出撃(毎日新聞より、2015年4月)」

「総員死ニ方用意」

そう書かれた黒板が砲塔に掲げられると、乗組員たちはざわめいた

死の準備をせよ、という命令

その大和が4月6日沖縄に向け山口県を出港する前に、掲げられた言葉でした

映画「男たちの大和」で、長嶋一茂さん演ずる臼淵大尉が特年兵にこの言葉を示唆する場面があります

日本が救われるのはもはや「敗れて目覚めるしかない」

太平洋戦争末期、沖縄にアメリカ軍が上陸を始めたとき、それを阻止する軍艦が日本にはほとんど無かった

一矢報いるために、九州より沖縄周辺のアメリカ艦船に向けて、自ら命を捨てて激突するゼロ戦の特攻隊がいるだけでした

唯一、無傷だった戦艦大和を沖縄に差し向ける作戦が行われましたが、それは、護衛する戦闘機ももなく、片道燃焼しか与えられない水上特攻でした

「これはもはや作戦にあらず」そう言う士官もいたと思います

「死を前提とする作戦だった。それは作戦と呼べるのか」と思った少年兵もいたと思います

お国のために命を捧げる

そんな時代だったと思うだけでいいのでしょうか?

今、「死ニ方用意」と言われて、それに対応できる日本人はどのくらいいるでしょう?

日本国のために…

いや、会社のために…

あるいは、家族のために…

この子のために命を張ることができる親はいるかもしれません

でも、日本国のために会社のために、命を絶対落とさねばねらない状況に陥ったら、どうでしょう?

「死ニ方用意」できますか?

今、アジア近隣の状況が非常に切迫しています

日本は、平和憲法の基にありながら、積極的に自分を守ると言う名目で、集団的自衛権に大きく舵を切りました

それは、国民を守るために盾となる人間に「死ニ方用意」と言っているようなものだと思いませんか?

ある人に、人々を守るのが仕事だから命の盾になってくれと言っているようなものではありませんか?

自分を含めて、今の日本人にそれだけの覚悟ができているのだろうか?

大和沈没の日にこんなことを考えてしまいました

そして、戦艦大和と共に戦死された多くの方々のご冥福申し上げます

 

 

 

黒いものと聞いて思い浮かぶのは何?

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そりゃもちろん、今、ブログにアップしている

推しキャラの

「黒影豹馬・ブラックジャガー」です

黒影豹馬は、名前に黒がある

ブラックジャガーは、体が黒

これ、しばらく続きます

黒影豹馬

 

ブラックジャガー

映画「沖縄 うりずんの雨」

9前(2015年)の記事をもう一度

 

「黒人差別と相似している沖縄差別 映画「沖縄 うりずんの雨」米国人監督インタビュー(Excite Bit コネタより、2015年7月)」

(記事の内容をほとんど引用します)

毎年訪れる6月23日の沖縄「慰霊の日」

多くのメディアが凄惨な沖縄戦を特集にもかかわらず、自分を含めて我々は沖縄のことを何もわかっていません

沖縄戦と今日の間、ニュースで沖縄が取り上げられていない間にも沖縄には生活が存在し、人々は様々な思いを抱いて暮らしてきました

そのことが痛いほどよくわかる映画がありました

その映画とは、当時、公開されてから、ドキュメンタリ―映画としては異例の満席が続いている「沖縄 うりずんの雨」

映画「沖縄 うりずんの雨」は、沖縄の占領・基地問題を、大田昌秀元知事を始め日米両国関係者の証言と、貴重な資料映像で正面から取り扱ったドキュメンタリー映画

「沖縄戦」「占領」「凌辱」そして「明日へ」という四部構成からなっているこの映画を監督したのはアメリカ人ドキュメンタリー作家のジャン・ユンカーマンさんという人物だそうです

高校時代1年間日本に留学したユンカーマンさんは、1975年に半年ほど沖縄で過ごし、その文化と人々に魅了されたといいます

「当時はすでにアメリカの占領下にありました。特にベトナム戦争の直後でひどい状態でした。その状態を世界に伝えなければという思いが生まれました」

やがて80年代に入り映画監督となったユンカーマンさんは、2005年に「映画 日本国憲法」というドキュメンタリーを撮ります

「(「映画 日本国憲法」の)上映活動をしているときに、いくら憲法を守ろうとしても、あんな基地が沖縄にある限りは憲法を守っていることにはならないと思うようになりました」

その思いが本作の製作につながったようです

かのペリー提督が沖縄を太平洋の戦略拠点にしようと計画していたことを明かすことから始まるこの映画は、2004年の米軍ヘリ墜落事故、沖縄戦、1970年のゴザ暴動、2005年の沖縄米兵少女暴行事件、基地問題など現代沖縄史上における重大事件を、大田昌秀元沖縄県知事を始めとする日米双方の当事者の証言とともに紹介しているようです

関係者へのインタビューは80時間にも及び、100時間以上のなかから選んだという資料映像は歴史的価値も高いそうです

なかには米兵少女暴行事件の実行犯の1人への単独インタビューも含まれているとか

「戦争中に基地建設をしていた頃から今の危機に至るまで、基本的な構造はまったく変わっていません」

その根底にあるのは、内地の人の沖縄に対する差別意識だというのです

「今はブームが起きて、沖縄というと素晴らしいところとして憧れられていますが、僕がいた75年当時はひどい差別を受けていました」

沖縄県人の身体的特徴から方言まで、すべて差別の対象になったといいます

本編でも沖縄戦に内地から駆り出された元日本兵が沖縄の兵士を差別していた様子を述懐している

また60年代以降のアメリカにおける黒人の人権運動を基地周辺で感じ、白人の黒人に対する差別が、内地の人の沖縄の人への差別と相似していることに気付いたとするコメントも登場するのです

「沖縄問題の根っこには差別があります。差別意識がなければ、普天間の移転先を辺野古にしようとしたり、74%の基地を沖縄に集中させたままにするなど沖縄の住民を犠牲にして平気でいられるわけがありません」

「昔から差別はされていたのですが、そのことを口にする人はあまりいませんでした。'75年当時はとても貧しく、沖縄の住民の中にも卑屈なところがあったかも知れません。でも「ブラック・イズ・ビューティフル」(アフリカ系アメリカ人が誇りを取り戻すために行った民族回帰運動)のような世界的な人権運動の高まりとともに、沖縄でもこの40年少しずつプライドが高まってきて、この十年は行動として表にでるようになってきました」

今では、各界で沖縄の人々が本土で活躍している姿を見る

でも、基地問題の根底に差別問題もあるという認識が一般の人にあるだろうか?

もし、機会があれば見てみたい映画でもあると思う

我々は、今一度、沖縄について、考えるべきではないだろうか?

 

 

推しキャラ(その1)黒影豹馬・ブラックジャガー

黒影豹馬・ブラックジャガー(black jaguar)

「風雲ライオン丸(1973年)」

 

「風雲ライオン丸」<36>(妄想版)

 

サンケイ新聞に連載された「風雲ライオン丸(後編)作:うしおそうじ、まんが:若林不二吾」のストーリーを題材にして、一峰大二の風雲ライオン丸の内容の漫画の画像を使って作ってみた

自分は漫画家でもイラストレーターでもないので、素人の切った張った程度

 

ブラックジャガーと謎の男の戦い

それぞれが一太刀の戦いであるがダイナミック感が素敵な回

ここで、ブラックジャガーのもう一つの秘剣が出てくる

しかし、うしおそうじ氏は、何故この戦いを簡単に終わらせたのだろうか?

サンケイ新聞に連載された「風雲ライオン丸(後編)」ブラックジャガーは、マスクが黒っぽかったので、一峰大二の描いたジャガーマン(ブラックジャガーの頭部)を使用した

また、今まで登場したブラックジャガーはテレビ版のデザインを採用している

 

 

(参考資料)

怪傑ライオン丸 第2巻 光ノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画

風雲ライオン丸 全1巻 ロケットノ章 うしおそうじ:作、一峰大二:画

戦争や国の違いは乗り越えることが出来る

被爆70年特集「アメリカ人少女と幼なじみの60年」

 

録画しておいたものをようやくみた

原爆投下から7年後、アメリカ人の少女が広島に来た

ファリダ・フツイ

そのファリダさんが、広島に在住中に書いた紙芝居「炭のカンちゃん」

子供たちの遊び場に生えていた親子の木が大人たちによって、斬り倒されて、炭になり、親子は離れ離れになる

そして、炭は燃え尽き、白くなりボロボロになって崩れる

炭の作り方、生い立ちと考えれば、それまでの物語だろう

でも、その背景には、幼かったファリダさんを襲う、原爆の被害の声

彼女は早くから日本語を理解し、聞き取り、話せることになったために、原爆投下から7年しかたっていない広島の生の声が彼女の頭に入って行って幼い心を苦しめた

原爆投下をしたのが祖国アメリカという罪悪感と心の闇が描かれていた

それが紙芝居「炭のカンちゃん」だった

ファリダさんが広島に来たのは6歳の時で、日米間に友好関係を築くのが父の任務だった

一家は家族ぐるみで文化交流に取り組み、日本の伝統文化を学ぶことに力を注いだ

また、アメリカ文化を理解してもらうことにも注力し、母のアグネスさんは料理教室も開いたそうだ

大人にとっては、それは仕事だったかもしれない

でも、子供にとってはつらいことだったと思う

それを救ったのが、隣に住んでいた波田さん一家

彼女を実の娘のようにかわいがってくれた

そして、ファリダさんが「波田のおばちゃん」と呼んでいた波田恵子さん

彼女は被爆者であった

ファリダさんは幼い気持ちで、原爆の事を聞いたそうだ

それに、波田のおばちゃんは丁寧に真実を説明した

でも、ファリダさんには、「あなたに罪はない、心配しなくていいんだよ」と言って抱きしめてくれたそうだ

やはり、どこの国でも母親は同じではないか?

そう思う

原爆を落としたのはアメリカ

国であって、人ではない

人と人は、国と国と違って、話せば分かり合える

ファリダさんは救われたそうだ

ファリダさんは、日本で過ごした日々は宝物だという

人は戦争や国の違いは乗り越えることが出来る、心と心で繋がる「かけはし」がここにあると語ったようだ

面と向かって話し合う

人と人との話し合いが必要

ネット社会で、文字だけが飛び交うところに、人の心はあるのだろうか?

そういえば、自分も、小学6年生の時(12歳?)、アメリカから一人の男の子がクラスにやってきたことを思い出す

日系日本人だった

年は自分たちより2歳上

でも、言葉の関係で小学6年生への転入だったと思う

背も高かった

彼は、被爆地広島をどのように感じていたのだろう?

そんなことは何も感じず、自分たちは彼は一人の日本人としていつもいっしょに遊んでいた

残念なことに、アメリカに帰ったあと、亡くなったことを知った

事故だったのか、病気だったのか?

子供時代は、遊ぶことに夢中だった

今なら、いろいろなことを話すことができたと思う

残念なことだと思う

今だったら、彼と何を話しただろうか?