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新津章夫 Official Blog 《迷宮の森》

謎に満ちた迷宮のギタリスト、新津章夫のオフィシャル・ブログ。迷宮の森 《Forest in maze》

ちょいとご無沙汰しておりました。私ごとですが人生初入院(笑)といっても命に関わるとかいうことではないのでご心配なく。目下、日常生活復帰へのリハビリ中です。


このタイミングで入院したのは日本に帰って懸案の新津章夫の未発表音源まとめた新譜づくりのため。


段ボール6箱分のオープンリールをチェック! 新津章夫は基本的に楽曲は数字しか付けないから、遠い記憶とLP選曲の際に仮に付けた曲名を頼りに音源探しの毎日です。


暑いし歩けないから家でゴロ寝しながらやるには最適の作業ですわ。


で、これを機会に一区切りつけるつもりなので、テスト用に作った音や多重録音用の音源なんかは破棄することに。といっても、そのままリールごと捨てるのは気が引けるのでこのように供養(て言わないだろ、これでは😁)してリールから外したテープは粉砕。長い間、ありがとう。必ずや良い出来の1枚に仕上げますからね。


8月19日は新津章夫の72回目の誕生日でした。最先端のアナログ技術を駆使して、いずれ訪れるだろうデジタルな音楽を作ろうとした挑戦者。音楽を科学の実験のひとつとしてとらえ、それていて騙し絵や、音遊びや、シンメトリー、パラドックスなど思想性を取り入れた不世出のギタリスト、新津章夫。実弟として尊敬するにあまりある人でした。


2005年の掲載だそうですが、decoyさんという方の「世界名盤道」というBlogで「I・O」をご紹介いただいていたそうです。

 

内容もとても素晴らしく感激しています。ありがとうございました。お礼が19年も遅くなってしまい失礼しました。

 

 

 

皆さんの応援のおかげをもちまして「I・O」が無事に復刻発売されました。

 

46年間という長い期間、多くの方々に愛され続け、彼の死の後も、このアルバムは力を失うことはありませんでした。本当にありがたいことです。

 

新津章夫をプロデビューに導いていただいた音楽ライターの岩田由記夫さんがどこかのメディアで用いていただいていた「何千時間の孤独な時が過ぎたであろう…」という言葉。まさにそれこそが「I・O」の本質です。実弟として「I・O」の制作過程はずっと見てきましたが、彼の制作現場はまさに昔話の「鶴の恩返し」のようでした。

 

大学時代、ヨーロッパを一人で旅してその着想を固め、帰国後民生機材を使ってデモテープを録音し、それを精査したのち自宅にもちこんだプロ機材で再度レコーディング。そのすべての過程を一人で”物置”スタジオで作り上げたアルバム「I・O」。新津章夫は孤独に強い人間でした。一切の妥協を許さない音楽家でした。

 

そのことが46年間、「I・O」という作品をずっと支えてきた力となっているのだと思いました。

 

ありがたいことに新津章夫の音楽を必要としてくださる人はたくさんいて今年は新津章夫復活の一年となりそうです。またご報告させていただきます。

 

 

 

 

48年ぶりにアナログ盤復刻された愚兄、新津章夫ですが、奇跡はまだまだ続きそうです(「I/O」は本日5月29日発売・徳間ジャパンより)。

 

老舗インディーズ、P-VINE RECORDSの”静かな夜”をテーマにしたコンピレーションアルバム「How We Walk On The Moon」に2枚目のアルバム「Petstep」の楽曲「リヨン(Lyon)」が収録されることになりました。こちらはCDとアナログの2タイプ。6月19日発売です。

 

いよいよ「I・O」の復刻版発売が来週に迫りました。

 

さっそく「ギターマガジン」誌にレビューを掲載していただきました。ありがとうございました。

 

 

思えば今回の復刻版企画のきっかけのひとつが2017年8月号の特集「ニッポンの偉大なギター名盤100」に「I・O」が選ばれたこと。今は故人となられた編集者の川俣隆さんが雑誌「ロックステディ」編集長時代、新津章夫が同誌に連載をしていたのですが、川俣さんがその後にリットーミュージックに移り、立ち上げたのが「ギターマガジン」でした。川俣隆さんは元々「Player」誌の編集者でもあり川俣さんが連載していた「ギターの巨人たち」は70年代のギターキッズたちのバイブルともいえる記事でした。私自身もその後、川俣さんとはお付き合いがあって同社のビデオ雑誌「Avic」や「サウンド&レコーディングマガジン」でご一緒し、川俣さんの著書「音職人種」に一部執筆をしております。代々木体育館でのピンクフロイドのコンサートで、ライブが終わり帰ろうとして振り返ったら川俣さんがいて、そのまま近くの屋台にご一緒したなんてこともありましたっけね。

 

現在の同誌のスタッフの方々には当時を知る方はもういらっしゃらないと思いますが縁を感じております。

 

 

ちなみに、ワタシ事ですが5月31日(金)に、福岡・RKBラジオの朝番組「立川生志・金サイト」にてイタリアのニュースとともに新津章夫の復刻版についてお話させていただく予定です。radiko(ラジコ)でも聞けますので、よろしかったどうぞ!

 

 

 

 

 

 

Twitterで新津章夫の「I・O」のアナログ盤の再発告知をしていたら、思いがけず素晴らしい出会いがありました。

 

曰く、NHKラジオの朗読番組にて新津章夫の「未来永劫」を聴き、ラジオ局に曲名を問い合わせ、レコード会社に注文をして購入していただいたとのこと。しかも、当時の日本フォノグラムの電話に出た方曰く倉庫に残っていた最後の1枚だったとか。

 

その番組はご本人がYOUTUBEにアップしてくれているのでリンクを貼っておきます。

 

 

朗読された作品は横田順彌著「ヨコジュンのショート博覧会(パビリオン)」に収載されている「靖国神社にて」。朗読は声優の井上瑤さん。

 

SFやショートショート好きだった新津章夫は筒井康隆や星新一、豊田有恒、そして、もちろん横田順彌の読者でもありましたので、知っていたら喜んだことだと思います。

 

 
 

 

新津章夫のデビュー作「I・O」のレビューには「ギターとわずかな楽器で作った」と記されていて、当時はシンセサイザーは使っていないと言われていました。そういえば、クイーンのデビューアルバムにも「No Synthesizer」というクレジットがありましたよね。今となっては「そんなにシンセサイザーを敵対視しなくてもw」と思いますが、当時は”魔法の楽器”でシンセがあればどんな音も出せる、ミュージシャンの思考力を削ぐ”魔の楽器”という一面がなかったといえばウソになります。

 

さて。「ギターとわずかな楽器で作った」という触れ込みだった「I・O」ですが、キーボードが使用されている曲があります。お気付きの方も多いと思いますが、「未来永劫」の8分目以降、滝の音(原曲名”シャッハウゼン”はスイスのライン川にある高低差約20メートル、川幅150メートルの雄大な滝の名前)を模したSE部分に流れるメロディは、1977年にローランドから発売された「RS-101 ストリングス」です。

 

 

私のバンドメンバーが所有しており、それを借用しました。以降、1982年に発表した2枚目のアルバム「Petstep」ではキーボードを使用したパートが増えます。皆さん、おなじみの「無印良品BGM1980-2000」ではほとんどのパートがヤマハのDX-7かローランドのJUNOです。

 

新津章夫が最初に手に入れたキーボードは、時代の先駆者となったヤマハのポータートーン初号機、PS-1です。

 

 

これらの音は「Petstep」の3曲目「パターン*かぜ」以降、多くの曲で使用されており、「I・O」のファンからは「新津章夫は平凡になった」と言われた要因でもありました(苦笑)。4曲目「かげろう」はまさにキーボードから始まり、当時、手に入れて夢中になっていたチェロを重ねて本来の”倍速ギター”の新津章夫らしさは影を潜めています。

 

「I・O」の制作は1977年、「Petstep」は1979年~1981年にかけて。つまり、2枚のアルバムは1980年という電気楽器の一大変革期を挟んで作られました。その間、新津章夫もギターとエフェクターから、まずKorgのMS-20を手に入れ、MS-50やアナログシークエンサーSQ-1を手に入れ、さらにはローランドのリズムマシン、ドクターリズムTR-606や”ヤオヤ”の後継機TR-909を導入。それとともに音楽の様式もどんどん変化していきました。

 

「新津章夫は平凡になった」と言われた一方で「Lyon」などは、こういった新機材があってこその名曲だと思っています。

 

 

このリズム部分はTR-909とシーケンサー。メインはすべてギターの倍速処理。チェロも聴こえます。見事なまでのアナログとデジタルの融合です。

 

この曲はヘッドフォンお聴きになるとわかりますが、バッキングはクラベス(TR-909)と倍速ギターのボサノバ風コード奏法のラテン風味になってます。このあたりはブラジルのギタリスト、バーデン・パウエルに憧れていた新津章夫のバックボーンが感じられます。

 

曲名であるリヨンは、2つの川が流れるフランス第二の都市。エンディングとともに流れる川のSEはそれを表しています。1970年中頃、欧州を放浪していた新津章夫はリヨンから私に手紙を書いてくれました。曰く、「フランス国境を越えたのは夜中でフラン(当時は統合通貨ユーロ以前のフランスの通貨フランを使用)に両替することができず腹が減ってひもじい思いをした」。そんなお腹が空いて困っていた新津章夫の目に、リヨンの町はこんなにも美しく映ったのでしょうか(笑)。

 

 

その昔、「ロックステディ」という雑誌がありました。

 

現在、ヤフオクに「ROCK STEADY 1978年12月号」が売りに出されているのですが、その見出しに「新感覚のギタリスト、新津章夫」って文字があります。たぶん、インタビューだと思います。

 

その後、「ロックステディ」とは仲良くなってギターメソッドの連載を持っていました。編集長は旧「プレイヤー」誌にもいた川俣隆さん。残念ながら彼もすでに故人ですが、音楽メディアの中では新津章夫の理解者のひとりでした。

 

たぶん、日本の倉庫にあるんじゃあないかな。なかったらヤフオクで買おうかな(笑)

 

 

 

 

 

ネットを見ておりましたら、「無印良品BGM 1980-2000」についての記述を発見しました。

 

 
以前にもこのCDについては触れましたが、今や20集くらいまで到達したベストセラーCDシリーズですが、なぜか第一集である「無印良品BGM 1980-2000」だけは現在は販売されていません。
 
理由は、おそらく参加アーティストに販売許可を取らずに発売してしまったからだと思います。少なくとも新津章夫には連絡はなく、そのためクレジットも「新津彰夫」となっています。新津章夫本人が「継続販売をされる場合は訂正をして欲しい」と連絡をしたところ、「再発の予定はない」と素っ気ない返事があったそうです。
 
もともと、これは店内で流すことを目的に制作されたものなので、おそらく参加しているミュージシャンも全員、楽曲を売ることは前提にはしていないと思います。そこで、ひとつお答えしたいのです。
 
>新津章夫の曲は寓話のような感じというか、「銀河鉄道の夜」みたいな感じでずっと聴いているとハマるかもしれませんけど、万人受けはしないでしょうね。

ありがとうございます。「銀河鉄道の夜」。まさにそんな感じですよね。素敵な表現です。

>その他も悪くはないけどパッとしないとか、わざわざ聴くほどではないかなといった感じの曲が並び、また曲によってはかなり陳腐化してしまったようなものもありました。
 
おっしゃるとおりなのです。「陳腐化して」いるのです。なぜなら、これらの楽曲は無印側からは「店内で流して買い物が楽しくなるような音楽を作ってほしい」との依頼に応じたものだったため、思わず足を止めて聞き入ってしまう完成度の高い音楽ではダメなのです。
 
新津章夫自身も言い方はよくありませんが、「適当に手抜きをした感じ」を求めていました。多くのファンがそう感じていただいている通り、本来の新津章夫の音楽は隙のない完成度の高さを求めたものです。しかし、それに比べたら「無印良品BGM」が陳腐であることは、最初からそれを狙って制作されているわけです。音源はほとんどがYAMAHAのDX-7でRolandのTR909の打ち込みを多用しています。とても簡易なセッティングです。
 
それでも聞いていただいた方々はおわかりになると思いますが、録音するにはとても手のかかる倍速ギターも随所に盛り込まれていますので(「星群の船」「星たちのラグタイム」など)、聞けばすぐに「新津章夫だ!」とわかる金太郎飴状態であることに間違いはありません。
 
最後に一曲。私が好きな「無印良品BGM」の曲「冬の夜」。
 

 

2005年に発表したCD「サイエンス・クラシックス」以降、まったく動きのなかった新津章夫の音楽活動ですが(亡くなっているので当然ですが笑)、なんとなんと1978年に日本フォノグラムから発表した「I・O」のアナログ盤が再発売されることになりました。

 

 

 

 

 

「I・O」は2003年にCD化されていますが、アナログ盤再発にはひとつ大きな違いがあります。それは、横尾忠則さんに担当していただいたジャケットが再現できること。

 

↑横尾忠則氏による「I・O」のジャケット

 

実はこのジャケットには新津章夫が隠れ潜んでいるんです。お気づきでしたでしょうか?

 

 

ここです! 裏ジャケットの右端に立ち姿が写っていることは知られていると思いますが、このハレーション起こしている白い顔も新津章夫でございます。

 

ジャケットワークだけでなく中身の新津章夫自身が書いたランナーノーツや当時のレコードには必ず付いていた帯も再現される予定。

 

発売は2枚目の「Petstep」を発売した徳間ジャパン(当時はジャパンレコード)で、販売はHMV。リリースは5月29日を予定しています。

 

進捗状況はまたここでお知らせしたいと思います。